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52人+180人の自民党議員の落選は至上命令である 

2023年10月15日




総務省の『就業構造基本調査』によると、東京都では、30代の子育て世帯の4割が年収1000万円以上のようである。

共働きでも、それ以下の年収では結婚や出産が容易ではないというのが現実だとすれば驚愕である。

国税庁の民間給与実態調査によると、給与所得者の55パーセントは年収400万円以下、21パーセントが年収200万以下である。

日本は先進国で唯一実質賃金が上がっていないどころか、14パーセント以上も減少している国なので、当然の数字だろう。

経済成長率も日本は25年間マイナスである。

この経済停滞国で、10月10日、栃木県の小山市で自分が産んだ赤ちゃんを殺害・遺棄した容疑で母親が逮捕されるという事件があった。

昨年6月に1人、今年7月に1人の計2人の赤ちゃんを殺害・遺棄した容疑が持たれている。

警察の取調べに対し、母親は動機について「経済力も乏しく、交際相手も子供を望んでいないと思ったため、1人では育てられないと思って行動に及んだ」と語ったという。

2人の殺害が重罪であることを否定しないが、被疑者に一抹の同情を禁じざるをえないと思うのは私だけだろうか。

このような社会経済状況の中、少子化の財源のために消費税をもっと上げろとか、子供の夕方の留守番は虐待に当たるといった言説がはびこるのはまともな社会ではない。

後者の留守番虐待について敷衍する。

そもそも子供の留守番がダメだというなら、夫婦共働きもままならず、子供を持つどころの話ではなくなるという単純な理屈に気が付かないというのはどうしたことか。

昭和末期に施行された埼玉県虐待禁止条例という全25条に及ぶ条例があるが、今回、条例の一部を改正する案が埼玉県議会に提出された。

問題とされたのは、追加された以下の2か条である。

(児童の放置の禁止等)
第六条の二 児童(九歳に達する日以後の最初の三月三十一日までの間にあるものに限る。)を現に養護する者は、当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置をしてはならない。

第八条
2 県民は、虐待を受けた児童等(虐待を受けたと思われる児童等を含む。第十三条及び第十五条において同じ。)を発見した場合は、速やかに通告又は通報をしなければならない。

(以上、改正案から抜粋)

いずれの条文も罰則がないので、違反しても罰金刑や懲役刑を食らうことはない。
では、強制力のない単なる努力義務規定かといえそうだが、

「~ねばならない」との文言が使用されているので、そうとも言い切れない。

後の改正で罰則だけを追加して強制力を持たせることを容易にするための便宜とも解釈できるのである。

だが、仮に罰則の規定がなくても(置かなくても)、このような法令の存在を一つの根拠にして民事上の損害賠償請求がしやすくなるだろう。

留守番による精神的苦痛を理由として、民法714条の監督義務者らの責任が追及しやすくなることは間違いない。ただ、誰が訴えるというのか。

子供が保護者を訴えることを想定しているのかどうかはともかく、ここで言いたいのは、実際にそうなるかどうかは別として、法的にそうなるという解釈論である。

8条2項はさらに問題である。これが義務規定だとすれば、

留守番をさせていた家庭を知っている全くの第三者(たとえば、近所付き合いのない隣、向かいの家など)、当局に通報しなければ連帯して違法行為の責任を負わされることになる。

