コロナ関連薬害訴訟で我々が国に勝つ可能性を考える
2023年1月22日
新型コロナ感染症法上の位置付けについて、政府は、現在の「2類感染症」から「5類感染症」に移行する方向で調整している。
5類になると、行動制限などの厳しい措置が緩和されて自由な経済活動が認められるようになる。が、その一方で、
入院や検査、外来診療にかかる費用や治療薬代などがこれまでの公費負担から保険適用以外の費用が自己負担になる。
だが、岸田政権の今の低支持率を考えれば、地方統一選やいくつかの衆院補選を控えていることもあり、
当面は公費負担の方針が維持される可能性が高いと思われる。
ところで、昨年の秋あたりから、コロナの弱毒化が進んでいると言われている。
にもかかわらず、政府が2類感染症の指定にこれまでこだわってきた理由について、ある識者は次の2点を述べている。
第1に、厚労省の支配権の下、保健所、急性期病院、検査会社、宿泊療養施設などの多くの関係者への補助金などへの利益供与確保に加えて、
2類相当指定の下での国立病院機構、公立病院、地域医療推進機構が持つ巨大利権を温存するために、指定区分変更が見送られてきた、と。
この解釈については異論はない。
もう1点の理由についても概ね同意できる。
政府とワクチンメーカーは8,8億回分のワクチン購入契約を結んでいるが、4,7兆円の予算のうちのワクチン予算が2・4兆円で、そのうちの2・3兆円がワクチン接種利権である。
2類から5類への区分変更は、この接種利権の消滅を意味する、と。
ただ、一方で、この識者は、最近のコロナ死の激増について、厚労省がコロナ死者数を過大に見せかけているからだと言っている。
コロナ陽性者が死亡した場合には、死因を問わず「コロナ死」としてカウントして発表し、コロナ死の数を水増ししている、と。
これまでに使用したワクチンは3.7億回分で、まだ5億回分も余っている。
だが、コロナ死者が増加しているとの認識が国民に広まれば、ワクチンを接種しようという者がまだまだ出てくるはずだ、と。
要するに、大量に余っているワクチンを消化させるために、死者数を過大にみせかけてコロナはまだまだ危ないとの認識を国民に持たせ、
それを利用して、政府は2類から5類への指定区分の変更を拒絶してきた、と。
だが、岸田は1月20日の会見で、「昨年から(区分変更について)ずっと議論を行い、できるだけ早いタイミングで判断すべきだといった議論が行われてきた」と述べている。
この発言が事実なら、区分変更の議論と同じタイミングで、コロナ死者数のカウント手法の変更も議論していたのではないだろうか。
死者数が多ければ、そのタイミングでの区分変更公表は説得力を持たなくなるからである。
区分変更を言い出したいのなら、それを公表する前に、死者数をより少なく見せるための工夫(インチキ)というか、仕込みを謀るのではないだろうか。
だが、今年に入ってもカウント手法は変更されておらず、そのせいかどうかわからないが、統計上1日の死者数はここにきて増加している。
私は、ワクチン利権とは別の次元の観点から、現在のカウント手法の意図について憶測している。
まず、厚労省がコロナ陽性者が死亡した場合には、死因を問わず「コロナ死」としてカウントしている、
接種後死亡者数が過大計上されている可能性が高いということが事実であることが前提となるが、これらはおそらく間違いない。
だが、これは意図的に国がコロナ死を水増ししているというわけではなく、結果的に過大にカウントされているというだけで、
真の意図は巨大薬害訴訟のリスク回避にあると推察できる。
コロナ陽性者が死亡した場合、現行のカウント手法ではコロナが原因で死亡したのか、実はコロナとは全く関係なく、それ以外の原因で死亡したのかが不明となる。
だが、それを狙っているということである。わからなくするためにあえてそのような統計手法をとっているのである。
そのため、結果的に過大な死者数がカウントされてしまっているが、これはやむをえないとの判断があるのではないだろうか。
接種後死亡者数も然り。発売中の文春1月26日号が指摘しているが、接種後死亡者数の中には、
接種後の自殺者や「患者の友人からの情報提供」といったわけのわからない者らもカウントされている。
このようなカウント手法をあえてとると、死亡原因が本当にワクチン接種によるものなのか、全く別の理由によるものなのかがわからない。
