fc2ブログ

日本国民の将来が「犬にのど笛を食いちぎられるか」「被ばくするか」の二者択一であってはならない 

2023年8月20日



朝日新聞が15、16日に実施した世論調査(電話)によると、

福島第一原発の処理水の海洋放出について、「賛成」が51パーセント、「反対」が40パーセントと、賛成が反対を上回った。

日本経済新聞の世論調査でも「賛成」が58パーセントと「反対」の30パーセントを上回った。

他のメディア調査も似たような結果で、賛成が反対を上回っている。

処理水の海洋放出の正当性について、日本政府は、

「国際基準(海洋放出の際のトリチウムの濃度を1500ベクレル/リットル未満とすること)を満たしており、違法性はない」

「科学的見地から健康被害はありえない。魚介類への影響も心配ない」

「海洋放出は世界中どこでもやっている」

(中国はここ1~2年で周辺国に通告もなく140兆ベクレル、英国は年間400兆ベクレル、カナダは750兆ベクレルの処理水を海外放出している)

との言い分のようである。

外務省HPにも安全性を謳った記述がある。

「海洋放出される水については、(中略)仮にこれを飲んだとしても、放射線による健康影響はありません。」

と。

だが、本当にそうなのか。科学的に、とか、いろいろ理屈を並べ立てているが、どうもしっくりこない。

ここでは世界の国の所業や国際基準はとりあえず度外視して、健康被害の懸念だけを考える。

「科学的見地から、安全性に問題はなく飲んでも平気だ」と政府は強調しているが、

では、実際に飲んで確認した政治家や役人がいるのか。誰もいないのではないか。

21年4月16日、当時財務相の麻生太郎が記者会見で、「処理水は飲めるんじゃないか」と発言したが、

その後彼が実際に飲んだという話は寡聞にして知らない。

菅義偉も首相当時、福島第一原発の訪問時に「(処理水を)飲んでもいいのか」と東京電力の関係者に聞いたところ、「希釈すれば飲めます」との説明を受けたという。

だが、その後、菅が実際に飲んで安全性を確認したという事実は確認されていない。

小池都知事は、18日の定例会見で、東京は水不足なので、節水を心がけるよう都民に協力を呼びかけたが、

水道局のHPで確認したところ、貯水率の落ち込みが顕著なのは、9つのダムのうち、矢木沢ダムだけなので、

ここにタンク1000基、140万トンの福島原発の「安全な」はずの処理水を投入すれば、幾分の水不足解消には役立つはずである。

だが、小池がそれをやるかといえば、やるはずがない。1千万人以上の都民にバッシングされるのは自明の理だからである。

日米韓首脳会談を終えた岸田首相は、20日に福島第一原発を訪問し、21日以降に漁業関係者と会う予定となっている(なお、本ブログを書いているのは20日午前なので、そもそも訪問の事実を確認していない。念のため)