だが、これでは江戸時代の5人組と発想は変わるところがない。

通報の主体を「県民」としている点も問題である。

これでは、たとえば、越してきたばかりで、埼玉への住民票の移動がまだ住んでいない者とか、

何らかの事情で、住民票を他自治体の旧住所に残したままで長期間埼玉に居住している者(そのような者は多数いる)は義務なしで、

たまたま埼玉県民だと「虐待」家族と連帯して責任を負わされることになる。

今回の条例案提出未遂は、埼玉、いや、日本政治全体の劣化を象徴する「事件」と言っても大げさではない。

この狂気の条例案を可決させようと試みた52人の自民党県議の頭の構造は、江戸時代の横暴な代官や領主のそれと何も変わるところがない。

埼玉県議会自由民主党議員団団長の田村琢実は、記者会見で「法案の中身に問題はない」「国民(県民)は誤解している」と強弁し、取り下げ後も反省の色が見えない。

有権者は、条例提出議員52人に、今後の選挙で票を投じてはならない。このような連中に権力を握らせてはいけない。

上が腐っているから下も腐るのである。細田博之衆院議長はもう限界だろう。安倍派の混乱で細田派復活の声も上がっているが冗談ではない。

私は細田と面識があり、セクハラや教会問題発覚以前に、何度か会話をしたことがある。

長年要職を渡り歩いてきたエリートにしては尖がったところがなく、対応も常識的で、政策はともかく、人格非難に値するほどの人物ではなかったと記憶している。

文春はかつて細田の人となりを酷評していたが、そこまでではないと。

13日の記者会見の内容を報道で知るまではそのような印象を持っていた。

細田が決めたという記者会見のルールは、30分の会見時間(ただし、実際は1時間弱まで延長された)、出席者は記者クラブ加盟社各1人のみ、

映像や写真の撮影は冒頭発言だけだったというのだから、ジャニーズの方がましだとの批判は正鵠を射ている。

セクハラ問題については現在係争中なので、記者が突っ込めなかったのは仕方がない。

統一教会との関係については「呼ばれてスピーチしただけ」という従来否定されたはずの言い分を繰り返すだけ、それ以外は安倍との思い出話を語るなど論点ずらしに終始していたとのことである。

記者会見の悪評判が地元の島根にどれだけの影響を及ぼすかは選挙のタイミングにもよるが、統一教会に対する解散命令の申し立てがなされたことは、彼にとって大きなマイナスになるはずである。

ところで、13日というタイミングで、文科省が裁判所に解散命令を請求したのは理由がある。

もともと岸田政権は、13日に経済対策をまとめて、10月中に補正予算案を提出し審議にかけ、

11月中に解散→12月5日公示→17日投開票というシナリオを描いていた節がある。

統一教会問題に関係がない岸田本人は、先に進むためにも10月中にこの問題にとりあえず決着をつけたいとの思惑があったのだろう。細田の会見もその文脈で行われたと推察できる。

とはいうものの、選挙の巨大なスポンサーを失いかねない文科省の申立は苦渋の決断であり、両刃の剣になりかねないとの懸念があるはずである。

95年にオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件を受け、当時の村山内閣は宗教法人法を改正して、宗教法人の監視強化に乗り出した。

当時野党の自民党は、村山内閣を支持する創価学会を敵視していたので、法改正に表立った反論はしなかった。

ところが、99年、自民が公明と連立政権を組むようになってから状況が一変した。

審議中の情報公開法で、宗教法人の書類(財務書類や幹部の名簿など)が開示の対象となることを忌避した公明が、これらの書類を例外的に不開示情報にしてしまった。

こうした創価学会への便宜は、同じ宗教法人である統一教会に対する恩恵にもなった。その後の両者のやりたい放題はここで語るまでもない。

説明を敷衍すると、95年の法改正で、宗教法人が毎年財務書類を文科省などに提出する義務を負わされることになったが、

元文科省事務次官の前川喜平氏によると、ろくな書類調査はされていなかったという。

国の所轄する宗教法人が1000以上もあるのに、調査する文科省宗務課の人数はたった9人で、法改正後も増員はなく、

しかも、9人の職員はそもそも財務書類を吟味するだけの専門知識が乏しいとのことである。

つまり、国は宗教法人を本気で締め付ける気など始めからなかった、と。そのことが、後の公明の連立参加で、さらなる監視の後退につながっていったということである。

今月、岸田政権は宗務課の増員を明言しているが、これも周りから言われたからやるというだけのことであって、岸田にとって深い意味はないと思われる。

ところで、解散命令の件について記者会見した盛山文科相は、正論らしい言葉を並べ立てていたが、被害者目線で見れば、肝心な点をごまかしている。

盛山は、被害者などから教団の財産保全のための法整備を求める声が出ていることについて

「財産の保全は、被害を受けている方がまずは主体的に行うのがいいだろうと思っている」と述べたが、

それができれば始めから誰も苦労しない。

高裁の審理まで予測すると、裁判所の最終判断はかなり長引くと思われる。で、あれば、現時点で法整備に乗り出さなければ被害者救済も何もあったものではない。

民法の不法行為の事実認定だけで、裁判所の解散命令が出るかどうかさえ怪しいにもかかわらず、である。

疑惑の行政訴訟判決の数々を見るまでもなく、裁判所が自民党政権に支配されていることを忘れてはならない。

被害者は、解散命令が出ない可能性があることも十分予測し、後に落胆しないよう今から心の準備をしておく必要があるだろう。

ただ、今回の解散命令が教会癒着議員にそれなりの影響を及ぼすことは間違いない。

被害者を含めた国民に端的にできることといえば、次の選挙で自民党の癒着国会議員180人に投票しないことである。

この不作為が、被害者以外の国民にとって、教会問題の終着点となるということである。

(茂木幹事長は、当初「自民党議員で統一教会と接点のある者は1人もいない」とすざましい大ぼらを吹いていたが、今となっては笑い話である)

裁判所や官邸があてにならない以上、我々国民自身が決着をつけなければならない。



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