政治的陰謀までぶちあげて高市を擁護する残念な法律家のたわごとなど無視すべし
2023年4月2日
高市早苗の行政文書ねつ造発言問題をめぐり、弁護士の北村晴男が3月7日の夕刊フジのインタビューでおかしなことをいっているので、
以下、発言の要点を逐一拾い上げながら反論する。
「(件の行政文書は)作成者が未記載なうえ、当事者による『回覧』と『確認』も経ていない。」
「民間でも、当事者間の紛争を想定して議事録をつくる。その正確性を担保するには、当事者全員が閲覧し、正確性を確認したうえで保存するのが大原則だ。」
「行政文書でありながら正確性を担保していないのは驚きだ」
「極めて「いい加減な文書」が行政文書と位置づけられていることは問題」(発言ここまで)
だが、行政文書もさまざまで、諸々の事情から作成者の記載がないものがあるし、回覧・確認した者に署名ないし記名押印を要求しないものもある。
北村に言わせれば、それらは全部いい加減な行政文書だということになるが、そのようなおかしな認識を持つのは彼だけだろう。
公的文書の類で言えば、裁判の書類でさえ記名押印もないものが証拠として採用されることがある。
たとえば、結審した他事件の公判調書を審理中の裁判に利用する場合などである。
この書面は伝聞書面で証拠排除法則の重大な例外にあたるので、
記名押印がなくてもよいというのは解釈としてありえないと思うのだが、
実際には、なくても有効な文書として利用されている。
公判調書だから100パーセント正確性が担保されているとは言い切れないにもかかわらず、である。
さらに北村は「民間でも、当事者間の紛争を想定して議事録をつくる。その正確性を担保するには、当事者全員が閲覧し、正確性を確認したうえで保存するのが大原則だ。」
とも言っている。「大原則」はそうあるべきだと私も思うが、現実はそうなってはいない。
たとえば、民間書類で言えば、株主総会議事録である。これは会社法上、取締役が作ることになっているが、彼らの記名押印がないものが世の中に数多く存在している。
にもかかわらず、そのような文書でも法的に有効とされているではないか。
だが、これらの文書をすべて「正確性の担保されていない極めていい加減な文書」などと言う者はいない。
北村は「(件の)この文書は、総務省内で放送法の解釈を議論した内容とされるが、松本剛明総務相は『放送行政を変えたと認識していない』と語っており、現実として解釈は何も変わっていない。」とも言っている。
だが、今回の問題の争点は、恫喝までしてこれまでの法解釈を変えようとした大臣の姿勢の有無であって、
結果的に放送法の解釈変更が現になされたかどうかを議論しているわけではない。
北村は「問題の本質が、国会で議論されず、報道もされない現実に改めて驚いた。」とも言っているが、
問題の本質を語るならば、放送法の解釈変更によるマスメディアへの圧力の有無と言うことになるだろう。
ジャーナリストの青木理氏や憲法学者の小林節氏らは、その点こそ高市問題の本質だと指摘しているが、
これに関しては、前々回本ブログで書いたように、私には多少異論がある。だが、今は本質論や私の意見はとりあえず脇に置くとする。
繰り返すが、国会で問題にしているのは、時の担当大臣が恫喝までして放送法の解釈変更を試みていたという事実の有無であり、
その事実が行政文書に残っている、と。その文書がねつ造でないなら大臣も国会議員も辞めることに本人が承諾したという事実も争点である。
この問題は、とりあえずそれ以上でもそれ以下でもない。
北村は「不正確な行政文書と印象操作によって、高市氏を政治的に潰そうとする意図まで感じる。この現実は非常に恐ろしい。」というが、
恐ろしいのは陰謀論までぶちあげる北村の頭の方である。
ところで、高市が当時の言動に自信と信念があるのなら、そもそも悪びれる必要はないはずである。
高市には、以下のような言い訳も考えられた。
「行政文書は真正なものだと思う。確かに当時私は文書記載にあるような発言をした。」
「私の放送法の解釈、認識は文書記載の通りである。だが、それの何が悪いのか。とはいえ、一部恫喝的な物言いについては陳謝したい。」
「問題の本質は私の発言によって放送行政が具体的にゆがめられたかどうかだ。その点が国会の議論で明らかにされた場合は議員も大臣も辞めることをお約束する」
と。
これだと、その後の国会審議がグダグダになるのは目に見えているので、高市が逃げ切れる可能性もあったかもしれない。
だが、彼女は行政文書をねつ造呼ばわりして、当時の発言を完膚なきまでにうやむやにしようとした(している)。
加えて、約束したはずの辞職の件も反故にしようとしている。だから事態が紛糾している。
それなのに北村は「印象操作によって、高市氏を政治的に潰そうとする意図まで感じる」と陰謀論までぶちあげて高市を擁護するのだから開いた口がふさがらない。
松本剛明総務相は3月7日の記者会見で、「全て総務省の行政文書だ」と述べ、総務省はHPで、「政治的公平に関する文書の公開について」と題して
「総務省では、公開された文書について、総務省に文書として保存されているものと同一かといった点についてこれまで慎重に精査を行った結果、
小西議員が公開した文書については、すべて総務省の「行政文書」であることが確認できましたのでお知らせします。」
と行政文書であることを公式に認めた。
総務省HPは「その記載内容の正確性が確認できないもの、作成の経緯が判明しないものがある」と注釈付きではあるが、
真贋論議はこれで十分ではないか。これ以上何を疑えというのだろうのか。
弁護士資格を持つ者が陰謀論まで述べて「極めて不正確、いい加減な行政文書」と決めつける感性は尋常ではない。
彼は「マスコミは本来、この重大な事実を報じ、国民も知るべきだ」とメディアと我々国民にご親切に忠告しているが、
「国民が知るべき」なのは、ズブズブの自民党支持のタレント弁護士が奇妙な高市擁護論をぶちあげているという事実の方である。
北村は「今回の騒動は、むしろ、ざっくばらんな議論の途中に出てきた話の『極めて不正確』な言葉尻をとらえ、政治問題化しようとするもので、危険極まりない」とも言っている。
色々な見方があってもいいと思うのだが、少なくとも彼は法律家のはずである。
高市問題とは直接かかわりがないのだから、支持政党云々に関係なく、是々非々で公正公平な視点を持った弁護士として発言してもよかったのではないか。
彼は「自分は公正公平の立場から発言をしている」と反論するかもしれない。
だが、仮にそのような言い訳をするのなら、立憲の小西も高市擁護と同じ理屈で擁護すべきである。
小西は、「(週1回開催の衆院憲法審を)毎週開催はサルのやること」「蛮族の行為、野蛮だ」と記者団の取材中に語ったというが、
これも「ざっくばらんな(オフレコの)話の途中に出てきた」雑感を述べただだけと解釈することもできる。彼の発言がきっかけで、週1回の衆院憲法審の見直しがなされたの話も聞かない、
「印象操作によって、小西氏を政治的に潰そうとする意図まで感じる。この現実は非常に恐ろしい。」と小西を擁護すべきではないのか。
これこそ公正公平なものの見方というものである。
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