安全性をアピールするのなら、岸田ら政府関係者が漁業関係者の前で、処理水で乾杯ぐらいのパフォーマンスぐらいはするべきだと思うが、まずしないだろう。

つまり、国民も政治家も、誰も処理水が安全だと本音では考えていないのではないか。

処理水放出には賛成する一方、原発再稼働も、各メディアの調査は今年に入ると賛成が反対を上回るようになっている。

年月が経てば、施設の老朽化が進んで危険度が増すことはあっても、原発の耐震性が強化されるようなことはないにもかかわらず、である。

政府は洋上風力で4500万キロワットの導入目標を掲げており、これは原発47基分の発電量に相当する。政府が今後本気で取り組めば十分目標達成可能な数字である。

原発がなければ電気不足になるというのはウソなのに、危険極まりない原発になぜ国民の賛成多数が年々増加しているのか。

近い将来、高い確率で大地震が起こる高い確率を多くの地震専門家が予測しているにもかかららず、である。

自分の住んでいる土地や近所に原発誘致があれば断固反対だが、

自分から離れた土地なら他人が危険にさらされてもかまわない、処理水も遠くに流すのは構わないというのは非道という他ない。

いつから日本国民は自分の事しか考えない、身勝手な人間になったのか。

7月28日に、福井県の関西電力高浜原発1号機が12年ぶりに再稼動したのを受けて、芸人のウーマンラッシュアワーの村本大輔氏が

「事故があった時、地元の人だけじゃなく日本中が被爆しますように」とSNSに投稿し、悪い意味で話題となった。

村本の真意は、岸田政権の原発推進政策に反対の声を上げないのなら、国民は被爆を覚悟して受け入れろ、ということだと思われるが、

表現はともかく、高浜原発のある高浜町の隣町出身だという村本の本心は十分理解できる。

彼は「事故が起こって一番つらい思いをするのは地元民」とも言っており、原発を自分の問題としてリアルに捉えている。

批判を受けるべきは高浜原発再稼働を容認した政府でなければならないのに、村本の方が100倍以上も火だるまになっているという事実は寂しすぎる。

ところで、原発そのものの危険性については、古賀茂明書「分断と凋落の日本」、樋口英明著「私が原発を止めた理由」がわかりやすい。必読の書である。

原発訴訟で国を勝訴に誘導するかのような、洗脳的とも言うべき「裁判官研修」が行われているというくだりは興味深い。

我々は、原発がらみの問題のおぞましさを多方面からもっと知るべきだろう。

おぞましいと言えば、たとえば、大メディアに影響力のあるようなインフルエンサーが反原発を唱えれば、確実にその者は国に叩き潰される。

かつては橋下徹(当時大阪市長)、米山隆一(当時新潟県知事)がそうだった。彼らは突然降って沸いて出てきたような女性スキャンダルに見舞われた。

「権力の恐ろしさを知った」と語った橋下は、反原発を封印、米山はスキャンダル発覚後、直ちに辞職した。

当時新潟県知事だった米山は筋金入りの反原発論者で、シンポジウムなどでも理路整然と原発政策の矛盾を突いていた。

「これは国にやられるんではないか」と当時私は心配していたのだが(当時本ブログもこの話題を取り上げた)。果たしてその通りとなった。

独身時代の、それも10年ほど前の女性関係であり、そもそも辞職に値するような問題ではなかったと思うのだが、

女性との関係に際して金品の供与があったらしく、細かく言えばギリギリ法に抵触する可能性がなくはないということで、辞職を決意したようである。

それにしても突然降ってわいて出てきたような、違和感だらけの報道であった。

だが、彼らは、殺しのターゲットにならなかっただけ、マシかもしれない。

先の高浜原発がらみの話で、かつて町長が危うく殺されかけるという事件があった。

凶暴な犬に今井理一町長の喉笛を食いちぎらようという信じがたい事件で、

斉藤真著「関西電力反原発町長暗殺指令」によると、黒幕はタイトルの通り、関西電力である。

関西電力から殺人の実行指令を受けた警備会社の2人が著者の斉藤氏に告発し、その内容をまとめた記事が2008年3月、「週刊現代」に掲載された。

告発者の2人が実名、顔出しという衝撃のスクープ記事だったが、後日発刊された先の著書によると、週刊誌発売後、全くといってもいいほど反響はなかったという。

大メディアは黙殺、関電からも抗議の電話1本もなかったという。

その理由については、未だに謎のようだが、斉藤氏は著書の中でヒントらしき事実を挙げている。

大メディアと関電は沈黙したが、新聞では、産経新聞の若い記者1名が、週刊誌発売直後、告発者に取材をしていたというのである。

思うに、ここに謎が隠されているのではないか。

実は、告発者2人はその後、関電の告訴により、嫌疑あいまいな恐喝罪で逮捕され、有罪判決を受けている。ここまでは本に書かれている事実である。

著書はノンフィクションなので、本に書かれていないことまで憶測して意見を述べるのは控えるべきだと思うが、

ここまで書いておいて、ここで止めるのも気分が悪い。

そこであえて私なりに、この殺人未遂事件が拡散しなかった理由の憶測をするが(たぶん当たっている)、

週刊誌発売後に、関電が各メディアに、告発者2名を刑事告訴する旨の予告と記事はデタラメである旨の言い分を伝えたのではないか。

その時点で、他メディアの後追いがなくなり、否応なく拡散が止まった、と。

産経は原発推進寄りのメディアだが、その新聞社の若造がたった1人で告発者に近づいたという事実は、告発者に対する包囲網がすでに出来上がっていたことを示している。

その記者が告発者に近づいたのは、ただの興味本位、様子見であり、週刊誌記事に対する真面目な取材ではないということである。

関電は言わずと知れた大会社であり、対する告発者2人は、どこの誰ともわからないような、ただの民間人である。

さらにいえば、あえて失礼を承知で言わせてもらうと、斉藤真氏はジャーナリストとしては、それほどの実績も知名度もない。

どこの誰とも知らない民間人2人に無名のジャーナリストと、天下の関電の言い分のどちらを天秤にかけて受け入れるかといえば、大メディアの判断は当然後者である。

ところで、著書のタイトルは「反原発町長」だが、このタイトルは不正確で、件の町長は、実は原発容認派である。少なくとも反原発派ではない。

町長が関電に命を狙われたのは、反原発だからではなく、単に原発利権で対立していたからに他ならない。(町長も会社をいくつか持っている)

つまり、カネの配分をめぐって、ただケンカしていただけの話であり、殺人指令の問題も、実は原発そのものの問題とは関係していない。

ただし、そこに原発がなければ、そのような醜いトラブルが起きようがなかったのも事実である。

さらに、確実に言えるのは、

町長が本当に反原発派で、彼が橋下徹のように折れなければ、殺されていた可能性が高かったということである。

利権絡みで殺人計画があったぐらいだから、その大元の原発政策にそもそも反対していたとなれば、どうなっていたか、想像に難くない。

前回から書いている原発という利権がらみのドス黒い奥深さ、とはこのような意味で私は捉えている。

そもそも原発があるというだけで、今後も国民にろくなことは起こらないと考えるるべきである。

村本氏ではないが、原発に賛成する者は、被爆を覚悟して生きていかなければならないし、反対する者は殺されることを覚悟しなければならない、ということになるだろう。

どちらにしても愉快な人生ではない。

一番の解決法は、百害あって一利なしの原発を止めることである。原発に対する選択肢はこれ以外に存在しない。

止めなければ処理水の問題も中間貯蔵施設建設をめぐるトラブルも、永遠に拡大していくだろう。これ以上将来の世代に負の遺産を我々は残してはならない。

スポンサーサイト



0 Comments

Leave a comment