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お知らせ。ユーチューブ動画に移行します 

2023年11月19日





2017年10月に本ブログを開設してから丸6年が経ちました。

政治経済という重いテーマを堅苦しい文章で書いていたせいもあって、当初はなかなかアクセスが伸びず、ブログランキングも低迷が続きましたが、

今年から、アクセス、ランキングともに上がってきました。

先月は、FCブログの政治経済活動部門で、およそ2000人中26位まで順位が上昇しました。

一般人の政治経済ブログで、かつ週1の更新でこれだけ支持を受けたというのは自分としては奇跡だと思っています。

本ブログ開始当初の2017年、国民の多くは安倍内閣をそれなりに支持していました。

この内閣の方向性がこの国の未来に多くの不幸をもたらすであろうことを一人でも多くの方に知ってもらうのが本ブログ立ち上げの目的の一つでしたが、

当初私の主張が受け入れられることはほとんどありませんでした。

潮目が変わったのは今年に入ってからです。

岸田内閣の暴政が国民の生活に影響が及んでくるにつれて、本ブログのアクセスも比例して増加し、支持が広がってきました。

ですが、今日の岸田内閣の政策基盤は、本ブログが繰り返し批判してきた安倍内閣によってすでに築きあげらてきたものです。大多数国民は気付くのが遅すぎると思います。

岸田は何とかメガネと批判されていますが、彼は黒幕によって敷かれたレールの上をただ歩いているだけです。彼を批判したところで根本が変わることはありません。

これまで岸田首相が自身の意思でやったことといえば、安倍国葬、ちまちました人事ぐらいです。

非難の対象となる「黒幕」「根本」を知るには、具体的に何を探ればわかるのか。

ヒントの第一は、役所がHPで公表している文書です。それらを読めば、日本の方向性をおおよそつかむことができます。

おや、と思った内容をみつけたら、その背後に見え隠れしている議員とその議員の親分、圧力団体などの動きをすぐチェックすべきです。

その上で、党や各議員の資金関係の文書をチェックし、必要に応じて情報公開請求を利用します。

情報公開請求は面倒ですが、それ以外の作業はネットが発達している現在では特別難しいことではありません。

ただ、これら一連の作業は時間がかかります。

こうしたことは本来大手マスメディアやジャーナリストがやるべき仕事です。

彼らがその成果を国民に伝えていけばいいだけのことで、国民一人一人が面倒な作業をする必要はないはずです。

ところが、大手マスメディアは、その役割を果たそうとしません。

ここでいう大手マスメディアとは、NHKを筆頭としたテレビを指します。

ジャーナリストや識者らで、テレビ局に排除されることもなく、レギュラーのように長年出ている者らは、全部偽物です。

彼らがテレビに出ずっぱりでいられるのは、口達者で空気を読んで発言するのがうまいか、御用かのどちらだからです。中身は関係ありません。

本ブログでは、そのような大手マスメディアや識者らの批判もテーマの一つとして書いてきました。

だからというわけではないでしょうが、ここ数ヶ月の間、国民の大多数は大メディアのたれ流す情報と自民党政権のうさんくささに気付いてきたように思います。

本ブログも微力ながら影響力を発揮しているのでは、と思うのは決して妄想ではあないと思います。

そこで今後は、本ブログの意見をよりさらに広めるべく、ユーチューブ動画で情報を発信することに致しました。開始は来年1月中を予定しています。

できれば動画と併行してブログを続けたいのですが、時間の都合でとりあえずブログの方は今回をもって休止したいと思います。

11月いっぱいは、ブログもXも残しますので、時間があれば本ブログのこれまでの主張をご高覧いただきたくよろしくお願い申し上げます。

最後に一言。
11月19日現在の各メディアの世論調査によると、岸田内閣、自民党の支持率は各々20パーセント前後です。

残り80パーセントの国民は、現政府に不満を持っていると考えて間違いありません。

そうであれば、80パーセントの国民は、次の選挙で行動を起こして、現政権への不満を具体的な行動で表現すべきです。行動しなければ何も変わりません。

この国を今よりもよりよい国にしたいという気持ちが少しでもあるのなら、選挙権を放棄するなど論外です。

このように言うと、投票したいベストな政党がない、候補者がいないから投票しないのだと反論する方がいます。

そのような方々は、次のように考えるべきです。

まず、今の日本にはベストな政党、人格高潔で尊敬に値する候補者など、全く存在しない、と割り切らなければいけません。

その上で、たとえば、某選挙区の候補者Aと候補者Bが立候補し、Aは人を2人殺した過去が、Bは1人殺した過去があるとします。

候補者がこの2人しかいないときは、どちらに投票したらよいのか。

どちらも人殺しの極悪人なので、投票に値しない、選ぶなどとんでもない、と考えるのではなく、

よりましなほうに投票するのです。

この場合だと、2人殺した過去を持っているAではなく、1人しか殺していないBのほうが少しましでは、と考えてBに投票すべきでしょう。

BもAも2人殺していたらどうするんだ、と言われそうですが、その場合は、今後3人目の殺しはしないだろうと思われる方を選ぶことになります。

AB以外に選択肢がなければ、そう考えるしかありません。

少し極端なたとえ話になりましたが、これぐらい割り切って考えなければならないほど日本の政治家は質が落ちているということを言いたいだけです。

現状がこれぐらい醜くても、嘆くのではなく、一ミリでもましな方を選んで投票すべきだということを言いたいだけです。

次の国政選挙で、私を含めた80パーセントの国民で、極悪岸田政権を引きずり降ろそうではありませんか。

主張の続きは、ユーチューブで発信したいと思います。



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NHK受信料でもめるのはやめてテレビを見るのをやめるべきである 

2023年11月12日




11月6日、NHKは、東京都内の3世帯を相手に、契約の締結と受信料および割増金の支払いを求める民事訴訟を東京簡裁に提起したことを公表したが

初歩的な事実関係を明らかにしていない。

NHKが受信料を請求できる相手は、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者」(放送法64条1項)に対してだけである。

私の家にはテレビがないので(スマホ、カーナビにもチューナーは未搭載。念のため)、年に何通かNHKから放送受信契約書が送られてくる。

直近で送られてきたのは、11月上旬だったが、

同封のチラシには「テレビ等の受信機を設置された場合は、放送受信契約が必要になります。お手続きがお済みでない場合は、お早めにお手続きをお願いいたします。」と書かれていて、

その下に、ご親切にも黄色の枠で囲って「なお、テレビのご設置がない場合や既にお届けいただいている場合はNHKへのご連絡(ご返送やお電話)は必要ありません」
と注釈を入れている。

このことは、NHKが各世帯にテレビがあるかどうかを確認する術を持っていないことを意味する。

では、NHKは、件の3世帯がテレビを「設置」していることをどうやって認識したのか。

12日時点までのネット、メディア報道を私なりに全部チェックしたが、タブロイド誌のフライデーや日刊ゲンダイを含めて、この点に言及した記事は見当たらない。

被告側がSNS等で言い分を発信している事実も確認できない。

NHKによると「今回の3世帯は、契約締結をお願いする文書の送付や電話・訪問などにより誠心誠意説明し、丁寧な対応を重ねてまいりましたが、

応じていただけなかったため、やむを得ず最後の手段として、割増金の請求を含む民事訴訟の提起に至りました」とのことだが、

どのようにテレビ設置の事実を把握したのかまで明らかにしていない。

ここに情報収集の経緯に疑惑(プライバシー侵害など)が生じる。

外からアンテナが見えていた、あるいは、訪問員がドアを開けたら、テレビの音が聞こえてきた、テレビがあるのが見えた、というだけでは、事実を把握したことにはならない。

アンテナがあるからといって、部屋のテレビにつながっているとは限らないし、たとえテレビにつながっているのが見えたとしても、そのテレビがすでに壊れているということも考えられる。

被告がテレビらしいものを見ているのを、開いたドア越しに見たとしても、そのテレビがチューナーレスである可能性もある。

それとも単純に被告が電話や訪問員に、テレビがあること、実は普段から見ていることをポロッともらした、

あるいは、たまたまNHKや地上波を見ていたところを訪問員に目撃された、という間抜けなレベルの話なのか。

それらなら、「言っていない」「見られていない」と言い張って争うことができるだろう。

虚偽証言を奨励するつもりはないが、「言った言わない」の次元の類の闘いなら、戦略はさまざまありそうである。

ただ、電話の会話内容が録音されていたとか、複数の訪問員に目撃されていたような場合だと、被告には一転して厳しい現実が待ち受けることになる。

その場合は仕方がないので、裁判では、テレビ設置の事実を認めた上で「目撃された日時にテレビを撤去したので、以後の受信料は発生していないし、契約を強要される筋合いはない」との主張もありだろう。

その際は、NHKが再抗弁で「テレビがある」ことを立証する必要があるので、

「テレビを撤去した」ことを被告は抗弁で主張すればよく、積極的に証明する必要はない。

訴状を見ないと何とも言えないが(訴状が被告陳述前に公表されることはない)、
申立先が簡易裁判所なので、NHKが事実を確認した複雑な経緯を記していない可能性が高い。

和解となると(たとえば、被告に資力がないから、分割払いで決着するなど)、判決文がないので、訴訟に至った経緯が闇に葬られることになる。

そうならないためにも、本件被告には、真実を世に知らしめる意味でも、ぜひ最高裁まで闘っていただきたいところだが、

そもそも論として、私は、

1:「テレビを設置していても、NHKだけ見ていないことが証明できれば受信料を支払う必要はない」

2:「ワンセグ携帯に受信料を支払う必要はない」
と考えているので、以下、仮に私が被告の立場に立った場合の主張内容を記したい。

1点目について。2017年の受信契約訴訟で、最高裁は以下の主旨を述べている。

「受信料を徴収する仕組みは、憲法上許容される立法裁量の範囲内である」
「受信料の徴収を契約の強制によって行うことは、憲法上許容されると言うべきである」

と。

すなわち、最高裁は「憲法上許容される」と言っておきながら、憲法のどの条文で許容されるのかを述べていない。

ところが、結びで

「受信料の強制徴収は、憲法13条(幸福追求権)、21条(表現の自由)、29条(財産権)に違反しない」と、唐突に3つの条文を登場させて強引にまとめている。

だが、そもそもテレビを設置したというだけで、見たくもないNHKに契約を強制されることが「幸福」だというのは常識的に考えて無理がある。

「表現の自由」云々に至っては意味不明というしかない。

「財産権侵害にならない」云々も理由が示されていない。

憲法29条1項は、個人の財産権を保障し、2項で、社会権保障と整合的な財建研の構築を公共の福祉に適合するように、立法者に命じることを定め、

その際、国家(放送法で守られているNHKも当然含む)が特定の個人に特別の犠牲を課す場合、3項で正当な補償をしなければならないと解釈されている。

昭和の時代と違って、テレビを持たない家が多くなった現在、受信契約の強制行為は、「特定個人に特別の犠牲を課す場合」にあたるというべきである。

で、あれば、強制的に受信料を取る行動は、財産権侵害にあたり、正当な補償をしなければならない。

補償したくないなら受信料を取るな、ということである。

2ヶ月払いで2200円が「特別な犠牲」にあたるかは微妙だが、
テレビを設置しているというだけで、年間2万5千以上も払わなければならないというのは、家計が苦しい者にとっては、かなりの「犠牲」だろう。

いずれにせよ、理由も根拠も示さずに唐突に「29条違反ではない」と結論を押し付ける最高裁の判断には過誤があると言わざるを得ない。

まとめると、この判決は、全体的に理由不備で、判例変更に相当するといってもよいだろう。私が被告ならこの点を主張する。

2点目の「ワンセグ携帯に受信料を支払う必要はない」の根拠

放送法64条は、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は(中略)協会と受信契約を締結しなければならない」と規定する

ここでいう「設置」とは 辞書によると、「建物や機関などを設けること。設立。また、物を備え付けること」であり、

携帯とは、「身につけて、また手に持って持ち運ぶこと」ことを意味する。

ところで、スマホは通常、携帯する通信機器であり、固定の位置に「設置」して使う代物ではない。

そのような使い方をする者もいるだろうが、あまり一般的ではない。

ところが、2019年3月12日、最高裁は、以上の考えを退けた。

最高裁裁判官ともあろう者らが「携帯」と「設置」の区別もつかないというのは驚愕である。

基本的な日本語の意味すら理解できないこのような連中に死刑判決を下されてはたまったものではない。

下級審は、ワンセグ携帯に支払い義務はないとの立場なので、判例の変更をせまるのは非現実的ではない。

というか、そもそも受信契約を裁判で強制すること自体、私法の大原則である私的自治の原則に反するので、この点を突付くこともできる。

これまでの受信料をとりたいだけなら、テレビ撤去請求と併せて不当利得返還請求訴訟を起こせばいいだけの話ではないか。

国民は声を大にしてNHKの行動に異議を唱える必要がある。

いや、そもそも論として、時代遅れ、偏向・御用丸出しのNHK、地上波テレビなど見るだけ時間の無駄、人生の無駄である。

受信料に不満のある世帯は、年末までにテレビを処分することを真剣に考えたほうが結論は早い。

テレビは粗大ごみではなく、家電リサイクル法の適用を受けるので、処分に高いカネを払うことになるが、無駄な受信料支払の呪縛から免れることができると思えば安いものである。


中東情勢も地獄だが狂気の岸田政権が続くのも地獄である 

2023年11月5日



11月5日現在、継続中のハマス対イスラエルの大規模な戦闘は、10月7日のハマスの奇襲攻撃から始まった(とされている)。

ハマスの奇襲は、イスラエルとサウジの国交正常化を阻止することにあるというのが大方の識者の見方となっている。

確かに、イスラエルの過剰な反撃行為にサウジが懸念を表明し、両者の正常化交渉は中断した。

だが、このストーリーは、直線的かつ単純すぎる。

イスラエルは、日本の大企業も多数進出している世界屈指の技術大国だが、

このIT大国、さらに言い換えれば、モサドが暗躍するこのスパイ大国は、ガザ地区の制空権をも支配している。

この軍事超大国が、一武装組織でしかないハマスの奇襲作戦(ロケット弾数千発発射)を事前に察知できなかったとは考えにくい。

ハマスが攻撃開始前に、イスラエルの通信・レーダー施設などを破壊して防空システムをマヒさせていたというのなら話は別である。

だが、一武装組織にそこまでの人的・物的能力があるとは到底思えない。

今年5月、イエメンの武装組織フーシー派が、パレスチナ戦闘員を5千人募集して訓練していたことが明らかになっている。

フーシー派は、周知の通り、イランが後ろ盾になっている。

そのフーシー派は、10月31日、イスラエルに向けて、ドローンと弾道ミサイルを発射し、イスラエルに宣戦布告した。

ロイター通信によると、フーシ派の軍事報道官は、テレビ放送された声明で、パレスチナ自治区ガザに対する「イスラエルの侵略」が終わるまで作戦を継続すると述べたという。

その3日後、申し合わせていたかのように、今度はレバノン南部に拠点を置く武装組織ヒズボラの最高指導者ナスララ師が吠えた、

「イラク国内のイスラム教シーア派やヒズボラなどと協働して、参戦する用意がある」と。(この翌日に攻撃を始めたと報道されている)

ちなみに、イスラエルとハマスの戦闘が始まってから、ナスララ師が公式に演説を行ったのはこの日が初めてである。

周知の通り、ヒズボラもイランが後ろ盾となっている。

ところで、イスラエルの最大の支援国である米国が、イスラエルに一時「休戦」するよう提案している。

11月5日現在、イスラエルは、一部の部隊が地上戦に着手したが、世界の国の大半は、イスラエルはもとより、後ろ盾の米国に非難の矛先を向けている。

今回のハマスの奇襲作戦が、イランの仕掛けた計略だったとすれば、術中にはまっているのは米国である。

イランは、今回の大規模戦闘に関与していないことを再三強調しているが、それはありえない。

イスラエルとサウジの国交正常化は、イスラエルがサウジ領空を通過してイランに直接ミサイル攻撃ができるようになることを意味する。

イランとしては、それだけは避けたいという思惑があるはずである。

そもそもハマス、ヒズボラ、フーシー派といった小規模武装組織が、大国イランの後ろ盾なしに強気に出られるはずもない。

イラン外相のアミールアブドッラーヒヤーンが、カタール、トルコと相次いで訪問し、
タミム首長、エルドアン大統領と会談するなど、「事情説明」に奔走しているが、
ここから次のようなことが言える。

