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NHK受信料でもめるのはやめてテレビを見るのをやめるべきである 

2023年11月12日




11月6日、NHKは、東京都内の3世帯を相手に、契約の締結と受信料および割増金の支払いを求める民事訴訟を東京簡裁に提起したことを公表したが

初歩的な事実関係を明らかにしていない。

NHKが受信料を請求できる相手は、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者」(放送法64条1項)に対してだけである。

私の家にはテレビがないので(スマホ、カーナビにもチューナーは未搭載。念のため)、年に何通かNHKから放送受信契約書が送られてくる。

直近で送られてきたのは、11月上旬だったが、

同封のチラシには「テレビ等の受信機を設置された場合は、放送受信契約が必要になります。お手続きがお済みでない場合は、お早めにお手続きをお願いいたします。」と書かれていて、

その下に、ご親切にも黄色の枠で囲って「なお、テレビのご設置がない場合や既にお届けいただいている場合はNHKへのご連絡(ご返送やお電話)は必要ありません」
と注釈を入れている。

このことは、NHKが各世帯にテレビがあるかどうかを確認する術を持っていないことを意味する。

では、NHKは、件の3世帯がテレビを「設置」していることをどうやって認識したのか。

12日時点までのネット、メディア報道を私なりに全部チェックしたが、タブロイド誌のフライデーや日刊ゲンダイを含めて、この点に言及した記事は見当たらない。

被告側がSNS等で言い分を発信している事実も確認できない。

NHKによると「今回の3世帯は、契約締結をお願いする文書の送付や電話・訪問などにより誠心誠意説明し、丁寧な対応を重ねてまいりましたが、

応じていただけなかったため、やむを得ず最後の手段として、割増金の請求を含む民事訴訟の提起に至りました」とのことだが、

どのようにテレビ設置の事実を把握したのかまで明らかにしていない。

ここに情報収集の経緯に疑惑(プライバシー侵害など)が生じる。

外からアンテナが見えていた、あるいは、訪問員がドアを開けたら、テレビの音が聞こえてきた、テレビがあるのが見えた、というだけでは、事実を把握したことにはならない。

アンテナがあるからといって、部屋のテレビにつながっているとは限らないし、たとえテレビにつながっているのが見えたとしても、そのテレビがすでに壊れているということも考えられる。

被告がテレビらしいものを見ているのを、開いたドア越しに見たとしても、そのテレビがチューナーレスである可能性もある。

それとも単純に被告が電話や訪問員に、テレビがあること、実は普段から見ていることをポロッともらした、

あるいは、たまたまNHKや地上波を見ていたところを訪問員に目撃された、という間抜けなレベルの話なのか。

それらなら、「言っていない」「見られていない」と言い張って争うことができるだろう。

虚偽証言を奨励するつもりはないが、「言った言わない」の次元の類の闘いなら、戦略はさまざまありそうである。

ただ、電話の会話内容が録音されていたとか、複数の訪問員に目撃されていたような場合だと、被告には一転して厳しい現実が待ち受けることになる。

その場合は仕方がないので、裁判では、テレビ設置の事実を認めた上で「目撃された日時にテレビを撤去したので、以後の受信料は発生していないし、契約を強要される筋合いはない」との主張もありだろう。

その際は、NHKが再抗弁で「テレビがある」ことを立証する必要があるので、

「テレビを撤去した」ことを被告は抗弁で主張すればよく、積極的に証明する必要はない。

訴状を見ないと何とも言えないが(訴状が被告陳述前に公表されることはない)、
申立先が簡易裁判所なので、NHKが事実を確認した複雑な経緯を記していない可能性が高い。

