全漁連はサル芝居をやめて「海洋放出賛成」を公言すべきである
2023年8月27日
前回に引き続き、福島第一原発処理水の海洋放出関連の問題について私見を述べる。
8月25日、野村哲郎農相が記者会見で、中国が日本産水産物を全面的に輸入停止すると表明したことについて、
「大変驚いた」「想定していなかった」と述べたが、「驚いた」のは我々の方である。何たる能天気だろうか。
日本の政治家、官僚らの国際情勢を読み解く能力不足は、先祖代々から全く進歩していない。
1941年、日本はフランス領インドシナ南部に進駐(進軍)したが、
これに米国を含む世界が反発した。当時の国際情勢を考えれば、予想されたリアクションだった。
ところが、日本政府、陸海空軍はイケイケムードに耽溺していたのか、米国の反発を全く想定できなかった。
米国への根回しは極めて不十分なものだった。
石油禁輸の対抗措置に焦った日本は、太平洋戦争に突入して状況の打開を試みたが、その行く末についてはここで語るまでもない。
そして今回、日本は、中国との十分な根回しを怠り、水産物禁輸措置の報復を受けようとしている。
処理水の問題で、日本政府が事前協議に力を入れていたのは、親分の米国と福島の漁業組合の方だった。
米国は置くとして、政府と全漁連、漁業組合との関係について、一部メディアと識者はだまされている。
結論から言えば、処理水の海洋放出について、政府と漁業組合らとは、とうの昔に
手打ちがすんでいるということである。
もはや互いの間には問題はないと考えるべきだろう。
処理水の海洋放出で漁業関係者が口にしているのは「風評被害」の懸念しかない。それにより、魚介類が売れなくなる、輸出できなくなる、と。
彼らは、「処理水が科学的に問題だ」「食すれば国民の人体に悪影響が及んで危険だ」
「だから放出をやめろ」とは抗議していない。
風評被害とは、間違った情報や意図的なデマはもちろん、根拠の不確かな噂(うわさ)やあいまいな情報をきっかけに生じる経済的損害をいう。
彼らは処理水が危険だということは、デマであり、根拠の不確かなうわさや曖昧な情報だと言っている。
つまり、処理水は「安全」だとの前提で、いろいろ文句を言っているのである。
海洋放出に反対している理由が、世間のそれ(人体への影響)とは違うことを前提にして彼らの言動を考察する必要がある。
彼らは、自分たちの商品の売り上げ、輸出が落ちるのをただ心配しているにすぎない。
だとすれば、「落ちた売り上げ分(収入分)さえ補償してもらえるのなら文句はない」
との彼らの本音を論理必然的に憶測できる。
そもそも目の前にマイクを向けられて「海洋放出に賛成か反対か」と問われれば、彼らの立場で反対と答えるのは当然である。
いや、彼らだけでなく、ほぼすべての国民が反対と答えるはずである。「戦争に賛成か反対か」「戦争はよいことだと思うか」と問われれば、99パーセントの人間が「反対」と答えるのと同じである。
このような一般的な問答に深い意味はないことは言うまでもないだろう。
「戦争反対」と言いながら、紛争の一方当事者に、広島の「必勝しゃもじ」を渡して、「相手に負けるな、がんばれ」とエールを送った国の指導者がいる。
「核兵器廃止」を長年信念として唱えながら、サミットで「核兵器は役立つ兵器である」と全世界に公言した国の指導者がいる。
今更だが、我々は上っ面の言葉ではなく、行動で人を評価しなければならない。
一部メディアが漁業組合の反対の態度表明が、ただのパフォーマンスであることを暗に指摘している。
8月22日付産経新聞の「処理水放出 「反対」漁連ジレンマ 復興か風評被害か」と題した記事がそれである。以下抜粋する。
「岸田首相は21日、全国漁業協同組合連合会(全漁連)の幹部らと面会し「(放出が)数十年の長期にわたろうとも国が全責任を持って対応する」と明言。
「全漁連の坂本雅信会長は「安全性への理解は進んできている」と歩み寄りをみせた。」
「政府は風評対策に300億円、漁業継続支援に500億円の基金を設けた」
「首相との面会後、坂本会長は「(「関係者の理解なしにはいかなる処分もしない」とする)約束は破られていないが、果たされてもいない。(中略)」と記者団に語り、(以下略)」
以上4点の文章を並べて読むと、私の憶測が正しいということがよくわかる。