今年3月、サウジはイランと国交を正常化した。ほとんど腹の探り合いのような八百長だが、表向きの関係修復はとりあえずなされた(ている)と見てよいだろう。

そのサウジは、イスラエルに「パレスチナを1967年の第三次中東戦争以前に戻せ」と要求しているが、

この提案をイスラエルが呑めるはずがない。サウジもそれを承知の上で、無理難題を吹っかけているものと思われる。

つまり、サウジは、イランに忖度して、イスラエルと本気で国交正常化をしようとは思っていないのではないか。

イランがそのことを察知していたとすれば、サウジとイスラエルの国交正常化交渉をそもそも妨害する必要はなかったともいえそうだが、

そうではなく、イランの目的が中東地域における米国のプレゼンス低下にあると考えれば、一連の行動は理解できる。

周辺諸国への「事情説明」もイランは怠っていないということである。

周辺諸国に十分な根回しをしないまま、処理水を海洋投棄している日本の外交とは大人と子供ほどに対応の差がある。

その日本は、10月27日の国連総会で「人道的休戦」決議に賛成票を投じなかった。

投票の「棄権」は現状追認を意味する。すなわち、日本は、イスラエル、米国同様に、戦闘継続を望んでいるということである。

休戦決議に賛成しなかった理由について、岸田首相は10月30日の衆院予算委員会で、

「ハマスのテロ攻撃への強い非難がないなど、全体として内容面でバランスを欠いている」と言い訳していたが、理由になっていない。

議題は「戦闘行為をとりあえず止めろ」である。これに賛成か反対かと問われているだけなのに、何の屁理屈を抜かしているのか。

「ハマスへの強い非難」は、それはそれとして別のテーマとして意見すればよいではないか。

それとも「戦闘継続を追認するのが本音です」とでも表明したいということなのか。

イスラエルのネタニヤフに「必勝しゃもじ」を送る準備でもしているとでもいうのなら、これ以上何も言うことはない。だが、そうではないはずである。

10月の大規模戦闘開始当初、岸田政権は早速ハマスを非難し、米国に追従してイスラエルを擁護した。

ところが、その後、イスラエルが防衛の程度を超えた大規模反撃を行い、ガザに多数の死者が出たことで、「中立」の立場にトーンダウンした。

11月3日にイスラエルを訪問した上川陽子外相は、イスラエルとパレスチナ自治政府の両外相と会談し、

上川は、人道支援として日本円にして100億円の供与を約束した。

だが、今の日本の立ち位置でいえば、

この行動は「イスラエルとハマスの皆さん、戦争はこのまま続けてください。被害は日本が補償しますので安心してください」

と言っているようなものである。

違うと言うのなら、上川は、国民の税金を使ってイスラエルまで出張っているのだから、「戦闘を休止しろ」と言わない(岸田とは別の)理由を示してほしい。

それを言わずに、相手に頼まれてもいないカネを差し出すことの方がよほどバランスが悪い。

そもそも、バランスがどうのだの岸田政権に言う資格はない。

中東の戦闘支援に100億円の大金を即金でポンと出せるのに、

たかが年間4万円の所得減税の実施に、国民に来年6月まで待てと言う方がよほどバランスが悪い。(遅いし、期間は1年と短いし、金額は低いしで話にならない)

物価高に引き続き、実質賃金が17カ月連続マイナスが続いているのに、

自分(岸田)の給与を年46万円(ボーナス込み)、大臣は年32万円をアップさせるための法改正をしようとしていることの方がよほどバランスが悪い。

本ブログでは、首相就任当初から岸田を批判しているが、ここまで狂気を帯びているとは思わなかった。

一刻も早く、この極悪の首領を倒さねば、日本の社会状況はますます悪化していくだろう。

ここはもう少し野党第1党にがんばってほしいところだが、その第1党の党首は
11月4日、東京都内の大学の講演で

「次期衆院選での政権交代は目指さない」
「5年で政権交代を目指す」
と述べた。

この男も正気の沙汰ではない。
岸田と同レベルでこの男にも絶望する。

そもそもこの男、この党に5年後はない。あってはならない。

ふがいない自公政権に今ガチンコで対峙しなければならないはずの最大野党がこの気概のなさ、体たらくである。

戦闘状態の中東ほどではないが、今の日本社会は十分地獄の渦中にいる。




岡口裁判官がクビになるなら大メディア報道の責任である 

2023年10月29日



前置きとして、岸田政権の今後の動向を少しだけ予測する。

10月20日の「朝まで生テレビ!」で、「うるさい、だまれ」と田原総一朗に罵倒された国民民主の玉木代表が、23日の記者会見で、

「(首相は演説で「経済、経済、経済」と繰り返したが、英国のトニー・ブレア元首相が「教育、教育、教育」と言ったのをまねたのかなという気がした)と述べていたが、

ブレアではなく、親分安倍晋三の模倣ではないか。

2014年の国会で、安倍元首相は、「経済、経済」を連呼し、同年11月「アベノミクス解散」総選挙に突き進んだ。

岸田の政権運営は、ほぼすべて彼の親分だった死人のやりかたを踏襲している。この基本を押さえずして岸田を語るなかれ、である。

選挙前は「経済」を強調し、選挙が終わると「憲法改正」を言い出すのは安倍政権の常道だった。

今年5月に広島サミットで、核兵器根絶がライフワークのはずの岸田が「核兵器は抑止力に役立つ」と変節したが、

大メディアが岸田演説への批判を抑制したことで、サミット後の内閣支持率は一時的に上昇した。

本ブログは、サミット前に、

「今年秋には岸田政権の大増税構想が国民に暴露されることになるので、解散総選挙はサミット後の6月になる」と書いた。

岸田も99パーセントそのような絵を描いていたと思われる。ところが、長男の公邸私物化問題が発覚し、解散総選挙の戦略が頓挫した。。

野党がボロボロの状況だったので、マイナンバーの不備や、統一教会、長男の問題を抱えてままでの6月選挙でも、岸田自公政権が負けることはなかっただろう。

ところが、岸田は動かなかった。岸田が安倍と違うところがあるとすれば、ここである。

岸田政権は安倍と違って党内基盤が弱いので、内部に異論があると強い決断をためらう傾向がある。

だが、国民にとって党内事情はどうでもよい。我々の関心事は、大局的な国の方向性にある。

今年秋の大増税の方向性は、昨年から決まっていたことであり、マイナンバー問題もそうだが、選挙にも行かない国民が今頃になって批判するような問題ではない。

10月22日の衆参補選で岸田は、長崎4区の金子容三の当選に力を入れていた。

本ブログは、投票率が60パーセントを超えれば、金子は負けると書いた。が、投票率は42.19パーセントだった。これでは組織票に勝る与党陣営に国政選挙で勝てるわけがない。

世襲3代で同区の利権を私物化し、岸田の息がかかった金子を国民(県民)は選んだ。彼を国政に送り出すことに同意したのは我々国民である。

金子は岸田政権の忠実な下僕として国民を苦しめていくことになるだろう。だが、それも我々国民の自業自得と言わねばならない。

大増税方針については、既存の利権を温存し、国民に負担を課していくという方向性は将来も変わらない。

本ブログは2017年10月から書いているが、X(旧ツイッターだが、以下、便宜上、ツイッターと記す)の自己紹介欄に

「中間層よ、君たちはだまされている」と書いた(書いている)。当時これを読んだ知人から「どういう意味か」と問われたが、

その答えは、今起こっていることだといえばわかりやすいのではないか。

「上位層」からは取らない、「下」からは取りたくても取れない(ない者からは取れない。消費税は例外だが)

結局搾取の対象となるのは、権力に抵抗しない中間層(働き手の90パーセントを占める労働者)からの天引きということになる。権力に抵抗しない層、という点がポイントである。

だが、このところ、従順なはずの中間層から、わずかながら不満の声が漏れてくるようになってきた。

この閉塞感を岸田に打破する策があるとすれば、外交を利用した目くらましだろう。

金正恩総書記と岸田の直接対談に向けて、事務方が水面下で北朝鮮側と現在交渉中である。

岸田の理想は、来年の総裁選前の実現だろう。

北朝鮮利用作戦は親分安倍のコピーである。岸田による目くらまし、政権浮揚の具は、今のところこれ以外に考えられない。

安倍晋三は、2017年、「12月になると北朝鮮有事が起こる。だから今選挙をやるしかない」と大ぼらを吹き、10月に「国難突破」と称して解散総選挙に突き進んだ。

安倍の言を信じ、ミサイルが飛んでくると信じた国民は、安倍政権を支持した。選挙後、麻生太郎は、北朝鮮の選挙利用を自身の講演で公に認めた。

何度でも書くが、岸田の政権運営は親分の安倍晋三の方法論を踏襲している。
その良し悪しは、我々国民が選挙で審判を下すしかない。

戦後最長を記録した安倍内閣に不満のない国民は、岸田政権に投票するか、棄権するかのどちらかを選べばよい。不満のある者が棄権してはならない。

ところで、国同士のトップ会談を頭から批判するつもりはない。だが、会談の中身は精査していかなければならない。

会談が実現しただけで、内閣支持率の上昇に貢献するような行動をとってはならない。

だが、大メディア報道だけでは、中身の正確な認識は不可能なのが現状である。

ここから本題に入るが、

仙台高裁判事の岡口基一氏をクビにするかどうかの弾劾裁判が国会内で続いている。直近では10月25日に第10回公判があった。

大メディアは、東京高裁と最高裁という組織の権威に恐れをなして、組織内の一裁判官にすぎない岡口氏の言い分を正確に伝えていない。

大半の国民は大メディア報道だけで事実を評価する。

この件については、99パーセントの国民が、岡口氏に批判的な見方をしているように思える(掲示板の書き込みがそれを証明している)。

これまでの大メディア報道を見る限りでは、国民の誤解も仕方がないともいえそうだが、元情報を辿れば、誤解やむなしとも言えない。

他人を批判するときは、可能な限り、元情報に遡って事実を確認すべきである。ネットを使えば、情報の根源を辿るのはそれほど難しいことではない。

岡口氏は、主に、以下2点のツイッターへの投稿内容に、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があった(憲法78条、裁判官弾劾法2条に抵触した)として訴追されている。

1点目。都立高3年の女性が殺害された事件について、

「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男。そんな男に、無惨にも殺されてしまった17歳の女性」

2点目。犬の所有権をめぐる民事訴訟の判決について、

「公園に放置されていた犬を保護し、育てていたら、もとの飼い主が名乗り出てきて、「返してください」」

「え?あなた?この犬捨てたんでしょ?3ヶ月も放置しておきながら、、、」

「裁判の結果は、、」

と投稿。

さらにダメ押しで、1点目の遺族について「俺を非難するよう東京高裁に洗脳されている」などと書き込み、その後訴追された。

まず、1点目の投稿については「遺族を傷つけた」と評価されているようである。

被害女子高生の父親(刑事裁判の原告の立場に相当する)も、弾劾裁判の公判でその旨述べたことが報道されている。

だが、岡口氏のツィート内容は、父親の意向を汲んだ検察(原告)の主張を判決文から引用しているだけにすぎない。(岡口氏は判決文のリンクを張っている)

判決主文の後に続く「本件事案と控訴の主意」には、

「本件は、被告人が自分の将来を悲観して自暴自棄になっていたところ、死ぬ前に首を絞められて苦しむ女性の姿を見て性的興奮を得たいと思い(以下、略)」とある。

リンク先の判決文は、プライバシーの観点から、被害者の名前は伏せられている。岡口氏も被害者を特定していない。

ところが、大メディアは、17歳の被害者女性を実名報道している。遺族父親が非難すべきなのはむしろメディアへの方だろう。

岡口氏が「俺を非難するよう(遺族は)東京高裁に洗脳されている」などと書き込んだのは、高裁から遺族に正確な情報が伝えられていないことへ懸念を吐露したものだと推察できる。

この遺族父親は、そもそも判決文を一言一句読んでいない可能性が高いと言わざるを得ない。

ちゃんと読んだ上で、それでもなお岡口氏をクビにしろなどと職を奪う極論を吐いているとしたら行き過ぎである。

2点目のツィートは、岡口氏があたかも裁判を起こした原告を非難しているかのような内容になっており、現職裁判官として不適切だとのことらしいが、

このツィートも、判決文に書かれている文を要約しているだけである。このツイート内容は、裁判での原告被告の主張にすぎず、そもそも岡口氏の意見ではない。

ツィートにはメディア報道記事のリンクが張られている。

「裁判の結果は、、」のつぶやきは、このリンク先の記事を紹介しているだけなので、ここにも岡口氏の意見は入っていない。この点は、ジャーナリストの江川紹子氏も同様の指摘をしている。

岡口氏は裁判官としてではなく、一個人としてツイッターを利用している点もあわせて考慮すると、罷免事由に当たる行動ではないことは明らかである。

では、なぜ高裁が躍起になって岡口氏をクビにしようとしているのか。

2018年に岡口氏は、東京高裁長官室に呼ばれ、長官と事務局長から「ツイッターを止めろ。そうでないと裁判にかける」と密室で脅されている。

大声で怒鳴り声を上げる長官に対して、豪胆な岡口氏はひるまずに断ったという。

後日、岡口氏は件の顛末を知人の弁護士らに相談すると、

弁護士らは長官と事務局長を、脅迫罪、強要罪、公務員職権濫用罪で告発した。

現職の裁判官の告訴(正確には弁護士の告発だが)は一大事であり、検察も告発状をぞんざいに扱うことはできない。

特捜部は、長官と事務局長を複数回事情聴取し、結局不起訴処分にしたようだが、数日にわたり捜査対象にされた2人は気分がよいはずがない。

要するに、高裁による岡口氏への執拗な攻撃は、このときの意趣返しではないかというのが私の推察である。

で、なければ、なぜ件のツィートごときで彼がクビにされなければならないのか、説明がつかない。どこの世界でもそうだが、結局、理屈ではなく、最後は人間関係である。

司法も政界もそうだが、権力内部が人間関係中心で動くと、国民にとってろくなことにはならない。

政治に話を戻すが、我々に岸田への期待が残っているものがあるとすれば、それは彼が安倍(政治)との決別を宣言した時だろう。

それは安倍派との人間関係を断ち切ることを意味する。が、木原さえ切れない彼には不可能な行動である。だから、岸田ではダメなのである。



衆参補選の結果に関係なく立憲の泉健太は代表を辞任すべきである 

2023年10月22日



これを書いているのは衆参補選投票日の22日午前なので、以下、戦前の識者の大方の予想に従い、1勝1敗もしくは野党の2勝との前提で書く。

10月22日の衆参2補選は、

参院徳島・高知選挙区(自民公認、公明党推薦の西内健氏と、無所属だが実質立憲推しの広田一氏の一騎打ち)、

衆議院長崎4区(自民公認の金子容三氏と、立憲公認、社民推薦の末次精一氏の一騎打ち)で、

いずれも接戦が予想されている。

日刊ゲンダイは、参院徳島・高知選挙区の与党苦戦を予想していたが、衆議院長崎4区の方も与党側には問題が大きい。

金子容三はゴリゴリの世襲3代目で、父親は、県知事時代に裏金疑惑で県民の不評を買ったいわくつきの人物である。

長崎は「金子一族」の息がかかった企業が多いので、低投票率なら息子の当選は堅いだろうが、60パー越えなら県民に人気のないこの男は落選だろう。

だが、ここで言いたいのは選挙直前の当落予想云々ではない。

今回の選挙は、与野党どちらが勝っても、国民にとって利益が薄い。

与党候補が勝てば、直近の岸田政権の低支持率は一体何なのか、ということになり、

図に乗った岸田は、自信を深めて、今後さらに国民を苦しめる政権運営を進めていくことが予想されるからである。

他方、野党候補が勝っても問題がある。今回の選挙支援の中心となっている立憲民主の泉代表が、勘違いを起こすという大問題である。

後者について言及する。(立憲民主について長々と書くのは1年ぶりぐらいか)

結論から書くと、今回の補選結果に関係なく、党勢拡大を目指すなら、立憲は代表の顔を変える必要がある。

党のHP冒頭には通常、代表の顔写真が掲載されるものだが、立憲HPの巻頭ページに泉代表の写真はない。

これは、党自身が「泉は人気がない」ことを自覚しているからである。(維新、れいわ新選組のHPと比べるとよくわかる)

魅力なしの泉体制で次回衆院選を戦うとなれば、今後複数出てくるであろう野党系新党に無党派層の票(冷やかしも含む)がチリジリになって流れていくだろう。

そうなれば、野党分断工作の任務を請け負っている「連合」の言いなりと化して、共産との共闘に否定的な泉立憲が停滞していくのは明らかとなる。

10月18日、泉代表は緊急経済対策を発表したが、総額7兆円たらずの支出規模で国民を救えると本気で思っているのか。防衛費に岸田政権がいくら使っている(使おうとしている)のか、彼はわかっていないのではないか。

