批判・攻撃の対象や争点が的外れでは問題は解決しない
2023年7月17日
岸田政権の大メディア報道規制は、安倍、菅政権時代ほどではない、というのが関係者衆目の一致するところのようだが、締め付けが緩い理由ははっきりしている。
テレビ、新聞のどれを見ても読んでも、既得権益層への本気の追及がないので、政府が腑抜けメディアらを締め付ける必要がないのである。
政府への批判一つどれをとってみても、対象の矛先やポイントがずれているので、大メディア報道に怖さを感じないというのはよくわかる。
たとえば、マイナンバー制度である。メディアが今批判の中心に据えているのは、政府の情報管理能力に対する疑問と対応する河野デジタル担当大臣への批判である。
所轄担当大臣である河野には確かに責任はあるだろう。だが、河野の責任はそれ以上でもそれ以下でもない。責任の中心人物が彼であろうはずがない。
2021年、ワクチン担当大臣だった河野は、当時記者会見で「米国でワクチン接種で死亡した人は1人もいない」と述べ、ワクチンの安全性を強調したが、
もちろんウソである。米のCDC(疫病予防管理センター)が運用する有害事象報告システムによると、接種後死亡者が当時既に1万人を軽く越えていたことがすでに判明していたからである。
彼の発言を批判するのはたやすいが、彼は担当大臣という立場で政府の権益を守るためにデタラメを国民に説明する役割を負わされていただけにすぎない。
批判の矛先は、ワクチン利権を守るために、彼にウソを言わせていた黒幕にこそ向けられなければならない。(黒幕の話題は今回は割愛する)
マイナンバーも同じで、河野はたまたま担当大臣というだけで、一連の迷走した対応は、誰が担当になっても同じになっているはずである。
2020年9月、政府はデジタル庁設置を打ち出した。骨子には2023年3月までに、全国民にマイナンバーカードを取得させ、
そのカードに健康保険証、運転免許証、教育との紐づけ、さらに自治体や民間とのデータ連携を推進することなどが挙げられた。
つまり、あらゆる分野の個人情報をデジタル網に乗せてつなげて官邸がアクセスできるようにするために、デジタル庁が作られた、と。
河野を弁護するつもりはないが、これは別に河野が企画したわけではない。
今回問題になっている保険証との紐付けの問題点に、
健康保険証とマイナンバーが結びつくことによって、カルテやレセプトもオンライン上結合する危険性を挙げることができる。
要するに、これら個人情報が権力側に一元化されて勝手に利用される危険性が問題の核心なのである。
にもかかわらず、今問題として指摘されているのは、もっぱら情報管理の悪さばかときている。
政府内部で管理がよくても、彼らがそれを使って全国民を監視する危険性について全く指摘しようともしない。
いずれにしても、政府のマイナンバーカードのごり押しは決定事項であり、今更自主返納しても無駄である。
日本人は、すべてにおいて、何か決まった後に騒いだり、裁判を起こしたりする傾向があるが、それでは遅い。
マイナンバーはデジタル庁構想が具体化した2020年当時に騒いでいれば、頓挫していただろうが、もう無理である。
次の衆院選までは岸田政権も公然と無理なことは言ってこないだろうが、選挙が終われば牙をむいてくるはずである。彼らが過半数を握れば、だが。
批判の争点のズレの話をさらに進めると、
先に問題となった入管法改悪も、大メディアは、難民認定の審査回数の制限という各論ばかりを問題にし、入管行政の核心の問題点をスルーした。
結果、今では国民のほとんどが入管行政の問題に関心を示していない。
核心の問題とは、たとえば、主任審査官の胸先三寸で無限の長期収容が可能であること、収容に当局のみの判断で許否が決定され、事前事後の司法審査が皆無であること、仮放免の法的問題である。
これらの問題点は改悪法騒動以後も変わっていない、醜悪な入管実務は今日も明日も続いているというのが実態である。
批判の矛先の対象の問題で言えば、最近ネットでも話題になっているが、大川原化工機の違法捜査事件というのがある。
生物兵器に転用可能な精密機械を中国に不正輸出したとして、2020年、大川原化工機の大川原社長ら幹部3人が逮捕された。
ところが、これが当初から全く嫌疑のない逮捕だった。
現在行われている違法捜査を理由とする国家賠償請求訴訟で明らかになった事実は次の2点。
警察が証拠をでっちあげて逮捕したこと、経産省の職員が警視庁当局に「会社の輸出行為に問題はない」ことを何度も伝えていたこと、である。
起訴前勾留中に会社顧問の1人が胃がんで体調を崩したので、
彼だけ勾留は停止されたが、治療が間に合わず死亡したという。(ちなみに、社長ら2人の勾留は逮捕から11ヵ月後の公判前に取り消された)
当初の違法捜査から関わっていた担当の女性検事2人から会社側にはもちろん謝罪なし、そもそも違法捜査、違法起訴すら、彼女らは現在進行中の裁判でも認めていない。
だが、彼女らの立場に立ってみれば、非(違法性)を認めるわけにもいかない。認めた瞬間に、
5億6500間円の原告への国家賠償金が下り、(元を正せば国民の税金だが)、国による彼女らへの求償請求の可能性があるからである。
カネだけの問題ではない。検察内部の出世の影響も彼女らは考えているだろう。
保身のために絶対に責任を認めない態度は腹立たしいが、世論が彼女らを吊るし上げたところで、それはしょせんガス抜きでしかない。
我々国民の批判の矛先は組織のトップでなければならない。大川原社長らが現在起こしている裁判は、違法捜査を理由とする国家賠償請求なので、
国民やメディアの外野が裁判に圧力をかけるのは無理だが、袴田再審裁判では、それができる。ゆえに、こちらの裁判と併せて検察組織に社会が圧力をかけていくのは可能だろう。
が、結論からいえば、時すでに遅し、である。
7月10日、検察は袴田事件の再審裁判で、有罪立証を行う方針を裁判所に示した。
この方針は検事総長の方針に従ったものだが、組織の保身のために、高裁に完膚なきまでに否定されたねつぞう証拠をまた持ち出して
現場に向かって「戦ってこい」と命じるというのだから、狂気という他ない。
刑事訴訟法454条は、「検事総長は、判決が確定した後その事件の審判が法令に違反したことを発見したときは、最高裁判所に非常上告をすることができる」と規定している。
だが、これは原告弁護団だけの力で発動されるような代物ではない。世論で圧力を加えなければ、検事総長など動かすことはできない。
メディアは、このような法の条文を根拠に、時の検事総長の対応を適宜追及すべきであったが、それをすることなく今日に至ってしまった。
担当検事や静岡県警らの下っ端に批判の矛先が向けられるのは当然としても、メディアが巨悪をスルーしているのでは話の解決にならない。
巨悪の話が出てきたので、締めはやはり岸田になるのか。
本ブログを書いている17日現在、岸田はサウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタールに外遊中だが、
その1週間前には本丸の軍事同盟NATOの首脳会談に出席。その帰国後、今回はおよそ40の企業関係者らを引き連れての外遊となっている。
国内の豪雨被害などどこへやら、彼がどの方向を向いて政治を行っているかよくわかる外遊である。
このような岸田政権でも、直近の各メディア調査の内閣支持率はおよそ40パーセントもある。
先の国政補選の投票率は40パーセント台、野党は弱小。解散総選挙が年内であろうが来年であろうが、結局岸田政権は当分安泰だろう。
だが、それによって日本がさらなる沈没を招いていくとしても、我々が岸田を責める資格はない。
すべての批判の矛先は、彼らを選んだ我々国民自身に向けられることになる。
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