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緊急事態条項で独裁国家の第一歩を踏み出す日本の未来 

平成30年4月2日

 

 

2月中旬に国家非常事態宣言が宣言されたアフリカのエチオピアでは,3月31日までに1100人以上が逮捕されているとメディアが伝えている。

 

市民活動を破壊する犯罪行為に対して当局が厳しい取り締まりを行うことは至極当然ではあるが,情報を追っていると,政府批判者に対する言論弾圧がかなり行われているようである。

 

つまり,国家非常事態宣言の名の下に,国家が国民の表現の自由を規制している事実が認められている。

 

また,1100人という数字は,国家管理下にあるエチオピア国営情報が発表した統計であり,実際は数倍に及ぶと予測される。

 

なぜ国家による表現の自由の制限が可能なのか。非常事態宣言により,国家が憲法機能を停止したからである。

 

憲法が停止されるということは,当該国家の活動を縛る根拠が,少なくとも国内上はなくなるので,国家は自分たちの都合のいいようにやりたい放題になっていく。

 

このことは,開発途上国だから起こるのではなく,どこの国でも,もちろん日本でも間違いなく起こる。

 

日本は,民主主義国家を謳っておきながら,公文書改ざんを官僚が平気で行って,政府が知らぬ存ぜぬを決め込むような国である。何よりも,自民党改憲4項目の中に,しっかり緊急事態条項が盛り込まれていることからも,彼らの意図が透けて見えてくる。

 

自民党案の緊急事態条項は,次の通りである。読むのが面倒な方は飛ばしてかまわない。

 

 第73条の2

 (第1項)大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。

 (第2項)内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。(ここまで)

 

このような条文になっているが,同趣旨の規定は,災害対策基本法109条にあるのだから,わざわざ憲法におく必要はない。

 

では,権力者たちは,なぜ憲法にこれを置きたがっているのか。災害対策基本法で中央政府が国民の権利自由を制限できるのは,一言で言うと,経済活動の自由に限られるからである。

 

つまり,同法では,国民の表現の自由を規制できない。表現の自由を規制できるように仕組みを変えるのが彼らの目的だということである。

 

災害緊急発生時は,SNSなどによるデマ拡散などを防ぐためにも,ある程度の表現の自由の規制はやむをえないのではないかという意見もある。

 

だが,政府の狙いは,別のところにある。表現の自由規制の効力を災害収束後も残存させておくことに彼らの目的がある。


たとえば,2011年に起こった原発事故が,今現在収束したという人はいないだろう。このように,規制の根拠を残存させる口実はいくらでもある。

 

いったん政令や法律で規制を認めたら,規制の根拠が未来永劫残ると考えて間違いないのである。

 

そもそも災害緊急発生時にやるべきことは,中央政府の権限を強化することではない。


たとえば,地方に原発事故が起こった場合,地方から中央政府への通信手段が遮断され,正確な情報が中央政府に逐一届かないという事態が起こりうる。

 

現に,2011年の原発事故のときがそうだった。

 

そのような緊急時にやるべきことは,中央政府が政令を作ったり,実情を把握できない総理大臣などが現場に指令を送ることではない。災害は会議室で起こっているのではなく,現場で起きているからである。

 

この場合,現場にいる当事者である地方の首長が早急に対策をたてることができるように,地方に対して権限を委譲しておく仕組み作りを予めしておくことのほうが大事であろうと考える。

 

そのような枠組み作りは,憲法を改正しなくても,法律を改正すれば十分なのである。わざわざ憲法を停止して,表現の自由という民主主義の根幹となる重要な人権を規制するようなルールを認める根拠はないというべきである。

 

野党の中では,日本維新の会が緊急事態条項案に賛成することはほぼ間違いなく,公明党は土壇場で寝返る可能性を排除できない。

 

だが,国会で改正案が通っても,最終的に判断するのはわれわれ国民である。権力者たちの策謀は,我々国民が民主主義の名の下に自分たちの手で阻止しなければならない。




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