和解となると(たとえば、被告に資力がないから、分割払いで決着するなど)、判決文がないので、訴訟に至った経緯が闇に葬られることになる。

そうならないためにも、本件被告には、真実を世に知らしめる意味でも、ぜひ最高裁まで闘っていただきたいところだが、

そもそも論として、私は、

1:「テレビを設置していても、NHKだけ見ていないことが証明できれば受信料を支払う必要はない」

2:「ワンセグ携帯に受信料を支払う必要はない」
と考えているので、以下、仮に私が被告の立場に立った場合の主張内容を記したい。

1点目について。2017年の受信契約訴訟で、最高裁は以下の主旨を述べている。

「受信料を徴収する仕組みは、憲法上許容される立法裁量の範囲内である」
「受信料の徴収を契約の強制によって行うことは、憲法上許容されると言うべきである」

と。

すなわち、最高裁は「憲法上許容される」と言っておきながら、憲法のどの条文で許容されるのかを述べていない。

ところが、結びで

「受信料の強制徴収は、憲法13条(幸福追求権)、21条(表現の自由)、29条(財産権)に違反しない」と、唐突に3つの条文を登場させて強引にまとめている。

だが、そもそもテレビを設置したというだけで、見たくもないNHKに契約を強制されることが「幸福」だというのは常識的に考えて無理がある。

「表現の自由」云々に至っては意味不明というしかない。

「財産権侵害にならない」云々も理由が示されていない。

憲法29条1項は、個人の財産権を保障し、2項で、社会権保障と整合的な財建研の構築を公共の福祉に適合するように、立法者に命じることを定め、

その際、国家(放送法で守られているNHKも当然含む)が特定の個人に特別の犠牲を課す場合、3項で正当な補償をしなければならないと解釈されている。

昭和の時代と違って、テレビを持たない家が多くなった現在、受信契約の強制行為は、「特定個人に特別の犠牲を課す場合」にあたるというべきである。

で、あれば、強制的に受信料を取る行動は、財産権侵害にあたり、正当な補償をしなければならない。

補償したくないなら受信料を取るな、ということである。

2ヶ月払いで2200円が「特別な犠牲」にあたるかは微妙だが、
テレビを設置しているというだけで、年間2万5千以上も払わなければならないというのは、家計が苦しい者にとっては、かなりの「犠牲」だろう。

いずれにせよ、理由も根拠も示さずに唐突に「29条違反ではない」と結論を押し付ける最高裁の判断には過誤があると言わざるを得ない。

まとめると、この判決は、全体的に理由不備で、判例変更に相当するといってもよいだろう。私が被告ならこの点を主張する。

2点目の「ワンセグ携帯に受信料を支払う必要はない」の根拠

放送法64条は、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は(中略)協会と受信契約を締結しなければならない」と規定する

ここでいう「設置」とは 辞書によると、「建物や機関などを設けること。設立。また、物を備え付けること」であり、

携帯とは、「身につけて、また手に持って持ち運ぶこと」ことを意味する。

ところで、スマホは通常、携帯する通信機器であり、固定の位置に「設置」して使う代物ではない。

そのような使い方をする者もいるだろうが、あまり一般的ではない。

ところが、2019年3月12日、最高裁は、以上の考えを退けた。

最高裁裁判官ともあろう者らが「携帯」と「設置」の区別もつかないというのは驚愕である。

基本的な日本語の意味すら理解できないこのような連中に死刑判決を下されてはたまったものではない。

下級審は、ワンセグ携帯に支払い義務はないとの立場なので、判例の変更をせまるのは非現実的ではない。

というか、そもそも受信契約を裁判で強制すること自体、私法の大原則である私的自治の原則に反するので、この点を突付くこともできる。

これまでの受信料をとりたいだけなら、テレビ撤去請求と併せて不当利得返還請求訴訟を起こせばいいだけの話ではないか。

国民は声を大にしてNHKの行動に異議を唱える必要がある。

いや、そもそも論として、時代遅れ、偏向・御用丸出しのNHK、地上波テレビなど見るだけ時間の無駄、人生の無駄である。

受信料に不満のある世帯は、年末までにテレビを処分することを真剣に考えたほうが結論は早い。

テレビは粗大ごみではなく、家電リサイクル法の適用を受けるので、処分に高いカネを払うことになるが、無駄な受信料支払の呪縛から免れることができると思えば安いものである。


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