岡口裁判官がクビになるなら大メディア報道の責任である
2023年10月29日
前置きとして、岸田政権の今後の動向を少しだけ予測する。
10月20日の「朝まで生テレビ!」で、「うるさい、だまれ」と田原総一朗に罵倒された国民民主の玉木代表が、23日の記者会見で、
「(首相は演説で「経済、経済、経済」と繰り返したが、英国のトニー・ブレア元首相が「教育、教育、教育」と言ったのをまねたのかなという気がした)と述べていたが、
ブレアではなく、親分安倍晋三の模倣ではないか。
2014年の国会で、安倍元首相は、「経済、経済」を連呼し、同年11月「アベノミクス解散」総選挙に突き進んだ。
岸田の政権運営は、ほぼすべて彼の親分だった死人のやりかたを踏襲している。この基本を押さえずして岸田を語るなかれ、である。
選挙前は「経済」を強調し、選挙が終わると「憲法改正」を言い出すのは安倍政権の常道だった。
今年5月に広島サミットで、核兵器根絶がライフワークのはずの岸田が「核兵器は抑止力に役立つ」と変節したが、
大メディアが岸田演説への批判を抑制したことで、サミット後の内閣支持率は一時的に上昇した。
本ブログは、サミット前に、
「今年秋には岸田政権の大増税構想が国民に暴露されることになるので、解散総選挙はサミット後の6月になる」と書いた。
岸田も99パーセントそのような絵を描いていたと思われる。ところが、長男の公邸私物化問題が発覚し、解散総選挙の戦略が頓挫した。。
野党がボロボロの状況だったので、マイナンバーの不備や、統一教会、長男の問題を抱えてままでの6月選挙でも、岸田自公政権が負けることはなかっただろう。
ところが、岸田は動かなかった。岸田が安倍と違うところがあるとすれば、ここである。
岸田政権は安倍と違って党内基盤が弱いので、内部に異論があると強い決断をためらう傾向がある。
だが、国民にとって党内事情はどうでもよい。我々の関心事は、大局的な国の方向性にある。
今年秋の大増税の方向性は、昨年から決まっていたことであり、マイナンバー問題もそうだが、選挙にも行かない国民が今頃になって批判するような問題ではない。
10月22日の衆参補選で岸田は、長崎4区の金子容三の当選に力を入れていた。
本ブログは、投票率が60パーセントを超えれば、金子は負けると書いた。が、投票率は42.19パーセントだった。これでは組織票に勝る与党陣営に国政選挙で勝てるわけがない。
世襲3代で同区の利権を私物化し、岸田の息がかかった金子を国民(県民)は選んだ。彼を国政に送り出すことに同意したのは我々国民である。
金子は岸田政権の忠実な下僕として国民を苦しめていくことになるだろう。だが、それも我々国民の自業自得と言わねばならない。
大増税方針については、既存の利権を温存し、国民に負担を課していくという方向性は将来も変わらない。
本ブログは2017年10月から書いているが、X(旧ツイッターだが、以下、便宜上、ツイッターと記す)の自己紹介欄に
「中間層よ、君たちはだまされている」と書いた(書いている)。当時これを読んだ知人から「どういう意味か」と問われたが、
その答えは、今起こっていることだといえばわかりやすいのではないか。
「上位層」からは取らない、「下」からは取りたくても取れない(ない者からは取れない。消費税は例外だが)
結局搾取の対象となるのは、権力に抵抗しない中間層(働き手の90パーセントを占める労働者)からの天引きということになる。権力に抵抗しない層、という点がポイントである。
だが、このところ、従順なはずの中間層から、わずかながら不満の声が漏れてくるようになってきた。
この閉塞感を岸田に打破する策があるとすれば、外交を利用した目くらましだろう。
金正恩総書記と岸田の直接対談に向けて、事務方が水面下で北朝鮮側と現在交渉中である。
岸田の理想は、来年の総裁選前の実現だろう。
北朝鮮利用作戦は親分安倍のコピーである。岸田による目くらまし、政権浮揚の具は、今のところこれ以外に考えられない。
安倍晋三は、2017年、「12月になると北朝鮮有事が起こる。だから今選挙をやるしかない」と大ぼらを吹き、10月に「国難突破」と称して解散総選挙に突き進んだ。
安倍の言を信じ、ミサイルが飛んでくると信じた国民は、安倍政権を支持した。選挙後、麻生太郎は、北朝鮮の選挙利用を自身の講演で公に認めた。
何度でも書くが、岸田の政権運営は親分の安倍晋三の方法論を踏襲している。
その良し悪しは、我々国民が選挙で審判を下すしかない。
戦後最長を記録した安倍内閣に不満のない国民は、岸田政権に投票するか、棄権するかのどちらかを選べばよい。不満のある者が棄権してはならない。
ところで、国同士のトップ会談を頭から批判するつもりはない。だが、会談の中身は精査していかなければならない。
会談が実現しただけで、内閣支持率の上昇に貢献するような行動をとってはならない。
だが、大メディア報道だけでは、中身の正確な認識は不可能なのが現状である。
ここから本題に入るが、
仙台高裁判事の岡口基一氏をクビにするかどうかの弾劾裁判が国会内で続いている。直近では10月25日に第10回公判があった。
大メディアは、東京高裁と最高裁という組織の権威に恐れをなして、組織内の一裁判官にすぎない岡口氏の言い分を正確に伝えていない。