すなわち、現行の統計手法では、被害者が「コロナが原因で死亡した」「ワクチン接種が原因で死亡した」ことを裁判で立証するのは至難の業なのである。それを国側はあえて狙っていると。
ところで、国に過失があった、義務違反があったことを証明するのは被害者側である。だが、まずそもそも具体的にどのような事実があったかを知っているのは医者であり、データを保有しているのは国である。
重要な証拠は敵がすべて握っているのである。だから、こちらがほしい真実のデータが出てくることはまずない。
私はこれまで何度か役所を相手に裁判を起こした経験があるが、このような国賠請求の場合は、被害者側がすべての要件事実を証明しなければならない。
中でも、因果関係の立証は専門的で複雑ゆえに時間がかかる。だから、被害者側が団結して大規模訴訟の形態でも採らない限り、小人数で争っても費用対効果がよくない。
債務不履行で争うこともできるが、義務違反の事実を証明するのはやはり難しい。
ただ、医療過誤や薬害訴訟では、被害者側が過失・因果関係を推認する間接事実だけを証明すれば立証活動は成功とされている。
ワクチン接種後死亡の場合なら、たとえば、「つい最近、学校や企業で健康診断を受けたが、全く異常がないと診断された」「今まで大きな病気をしたことはなく、基礎疾患もない」
「それなのに、ワクチン接種後6時間以内に死亡した」
などの事実さえ遺族が証明できれば足りるだろう(これを表見証明という)。難しい医学専門用語をそれほど使う必要もない。
これに対して国側は、間接事実そのものを否定してくることも考えられるが、そうではなく、
あらゆるデータを提出した上で、多くの医療従事者を証言台に立たせ、医学用語を駆使させてワクチンの有効性をこれでもかと強調していくことが反証活動の中心になるであろうと思われる。
原告の被害者側を疲弊させるために、たとえば、必要もない医療の専門家を海外から証人として呼ぶなどして裁判の引き伸ばしをしてくることも十分考えられる。
第1審でどちらが勝っても最高裁まで戦うことになるのは間違いないので、そうなると、原告被害者側は最低でも10年間は戦うことを覚悟する必要があるだろう。
しかも、繰り返すが、現状の統計手法ではコロナやワクチンと死亡との因果関係を立証するのは不可能に近い。
そうなれば、被害者原告側は長い戦いの末、結局、国の反証活動で真偽不明に追い込まれることになるのは想像に難くない。
刑事裁判であれば、国側にそもそも被害の予見可能性すらなかったと判断される可能性もある。
1月18日、東京高裁は、2011年の東京電力福島第一原発事故で、業務上過失致死傷の罪で起訴された東電の旧経営陣3人について、無罪判決を言い渡した。
裁判所は「当時、10メートルを超える津波が原発を襲うと予見できた可能性は旧経営陣にはなかった」と判断したが、
過去の津波自身の例を調べると、江戸時代以降だけで
1703年12月31日の元禄関東地震 。M8,2程度。津波の高さ8メートル以上。最大波高20メートル。
1771年4月24日 八重山地震(明和の大津波) 津波の最大波高推定30~40メートル。
1923年9月1日 大正関東地震(関東大震災) - 津波の最大波高12メートル。
1993年7月12日 北海道南西沖地震 津波の最大波高30メートル。
との観測記録が残っている。
それなのに、裁判所は東電側の予見可能性を否定した。
しかも判決で 2008年には東電も独自に「最大15・7メートル」の津波予測を得ていたと認定したにもかかわらず、である。
大組織を相手にした場合、裁判所は庶民に不利な判定を下す。このことは私も複数の裁判でいやというほど身をもって経験した。
話をコロナに戻すが、国側のリスクマネジメントはある意味お見事と感心するしかない。
無為無策で国民の生活をボロボロにしてでも、保身術だけは長けているのが明治時代以降の日本の政官の特徴である。
敵にすると正直厄介な相手だが、相手がだれであろうと、筋を曲げられたら臆せずに立ち向かっていかなければならない。
今後コロナ死や接種後死亡者数がさらに増加するようなら、我々は巨大訴訟の準備を真剣に考える必要がある。
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