要するに、カネ(補償金)の約束がすべての問題を解決したということである。
平成27年、安倍政権と東電は、「関係者の理解なしにはいかなる処分もしない」と県漁連と「約束」したが、
全漁連の坂本会長は、今回「約束」は破られていない」と記者団に明言した。
よって、この点は何の問題もないということになる。
この点について、私が尊敬する高名な経済評論家が
「関係者の理解なしに、いかなる処分も行わない」と確約してきたなかで、関係者の理解を得ずに海洋投棄を強行することは明らかに「信義則」に反する。
と述べているが、事実に反する論評である。
そもそも「信義則」は、裁判でしか使わない言葉で、一般的な論評で使ったところで、空虚かつ白々しく、トゲもなく、説得力も迫力もない。
さらに、この識者は
岸田が福島を訪問した際に、地元の漁業関係者と面談しなかったのは、彼らに反対されると、海洋投棄できなくなることを恐れたからだ、と述べているが、
そう簡単な話ではない。地元関係者と言うが、福島の組合員だけで1300人超もいる。岸田一人で彼ら全員を1日で相手にしろというのは無理がある。
ここは1300人の意見を集約して面談に望んだトップ(会長)や幹部らを相手にすれば、岸田は役割を果たしたというべきである(私が岸田の肩を持つのもおかしいが)
話を戻すが、今後裁判が起きようが何が起きようが、漁業組合の組合員に不利益が及ぶことはない。バカを見るのは、我々国民である。
9月8日に、処理汚染水差止弁護団が福島地裁に差し止め請求を提訴する予定である。
弁護団は、行政訴訟に精通している弁護士らで、気合が入っている。第1回提訴が9月8日ということは、すでにだいぶ前から書類を準備していたものと思われる。
ポイントは原告の「処理水放出による重大な損害の恐れ」の立証である。
因果関係の反証に国側がダラダラと細切れで対抗してくるようなら、裁判の長期化は避けられない。
差止請求の要件は、これ以外に4点あるが、本件では問題ない。なお、ロンドン条約違反云々が考慮されることはないだろう。
原告団は、提訴時に漁業組合に訴訟参加の申し立てをするものと思われる。
ところで、原告団の一人の河合弘之弁護士は、22年5月の静岡県熱海市の大規模土石流を巡る民事の集団訴訟で、
第1回口頭弁論終了後に訴訟告知を主張するというトリッキーな対応を取ったことで知られる弁護士だが(意図は訴訟の長期化か?)、
今回は長期化を避けるべく、オーソドックスに訴状提出時に行動すると思われる。
裁判所が原告団の申し立てを認めれば、必要的共同訴訟となるので、組合も正式な原告団の一員となるが、
原告団に対して異議があれば、即時抗告を申し立ててくるだろう。だが、放出反対がパフォーマンスでなければ、そのような申立はないはずである。
原告が裁判に勝てば、組合にも利益になるが、仮に負けても、政府から莫大な補償金提供を保証されているので、
早い話、原告が勝っても負けても組合は痛くもかゆくもない。負けて不利益を受けるのは我々国民だけである。
おそらく原告は負けると予測する。結果、国の訴訟費用、補償金すべてが我々の税金で賄われることになっていくことになる。
国が負ける裁判があるとすれば、原告が漁業組合となって、行政訴訟ではなく、民事で賠償請求することだろうか。
この訴えだと、組合は立証がしやすい。
現実に収入が減少したことを前提に、
「海洋放出以外に処理水を処分する手段があるにもかかわらず、放出に踏み切り、懸念されていた風評被害によって売り上げ、収入が減少した」
との立証は容易である。将来給付の訴えも可能だろう。
賠償金は税金なのではと言われそうだが、民事とはいえ、処理水問題で国が負けるという結果は重大である。
このインパクトを残す意味でも、組合は民事訴訟を起こす意義がある。よって、組合は、民事訴訟に踏み切ってほしい。
だが、国と馴れ合いになっている組合にその気はないだろう。
放出反対の声明がパフォーマンスでないというなら、訴訟の一つや二つ検討してみてもよさそうなものだが、
やることはまずない。処理水放出は30年間はおろか、科学的根拠もあいまいなまま、今後も永遠と続き、
その間、補償金という名の我々の税金が漁業関係者に渡ることになるからである。
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