詳細をいちいち論評するのはバカらしいのでやめるが、消費税や所得税の減税について否定しているというのでは話にならない。

消費税と所得税の減税は、岸田政権が一番嫌がっている政策である。他方、国民が一番望んでいる政策である。

それなのに、野党の立場で否定するとはどういうことなのか。与党への攻撃材料としなければならない政策を与党に忖度、同調してどうするというのだ。

このような根性で「党勢拡大」「政権奪取」などできるわけがない。

松野官房長官は、10月6日の記者会見で、

「消費税は全世代型社会保障制度を支える重要な財源と位置付けられている」と述べたが、

この言葉そのものはウソではない。が、これは典型的な官僚答弁で、実質はフェイクである。

消費税元年の1989年度から今日に至るまでの間、我々が取られた消費税額は、およそ450兆円だが、

その「すべて」が、軽減された法人税、所得税などの600兆円分に充当されている。

つまり、消費税が、本来は法人税、所得税などで賄うべき分の社会保障負担分を埋めているというのが真実である。

よって、ここは正しく述べれば次のようになる。

「消費税は、社会保障「拡充」には全く使われておりません」

「法人税減税の穴埋めには消費税が不可欠です。だから今後とも消費税をよろしく」
と。

ちなみに、所得税減税はアリバイ、カモフラージュである。

政府の本音は「所得税減税を1円もやりたくない」である。だが、消費税を取って減税は法人税1本だけ、という本音は露骨に過ぎる。

だから、法人税減税のカモフラージュとして、仕方なく所得税減税もセットで行ってきた(ている)ということである。

岸田政権が所得税減税に及び腰なのは、そのような本音による。だからこそここを突くべきであった。。

現行の消費税10パーセントでは、法人税、所得税減税分のすべてが賄いきれないので、

政府は今後15パーセントまで上げてくるだろう。この問題は、防衛費増の問題に密接に関係してくるが、詳細は別の機会に譲る。

繰り返すが、消費税はそもそも財政再建には全く使われていない。

要するに、消費税を廃止しても現状、問題はないのである。

そもそも特別会計から,政府部門の支出を2,3パーセント減らせば,消費税増税分程度は1年で賄えるはずである。

大企業は,租税特別措置法の優遇措置によって,合法的に多額の税金逃れをすることができるので,これ以上法人税を下げて彼らを優遇する必要もない。

輸出大企業の利益が目的だった安倍政権の経済政策により、大企業は円安の為替差益で儲かったが、設備投資を怠り、内部留保を積み上げてきた。

その結果、成長すべき産業は成長せず、結果、労働者全体の賃金も上がらず、
一方で役員はストックオプションで、濡れ手に粟で大金を稼いできた(きている)。

金融資産課税の強化が必須だが、立憲HPを見ると巻頭ページに小さな字でチョロッと書いているだけで、問題の本質をごまかしている。、

以上の事実をあいまいにしたままの経済対策云々の言説はすべてフェイクである。だから、泉立憲はフェイクということになる。

岸田政権がフェイクなのは今更だが、最大野党がフェイクというのでは国民は救われない。

野党に絶望した国民は、投票所に足を運ぶことを躊躇するようになり、結果、投票率が最低を更新していく、と。

そうなれば、有権者の20パーセント弱程度の支持しかない自民政権が永遠と続いてくことになる。

まさに負のスパイラル、この世の地獄という他ない。

立憲内部では、枝野前代表の再登板を待望する声が上がっているようである。

その枝野は、14日の参院徳島・高知選挙区の広田候補の応援演説で、このように述べている。

「この30年、皆さんの賃金は上がってこなかった。そんな中で物価高で国民生活はどんどん厳しくなっている。国全体が貧しくなっているかというと、決してそうではない。」

「円安などもあって、貿易では赤字だが、観光客が行き来してお金を落とすとか、海外に投資をした者の配当とか、全部合わせると日本(の経常収支)は黒字。国はどんどん豊かになってきている。」

「それなのに、国民の大部分が、より生活が厳しいと感じている。国の富や豊かさが1カ所に偏ってしまっている。」

「(岸田政権には)東京の中央にばかりいて、役所から上がってくる声、大きな企業、ベンチャー(企業)で大きく稼いでいる人の声しか聞こえていない。そういう声に従って政治をやっているから国民の暮らしは良くならない。」

と。

実に正論である。見事という他ない。

だが、この男は言うこととやることが違う。

2021年10月衆院選に際して、消費税減税案を提示したことについて、枝野は後に「間違っていた」と発言した。これが彼の消費税に対する本音である。

「週刊金曜日」2020年10月9日号のロングインタビューで
「消費税は法人税や所得税減税の穴埋めに利用されている」との認識を示していたにもかかわらず、である。

件の選挙では共産との共闘も直前になって否定したが、これは連合の分断工作に抗し切れなかった彼の弱さを示すものであった。

与党の政策に迎合し、内部も一枚岩にまとめることができず、強固なリーダーシップに欠ける。それでいて表向きの口だけは達者ときている。

彼はこれまで多くの支持者の期待を裏切ってきた。

「そうではない」と言うのなら、彼は今後の政治活動を行動で示す必要がある。それができないのなら、彼の政治家生命も終わりである。代表返り咲きどころではない。

冒頭に書いた通り、これを書いている今、衆参補選の結果はまだ不明だが、

今後立憲が党勢拡大を目指していくのであれば、まずやるべきことは現執行部の退陣である。

とにかく泉でなければよい。最悪、枝野の再登板でもいいだろう。繰り返すが、泉では無党派層を惹きつけることはできない。ここが1番の問題なのである。

党勢拡大を目指すつもりがないのなら、国民のためにも解党を考えるべきである。

連合依存の同盟系とそうでない勢力との共存は野合であり、不健全という他ない。



52人+180人の自民党議員の落選は至上命令である 

2023年10月15日




総務省の『就業構造基本調査』によると、東京都では、30代の子育て世帯の4割が年収1000万円以上のようである。

共働きでも、それ以下の年収では結婚や出産が容易ではないというのが現実だとすれば驚愕である。

国税庁の民間給与実態調査によると、給与所得者の55パーセントは年収400万円以下、21パーセントが年収200万以下である。

日本は先進国で唯一実質賃金が上がっていないどころか、14パーセント以上も減少している国なので、当然の数字だろう。

経済成長率も日本は25年間マイナスである。

この経済停滞国で、10月10日、栃木県の小山市で自分が産んだ赤ちゃんを殺害・遺棄した容疑で母親が逮捕されるという事件があった。

昨年6月に1人、今年7月に1人の計2人の赤ちゃんを殺害・遺棄した容疑が持たれている。

警察の取調べに対し、母親は動機について「経済力も乏しく、交際相手も子供を望んでいないと思ったため、1人では育てられないと思って行動に及んだ」と語ったという。

2人の殺害が重罪であることを否定しないが、被疑者に一抹の同情を禁じざるをえないと思うのは私だけだろうか。

このような社会経済状況の中、少子化の財源のために消費税をもっと上げろとか、子供の夕方の留守番は虐待に当たるといった言説がはびこるのはまともな社会ではない。

後者の留守番虐待について敷衍する。

そもそも子供の留守番がダメだというなら、夫婦共働きもままならず、子供を持つどころの話ではなくなるという単純な理屈に気が付かないというのはどうしたことか。

昭和末期に施行された埼玉県虐待禁止条例という全25条に及ぶ条例があるが、今回、条例の一部を改正する案が埼玉県議会に提出された。

問題とされたのは、追加された以下の2か条である。

(児童の放置の禁止等)
第六条の二 児童(九歳に達する日以後の最初の三月三十一日までの間にあるものに限る。)を現に養護する者は、当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置をしてはならない。

第八条
2 県民は、虐待を受けた児童等(虐待を受けたと思われる児童等を含む。第十三条及び第十五条において同じ。)を発見した場合は、速やかに通告又は通報をしなければならない。

(以上、改正案から抜粋)

いずれの条文も罰則がないので、違反しても罰金刑や懲役刑を食らうことはない。
では、強制力のない単なる努力義務規定かといえそうだが、

「~ねばならない」との文言が使用されているので、そうとも言い切れない。

後の改正で罰則だけを追加して強制力を持たせることを容易にするための便宜とも解釈できるのである。

だが、仮に罰則の規定がなくても(置かなくても)、このような法令の存在を一つの根拠にして民事上の損害賠償請求がしやすくなるだろう。

留守番による精神的苦痛を理由として、民法714条の監督義務者らの責任が追及しやすくなることは間違いない。ただ、誰が訴えるというのか。

子供が保護者を訴えることを想定しているのかどうかはともかく、ここで言いたいのは、実際にそうなるかどうかは別として、法的にそうなるという解釈論である。

8条2項はさらに問題である。これが義務規定だとすれば、

留守番をさせていた家庭を知っている全くの第三者(たとえば、近所付き合いのない隣、向かいの家など)、当局に通報しなければ連帯して違法行為の責任を負わされることになる。

だが、これでは江戸時代の5人組と発想は変わるところがない。

通報の主体を「県民」としている点も問題である。

これでは、たとえば、越してきたばかりで、埼玉への住民票の移動がまだ住んでいない者とか、

何らかの事情で、住民票を他自治体の旧住所に残したままで長期間埼玉に居住している者(そのような者は多数いる)は義務なしで、

たまたま埼玉県民だと「虐待」家族と連帯して責任を負わされることになる。

今回の条例案提出未遂は、埼玉、いや、日本政治全体の劣化を象徴する「事件」と言っても大げさではない。

この狂気の条例案を可決させようと試みた52人の自民党県議の頭の構造は、江戸時代の横暴な代官や領主のそれと何も変わるところがない。

埼玉県議会自由民主党議員団団長の田村琢実は、記者会見で「法案の中身に問題はない」「国民(県民)は誤解している」と強弁し、取り下げ後も反省の色が見えない。

有権者は、条例提出議員52人に、今後の選挙で票を投じてはならない。このような連中に権力を握らせてはいけない。

上が腐っているから下も腐るのである。細田博之衆院議長はもう限界だろう。安倍派の混乱で細田派復活の声も上がっているが冗談ではない。

私は細田と面識があり、セクハラや教会問題発覚以前に、何度か会話をしたことがある。

長年要職を渡り歩いてきたエリートにしては尖がったところがなく、対応も常識的で、政策はともかく、人格非難に値するほどの人物ではなかったと記憶している。

文春はかつて細田の人となりを酷評していたが、そこまでではないと。

13日の記者会見の内容を報道で知るまではそのような印象を持っていた。

細田が決めたという記者会見のルールは、30分の会見時間(ただし、実際は1時間弱まで延長された)、出席者は記者クラブ加盟社各1人のみ、

映像や写真の撮影は冒頭発言だけだったというのだから、ジャニーズの方がましだとの批判は正鵠を射ている。

セクハラ問題については現在係争中なので、記者が突っ込めなかったのは仕方がない。

統一教会との関係については「呼ばれてスピーチしただけ」という従来否定されたはずの言い分を繰り返すだけ、それ以外は安倍との思い出話を語るなど論点ずらしに終始していたとのことである。

記者会見の悪評判が地元の島根にどれだけの影響を及ぼすかは選挙のタイミングにもよるが、統一教会に対する解散命令の申し立てがなされたことは、彼にとって大きなマイナスになるはずである。

ところで、13日というタイミングで、文科省が裁判所に解散命令を請求したのは理由がある。

もともと岸田政権は、13日に経済対策をまとめて、10月中に補正予算案を提出し審議にかけ、

11月中に解散→12月5日公示→17日投開票というシナリオを描いていた節がある。

統一教会問題に関係がない岸田本人は、先に進むためにも10月中にこの問題にとりあえず決着をつけたいとの思惑があったのだろう。細田の会見もその文脈で行われたと推察できる。

とはいうものの、選挙の巨大なスポンサーを失いかねない文科省の申立は苦渋の決断であり、両刃の剣になりかねないとの懸念があるはずである。

95年にオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件を受け、当時の村山内閣は宗教法人法を改正して、宗教法人の監視強化に乗り出した。

当時野党の自民党は、村山内閣を支持する創価学会を敵視していたので、法改正に表立った反論はしなかった。

ところが、99年、自民が公明と連立政権を組むようになってから状況が一変した。

審議中の情報公開法で、宗教法人の書類(財務書類や幹部の名簿など)が開示の対象となることを忌避した公明が、これらの書類を例外的に不開示情報にしてしまった。

こうした創価学会への便宜は、同じ宗教法人である統一教会に対する恩恵にもなった。その後の両者のやりたい放題はここで語るまでもない。

説明を敷衍すると、95年の法改正で、宗教法人が毎年財務書類を文科省などに提出する義務を負わされることになったが、

元文科省事務次官の前川喜平氏によると、ろくな書類調査はされていなかったという。

国の所轄する宗教法人が1000以上もあるのに、調査する文科省宗務課の人数はたった9人で、法改正後も増員はなく、

しかも、9人の職員はそもそも財務書類を吟味するだけの専門知識が乏しいとのことである。

つまり、国は宗教法人を本気で締め付ける気など始めからなかった、と。そのことが、後の公明の連立参加で、さらなる監視の後退につながっていったということである。

今月、岸田政権は宗務課の増員を明言しているが、これも周りから言われたからやるというだけのことであって、岸田にとって深い意味はないと思われる。

ところで、解散命令の件について記者会見した盛山文科相は、正論らしい言葉を並べ立てていたが、被害者目線で見れば、肝心な点をごまかしている。

盛山は、被害者などから教団の財産保全のための法整備を求める声が出ていることについて

「財産の保全は、被害を受けている方がまずは主体的に行うのがいいだろうと思っている」と述べたが、

それができれば始めから誰も苦労しない。

高裁の審理まで予測すると、裁判所の最終判断はかなり長引くと思われる。で、あれば、現時点で法整備に乗り出さなければ被害者救済も何もあったものではない。

民法の不法行為の事実認定だけで、裁判所の解散命令が出るかどうかさえ怪しいにもかかわらず、である。

疑惑の行政訴訟判決の数々を見るまでもなく、裁判所が自民党政権に支配されていることを忘れてはならない。

被害者は、解散命令が出ない可能性があることも十分予測し、後に落胆しないよう今から心の準備をしておく必要があるだろう。

ただ、今回の解散命令が教会癒着議員にそれなりの影響を及ぼすことは間違いない。

被害者を含めた国民に端的にできることといえば、次の選挙で自民党の癒着国会議員180人に投票しないことである。

この不作為が、被害者以外の国民にとって、教会問題の終着点となるということである。

(茂木幹事長は、当初「自民党議員で統一教会と接点のある者は1人もいない」とすざましい大ぼらを吹いていたが、今となっては笑い話である)

裁判所や官邸があてにならない以上、我々国民自身が決着をつけなければならない。



ジャニーズや鈴木宗男を袋叩きにしている場合ではないことがわからないのか 

2023年10月8日



ジャニーズ事務所の新社長に就任した東山紀之は、9月7日の会見で、元社長の性加害を「人類史上最も愚かな事件」と発言したが、

その東山本人も性加害の当事者ではないかと噂されている。

少し前には、当時副官房長官の木原誠二が「週刊文春」の記事を「マスコミ史上稀にみる深刻な人権侵害」」だとして、刑事告訴までしたが、

その木原も警察当局に脅しをかけて、殺人という「深刻な人権侵害」事件の隠ぺいを図った張本人であると噂されている。

メディアは東山を厳しく追及しているが、木原は完全スルーである。この対応の差は何だろうか。

今週発売中の文春に木原追及の記事はない。文春はすでに10数人の木原番を解散したというから、木原はとりあえず逃げ切りに成功したといってもよいだろう。

一方で、メディアや世間のジャニーズ叩きの熱は右肩上がりで沸騰している。しかも、性加害問題を半世紀前から知っていたにもかかわらず、今さらのように、である。

木原のような現在進行形の権力者にはとことんひれ伏し、

ジャニーズのように、かつて権勢をふるった者でも力が落ちてきたとみるや、正義面をして一斉に叩き始める。しかし、これはジャーリズム以前に、人の行動としてあまりにも醜くすぎないだろうか。

ジャニーズの記者会見は、私から見れば、堕落に気付いていないメディアの自己満足、お笑いの見世物でしかない。性加害の被害者には申し訳ないが、それが率直な感想である。

ジャニーズに失望した国民は、今後彼らが出ているテレビは見なくなり、音楽も聞かない、グッズも買わなくなるだろう。

そうなれば、ジャニーズは早晩力を失い、会社は必然的につぶれる。

そうではなく、真実が暴露されてもなお国民が今後もジャニーズを望むとするならば、それはそれで国民の自由意志である。その動向は尊重しなければならない。

メディアの役割は、必要以上に追い回して、民間企業をつぶしにかかることではないはずである。

繰り返すが、そもそも半世紀前から性加害の事実を把握していたにもかかわらず、今頃になって正義面をして一斉に袋叩きしているメディアの現状には嫌悪感すら覚える。

相手の立場が弱くなって叩きやすくなったから強く出ているだけだろうと。

補償の問題は、法的に微妙な問題もあるので、法の専門家でない社長の東山や井ノ原に、現時点で詳細を追及したところで何も出てこないだろう。

NGリストの問題は、ジャニーズだけの問題ではない。それはメディア関係者が一番よくわかっているはずである。

役所が主催するタウンミーティング、住民説明会の類は全部仕込み入りのやらせである。

役所のトップに君臨する財務省はというと、政・業・学の有力者3000人への説得工作とマスメディアへの情報工作を行うためのリストを保有している。

85年当時、大蔵省(現財務省)に勤務していた経済学者の植草一秀氏がこのことを暴露している。

当時植草氏は、現日銀総裁の植田和男と共同でリストを作成し、

その内容は、前日銀総裁の黒田東彦(当時大臣官房調査企画課の参事官)に報告されていたという。

植草氏は30年以上も前からこの事実を著著やブログなどで公表しているので、メディア関係者が知らぬはずはない。

世論工作活動のためのリストが国で作られているとなれば問題である。ジャニーズのNG記者リスト6人どころの話ではない。

リスト作成の中心人物だった植田は現役の日銀総裁である。現在のインフレ誘導政策も問題だが、メディアは記者会見などで、リストの件の突っ込みを彼に入れるべきである。

財務省と言えば、木原誠二も財務省出身なので、当然のようにリストの存在を把握しているはずである。

メディアは、木原を公務員職権強要罪疑惑とセットで木原を追及すべきだが、それは100パーセントありえない。

性加害の問題でジャニーズは、今後つぶれる可能性もあるが、
木原がつぶれることはない。

この男は政権中枢のど真ん中にいる。増税メガネの最側近として、すべての政策に関わり、国民にあらゆる命令を下すことができる立場にいる。

私利私欲にまみれているこの男を野放しにしておけば、我々は今以上に彼に苦しめられることになるだろう。

だからこそ、メディアは国民のためにも、この男を徹底的に追い詰めてつぶしておかなければならないはずだが、強い相手に日本のメディア人が立ち向かうことはない。

ところで、日本維新会の鈴木宗男議員は、メディア側から見れば、叩きやすい人物の1人である。

彼は声が大きく、時々怒鳴るような物言いをすることもあるが、基本的に愛想がよく、木原のような強面ではないので、記者からみれば、相手にしやすい政治家だといえる。

鈴木は、10月1日~5日の日程でロシアを訪問し、アンドレイ・ルデンコ外務次官などと会談後、国営通信社スプートニクに対し、ロシアの勝利を信じる”などと発言したことが批判されている。

