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野中広務氏のような経歴の政治家はもういない 

平成30年1月27日

 


 

26日,野中広務氏が死去しました。ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。

 

野中氏について私が最初に興味を持ったのは,2010年に彼が小渕恵三政権で官房長官に就任した当時の出来事である。当時,自民党は参議院で過半数に満たなかった。

 

そこで,「悪魔」とまで呼んでいた自由党の小沢氏に頭を下げて,野中氏曰く,「悪魔にひれ伏して」,手を組んだときの状況に個人的に興味を持つようになった。

 

この点については,聞き書 野中広務回顧録 御厨 牧原 (編集),岩波書店」の中で,野中氏本人が経緯を語っているので,以下では,当時の状況を本書から抜粋する。

 

8月24日頃だったと思いますが,亀井静香君が「小沢と君が高輪プリンスホテルで会う約束をしたから,話をしろよ」という。(筆者中略)。そして,夜小沢さんに会って,「今まで非常に不都合なことがありましたけれども,こういう国家的危機ですから,ひとつ是非ご理解をいただいて、、、」と言いかけたら,

 

(小沢氏が)「もういいじゃないか,個人的なことはいいじゃないか。それより政策だ」と言って,あの人はすぐに周辺事態法のような話しをし始めました。

 

そして,「政策さえきちんと詰めておけたら,我々は(連立を)考える」ということでしたので,「これから担当者も含めて話をしていきますから,連立への道をひとつよろしくお願いします」と言って,話の道筋をつけました。(抜粋ここまで)

 

連立を組んだ小沢自由党は,貸しを作ったと考えたわけではないと思うのだが,その後自民党に対して様々な要求をしてきたようである。

 

それはともかく,小渕総理は,公明党や小沢自由党に頭を下げる任務を負わせるために,人のよい野中氏を官房長官に抜擢したのではないかと思う。

 

政治家野中氏について,魚住昭氏は,著書「野中広務 差別と権力」の中で,

 

(以下引用)野中が政界の出世階段を駆け上ったのは,その時々の政治状況にすばやく反応し,周囲が求めるパイプ役や「裏の掃除役」を完璧にこなしてきたからである。そこには一貫した政治思想やイデオロギーは見られない。(引用ここまで)

 

しかし,これはいくらなんでも言いすぎだろう。彼の思想形成の根底にあるのは,平和国家への飽くなき追求ではないだろうか。

 

昨年7月4日,野中氏は東京都内で記者団に,


(「安倍総理が提案している憲法改正について)僕は反対です。私みたいに戦争に行って戦争で死なないでかえってきた人間は、再び戦争になるような道は歩むべきではないと。これが私の信念です。死ななかったから今日の私があるんですから。死んでいった連中を今思い起こしても、本当に戦争というものを二度と起こしてはならない。それが私の今日までの姿です」

と述べている。

 

「これが私の信念です」という言葉には,戦争経験者の言葉としての重みがある。迫力と言い換えてもいいだろう。

 

この世に生を受けてから食うに困ったことのない世襲のボンボン政治家どもが、口を開けば北朝鮮の脅威を声高に訴え,軍備を拡張し,経済政策といえば,大企業優遇を徹底し,弱者や少数者を排除しようとする,

 

このような政治家が幅をきかせている昨今の日本で,底辺世界を知る野中氏が亡くなったことは,実に憂慮すべきことである。

 

上掲の回顧録で,野中氏は北朝鮮について,次のように語っている。

 

「北朝鮮はものすごく外交に長けた国ですよ。何もない中であそこまで生き抜いてきた国だけに,したたかなものです。僕は,8回(北朝鮮に)行きました。日本の国民にはわからないけれど,北朝鮮,韓国,中国,ロシアとは本当に仲良くしておかなければ,将来日本の国は危ない。一極にダーッと流れていく日本人の民族性は危ないと思って,北朝鮮とは何とか仲良くしておきたいと思ってやったけども,ダメでした」

 

安倍総理は,野中氏の意志を引き継がなければならない。だが,彼はまだ一度も北朝鮮を訪問したことすらない。


このような態度の安倍総理に平和を語る資格などない。だからこそ,彼は口を開けば「最大限の圧力を」と叫んでいるのだともいえるが。




 

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