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外国のマスメディアにまで介入して言論統制する愚かな岸田文雄 

2023年5月14日


日本維新の会の梅村みずほ議員が、5月12日の入管法の国会審議で、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリ氏死亡の件について、次のように発言した。

「ウィシュマさんの映像を総合的に見ていきますと、よかれと思った支援者の一言がウィシュマさんに『病気になれば仮釈放してもらえる』という淡い期待を抱かせ、

医師から詐病の可能性を指摘される状況へつながったおそれも否定できない」と。

耳を疑う発言とはこのことである。

これまでの調査で判明しているのは、ウィシュマ氏が、

飲食しては吐くの繰り返しで、栄養が取れない状態が続き、

その結果、2020年8月の収容時から2021年3月6日死亡時までに体重が20キロ減少し、

死亡およそ3週間前の2月16日の尿検査では、体が飢餓状態に陥っていることがわかり、

にもかかわらず、外部病院で点滴すら受けられず、施設に戻され、死の前日には、血圧や脈も取れないほどさらに衰弱し

救急車を呼ばれることもなく、3月6日ついに死亡したという事実である。

医師が詐病の可能性を指摘する経緯など微塵も介在する余地はない。

梅村は、録画映像を見て判断したと言うが、映像は状況の一端を説明した一資料に過ぎない。

収容時から死亡に至るまでの資料を文書か何かで学習していないのだろうか。

このような議員の所属する政党が、今後勢力を拡張しようというのだから恐ろしい。

ところで、作家の百田尚樹氏が、この政党の創業者である橋下徹氏のことを書いた著書をめぐって名誉棄損で訴えられるのではとおびえているようである。

著書は「橋下徹の研究」(2022年12月刊)で、これがなかなか面白い。

書かれている情報のほとんどは、これまで雑誌メディアやネットなど、どこかで読んだことがあるような話だが、この本の価値は百田の独特な橋下評価にある。

著者は橋下と面識があり、合計10時間ぐらいは対面で会話をしたことがあるという。

本人に会ったこともない外野が、憶測でああだこうだと評論している本ではない。直接会った者しか知りえない皮膚感覚が所々巧妙に表現されている。

結論は、「橋下という人間は、一言で言えば、テレビで観ているほど魅力ある人物ではない」と。はっきりそのように書いているわけではないが、言いたいのは、要するにそういうことである。

躍進を続けるチンピラ集団「ゆ党」の創業者を知りうる評論本として読む価値はある。

百田は歴史認識に大いに問題がある人物で、基本的に私とは真逆の考えの持ち主である。評論家としては好きなタイプではないが、筆力の高さに疑いを挟む余地はない。

直接当事者に会った者が書いた評論本としてお勧めできる本である。

ところで、日本の評論家、ジャーナリストで、あらゆる業界の人間に直接取材できるような人間といえば田原総一郎だろう。

だが、その田原の書いたものは百田の本よりも個人的にどうも相性が合わない。彼の著書はかなり読んでいるが、ストンと落ちるものがいつもない。

「年寄りに発破をかけさせ続ける物足りない政治家たち」と題した週刊朝日5月19日号の記事(インタビュー形式)でも、彼は

「日本の問題は政権交代を担うべき政党、つまり強い野党がいないことだ。野党が弱すぎるのである。」

「ずばり言えば、立憲を始め、いずれの野党にも政権奪取の意欲がはなはだ薄いことが原因だ。」

と言っている。ここまでは良しとしても、彼の問題はこの後である。

「かつて、ある野党の代表に、「自民党の批判をしているだけでなく、この国を良くするためにどうすべきか、いろいろな方策を考えるべきだ」と提案して、議員たちの勉強会を始めたのだが、

あまりにも集まりが悪いので3回でやめてしまったことがある。」
と。

田原は政財界の要人に顔が利く稀有な物書きなので、一般人が知りえない未公表のきわどい情報もかなり得ているはずである。

にもかかわらず、それが書物や発言に反映されたためしがない。

「ある野党の代表」とは誰のことなのか、勉強会をドタキャンした議員は誰なのか、なぜこの程度のことまで忖度して名指しで書けないのか。書いても名誉毀損や侮辱になるレベルの話でもないのに。

山本太郎のことを言っているかと言えば全く違うだろう。

これでは読んでいる国民が野党を判断したくてもできない。結果、全野党をくさして、彼のおそらく真意とは裏腹に自民を利するだけの記事になってしまっている。

勉強会に不熱心だったというレベルの話なら、むしろ名前など具体的に書いた方がやる気のない野党議員の奮起を促す意味で建設的ではないだろうか。

彼は「原子力戦争」「電通」という、物書きの誰もが敬遠したくなるようなテーマの本を70年、80年代にすでに書いている。

テレビディレクター時代は青少年らの夜の生態に迫るというきわどい題材を取り上げるなど、
目の付け所の良さ、時代を先取りしたセンスだけは昔から抜群だった。が、そのレベルで止まるのが彼の特徴でもある。

どれもこれも隔靴掻痒というか、掘り下げが足りず、結局食い散らかしで終わる。この致命的欠点が当時から今日に至るまで何も変わっていない。

テレビ番組の対論の突っ込みで当時の橋本龍太郎首相を辞任させたことを方々でよく自慢しているが、

あれは橋本が真っ向からウソをつけない性格の人間で、彼の返しが悪いから、結果的に進退にまで事が及んでしまったというだけの話にすぎない。田原の追及そのものが鋭かったとは思わない。

実際、あの程度の突っ込みなら、安倍晋三や高市早苗など、安倍一派の連中にかかったら軽いノリでウソをつかれて一発でかわされているはずである。

何の証拠や情報も事前に用意せずに、無鉄砲に相手に質問して回答をせまるような突っ込みは、そもそも追及の名に値しない。

相手が一言否定すれば、そこで一瞬で話が終わってしまうからである。この点の自覚が彼にはない。

情報を取るために目の前にいる女性と性交を強要されて衆人環視の中で事に及んだ経験もあるとされる田原だが、過去の武勇伝など今更どうでもよいし、知ったことではない。

繰り返しになるが、今の彼の中途半端な立ち位置では自民党政権を利するだけで、野党に利益が還元されることはないだろう。

それをあえて狙っているというのなら、何も言うことはないが、彼の本意はそうではないはずである。

大メディアに期待できない今の日本で、フリーの立場のジャーナリストが言いたいことを言わないで、誰が真実の情報を発信できるというのか。

先日は米国雑誌「TIME」の表紙「日本を軍事大国に変えようとしている」との見出しに岸田政権がクレームを入れて

「岸田氏は日本に、より積極的な国際舞台での役割を与えようとしている」との表現に変更させたという事件があった。

この件について、フリージャーナリストの青木理氏がラジオ番組で「事実ではなく評価(意見)を変えさせるために、政府が(外国のメディアに)介入したのはみっともない」と厳しく批判していたが、同感である。

日本の大メディアといえば、入管法改悪の報道一つとっても岸田政権に忖度しまくりなので、事の重要性が国民に伝わっていないように感じる。

コロナを理由に長らく続いていた官房長官会見の人数制限が、現行の23人から43人に緩和されたが、それでもコロナ前の114人には程遠い制限が続いている。

加えて、記者クラブ加盟の1社2人までとの制限は相変わらず続いているときている。

報道の自由度世界ランキング第71位のこの国で、青木、田原、百田らのようなフリーの言論人が果たす役割は大きい。彼らには忖度なしで積極的に情報発信してほしいと願う。


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