だが、鈴木のやったことはそもそも非難に値することなのか。

党の手続きを経ずに渡航したのは、党内部の問題なので、国民やメディアが声を大にして責めるような話ではない。

岸田首相がロシアに行って「ロシアの勝利を信じる」と発言したとなれば、

「ではあの必勝しゃもじは何なのか」ということになるので、発言の良し悪しはともかく、大いなる矛盾として非難されることになるだろう。

だが、鈴木の立場でロシアよりの行動をとるのは、むしろ日本の国益にかなうという見方ができる。

ウクライナ戦争は、今後数10年以上は続くと私は予測している。

だが、この戦争が終わらないからと言って、日本がロシアとの外交をゼロにして、いつまでも敵対していてよいとは思わない。

どこかのタイミングで関係を改善させるべきと考える方が賢明ではないだろうか。

帰国した鈴木は、発言の真意を記者団に問われると、「私の願いは停戦だ」「ウクライナは米国の支援が止まればやっていけない。そうなればロシアが勝つ」と述べた。

弁明としては矛盾と言えなくもないが、ロシアに行って「米国の支援のあるウクライナには勝てませんよ。停戦するためにも全面降伏したほうがいいですよ」

などと言えるはずもない。現地での多少のリップサービスは大目に見てもよいと思う。

ただ、外交は結果がすべてだという考えに立った場合、鈴木のロシア訪問、発言が日本の国益に完全にマイナスになるのなら、鈴木の議員としてのスタンドプレーは批判されても仕方がないだろう。

だが、鈴木が帰国した5日に、プーチン大統領は、南部ソチの会議で以下の発言をしていた。NHKのサイトから発言を引用する。

「われわれが日本に制裁を科したわけではなく、窓を閉ざしたわけではない。日本がやったのだ。対話が行われるのは良いことだ。閉ざした側から申し出があれば応じる用意がある」と。

繰り返すが、いつまでもロシアと敵対関係であってよいはずがない。それでは北方領土交渉も永遠に閉ざされたままとなり、返ってくることはない。それでよいのか、ということになる。

そのように考えた場合、今回の鈴木の訪問が功を奏したと評価すべきは明らかである。メディアも国民も、そして維新も鈴木を叩くのは、もういい加減止めにすべきだろう。

そもそも発言や行動の矛盾は、日本政府のお家芸である。矛盾があっても、お互いに不利益がなければ、それで構わないではないか。

ウクライナに必勝しゃもじを渡して、ロシアにもいい顔をする、というのもありでよいだろう。

ウクライナに戦車を供与して、ロシアにはミサイルを提供する、といった節度のない利益相反行動は問題だが、大概のことは目くじらを立てて非難するほどのことではない。

岸田は、政権浮揚の最大の材料として、北朝鮮の金正恩党総書記との会談を望んでおり、現在水面下で北朝鮮側と交渉を進めている。

拉致問題は解決済みとの姿勢を崩さない北朝鮮との関係修復を望むのは道義的に矛盾だが、岸田の邪悪な真意はともかく、交渉を望む姿勢そのものは批判されるべきではない。

イランは昨年8月以降、ロシアにドローンを400機以上提供し、ロシアを支援している。

日本はイランとの友好関係を重視しているので、イランの反ウクライナ行動に目をつぶっているが、これも矛盾である。

だが、それでウクライナと摩擦が起こっているかというと何も起こっていない。

政府は、パレスチナ自治区ガザを実効支配するハマスを強く非難しているが、

そのハマスを支援しているのはイランだというのも関係性に矛盾がある。だが、それでも日本・イラン間に問題は起きていない。

イラン、イスラエル双方に媚を売るという節操のない矛盾外交でも、日本とそれらの国との間に摩擦は起きていない。

話がそれたが、今回の鈴木の行動の成果について、メディアは正しく伝える必要がある。

それでも鈴木を批判する者は出てくるだろうが、それは仕方がない。正確な知識を前提として、そこからまっとうな議論で意見が対立するのはやむをえないことである。

というか、そもそもジャニーズや鈴木よりも、国民生活に直結した重要な話題は他にも山ほどあるだろうと言いたい。

木原稔防衛相は4日、米のオースティン国防長官に、時代遅れの「トマホーク」を1年前倒しして調達するよう命令された。

このトマホークは、「12式地対艦誘導弾」「高速滑空弾」といった国産の長射程ミサイルの実戦配備までのつなぎとして日本では期待されているが、

米国ではすでにポンコツの役立たずとされている不用品である。

「日本は防衛費43兆円あるのだから、2000億円位出してさっさと買え」とでもせかされのだろうが、

国民にとってこの税金の使い方は大問題である。今の経済状況ではタイミングも悪すぎる。

メディアには、権力中枢で起こっている(起ころうとしている)問題に切り込んで、国民多数にかかわる論点を幅広く伝えていくことが望まれる。



現時点までのコロナ騒動を陰謀論を排除して総括する 

2023年10月1日



2019年末ごろから中国で始まった(と一般的に言われている)新型コロナウィルス騒動が、世界だけでなく日本でもようやく落ち着こうとしている。

日本では、7月から「エリス」と呼ばれる新種が出回っているので、予断の許さない状況がまだ続いてはいるが、

ウィルスが変異を繰り返して毒性が薄まってきたことで、新種に感染しても死に至る確率はかなり低いと言われている。

楽観視するのはまだ早いが、コロナの危険性は、以前ほどではなくなってきていることは確かなようである。

そこで今回は、コロナ問題について、とりあえずの総括をしたいと思う。(コロナのことを書くのは2年ぶりぐらいか)

発生原因の解明と新たな感染防止のためにも、まずは発生起源の特定が重要になってくる。

2019年に発生したとされるコロナウィルスは、自然界に存在しない人工的に作られた可能性が高いことを、2021年5月、英ロンドン大学の3人の研究者が論文で発表した。

この論文を世界に広めたのは、米メディア、中でも米ウオールストリートジャーナル紙(WSJ)は積極的だった。

同紙は、パンデミック当初から中国の武漢起源説を米国政府の見立ても含めて、世界に伝えていた。

米連邦捜査局(FBI)、エネルギー省も、2020年からすでに武漢研究所起源説を唱えていた。

日本のメディア報道、識者らの意見は、すべてこの米国発の情報に拠ったものだった。

私の知る限り、起源について、日本のメディア、ジャーナリストで現地調査を試みた者はいない。WSJ紙の記者が、危険を冒して何度も現地調査を試みていたのとは対照的である。

米国の情報にすべてを頼った日本政府、メディアらは、米国と歩調を合わせて、中国を批判した。

潮目が変わったのは、中国が米国のフォートデトリック研究施設の調査をWHOに要請してからである。

この施設は細菌兵器を研究していた施設だが、中国の調査要請後に、米国政府は突然施設を閉鎖してしまった。

この問題を契機に、爾来米国では起源論争が下火になっていった。

米国のコロナ対策を主導していたはずのアンソニー・ファウチ所長の研究所が、武漢研究所に資金を供与していた事実も米国にとっては不都合だった。

ただ、WSJ紙は意地があるのか、2022年に入っても武漢起源説を前提に、散発的にこの問題を取り上げていた。

が、日本を含めて、世界は起源問題に以前ほどの関心をすでに示さなくなっていたので話題にはならなかった。

そもそもウィルスを研究している施設など世界中ごまんとあるわけで、武漢が起源であると断定できる確たる証拠が出てきていない現状では、「起源不明」と結論付けるしかないだろう。

一方、この起源問題を度外視して、今回のパンデミックは、米中主催の茶番ではないのかとの見識を示す識者も少なくない。

パンデミックが起こる3ヶ月前の2019年10月に、ニューヨークのザ・ピエールホテルで行われた「イベント201」で、コロナパンデミックのシミュレーション映像が流された。

このイベントに関与者していたのは、WHO、CDC(米疫病予防管理センター)、ジョンホプキンス大学、ビルゲイツらである。

後のパンデミックで米メディアの主役となるメインキャストが顔を揃えていた。

そしてイベントの3,4ヶ月後に、実際、世界でシミュレーション映像と同じことが起こった。

このパンデミックにより、世界で貧富の差が拡大するとともに、コロナ利権によって権力者、一部の大規模組織が多大な経済的恩恵を受けた。

仏経済学者トマ・ピケティ氏らが運営する「世界不平等研究所」の発表によると、2021年には世界上位1パーセントの富裕層の資産が、世界全体の個人資産の37・8パーセントを占めるまでに至っているという。

上位10パーセントの富裕層になると、全体の75,6パーセントにまで及ぶという。

ちなみに、米国は上位1パーセントが下位50パーセントの合計資産と同じぐらいである。

日本はというと、正確な調査資料がないので数値の差は不明だが、格差というよりも、低所得者層やフリーランスに大きな影響を及ぼした(及ぼしている)ことが問題視された。

一方、日本でも、権力者、一部の大規模組織がコロナ利権で潤ったことが明らかになっている。

2020年度の巨額補正予算の編成も含めて、今日までのコロナ予算の合計は少なく見積もっても40兆円はある。

この巨額の予算の一部が、尾身茂が理事長を務めていた団体に流れ、資金運用をしていた事実が発覚している。

ワクチン関連予算は、少なく見積もっても今日まで6,7兆円。

今回のパンデミックで、個人的に最大の謎はワクチンである。パンデミック当初から医学の専門家が口を揃えて言っていたのは、

「新種に有効なワクチン開発は、臨床期間も含めて、5~10年はかかる」である。

ところが、パンデミックから半年も経たない2020年夏には、米中の製薬会社で異なるワクチンが開発済みで、人体への投与実験もすでに終わっていた。

日本政府は米ファイザーから、急ごしらえ(以前から開発していたとしか考えようがない)のワクチンを購入し、国民に接種を推奨した。

そのかいもあって、日本では、今日まで4億回の接種が確認されている。

私は、伝染病治療や予防薬としての薬物接種を頭から否定している陰謀論者ではないが、

今回のワクチンに限って言えば、先に述べた開発に要した期間や有効性に大きな疑問を抱いた(抱いている)ので、今日まで全く接種していない。だが、私のような人間は、少数派に属するだろう。

ワクチンを接種していなかった有名芸能人の誰それが、コロナ死したことがメディアで大きく取り上げられるなど、ワクチンが唯一の頼み綱との意識が国民に刷り込まれていった。

確かに、WHOや世界の一部研究者が主張していたように、ワクチン接種によって助かった命もあっただろう。

だが、一方で、接種があだとなって死を招き、あるいは、深刻な副反応に悩まされている者たちも相当数いることも事実である。

厚労省の発表によると、ワクチンの接種が始まった2021年2月からの2年半で、過去44年間に接種された全ワクチンによる被害認定数を上回ったことが明らかになっている。

この事実を踏まえて、日本では、ワクチン接種に関連する訴訟が各地で提起されるようになってきている(裁判関連の話は後日の機会に譲る)。

何が言いたいかというと、そもそも開発に5~10年はかかるのに、突貫で半年以内でこしらえたという薬物を体内に投入して大丈夫なのかと国民全体で考えるべきではなかったのか(ないのか)ということである。

政府が注意喚起を怠り、かたくなにワクチンを打て打てと、一時は接種の義務化まで検討していたというところに、今回のワクチン狂騒曲の胡散臭さがにじみ出ているといえる。

本当にワクチンは有効なのか。皆がマスクをして、かつ、4億回も打っている国民なのに、一時は世界最悪の新規感染者数を記録した(22年8月)のはどうしたわけか。

得体の知れない体内への薬物投与を権力で強制しようというのは、利権確保の目的以外の何物でもない。

すでにワクチン接種の全額公費の特例が今年度末で終了することが決まっている。

来年度からは一部自己負担になるだろう。
しかし、そのようなものにムダ金を1円も払う必要はない。

物価高、実質賃金の減少により、我々の生活は逼迫している。

帝国データバンクの調査によると、10月の値上げが予定されている食品の品目数は、先月の2倍以上に匹敵する4500品目にまで及び、

さらに、インボイス制度の導入開始によって、その負担分を値上げに反映する企業が出てくると考えられていることから、家計負担は相当なものになるはずだと予想されている。

30年間、実質賃金が上がっていないのは先進国では日本だけである。平均賃金は韓国にも抜かれている。

このような社会経済状況で、カネまで出させて、害悪でしかないワクチン接種を政府に強要される筋合いはない。

最後に。経済状況と言えば、岸田が首相就任前に上梓した「岸田ビジョン」を改めて読んでみると、

「中間層の底上げ」(45ページ)
「大企業と中小企業、今日規模事業者の共存」(78ページ)

と書かれているではないか。

だが、就任以来、彼がやってきた政策は真逆のものばかりである。今更だが、口と行動がまるで伴っていない。

エッフェル松川るいや、公務員職権濫用罪疑惑の木原誠二の党要職起用など、最近は人事でもやりたい放題の岸田だが、

10月中に発表される具体的な経済政策方針の中身如何よっては、支持率大幅アップの決定打になる可能性もある。

岸田が国民のためにどれだけのことをやろうとしているのか。この1か月間で、岸田のその後の運命は決まると言っても言い過ぎではないだろう。



小渕、高市、萩生田3氏への寄付問題を御用NHKが調査した背景を憶測する 

2023年9月24日



少し前置きが長くなるが、大メディア報道の問題点について述べておきたい。

福井地検管内の小浜区検の検察事務官が、道交法違反など計10人の事件処理に権限なく関わったとして、22日、最高裁は公訴棄却判決を下し、裁判手続きをとりあえず打ち切るという事件があった。

だが、これは単なる内部の手続き上のミスで、しかも、わが国の公訴棄却判決には一事不再理効は及ばないので、

後の二度手間を省くという意味でも、検察は隠せるものなら隠し通したかったのではなかったかとも思われるが、

検事総長が最高裁に非常上告を申し立てたことで、公の知るところとなった。

件の事務官が正義感から公表を望んだやむなき措置だったのか、証拠偽造などの大規模な不正発覚をもみ消すための工作なのか、知る由もないが、

いずれにせよ、このレベルのミスを当局が認めるのはまれである。

だが、ここで強調したいのは、公表に至った真相ではなく、刑訴法454条の「非常上告」という制度である。

非常上告とは、検事総長が最高裁に対して、刑事訴訟における確定判決について、

その事件の審判が法令に違反したことを理由としてその違法の是正を求める申立てのことだが、

以前、私は知り合いの司法担当の記者にこの制度を知っているか聞いたところ、「もちろん知っている」と答えたので、

「では、袴田事件で、高裁は当局の証拠ねつ造を実質断定したのだから、
メディアが検事総長に非常上告を発動するよう圧力をかけてもよいのではないか」と問いかけた。

反応がなかったので、続けて、

「メディアが本来の法律用語の意味を無視して、あえて間違った使い方をして報道しているのはなぜか」と問うと、

「慣行だろう。どうせ誰も気にしていないからいいではないか」という呆れた答えが返ってきた。

検事総長にはビビって何も言えない、国民は言葉の意味などどうせわからないのだからかまわない、ということか。

言葉の意味で言えば、日本のメディアが、事件報道で本来の意味を捻じ曲げて伝えている意図は謎である。

当事者の記者でさえその理由を答えることができないというのはおかしな話である。

直近では、次のような報道があった。

「全国で相次いだ広域強盗事件を「ルフィ」などと名乗り指示したとされる男ら4人について、東京都狛江市の住宅で1月、住民の女性が暴行され死亡した事件を指示した疑いが強まったとして、

警視庁が12日に強盗殺人容疑などで再逮捕する方針を固めた。捜査関係者への取材で分かった。一連の広域強盗事件が表面化する契機となった狛江事件で指示役の摘発は初めて。」(ここまで)

だが、再逮捕とは、一度逮捕・釈放された後に同一の犯罪事実でもう一度逮捕することなので、

一罪一逮捕勾留の原則に反し、この捜査手法は原則違法である。そもそもあたりまえのように安易に用いてよい言葉ではないはずである。

だが、末尾で「狛江事件で指示役の摘発は初めて。」とも言っているので、これは再逮捕ではなく、単に別事件の逮捕を言っているだけということがわかる。

そうであれば、これは「余罪の逮捕」というべきだが、これについても事件単位の原則により、常に合法とは限らず、安易な使い方は許されない。

違法捜査の疑いがある再逮捕という言葉を当たり前のように使い、しかも、誤った使い方をしている上に、

余罪捜査に何の疑問も示すことなく、一方当事者に過ぎない警察発表をそのまま垂れ流すというのだから、

これではメディアが率先して当局の人権侵害に加担しているようなものである。

メディアは「再逮捕」という言葉が好きなようで、直近では、

「警視庁少年育成課は11日、強制わいせつと東京都迷惑防止条例違反の疑いで、中学受験塾大手「四谷大塚」(本部・中野区)元講師の○○容疑者(住所東京都○○市○○)を再逮捕したと発表した。」