大半の国民は大メディア報道だけで事実を評価する。
この件については、99パーセントの国民が、岡口氏に批判的な見方をしているように思える(掲示板の書き込みがそれを証明している)。
これまでの大メディア報道を見る限りでは、国民の誤解も仕方がないともいえそうだが、元情報を辿れば、誤解やむなしとも言えない。
他人を批判するときは、可能な限り、元情報に遡って事実を確認すべきである。ネットを使えば、情報の根源を辿るのはそれほど難しいことではない。
岡口氏は、主に、以下2点のツイッターへの投稿内容に、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があった(憲法78条、裁判官弾劾法2条に抵触した)として訴追されている。
1点目。都立高3年の女性が殺害された事件について、
「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男。そんな男に、無惨にも殺されてしまった17歳の女性」
2点目。犬の所有権をめぐる民事訴訟の判決について、
「公園に放置されていた犬を保護し、育てていたら、もとの飼い主が名乗り出てきて、「返してください」」
「え?あなた?この犬捨てたんでしょ?3ヶ月も放置しておきながら、、、」
「裁判の結果は、、」
と投稿。
さらにダメ押しで、1点目の遺族について「俺を非難するよう東京高裁に洗脳されている」などと書き込み、その後訴追された。
まず、1点目の投稿については「遺族を傷つけた」と評価されているようである。
被害女子高生の父親(刑事裁判の原告の立場に相当する)も、弾劾裁判の公判でその旨述べたことが報道されている。
だが、岡口氏のツィート内容は、父親の意向を汲んだ検察(原告)の主張を判決文から引用しているだけにすぎない。(岡口氏は判決文のリンクを張っている)
判決主文の後に続く「本件事案と控訴の主意」には、
「本件は、被告人が自分の将来を悲観して自暴自棄になっていたところ、死ぬ前に首を絞められて苦しむ女性の姿を見て性的興奮を得たいと思い(以下、略)」とある。
リンク先の判決文は、プライバシーの観点から、被害者の名前は伏せられている。岡口氏も被害者を特定していない。
ところが、大メディアは、17歳の被害者女性を実名報道している。遺族父親が非難すべきなのはむしろメディアへの方だろう。
岡口氏が「俺を非難するよう(遺族は)東京高裁に洗脳されている」などと書き込んだのは、高裁から遺族に正確な情報が伝えられていないことへ懸念を吐露したものだと推察できる。
この遺族父親は、そもそも判決文を一言一句読んでいない可能性が高いと言わざるを得ない。
ちゃんと読んだ上で、それでもなお岡口氏をクビにしろなどと職を奪う極論を吐いているとしたら行き過ぎである。
2点目のツィートは、岡口氏があたかも裁判を起こした原告を非難しているかのような内容になっており、現職裁判官として不適切だとのことらしいが、
このツィートも、判決文に書かれている文を要約しているだけである。このツイート内容は、裁判での原告被告の主張にすぎず、そもそも岡口氏の意見ではない。
ツィートにはメディア報道記事のリンクが張られている。
「裁判の結果は、、」のつぶやきは、このリンク先の記事を紹介しているだけなので、ここにも岡口氏の意見は入っていない。この点は、ジャーナリストの江川紹子氏も同様の指摘をしている。
岡口氏は裁判官としてではなく、一個人としてツイッターを利用している点もあわせて考慮すると、罷免事由に当たる行動ではないことは明らかである。
では、なぜ高裁が躍起になって岡口氏をクビにしようとしているのか。
2018年に岡口氏は、東京高裁長官室に呼ばれ、長官と事務局長から「ツイッターを止めろ。そうでないと裁判にかける」と密室で脅されている。
大声で怒鳴り声を上げる長官に対して、豪胆な岡口氏はひるまずに断ったという。
後日、岡口氏は件の顛末を知人の弁護士らに相談すると、
弁護士らは長官と事務局長を、脅迫罪、強要罪、公務員職権濫用罪で告発した。
現職の裁判官の告訴(正確には弁護士の告発だが)は一大事であり、検察も告発状をぞんざいに扱うことはできない。
特捜部は、長官と事務局長を複数回事情聴取し、結局不起訴処分にしたようだが、数日にわたり捜査対象にされた2人は気分がよいはずがない。
要するに、高裁による岡口氏への執拗な攻撃は、このときの意趣返しではないかというのが私の推察である。
で、なければ、なぜ件のツィートごときで彼がクビにされなければならないのか、説明がつかない。どこの世界でもそうだが、結局、理屈ではなく、最後は人間関係である。
司法も政界もそうだが、権力内部が人間関係中心で動くと、国民にとってろくなことにはならない。
政治に話を戻すが、我々に岸田への期待が残っているものがあるとすれば、それは彼が安倍(政治)との決別を宣言した時だろう。
それは安倍派との人間関係を断ち切ることを意味する。が、木原さえ切れない彼には不可能な行動である。だから、岸田ではダメなのである。
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