というのもあった(○○にしたのは筆者)。この報道には、別の問題もある。

メディアは、容疑者(被疑者と言うべきだが)の住所を町名まで公表しているが、これはやりすぎである。

無罪推定の原則からも大いに問題がある。

さらに、フルネームと年齢、さらに町名まで公にさらしてしまえば、一般人でも居住地の特定が可能になるので、

これでは事件と関係ない同居の家族まであらぬ面倒ごとに巻き込むことになりかねない。もし無罪だったら、これらの報道にどう責任を取るつもりなのか。

ドリルで証拠を破壊する小渕、メディアを恫喝して黙らせようとする高市、反社会団体とつるんで今もなお縁を切れないでいる萩生田は、どれも重罪に該当する。

だが、彼らは今でも議員であり続け、かつ、官邸、党の要職を務めていることをメディアは、形だけの追及をして結局許している。この報道のアンバランスは許しがたい。

この3人が、おととしの衆院選の直前に、国の公共事業を請け負っている事業者から政党支部経由で寄付を受けていたことを、あのNHKが真っ先に伝えている。

なお、3人の言い訳は次の通りである。

小渕「(問題があることを)調べる術がなかなかなかった。今回の指摘を受けて返金した」

高市「「公職選挙法違反にはあたらないが、誤解を招くことがないように返金した。」

萩生田「違法ではないが、誤解を招くことがないよう道義的観点から返金した」

我々はこのような言い訳を真に受けてはならない。

誤解が生じる可能性を始めから認識していたのなら、そもそも受け取らなければよいだけの話ではないか。

指摘を受けたからカネを返すと言うなら、指摘を受けなければ、今頃はまだ懐に現ナマが入ったままなのだろう。全くもってふざけた言い分である。

政治資金規正法も政党支部や資金管理団体への寄付が法の抜け穴になっていると数年前から指摘されているが、一向に改正される気配がない。

彼らは憲法改定を唱える前に、自身を糾すべく、まずは公職選挙法や政治資金規正法の改正を声高に叫ぶべきではないのか。

ところで、今回のこの3人の報道には、えも知れぬ違和感を覚えるのは私だけだろうか。

もやもやの理由は3点考えられる。

まず1点目。これを調査して真っ先に伝えたのが御用のNHKだという点である。

今回の報道は、岸田政権の下僕となって木原問題に沈黙しているとの批判をかわすためのNHK側の判断によるめくらましの可能性がある。

そうとなると、3人はダシに使われたということになるが、

3人が言い訳しているように、違法性がない。

で、あれば、この問題がこれ以上波及することはないという意味で、本人たちの了承を得ていなくても、御用側が安心して使えるネタだといえる。

2点目。違和感と言うよりも、報道の背景とでも言うべきか。この報道が官邸の了承を得てなされていることを前提とした上で、

来年の総裁選でライバルになるであろう3人の評判を落とすために、岸田が仕掛けた策略とも考えることができる。

総裁選のことしか頭にないような岸田なら十分ありうる話だろう。

3点目は、菅義偉ら反主流派の情報提供による揺さぶりである。

秋本議員の収賄逮捕で、官邸の策謀にはまった反主流派が、噂されている11月の解散総選挙に向けてのデモンストレーションであるとの見方も成り立ちうるだろう。

元経産官僚の古賀茂明氏が、週刊文春に木原問題を情報提供しているのは菅義偉サイドではないかとの憶測を週刊誌の連載で述べていたが、同意見である。

ここにきて党内権力闘争は熾烈を極めており、来年総裁選まで党内基盤がもたない可能性がある。

岸田が内閣支持率に関係なく、年内に解散総選挙に踏み切る可能性は十分あるだろう。

自民党HPによると、公明党との選挙協力は復活したのことである。

となると、10月中の臨時国会で発表される総合経済対策が国民に予想外にも好評を博し、なおかつ、

同月22日に行われる衆参2補選で結果を出すようなことがあれば、翌月11月の総選挙の準備は整ったとして、いよいよ、となってもおかしくはない。

時期はともかく、有権者は間違っても、前述の3人、岸田、木原、麻生、甘利、菅、二階、安倍派全員に票を投じてはならないことは今更言うまでもないだろう。



エリート財務官僚も特定危険指定暴力団の組合員もそのメンタリティーに違いはない 

2023年9月17日



自民党の選対委員長に就任した小渕優子が、

2015年以降、親族や元秘書が幹部を務める複数の企業に対し、自身の後援会を通して、計2500万円超の支出をしている事実を週刊文春がスクープしている。

この問題について、小渕は「政治資金規正法上、適切に処理しており、問題はない。道義的問題も全くない」とコメントした。
確かに、政治資金適正法違反ではない。だが、それは同法がザル法というだけで、不適切な支出であることには異論の余地はない。

たとえば、どの自治体でも、地方自治法92条の2(議員の兼職禁止)などを踏まえて、条例などにより、議員とファミリー企業との関わりを制限し。

議員がファミリー企業に特別の便宜供与を図ることを防止しようとしている。

政治資金には税金が含まれているので、ファミリー企業に対する多額の金銭投下が、道義上、倫理上全く問題がないとの小渕の感覚はズレていると言わざるを得ない。

ただ、今回の文春砲によって問題が白日の下にさらされた以上、これからはさすがにあからさまな身内びいきはしなくなるだろう。

だが、ドリル問題に懲りることもなく、法の抜け穴を見つけて、まだこのようなことをやるような人間であれば、

今度は、トンネル会社をかますなどして同じことをするのは目に見えている。それでまた見つかれば「法的に問題ない」との弁明を繰り返して、逃げ切りを計ることだけを考える、と

有権者は、このような人間に2度と投票すべきではない。

小渕は、森元首相など、ディープステートの寵愛を受けているので、将来の大臣(たとえば、こども政策担当相)の椅子も約束されている人間である。

つまり、彼女に司直の手が及ぶことは、よほどのことがない限り、ないということである。で、あれば、有権者の手でふるい落とすしかない。

ところで、こども政策担当相といえば、今回の内閣改造で就任した加藤鮎子にも、同様の政治資金還流疑惑が浮上していることを日刊ゲンダイが伝えている。

外務大臣に就任した上川陽子はというと、オウム真理教の麻原彰晃ら教団関係者7人の死刑執行にゴーサインを出した前日夜に、

しかも、各地で豪雨の被害が伝えられている最中だというのに、赤坂料亭で安倍らと笑顔で乾杯していたことで名が知れ渡るようになった人間である。

税金を使ったフランス物見遊山、露骨なブライダル利権、メディアへの恫喝疑惑など、

杉田なんとかもそうだが、自民党には、傲慢不遜で道徳観念の希薄な女性議員が多いように思える。

有権者には、性別に関係なく、活動実績で投票行動を決めていくという冷静な見識が求められていることは言うまでもないだろう。

なお、以上のテーマとは関係ないが、今回の内閣改造で林が外相からはずれたのは,米国の意向によるものだと憶測される。この話題は、次回以降の機会に譲りたい。

次に、森友関連裁判について。

森友学園をめぐる公文書の改ざんをめぐり、財務省が検察に任意で提出したとされる文書(調査報告書など)の「不開示決定」を不服として争った裁判で、

14日、大阪地裁は財務省の判断は妥当だとする判決を下した。

裁判所は、財務省の主張に全面的に沿った形で、そもそも文書の存否すら不問に付した。(いわゆるグローマー拒否)

判決言い渡しの間、傍聴席からは怒号が飛び交い、原告の赤木雅子氏は。ショックで崩れ落ちるように床に倒れこんだという。

だが、結果論になるが、この訴訟の弁護団の戦略は、ミスとまでは言いたくないが、少なくとも賢明だったとは思わない。

これまで雅子氏は、裁判はカネが目的ではなく、改ざんの詳しい経緯(指示系統など)を明らかにしたい、真実を知りたい、という願いからである旨繰り返し述べてきた。

(民事の国賠請求などでこの願いはズレていると思うのだが、その点はとりあえず置く)

そうであれば、弁護団が、理財局長の佐川宣寿を共同被告人として国賠請求を拙速に起こすべきではなかった。

佐川は、自分がねつ造を主導したとすでに公の席で認めていた。だが、弁護団は、佐川の独断の犯行とは考えなかった。佐川をほのめかした第三者がいるのでは、と考えた。

だが、それが誰かはわからない。だから公文書開示を請求しているはずなのに、なぜ佐川が親玉だと決めつけてさっさと国賠で訴えたのか、ということになる。

首謀者を自認していた佐川に対する訴訟が敗訴で終わってしまったら

(実際、21年11月15日の国の認諾で実質終わったようなものだった)、真実の指示系統を明らかにしたいという雅子氏の目的は達成できなくなる。

黒幕を訴えたいが、調査報告書などの書面を見なければそれが誰だかわからない、などと理屈をつけて開示請求を先行させるべきだった。

国賠請求では公務員個人を訴えても勝つ見込みがほぼないことは、弁護団も承知していたはずである。

だが、理由があれば、勝敗は別として、訴えること自体はできる。

そうであれば、被告の特定を理由に、公文書開示の訴訟を先行させてもよかったのでないか。

ところが、国賠請求まで起こして、国が認諾した結果、こちらの訴訟が先にさっさと終わってしまった。

これにより、佐川個人を相手にした訴訟は、公文書開示関連訴訟も含め、実質、意味がなくなった。

もちろん、公文書開示を先行させてもうまくいったかはわからない。結局全面敗訴する可能性もなくはない。

だが、それでも戦略上は、そうするべきであったと思う。

公文書開示の方は、まだ高裁があるので、ここで結論を言うのは不適切だが、これまでの経緯から見ても、原告が勝つ可能性は残念だが、まずない。

次に、暴力団工藤会の裁判について。

9月13日、福岡高等裁判所で、弁護団が新たな主張をした。

殺人罪など4件の罪に問われている暴力団工藤会のナンバー1と2の裁判で、弁護団は、元組合員を証言台に立たせて、4件のうちの1件について自白させた。

元組合員は「自分の個人的な犯罪で、ナンバー1と2は事件とは関係ない」と証言した。

2件の事件について、ナンバー2は「ナンバー1は事件とは関係ない。ナンバー1に連絡や相談もしないまま、自分が指示をして実行させた」と主張した。

1審で、ナンバー1の野村悟は死刑、2の田上不美夫は無期懲役の判決を受けていた。

そこで、弁護団は野村の死刑を阻止すべく、それまで野村同様に事件への関与を全面否定してきた田上にこのような主張をさせたものと思われる。

もし1審で田上も死刑判決を受けていたら、2審でこのような戦略は考えなかっただろう。

この戦略がうまいと思うのは、4件の関与を野村、田上、元組合員に分散させようとしている点である。

仮に、田上が4件すべてを自分の指示で行わせたと言えば、野村の死刑は回避できても、今度は田上自身が死刑判決を受ける可能性がある。

だが、他方、野村も実は関与していたはずだと高裁も1審同様の心証を抱けば、2人揃って絞首台に上ることになってしまう。

弁護団の方針には、4件のうち1件は野村が関与していると認定されても仕方がないとの前提があるように思われる。

検察のプライドを考えて、暗黙の妥協をしているのか、1件は逃れられないだろうと観念しているのか。

いずれにせよ、野村は1件の警部銃撃事件のみに関与、2件の傷害事件は田上の独断、残り1件の拳銃殺人は元組合員の単独犯行、と関与を分散させた上で、

野村との共謀の事実がないことの立証に成功すれば、

3者とも死刑判決を受けることはなくなるはずである。この主張転換は、3者にとって得はあっても損はない。

この戦略変更が、弁護団の知恵ではなく田上の考えによるものだとすれば、森友文書ねつ造の佐川のメンタリティーと全く同じだということになる。

極悪な上司を守るために、自分がすべての罪をかぶる、と。暴力団は別にして、他の民間組織ではおよそ考えられない自己犠牲精神である。

一見すると美談にもなりうるが、東大卒のエリート財務官僚と特定危険指定暴力団の組合員の行動哲学が同じだとの捉え方をすれば、また別の評価が可能であろう。


直近のドス黒い国策「捜査」「裁判」の2点を斬る 

2023年9月10日



まずはドス黒い国策捜査の方から。

8月13日付本ブログ「秋本真利議員を陥れた黒幕の存在を2点推理する」で書いた私の推理はほぼ当たっていると思われるが、若干主張の補足が必要である。

9月7日、秋本真利衆議院議員が受託収賄の容疑で逮捕されたが、これを受けて秋本は弁護士を通して

「国会質問をした謝礼として賄賂を受けたという事実はない」とのコメントを出した。

金銭授受の事実まで否定しているような言い方にも読めるが、そうではなく、これは、

「金銭授受の事実は認めるが、それが請託を受けての賄賂であるとの認識はない(構成要件的故意はない)」との主旨であることは言うまでもない。

ところで、すでに8月6日の時点で各メディアは「秋本が事前に会社社長に「馬を買いたいので金を出してほしい」などと携帯電話のショートメールで連絡し、

社長が要求に応じて現金を事務所に届けたことが関係者の証言から明らかとなった」と伝えているが、

このおしゃべりな「関係者」とは誰なのか。

そして今回、秋本逮捕の一報と同時に各メディアは、このようなことも伝えている。

「秋本真利容疑者=受託収賄容疑で逮捕=と風力発電会社の前社長が馬を購入した際、自身の名前を伏せていたことが8日、関係者への取材で分かった。」と。

たびたび出てくる「関係者」は、逮捕前の秋本の携帯メールの具体的内容を知っており、

周囲に誰もいないところでの金銭授受をした事実も知っており、馬を買う際に匿名にしていた事実も知っていたということになる。

だが、メールの内容など、当事者しか知りえないような事情を、第三者である「関係者」が把握しているとは思えない。

だが、この「関係者」が前会社社長その人だとすれば、筋が通る話である。

つまり、犯罪の共犯とも言うべき「当事者」が当局にペラペラと自供しているのである。こうなると、今後秋本が事実そのものを否定して争うのは難しいだろう。

そこで、故意の否定を争うことになるが、こちらの立証も容易ではない。

前会社社長が全面白状している背景について、私は前回、秋本と何らかのトラブルがあったのだろうと書いたが、このあたりの憶測はとりあえず今回は無視する。

仮に、前社長の供述がなくても、証拠方法は他にもあるので検察は困らない。

たとえば、会社側から青森県での事業に関して国会質問の依頼を受けていたことを示すメールも押収していることも明らかになっている。

検察が、単純収賄ではなく、立証が困難で、かつ、より罪の重い受託収賄容疑での逮捕という強気の姿勢を見せているのは、

メールも含めて、他にも確たる証拠方法をつかんでいるからだと思われる。

再エネ推進派の秋本を陥れたのは、官邸の謀略でもあると過去本ブログで書いた。

その主張の骨子は次の通りである。本音では原発推進派の官邸が、台頭する再エネ派をつぶすこと、

それがひいては、河野太郎、反主流の菅義偉らの力をそぐことになり、一石二鳥の効果がある、と。

この憶測は概ね当たっているだろうが、細かく書くと事情はもっと複雑である。

原発推進派は、エネルギー政策としての原発そのものに関心があるわけではない。原発推進派とは、正確には、原発「利権」推進派である。

利権になれば中身はどうでもよい。だから、再エネの方が利権になると思えば、こちらにあっさり乗り換えることになる。

だが、オールオアーナッシングで彼らは物事を考えない。原発同様に、再エネにも利権があることは間違いないので、

強欲な彼らは、見境もなく、本来対立するはずの政策の利権確保に躍起になる。

菅首相退陣後、自民党内に「再エネ実装議運」が発足した。発起人は岸田首相、麻生太郎らで、メンバーは60人超いる。

だが、過去本ブログで書いたように、党内にはすでに菅、河野らが中心の「再エネ普及拡大議員連盟」が存在する。秋本は言うまでもなく、こちらのメンバーである。

ここから、今回の秋本逮捕は、官邸が再エネ利権を反主流の菅から奪い、ひいては菅の政治力を貶める謀略ではないかとの憶測が可能となる。

官邸(政府)は、日本の将来にとってエネルギー政策のあるべき理想、方向性などを真剣に考えて行動しているわけではない。

ひたすら今の自分の利益追求だけを考え、ときには政争の具としても活用するということである。

検察にも、官邸の謀略にあえて乗る旨みがあった。誘導尋問問題、大樹総研の矢島逮捕の頓挫など、失墜した権威の回復を図る必要があったからである。

「検察は官邸の思惑など考えていないし、意思疎通も図っていない」というのなら、

委員会での秋本の「質問」に答弁に立った安倍5人衆の一人の萩生田を検察が追及しないことへの説明がつかない。

検察は、大臣経験のない平議員の単なる「質問」と現金授受との間に、賄賂の対価関係ありと判断した。

だが、萩生田は、秋本の「質問」の1ヵ月前に、記者会見で評価基準変更に言及していた。

そして、平国会議員の「質問」の1年も経たないうちに、評価基準が「早期導入」に重きを置く形に変更された。これは秋本ではなく、萩生田の力によるものである。

秋本は、議員として質問権を行使しただけで、一般的にも具体的にも職務権限(制度設計変更権限)があるのは萩生田なのである。

だが、萩生田逮捕となれば、岸田政権そのものが吹っ飛びかねない。だから、検察は、三下の秋本を捕まえて、とりあえずの権威回復に成功した、と。

暗黙か自明かはともかく、政権と検察によって演出された見事な国策ショーは、秋本追及で幕を閉じることになると予測する。

次に、ここから書く辺野古工事をめぐる裁判の結論はさらに国策の色合いが濃い。

9月4日、辺野古での改良工事を承認しない県に対して国が行った「是正指示」が違法かどうかが争われた裁判で、

最高裁は適法と判断。これにより、県は工事を承認する義務を負うことが決まった。

だが、この裁判の存在自体にそもそも不当性がある。

2021年12月7日、防衛省は、設計変更申請を不承認とした県の対応を不服として行政不服審査法に基づく審査請求を国交省に申し立てた。

だが、行政不服審査法は「国民の権利救済」を目的とする制度である(同法1条)。

だから、国の機関が国の機関に救済を求めるのは制度趣旨に反し、違法である。国に不服申立適格はそもそもない。

そこで、防衛省は国として申し立てるのではなく、防衛省沖縄防衛局を「私人」と見立てて訴えるという裏技を使った。

だが、そもそも国にとって問題解決に1番手っ取り早いのは、行訴法8条に基づく処分取り消しの訴えの提起のはずである。(行訴と審査請求は自由選択主義を採用している)

だが、裁判だと負ける可能性が高いと判断したのだろう。

不承認の取り消し処分の訴えについて、

最高裁は1995年3月23日、自治体(市)の不承認(同意拒否)行為は、国民の権利ないし法律上の地位に直接影響を及ぼすものではないから、

取り消し訴訟の対象となる処分には当たらないと判断している。

故に、ここでもし防衛省が行政訴訟を選択していれば、その後の県と国の一連の訴訟はなかったかもしれない。つまり、移転問題は一応の決着がついた可能性があった。

これではまずい、と。そこで、防衛省は一計を案じた。

訴訟を回避し、お仲間である国交省に申し立てるという禁じ手である

予想通り、防衛省のお仲間である国交省は、県の不承認処分を取り消すとともに、承認を求める是正指示を出した。

この対応を不服として争ったのが今回の裁判だが、これこそ取消訴訟の対象となる処分性なしである。国と裁判所の見事なマッチポンプで県は全面敗訴した。

そもそも国交省の裁決の是非云々以前に、行政不服審査制度の根幹を揺るがしかねない身内同士の八百長裁定が問題だったはずである。

にもかかわらず、裁判所はこの点にメスを入れなかった。これでは一連の裁判が国を勝たせるためのやらせだったと言われても仕方がないだろう。

だが、ここまで書いてきてどうかと思うが、基地関連訴訟は、そもそも反対派に初めから勝ち目がない。勝率ゼロである。

基地問題は米国との共同「事業」だが、その米国と日本が締結した
「日米行政協定第17条を改正する議定書に関する合意された公式議事録 1953年9月29日」によると、

「日本国の当局は,(略)所在地のいかんを問わず合衆国の財産について,捜索,差し押さえ,または検証を行う権利を行使しない」と謳っている。

つまり、米国の許可なしに政府、裁判所も、基地という財産に勝手な判断ができないことになっているのである。

この点と先の2021年12月7日の行政不服審査法に基づく審査請求の不当性を語らずして、

ネットやテレビで今回の裁判を肯定的にウダウダ言っている者らは、自民の手先か、事の真相をまるで理解していないド素人のどちらかである。



050-5479-4019は処理水詐欺で5万円請求される 

2023年9月3日



処理水問題のゴタゴタは、2020年春に始まった新型コロナ騒動に似ている。

コロナもそうだったが、誰も何もわからないのをいいことに。さまざまな意見が言論空間を飛び交い、社会が混乱に陥った。

トイレットペーパー騒動、うがい薬騒動というのもあった。

コロナ拡大とトイレットペーパーの品薄との因果関係を考えることもなく、情報を信じた人々は、薬局に開店時間から長蛇の列を作り、トイレットペーパーを買いあさった。

この騒動は、一般人のSNSが起因だったが、うがい薬騒動の方は、大阪府知事という地方行政のトップが拡散させたデマだった。

高支持率の府知事の言葉を信じた人々は、ここでも薬局に殺到し、件の飲み薬はあっという間に品切れ状態となった。

地方のトップが記者会見で公然とデマを拡散させたというとんでもない事件だった。

業者まで特定しての推奨行為は、利益誘導目的だった可能性が高いが、いずれにせよ、徒に人心を惑わし、社会を混乱に陥れた府知事の責任は大きい。

この府知事は、コロナ対策を置き去りにして連日テレビに出まくっていたことでも、当時批判を浴びていたが、

今回も万博の工事の遅れで批判を浴びるなど、その無能ぶりを遺憾なく発揮している。

彼の所属する維新には社会福祉法人乗っ取り疑惑も囁かれている。

府知事が実質オーナーである維新がチンピラを集めた無能無策、ただの詐欺集団であることに、(支持率を見る限り)大多数国民はまだ気づいていない。

この政党が次の国政選挙で野党第1党(岸田政権補完政党)に躍り出る可能性が高いというのだから実に嘆かわしい。

自民補完政党と言えば、野党第3勢力の国民民主党が、代表選の結果、引き続き玉木路線を継続することとなった。

これを受けて、すでに自民党との連立協議が始まったようである。

野党第1党の立憲民主も玉木国民民主との連携を模索し始めている。

これらの流れを推し進めていくと、日本の政治は、安倍時代でさえ考えられなかったようなオール与党化が今後深化していくことになるだろう。(ちなみに、参政党は隠れ自民寄りといってもよい)

対峙する勢力のれいわ、共産、社民を合わせても、国会内の勢力は1割にも満たない。

次の国政選挙の結果次第では、国会は実質オール与党となり、今以上に歯止めが利かない史上最悪の自民暴政政権が誕生することになるだろう。

このテーマについては今後何度でも書くことになると思うので、今回は話をデマ問題、処理水問題に収める。

処理水の海洋放出に問題はないか、と問われたら、私の言い分は

「今日明日に深刻な問題が起こるかどうかはともかく、今後永遠に続く大量の海洋放出は、海の生態系、人間の人体に影響を及ぼす可能性を否定できない。だから、私は海洋放出には反対の立場である

というものである。

言うまでもなく、これは処理水が有害であることを前提にした意見である。

処理水が無害で安全だと言うのなら、処理済みの水をそもそもタンクに何十年も溜めておく必要はないだろう。

安全で問題ない、という者らは、福島の海産物をメディアの前でたらふく食べてアピールするのではなく、処理水をペットボトルに詰んで、日常飲むことを公言すべきである。

だが、それをすることはない。

この点について、2ちゃんねる創始者のひろゆき氏が次のように反論している。

「原発の処理水に『問題ないなら飲んでみろ』とか言う人は、海に流してる下水道を飲んだりする育ち方をしてるのかな?人類は、人が飲めるモノ以外も川や海に垂れ流しまくりですよ。ガンジス川とか、、、」
と。

つまり、「原発の処理水が飲めないのは、下水道の水が飲めないのと同じだ」ということである。

英語の文法で学習する「くじら構文」のような文章になってしまったが、下水道の水は希釈すれば飲めるようになるので、ひろゆき氏の主張は前提に誤りがある。

たとえば、米国南カリフォルニアでは、下水道の排水を浄化して上水道向けに供給するシステムが導入されているし、

スウェーデンのビール製造企業のニーヤ・カーネギーブリゲリエットとスウェーデン環境研究所(IVL)、カールスバーグ・スウェーデンは、下水道水を処理した水でビールを製造している。

処理方法は、(以下、Forbes Japanの記事からの抜粋になるが)

「有機物質を分解し、バクテリアやマイクロプラスチック、寄生虫を取り除くため、従来型の排水処理に使われる生物学的処理に加え、限外ろ過膜を使用した膜分離活性汚泥法(MBR)でろ過される」

「次に、非常に目の細かい逆浸透膜に通され、化学物質はほぼ100%除去される。」

「さらに、活性炭ろ過器を使って残留医薬品成分や、高濃度で有毒になり得るパーフルオロアルキルスルホン酸(PFAS)などの有機物質を除去する。」

「最後に、ここまでの工程で万が一バクテリアが残っていたときの安全網として、ろ過された水は紫外線(UV)にさらされ殺菌処理される。」

「こうした工程を経て、スウェーデンの飲料水基準を十分に満たすリサイクル水ができ上がる。」
と。

他方、原発の処理水は、処理水を2次処理してもトリチウム以外の12の核種は除去できないことがわかっている。つまり、いくら希釈しても飲み水にはできないのである。

自民の「処理水等政策勉強会」の代表世話人・山本拓議員によると、ヨウ素129は約1570万年、セシウム135は約230万年、炭素14は約5700年が半減期だという。

さらに、山本は「ALPS処理水と、通常の原発排水は、まったく違うものだ」と前置きした上で、次のようにも述べている。

「ALPSでも処理できない核種のうち、11核種は通常の原発排水には含まれない核種です。通常の原発は、燃料棒は被膜に覆われ、冷却水が直接、燃料棒に触れることはありません。」

「でも、福島第1原発は、むき出しの燃料棒に直接触れた水が発生している。処理水に含まれるのは、“事故由来の核種”です」と。

だが、このような理屈以前に、ひろゆき氏のように、そもそも原発から出た処理水と下水道から出た水がイコールだという感覚自体がどうかしていると言わざるを得ない。

普通ではない、世間とは違ったことを言うから、ひろゆき氏は人気があるのだろうが、

この問題以外にも彼は、直近のSNSで「ユタ州立大学の調査では性被害者の22人に1人は、挑発的な服装が被害の一因だそうです」と述べ、同大学の論文をリンクに張っていたが、

件の論文には「挑発的、刺激的な行動(behavior)と書かれており、「服装」とは書かれていない。

この点を日本ファクトセンターの古田大輔編集長に突っ込まれると、ひろゆき氏は「behaviorには服装が含まれてる」と独自の解釈で反論している。

ところが、件の論文には「逮捕された性加害者のほとんどは被害者の服装を覚えていない」とも書かれており、文全体の構成で言えば「behaviorに服装が含まれてる」旨の解釈には無理がある。

ところが、ひろゆき氏は負けたくないのか、因果関係を証明するために、別の海外サイトの調査記事をリンクに貼り付けて、

「日本ファクトセンターは性被害と服装が無関係と言うのはデマです。”ファクトチェックセンター”という名前でデマを流すのは悪質」と挑発しているが、

これはそもそも反論になっていない。

同センターは「性被害と服装が無関係」とは主張していないし、他の調査結果も古田氏には関係ない。

争点になっているのは「ひろゆき氏がユタ州立大学の英語論文を誤読しているかどうか」であり、古田氏はそこを突っ込んでいるだけである。

この両者の争いのどちらに分があるかといえば、古田氏の方であることは明白である。

ひろゆき氏は、古田氏の英文読解力を非難しているが、彼こそ英文法参考書で「くじら構文」から勉強し直した方がよいだろう。

ひろゆき氏は、次のような反論で十分だった。「ユタ州立大学の論文の解釈には誤解があったが、性被害と服装との間に関係があるというのは他の調査結果からも明らかなこと」

と言って、根拠となる他の調査サイトのリンクを張っておく、と。

話を処理水に戻すが、原発処理水の海洋放出の安全性に懸念があるのだから、他の安全な処理方法(水蒸気放出、地下埋設、地層注入、水素放出)の道を選ぶのが道理である。

それらはコストが高いというが、米国からの無駄な兵器購入を控えれば財政上の問題は解決するので言い訳にならない。

ところで、私のような海洋放出反対派がさらに警戒するのは、ひろゆき氏のような自民御用のインフルエンサーの言動ばかりではない。

ニュースサイトを見ていると、

「福島の汚染水は非常に危険」
「福島の汚染水を海洋投棄 日本はこの排水は安全だと主張している」

などの広告を最近よく見かける。

結論から言えば、これらの広告は全部詐欺である。

広告をクリックすると、マイクロソフトを装った警告画面がポップアップで大小3、4枚ぐらい重なるように現れ、瞬時にパソコンが動かなくなる。

広告によっては、警告音やサポート音声ガイドが流れることもある。

画面の内容は「ウィルスに感染したのであなたのパソコンはロックされました」「サポート窓口はこちらです。フリーダイヤル050-5479-4019」といったものである。

(そもそも050番号でフリーダイヤルを謳っている時点で何か怪しい、と気づくべきだが、そこはとりあえず置くとして)

パソコンがフリーズするので、ここで思わず電話をかけてサポートを仰ぎたくなるのだが、

実はこの画面はプラウザの全面表示で、「閉じる」ボタンなどが非表示になっているだけなので、F11キーやEscキーを押せば通常画面に戻る。

仮に、それでも戻らない、マウスも動かないままなら、電源スイッチを落として強制終了すればよいだろう。それで万事問題解決である。

ここでもし電話をかけてサポートを仰いだらどうなるか。

日本語がある程度話せる外国人と思われる人間(私のケースでは30~50代と思われる男だった)が電話に出る。

以下、パソコンに詳しい方には釈迦に説法だと思うが、男から次の動作を指示される。

Ctrlキーの長押し→Rキーとウィンドウキー(Ctrlキーの右のキー)を押す→小窓が出てくるので、そこにwww.cty.comと打ち込むよう指示される。

すると「サポートへの接続」というタイトルの画面が現れる。画面の中央には6桁の暗証番号を入力するボックスがある。

ここまでで十分怪しいのだが、私は面白がって、「サポートへの接続という画面が現れないのだが」と問い返した。すると、

「落ち着いてください。あなたのパソコンは深刻なダメージを受けているということです」

「緊急に直さないと、あなたのパソコンの中の情報はすべて盗まれてしまいます」「修理費用に5万円かかりますが、どうしますか」

と来たではないか。

そこで私はすかさず「カネを払ってから(振り込んでから)以後の流れを具体的に教えてほしい。」

「緊急に修理必要とのことだが、今振り込めばあなたが私の家にすぐ来てパソコンを直してくれるということなのか」と、表現を変えて何度か問いかけたところ、突然電話を切られてしまった。

なお、先方の指示通り、指定された6桁の暗証番号を入力して、その下のダウンロードボタンをクリックしてしまうと、遠隔操作アプリがインストールされるので、注意が必要である。

処理水詐欺広告を初めて見たのは8月28日だが、本ブログを書いている9月3日現在も、ニュースサイトのあちらこちらで見つけることができる。

処理水問題は、中国の強硬姿勢が続く間は沈静化しないと思われるので、詐欺広告も今後しばらくの間見かけることになるかもしれない。

本来の処理水問題ともども、放出反対派は、これらの怪しげな広告にも十分注意してほしいと願う。





全漁連はサル芝居をやめて「海洋放出賛成」を公言すべきである 

2023年8月27日



前回に引き続き、福島第一原発処理水の海洋放出関連の問題について私見を述べる。

8月25日、野村哲郎農相が記者会見で、中国が日本産水産物を全面的に輸入停止すると表明したことについて、

「大変驚いた」「想定していなかった」と述べたが、「驚いた」のは我々の方である。何たる能天気だろうか。

日本の政治家、官僚らの国際情勢を読み解く能力不足は、先祖代々から全く進歩していない。

1941年、日本はフランス領インドシナ南部に進駐(進軍)したが、

これに米国を含む世界が反発した。当時の国際情勢を考えれば、予想されたリアクションだった。

ところが、日本政府、陸海空軍はイケイケムードに耽溺していたのか、米国の反発を全く想定できなかった。

米国への根回しは極めて不十分なものだった。

石油禁輸の対抗措置に焦った日本は、太平洋戦争に突入して状況の打開を試みたが、その行く末についてはここで語るまでもない。

そして今回、日本は、中国との十分な根回しを怠り、水産物禁輸措置の報復を受けようとしている。

処理水の問題で、日本政府が事前協議に力を入れていたのは、親分の米国と福島の漁業組合の方だった。

米国は置くとして、政府と全漁連、漁業組合との関係について、一部メディアと識者はだまされている。

結論から言えば、処理水の海洋放出について、政府と漁業組合らとは、とうの昔に
手打ちがすんでいるということである。

もはや互いの間には問題はないと考えるべきだろう。

処理水の海洋放出で漁業関係者が口にしているのは「風評被害」の懸念しかない。それにより、魚介類が売れなくなる、輸出できなくなる、と。

彼らは、「処理水が科学的に問題だ」「食すれば国民の人体に悪影響が及んで危険だ」
「だから放出をやめろ」とは抗議していない。

風評被害とは、間違った情報や意図的なデマはもちろん、根拠の不確かな噂(うわさ)やあいまいな情報をきっかけに生じる経済的損害をいう。

彼らは処理水が危険だということは、デマであり、根拠の不確かなうわさや曖昧な情報だと言っている。

つまり、処理水は「安全」だとの前提で、いろいろ文句を言っているのである。

海洋放出に反対している理由が、世間のそれ(人体への影響)とは違うことを前提にして彼らの言動を考察する必要がある。

彼らは、自分たちの商品の売り上げ、輸出が落ちるのをただ心配しているにすぎない。

だとすれば、「落ちた売り上げ分(収入分)さえ補償してもらえるのなら文句はない」
との彼らの本音を論理必然的に憶測できる。

そもそも目の前にマイクを向けられて「海洋放出に賛成か反対か」と問われれば、彼らの立場で反対と答えるのは当然である。

いや、彼らだけでなく、ほぼすべての国民が反対と答えるはずである。「戦争に賛成か反対か」「戦争はよいことだと思うか」と問われれば、99パーセントの人間が「反対」と答えるのと同じである。

このような一般的な問答に深い意味はないことは言うまでもないだろう。

「戦争反対」と言いながら、紛争の一方当事者に、広島の「必勝しゃもじ」を渡して、「相手に負けるな、がんばれ」とエールを送った国の指導者がいる。

「核兵器廃止」を長年信念として唱えながら、サミットで「核兵器は役立つ兵器である」と全世界に公言した国の指導者がいる。

今更だが、我々は上っ面の言葉ではなく、行動で人を評価しなければならない。

一部メディアが漁業組合の反対の態度表明が、ただのパフォーマンスであることを暗に指摘している。

8月22日付産経新聞の「処理水放出 「反対」漁連ジレンマ 復興か風評被害か」と題した記事がそれである。以下抜粋する。

「岸田首相は21日、全国漁業協同組合連合会(全漁連)の幹部らと面会し「(放出が)数十年の長期にわたろうとも国が全責任を持って対応する」と明言。

「全漁連の坂本雅信会長は「安全性への理解は進んできている」と歩み寄りをみせた。」

「政府は風評対策に300億円、漁業継続支援に500億円の基金を設けた」

「首相との面会後、坂本会長は「(「関係者の理解なしにはいかなる処分もしない」とする)約束は破られていないが、果たされてもいない。(中略)」と記者団に語り、(以下略)」

以上4点の文章を並べて読むと、私の憶測が正しいということがよくわかる。

要するに、カネ(補償金)の約束がすべての問題を解決したということである。

平成27年、安倍政権と東電は、「関係者の理解なしにはいかなる処分もしない」と県漁連と「約束」したが、

全漁連の坂本会長は、今回「約束」は破られていない」と記者団に明言した。
よって、この点は何の問題もないということになる。

この点について、私が尊敬する高名な経済評論家が

「関係者の理解なしに、いかなる処分も行わない」と確約してきたなかで、関係者の理解を得ずに海洋投棄を強行することは明らかに「信義則」に反する。

と述べているが、事実に反する論評である。

そもそも「信義則」は、裁判でしか使わない言葉で、一般的な論評で使ったところで、空虚かつ白々しく、トゲもなく、説得力も迫力もない。

さらに、この識者は

岸田が福島を訪問した際に、地元の漁業関係者と面談しなかったのは、彼らに反対されると、海洋投棄できなくなることを恐れたからだ、と述べているが、

そう簡単な話ではない。地元関係者と言うが、福島の組合員だけで1300人超もいる。岸田一人で彼ら全員を1日で相手にしろというのは無理がある。

ここは1300人の意見を集約して面談に望んだトップ(会長)や幹部らを相手にすれば、岸田は役割を果たしたというべきである(私が岸田の肩を持つのもおかしいが)

話を戻すが、今後裁判が起きようが何が起きようが、漁業組合の組合員に不利益が及ぶことはない。バカを見るのは、我々国民である。

9月8日に、処理汚染水差止弁護団が福島地裁に差し止め請求を提訴する予定である。

弁護団は、行政訴訟に精通している弁護士らで、気合が入っている。第1回提訴が9月8日ということは、すでにだいぶ前から書類を準備していたものと思われる。

ポイントは原告の「処理水放出による重大な損害の恐れ」の立証である。

因果関係の反証に国側がダラダラと細切れで対抗してくるようなら、裁判の長期化は避けられない。

差止請求の要件は、これ以外に4点あるが、本件では問題ない。なお、ロンドン条約違反云々が考慮されることはないだろう。

原告団は、提訴時に漁業組合に訴訟参加の申し立てをするものと思われる。

ところで、原告団の一人の河合弘之弁護士は、22年5月の静岡県熱海市の大規模土石流を巡る民事の集団訴訟で、

第1回口頭弁論終了後に訴訟告知を主張するというトリッキーな対応を取ったことで知られる弁護士だが(意図は訴訟の長期化か?)、

今回は長期化を避けるべく、オーソドックスに訴状提出時に行動すると思われる。

裁判所が原告団の申し立てを認めれば、必要的共同訴訟となるので、組合も正式な原告団の一員となるが、

原告団に対して異議があれば、即時抗告を申し立ててくるだろう。だが、放出反対がパフォーマンスでなければ、そのような申立はないはずである。

原告が裁判に勝てば、組合にも利益になるが、仮に負けても、政府から莫大な補償金提供を保証されているので、

早い話、原告が勝っても負けても組合は痛くもかゆくもない。負けて不利益を受けるのは我々国民だけである。

おそらく原告は負けると予測する。結果、国の訴訟費用、補償金すべてが我々の税金で賄われることになっていくことになる。

国が負ける裁判があるとすれば、原告が漁業組合となって、行政訴訟ではなく、民事で賠償請求することだろうか。

この訴えだと、組合は立証がしやすい。

現実に収入が減少したことを前提に、
「海洋放出以外に処理水を処分する手段があるにもかかわらず、放出に踏み切り、懸念されていた風評被害によって売り上げ、収入が減少した」

との立証は容易である。将来給付の訴えも可能だろう。

賠償金は税金なのではと言われそうだが、民事とはいえ、処理水問題で国が負けるという結果は重大である。

このインパクトを残す意味でも、組合は民事訴訟を起こす意義がある。よって、組合は、民事訴訟に踏み切ってほしい。

だが、国と馴れ合いになっている組合にその気はないだろう。

放出反対の声明がパフォーマンスでないというなら、訴訟の一つや二つ検討してみてもよさそうなものだが、

やることはまずない。処理水放出は30年間はおろか、科学的根拠もあいまいなまま、今後も永遠と続き、

その間、補償金という名の我々の税金が漁業関係者に渡ることになるからである。

日本国民の将来が「犬にのど笛を食いちぎられるか」「被ばくするか」の二者択一であってはならない 

2023年8月20日



朝日新聞が15、16日に実施した世論調査(電話)によると、

福島第一原発の処理水の海洋放出について、「賛成」が51パーセント、「反対」が40パーセントと、賛成が反対を上回った。

日本経済新聞の世論調査でも「賛成」が58パーセントと「反対」の30パーセントを上回った。

他のメディア調査も似たような結果で、賛成が反対を上回っている。

処理水の海洋放出の正当性について、日本政府は、

「国際基準(海洋放出の際のトリチウムの濃度を1500ベクレル/リットル未満とすること)を満たしており、違法性はない」

「科学的見地から健康被害はありえない。魚介類への影響も心配ない」

「海洋放出は世界中どこでもやっている」

(中国はここ1~2年で周辺国に通告もなく140兆ベクレル、英国は年間400兆ベクレル、カナダは750兆ベクレルの処理水を海外放出している)

との言い分のようである。

外務省HPにも安全性を謳った記述がある。

「海洋放出される水については、(中略)仮にこれを飲んだとしても、放射線による健康影響はありません。」

と。

だが、本当にそうなのか。科学的に、とか、いろいろ理屈を並べ立てているが、どうもしっくりこない。

ここでは世界の国の所業や国際基準はとりあえず度外視して、健康被害の懸念だけを考える。

「科学的見地から、安全性に問題はなく飲んでも平気だ」と政府は強調しているが、

では、実際に飲んで確認した政治家や役人がいるのか。誰もいないのではないか。

21年4月16日、当時財務相の麻生太郎が記者会見で、「処理水は飲めるんじゃないか」と発言したが、

その後彼が実際に飲んだという話は寡聞にして知らない。

菅義偉も首相当時、福島第一原発の訪問時に「(処理水を)飲んでもいいのか」と東京電力の関係者に聞いたところ、「希釈すれば飲めます」との説明を受けたという。

だが、その後、菅が実際に飲んで安全性を確認したという事実は確認されていない。

小池都知事は、18日の定例会見で、東京は水不足なので、節水を心がけるよう都民に協力を呼びかけたが、

水道局のHPで確認したところ、貯水率の落ち込みが顕著なのは、9つのダムのうち、矢木沢ダムだけなので、

ここにタンク1000基、140万トンの福島原発の「安全な」はずの処理水を投入すれば、幾分の水不足解消には役立つはずである。

だが、小池がそれをやるかといえば、やるはずがない。1千万人以上の都民にバッシングされるのは自明の理だからである。

日米韓首脳会談を終えた岸田首相は、20日に福島第一原発を訪問し、21日以降に漁業関係者と会う予定となっている(なお、本ブログを書いているのは20日午前なので、そもそも訪問の事実を確認していない。念のため)

安全性をアピールするのなら、岸田ら政府関係者が漁業関係者の前で、処理水で乾杯ぐらいのパフォーマンスぐらいはするべきだと思うが、まずしないだろう。

つまり、国民も政治家も、誰も処理水が安全だと本音では考えていないのではないか。

処理水放出には賛成する一方、原発再稼働も、各メディアの調査は今年に入ると賛成が反対を上回るようになっている。

年月が経てば、施設の老朽化が進んで危険度が増すことはあっても、原発の耐震性が強化されるようなことはないにもかかわらず、である。

政府は洋上風力で4500万キロワットの導入目標を掲げており、これは原発47基分の発電量に相当する。政府が今後本気で取り組めば十分目標達成可能な数字である。

原発がなければ電気不足になるというのはウソなのに、危険極まりない原発になぜ国民の賛成多数が年々増加しているのか。

近い将来、高い確率で大地震が起こる高い確率を多くの地震専門家が予測しているにもかかららず、である。

自分の住んでいる土地や近所に原発誘致があれば断固反対だが、

自分から離れた土地なら他人が危険にさらされてもかまわない、処理水も遠くに流すのは構わないというのは非道という他ない。

いつから日本国民は自分の事しか考えない、身勝手な人間になったのか。

7月28日に、福井県の関西電力高浜原発1号機が12年ぶりに再稼動したのを受けて、芸人のウーマンラッシュアワーの村本大輔氏が

「事故があった時、地元の人だけじゃなく日本中が被爆しますように」とSNSに投稿し、悪い意味で話題となった。

村本の真意は、岸田政権の原発推進政策に反対の声を上げないのなら、国民は被爆を覚悟して受け入れろ、ということだと思われるが、

表現はともかく、高浜原発のある高浜町の隣町出身だという村本の本心は十分理解できる。

彼は「事故が起こって一番つらい思いをするのは地元民」とも言っており、原発を自分の問題としてリアルに捉えている。

批判を受けるべきは高浜原発再稼働を容認した政府でなければならないのに、村本の方が100倍以上も火だるまになっているという事実は寂しすぎる。

ところで、原発そのものの危険性については、古賀茂明書「分断と凋落の日本」、樋口英明著「私が原発を止めた理由」がわかりやすい。必読の書である。

原発訴訟で国を勝訴に誘導するかのような、洗脳的とも言うべき「裁判官研修」が行われているというくだりは興味深い。

我々は、原発がらみの問題のおぞましさを多方面からもっと知るべきだろう。

おぞましいと言えば、たとえば、大メディアに影響力のあるようなインフルエンサーが反原発を唱えれば、確実にその者は国に叩き潰される。

かつては橋下徹(当時大阪市長)、米山隆一(当時新潟県知事)がそうだった。彼らは突然降って沸いて出てきたような女性スキャンダルに見舞われた。

「権力の恐ろしさを知った」と語った橋下は、反原発を封印、米山はスキャンダル発覚後、直ちに辞職した。

当時新潟県知事だった米山は筋金入りの反原発論者で、シンポジウムなどでも理路整然と原発政策の矛盾を突いていた。

「これは国にやられるんではないか」と当時私は心配していたのだが(当時本ブログもこの話題を取り上げた)。果たしてその通りとなった。

独身時代の、それも10年ほど前の女性関係であり、そもそも辞職に値するような問題ではなかったと思うのだが、

女性との関係に際して金品の供与があったらしく、細かく言えばギリギリ法に抵触する可能性がなくはないということで、辞職を決意したようである。

それにしても突然降ってわいて出てきたような、違和感だらけの報道であった。

だが、彼らは、殺しのターゲットにならなかっただけ、マシかもしれない。

先の高浜原発がらみの話で、かつて町長が危うく殺されかけるという事件があった。

凶暴な犬に今井理一町長の喉笛を食いちぎらようという信じがたい事件で、

斉藤真著「関西電力反原発町長暗殺指令」によると、黒幕はタイトルの通り、関西電力である。

関西電力から殺人の実行指令を受けた警備会社の2人が著者の斉藤氏に告発し、その内容をまとめた記事が2008年3月、「週刊現代」に掲載された。

告発者の2人が実名、顔出しという衝撃のスクープ記事だったが、後日発刊された先の著書によると、週刊誌発売後、全くといってもいいほど反響はなかったという。

大メディアは黙殺、関電からも抗議の電話1本もなかったという。

その理由については、未だに謎のようだが、斉藤氏は著書の中でヒントらしき事実を挙げている。

大メディアと関電は沈黙したが、新聞では、産経新聞の若い記者1名が、週刊誌発売直後、告発者に取材をしていたというのである。

思うに、ここに謎が隠されているのではないか。

実は、告発者2人はその後、関電の告訴により、嫌疑あいまいな恐喝罪で逮捕され、有罪判決を受けている。ここまでは本に書かれている事実である。

著書はノンフィクションなので、本に書かれていないことまで憶測して意見を述べるのは控えるべきだと思うが、

ここまで書いておいて、ここで止めるのも気分が悪い。

そこであえて私なりに、この殺人未遂事件が拡散しなかった理由の憶測をするが(たぶん当たっている)、

週刊誌発売後に、関電が各メディアに、告発者2名を刑事告訴する旨の予告と記事はデタラメである旨の言い分を伝えたのではないか。

その時点で、他メディアの後追いがなくなり、否応なく拡散が止まった、と。

産経は原発推進寄りのメディアだが、その新聞社の若造がたった1人で告発者に近づいたという事実は、告発者に対する包囲網がすでに出来上がっていたことを示している。

その記者が告発者に近づいたのは、ただの興味本位、様子見であり、週刊誌記事に対する真面目な取材ではないということである。

関電は言わずと知れた大会社であり、対する告発者2人は、どこの誰ともわからないような、ただの民間人である。

さらにいえば、あえて失礼を承知で言わせてもらうと、斉藤真氏はジャーナリストとしては、それほどの実績も知名度もない。

どこの誰とも知らない民間人2人に無名のジャーナリストと、天下の関電の言い分のどちらを天秤にかけて受け入れるかといえば、大メディアの判断は当然後者である。

ところで、著書のタイトルは「反原発町長」だが、このタイトルは不正確で、件の町長は、実は原発容認派である。少なくとも反原発派ではない。

町長が関電に命を狙われたのは、反原発だからではなく、単に原発利権で対立していたからに他ならない。(町長も会社をいくつか持っている)

つまり、カネの配分をめぐって、ただケンカしていただけの話であり、殺人指令の問題も、実は原発そのものの問題とは関係していない。

ただし、そこに原発がなければ、そのような醜いトラブルが起きようがなかったのも事実である。

さらに、確実に言えるのは、

町長が本当に反原発派で、彼が橋下徹のように折れなければ、殺されていた可能性が高かったということである。

利権絡みで殺人計画があったぐらいだから、その大元の原発政策にそもそも反対していたとなれば、どうなっていたか、想像に難くない。

前回から書いている原発という利権がらみのドス黒い奥深さ、とはこのような意味で私は捉えている。

そもそも原発があるというだけで、今後も国民にろくなことは起こらないと考えるるべきである。

村本氏ではないが、原発に賛成する者は、被爆を覚悟して生きていかなければならないし、反対する者は殺されることを覚悟しなければならない、ということになるだろう。

どちらにしても愉快な人生ではない。

一番の解決法は、百害あって一利なしの原発を止めることである。原発に対する選択肢はこれ以外に存在しない。

止めなければ処理水の問題も中間貯蔵施設建設をめぐるトラブルも、永遠に拡大していくだろう。これ以上将来の世代に負の遺産を我々は残してはならない。

秋本真利議員を陥れた黒幕の存在を2点推理する 

2023年8月13日


自民党の秋本真利議員が、風力発電会社の「日本風力開発」から3000万円もの資金提供を受けたとされる贈収賄事件で、11日、会社社長が贈賄を認めた。

本ブログを書いている13日午後の時点では、秋本側のリアクションはまだないようだが、今後しばらくは収賄容疑を否定する方向で行動していくものと思われる。

会社社長が賄賂として金銭を供与し、秋本がこれを収受したとしても、秋本に賄賂の認識(故意)がなければ収賄罪は成立しない。

秋本側の主張はおそらくこの1点に尽きるのではないかと思われる。

秋本はすでに政務官を辞任し、自民党も離党しているが、結論から言うと、、

秋本は会社社長の裏切りにあったか、官邸の策謀にはまったか、のいずれかによって陥れられたと推測する。

まず、会社社長の裏切り説から。

テレビ、新聞の全メディアは、横並びで「関係者」なる証人の話として事実関係を伝えているが、

この「関係者」とは一体何者だろうか。

メディアが言う「関係者」の話によると、秋本は会社社長に「馬を買いたいので金を出してほしい」などと携帯電話のショートメールで連絡し、

要望したルール改定が正式に決まった翌日に、会社社長の「関係者」から議員会館で1千万円を受け取ったという。

だが、一般論として、そもそもメールの内容を第三者に見せるものだろうか。

会社社長が第三者の「関係者」なる者にメールをみせていたとのストーリーには違和感がある。

みせていたとしたら、よほど秋本が信頼を置く「関係者」なのだろう。

だが、信頼の置ける「関係者」など、世の中そう何人もいるものではない。

で、あれば、議員会館に出向いて、秋本にカネを渡した「関係者」もおそらく同一人物だと思われる。

この「関係者」は秘密裏に行動していたはずであり、秋本も議員会館でカネを受け取った際、周りには誰もおらず、他に事情を知る者はいないと思われる。

そうであれば、メールの内容や現金の授受など、その「関係者」しか知りえない情報が外部に漏れたということになる。

つまり、この「関係者」は会社社長その人ではないだろうか。

要するに、何らかの原因で両者の関係がこじれ、会社社長が当局にタレこんだ、ということである。

以上が「会社社長の裏切り説」の概要になる。

次に「官邸謀略説」である。

秋本の脇が甘かったとはいえ、「大規模な」許認可事業はすべて利権が絡んでいるといってもよく、政治家の利益誘導のない案件を探す方が難しい。

加計学園問題のように、お友達案件だと賄賂の構図を証明するのが難しくなるが、(お友達だと金品供与がない可能性もあるので)

大抵の案件は、そこに政治家とカネの問題が絡んでいると考えてよい。

秋本の受け取ったカネは3千万円とのことだが、(注:6千万との報道もある)この金額だと「馬主組合への出資金だと認識していた」との言い訳は通用する余地があるように思う。

秋本が実際このような言い訳で今後容疑を否定していくかどうかは私の憶測でしかないが、いずれにせよ、原発利権のような極悪な事件とは程遠い。

ところで、検察のストーリーは次のようなものだろう。

「秋本は特定企業が有利になるような国会質問をして、質問通りにルールが改定された見返りに、企業側から金銭を授受した。だから収賄罪が成立する」と。

だが、大臣経験もない一議員の「質問」など、ただの質問、意見の表明であり、政府がその意向に沿うよう履行する義務もないことは言うまでもない。

ただの「一議員の質問権行使」を賄賂罪の「職務権限」にあたると解釈するのは無理がある。

そもそも一議員の質問(提案)で、国の(公募)ルールが、ホイホイ変えられるはずもない。しかも、そのルール変更によって、他の企業に不利益が及ぶことを承知しておきながら、である。

秋本の質問に対し、当時経産相の萩生田光一が「ご提案をよく踏まえて検討してみたい」と答弁している。

むしろ、ここでルール改定の取引(契約)が成立したと解釈するのが筋ではないか。

萩生田の意向を受けて、翌月、国はルール改定の議論を開始し、同年10月。改定が正式に決まった、と。

職務権限は秋本にではなく、所轄官庁のトップの萩生田にあると見るのが素直な解釈である。

萩生田とは出来レースだったのか、萩生田にも金銭の授受等があったかどうかはともかく、秋本が今後収賄罪で立件された場合、萩生田の政治的責任が厳しく問われなければおかしい。

萩生田は、加計問題でも安倍のパシリになって、似たような役割を演じていたが、この手の役回り(役所への圧力)は彼の得意なのだろう。

萩生田は、統一教会との関係が依然つながっていると噂される一方で、菅義偉の紹介で、創価学会の幹部らと密かに会っているといわれている。

萩生田は、調子のいい八方美人の典型のような男で、そもそも国を背負って活動するに値するような人間ではない。

次の選挙で統一教会票、公明票を失い、さらに無党派層の半分が離反すれば、この腐敗議員は落選するだろう。

私は彼の選挙区の隣に住んでいるが、有権者らも徐々に奴の胡散臭さに気付き始めており(気付くのが遅いと思うのだが)、野党の候補者次第で落選は十分あると予測する。

ところで、5日の読売新聞によると、秋本は、かつて菅義偉の威光をかさにきて官僚に権力を振りかざしていたという。

秋本の指示に対し「官僚が『出来ません』などと言うと、『菅官房長官に言うぞ』と権力を振りかざしていた」と国交省幹部が証言している。

菅義偉は首相在任中に「2050年に温室効果ガスの排出を実質ゼロにする」目標を掲げており、再エネ議連の顧問には、河野太郎、甘利明らが就いている。

甘利はともかく、官邸の原発ムラにとって、菅、河野は邪魔な存在でしかない。

政府は20年度に1パーセント未満だった洋上風力の発電能力を、40年度には4500万キロワットまで増やす目標を掲げている。

だが、それは建前であって、官邸に実はその気はない。

「エネルギーは原発があれば十分。再エネなど不要」というのが日本政府の本音である。

だが、G7にも名を連ねている自称先進国の日本が、世界の潮流に逆らうわけにもいかない。

だから建前でも再エネに関わることになる。18年にはそのための新法(再エネ海域利用法)も成立させた。

政府が目標とする発電量4500万キロワットは、原発47基分のエネルギーに相当する。

洋上風力発電と併せて太陽光発電が普及すれば、地震大国、人口減の日本で今後原発など不要という議論が沸きあがるのは自明の理であろう。

だが、それでは原発族が困る。だから、再エネ族議員を好き勝手にさせておくわけにはいかない。

太陽光発電に力を入れていた「政界のフィクサー」こと矢島義也率いる「大樹総研」にガサ入れが入ったこと、三浦瑠璃の夫が業務上横領罪で逮捕、起訴されたのは、

再エネ側の菅義偉と二階俊博の力が落ちていることと無縁の出来事ではない。

そもそも菅、二階は再エネ普及に信念を抱いているわけではない。彼らの関心はもっぱら利権である。

そこに利権があるから群がっているだけである。利権が薄いとなれば、彼らが再エネから今後手を引いても全く驚きはない。

いずれにせよ、官邸から見れば、反主流の菅や政敵の河野を叩き落すのに、再エネ利権を持ち出すのは、現状好都合である。

大局的に見れば、秋本はある意味政争の犠牲者と言ってもよいかもしれない。

検察にとっても秋本案件は渡りに船だといえる。

検察(東京地検)の本丸は、先に挙げた「大樹総研」の矢島義也の逮捕だったが、今は頓挫しかけている。

そこに今回の秋本案件が降って沸いてきたのである。(情報通によると、矢島は連日ゴルフ三昧で余裕の日々を送っているとのことである)

秋本案件は検察の威信をかけた、国民の検察不信の汚名返上を挽回する絶好の素材として利用価値がある。

日本のエネルギー問題は今後どうあるべきか、などといった関心が検察にあるはずもなく、官邸にもそのような崇高な理想を掲げて活動している者など誰もいない。

皆の衆が自分のことだけ、目先の利益を求めることだけを考えて生きている。

ここ数週間、文春砲で火だるまになっている木原副官房長官は、落選中の2009年から3年間、「営業マン」として大樹総研に努めていた過去がある。

では、その木原が再エネ族かと言われれば、そういうわけではない。

原発ムラの住人でもないが、岸田の懐刀と言われる官邸の中心人物が原発推進に後ろ向きであろうはずがない(2年前のNHKアンケートでは原発依存度を下げるべきとの回答をしていたが、もちろん建前である)

この男も目先の利益を求めて。フラフラしているだけである。

ところで、今回の秋本の件で再エネが国民にマイナスイメージを与えているところがあるが、エネルギー問題と賄賂の問題は全く切り離して考えるべきだろう。

そもそも再エネ利権など原発利権に比べれは金額も屁のようなものであり、背景も原発のようなドス黒さはまだない。

次回機会があれば、この点を書きたいと思う。



娘同伴のるい16世と空っぽ頭の元小学生アイドルは議員辞職に値する 

2023年8月6日



松川「るい16世」率いる自民党女性局の総勢38人による「フランス研修」は切腹ものという他ない。

公金を投入しての3泊5日の研修スケジュールは、以下の通り(フラッシュ電子版より)

1日目:仕事なし
2日目:10時~11時に国民教育・青少年省の担当者からブリーフィング(簡潔な説明)、午後はフランスの国会議員2組と1時間ずつ面会
3日目:午前中に1時間の保育園視察(国会議員のみ)

4,5日目は不明だが、記事によると、研修は5日間で実質たった6時間だという。

それどころか、団長の松川るいは、研修には参加せず、別行動を取っていた疑惑が浮上している。

9歳の娘(18歳以下は党員資格なし)をフランスまで連れていって、ホテルや大使館に缶詰というわけにもいかないだろうから、日中は2人で物見遊山に明け暮れていた可能性が高い。

加えて、セーヌ川で、2時間半の優雅なディナークルーズ、シャンゼリゼ通りの3時間半の自由時間を税金を使って堪能していたとなれば、

「真面目な研修だ」「党費(公金)は使っていない」「批判には誤解がある」との言い分が通るはずはない。

NATOの日本事務所開設は、フランスのマクロン大統領の反対によって頓挫しかけている。

このタイミングで日本の与党議員ら38人が大挙フランスに乗り込んでいったのだから、当初私はてっきり、マクロンに抗議をしにいったのだろうと真面目に考えてしまった。

ところがそうではなく、今回の渡仏目的は、松川局長や今井恵理子局長代理らによれば

「フランスの少子化対策や政治における女性の活躍などの、視察・意見交換をする」ための研修」とのことである。

フランスの少子化対策、というが、6月13日に岸田政権は、少子化対策の拡充に向けた方針を明らかにしたはずである。

「次元の異なる少子化対策の実現のための「こども未来戦略」の策定に向けて」と題した論文は、A4サイズ12ポイントで32ページにも及ぶ。

官僚が知恵を絞って書き上げた論文に不満があるから、今回フランスに勉強しに行ったのだとすれば、5日間の研修成果を発表する前に、そもそも論文の不備を明らかにする必要がある。

公金まで使って「研修」に出かけたのだから、その程度のレクチャーは国民向けに今すぐにでもできるはずである。

さらに、研修目的は、フランスの「政治における女性の活躍の視察・意見交換」とのことだが、

フランスで今最も目だっている女性政治家は、野党第1党の党首マリーヌ・ルペンである。

彼女はただの野党党首ではない。下院で過半数に満たないマクロン政権は左派勢力に対抗するために、極右と言われるルペンの国民連合と結託して政策運営を行っている。

先の大統領選で30パーセント以上の得票率を獲得したルペンの影響力は、野党とはいえ、強大なものがある。

マクロンは、弱肉強食路線の推進者であり、ロスチャイルド系の代理人のような政治家だが、

その男が民族差別主義者の極右ルペンと共同戦線を張っているのである。フランス政治の混乱の実情は推して知るべしだろう。

ルペンは国会で、左派連合が提出した最低賃金の引き上げや必需品の物価凍結などの法案や修正案に対し、マクロン与党とともに反対票を投じている。

日本の与党系38人の研修参加者が、「フランス政治における女性の活躍の視察・意見交換」をするために、

このようなルペンと意見交換したというつもりか。

要するに、日本人がフランスにのこのこ出かけて政治運営を学ぶべきことなど何もない。

年金改革、経済格差推進政策も問題だが、フランスで起こっている最悪の問題の一つに、警察の暴力行為があり、これについては、打つ手がないのが実情である。

日本とは異なり、フランスでは警察労組が認められているが、この組織が票田となっているので、警察への強い批判ができない。

仮に、マクロン政権が警察の締め付けを行えば、ルペンなどの極右勢力にすべて票が流れるだろう。それを恐れてマクロンは何も言えないということである。

警察の暴力は日本でも時々問題になっているが、フランスのそれはレベルが違う。

少しでも抵抗しようものなら、無抵抗の一般市民でもゴム弾で失明させるようなことを平気で行っている。

中でもイスラム系と黒人系フランス人への暴力弾圧は際立っている。ただ、一方で、多数国民が移民系フランス人に反感を持っており、

そのことが警察の暴力を助長しているとの指摘もあるので、問題は単純ではない。

国内の問題も山積みだが、外交にも冴えがみられない。

直近では、8月3日、西アフリカのニジェール政権がフランスとの軍事協定を破棄したことが伝えられている。

近年ではブルキナファソ、マリ政権も軍事パートナーをフランスからロシアに乗り換えているが、理由はおそらくフランスの上から目線の傲慢な態度にあるものと思われる。

空気の読めないフランスは、7月24日に韓国空軍と初の合同訓練を実施し、北朝鮮を激怒させている。

北朝鮮を心の底で見下しているのだろうが、他方で、マクロンは中国に傾斜しているのだから理念も何もあったものではない。

NATOの日本事務所開設になぜフランスが反対しているか、自民党女性局は憶測できるだろうか。

ロシアに配慮したから、というのは結論である。そもそもプーチンが直接マクロンに直談判したのではなく、

プーチンの意を受けた中国の習近平に忠告されたからマクロンは反対しているのである。5月にマクロンは中国を訪れているが、その席で日本事務所開設の話題が持ち上がったと憶測できる。

広島サミット直前に、このような茶番が裏で行われていたのである。

同サミットで日本政府は、中国、ロシアを名指しで批判した。

だが、米国CIAのバーンズ長官が、こちらもやはり5月に極秘に中国を訪問し、中国当局者と会談していたことが、6月2日明らかになっている。

ロイター通信によると、バーンズ長官は北京で行った中国当局者との会談で「情報当局のチャンネルにおけるオープンなコミュニケーションライン維持の重要性を強調した」と述べたと言う。

何を言っているのかよくわからないコメントだが、訪問時期から考えると、広島サミットの話題が俎上に上がったことは想像に難しくない。

中国当局の前で、バーンズはこのようなことをほざいていたのではないか。

「日本の広島でG7会議が行われるが、日本政府は、貴国を名指しで批判する予定である」

「だがそれは気にしなくてよい。日本の行動は我々米国が常にチェックし、彼らを操っている。だから岸田の言うことはいちいち意に介さなくてもよい」

「同時期に貴国も周辺諸国首脳を集めてサミットを開催するとのことだが、無事成功を祈る」

と。(ただし、会談の日時が不明なので、サミット後の会談だった可能性もある)

話がそれたが、バーンズの訪中は、緊張感のある、それこそ「真面目な訪問」である。

バーンズが万里の長城をバックにポーズをとって写真をSNSにアップするか。するわけがないだろう。

ところで、コロナ禍で人気が途絶えていた欧州の観光名所は、今やどこも大賑わいとなっている。

フランスも例外ではなく、マクロン政権は、今年のパリの観光客数をコロナ禍前の3700万~3900万人と予想している。

同政権は「オーバーツーリズム対策」と称して、観光客がカネを落とす観光名所を訪れるように、意図的な宣伝活動を行っている。

エッフェル塔は、もちろんカネになる観光名所の一つである。

話をまとめたい。

自民党女性局がフランス政府の宣伝の術中にはまったのかどうかはともかく、今回の彼女らの渡仏がただの観光旅行であったことは、あらゆる角度からみて明白である。

物価高であえぐ国民を尻目に、税金を使って物見遊山に明け暮れた罪は重い。

局長のるい16世と、

沖縄出身の国会議員でありながら、沖縄の基本的な歴史すら勉強していない空っぽ頭の元アイドル(元アイドルが空っぽ頭だといっているのではない、念のため)の局長代理は、国民にとって有害無益な存在でしかない。

彼女らが即刻議員辞職しても国民の誰も困らないのは言うまでもない。

官(岸田首相)も民(ビッグモーター)も問題の根は結局同じところにある 

2023年7月30日



ビッグモーター問題について釈然としない意見が拡散しているが、中でも代表的な意見について異議を指摘したい。

実業家のひろゆき氏の動画から。

氏は「(ビッグモーターは)ブラックだけど法律に触れていない」と述べているが、これは正しいだろうか。ブラック企業について、厚労省は定義していないが、

ブラック企業とは、長時間労働など、最低基準の労基法すら守っていない遺法企業、あるいはパラハラの横行など、社内コンプライアンスの欠片もない遺法まがいの企業を指すと一般的に解釈してよいだろう。

だが、ビッグモーター問題では、LINEによる脅迫まがいの言辞や強権的な人事の発令などを複数の現役社員がメディアに告発しており、

にもかかわらず、事情を知らない外野が「法律に触れていない」とまで言い切るべきではない。

続けて、氏は、

「多分、あの会社の創業者の人は逃げ切れるんですよ。結局、上場企業でもないので今まで儲かってたものを損害賠償で支払えという判決をどこぞからもらうということもないので、多分勝ち逃げなんですよね」と述べているが、

これが「創業者一族が私財を投入して、丸裸にされてしまうほどの莫大な賠償責任を負うことにはならない」との主旨で述べたのだとすれば、確かにそうかもしれない。

だが、法的に言えば、前社長は、会社法429条の任務懈怠責任による賠償責任を負わされる可能性があり、

そうなれば個人財産からの出資を余儀なくされることになるので、現時点の法的見識としては正当性を欠くと言わざるを得ない。

ただ、グルと揶揄されている損保ジャパンは、たとえ裁判で勝訴しても重過失ありで賠償額が大幅に減殺される可能性が高く、

また、顧客への賠償金も億単位にはならないと思われるので、結果的に氏の見識通りにはなるかもしれない。

さらに氏は、店舗前の街路樹に除草剤が撒かれている問題について、「賠償金を数十万円支払って終わり」と述べているが、これも極論である。

周辺住民が除草剤の散布による実害や精神的苦痛を理由に集団訴訟を起こして会社が敗訴した場合は数十万円では済まなくなるからである。

これが米国なら、企業に対する懲罰的賠償で数十億円以上の賠償金が課されるだろう。これだけ話題となっている事件であれば、国民の制裁感情も考慮されるので、厳しい判決が出る可能性が高いということである。

さらに、除草剤の使用は、農薬取締法により、3年以下の懲役、あるいは100万円以下の罰金、場合によっては両方が科せられることになる。

除草剤使用について会社はすでに認めて謝罪しているので、店長や社員らが懲役をくらうことはないだろうが、会社には罰金が科されるだろう。

刑事罰の話で言えば、各社員は、器物損壊(懲役3年以下)の正犯、それを指示した店長や前副社長の息子らには教唆犯が成立することになる。保険金請求問題については、

併せて彼らに詐欺罪(懲役10年以下)が成立することになる。(当局が乗り出せば、だが)

以上、総合的に考えると、創業者一族(父親と息子)が簡単に逃げ切って終わり、という単純な事案ではないということがわかる。

進行形で問題になっている事件について意見を述べるときは、慎重になるべきである。今回は端的に指摘するにとどめるが、たとえば、木原誠二官房副長官の妻の前夫が死亡した事件で、

当時捜査に当たったという警視庁捜査一課の元捜査員が記者会見で、

「(自殺ではなく)事件性はあった」「自殺でないという証拠はない」「殺人があったという証拠もない」と意見を並べているが、これも釈然としない。

事件性の有無は、カンや経験則(一応マニュアルはあるが)で俯瞰的に判断されることがらであり、証拠の有無を厳密に調べて結論付けるわけではない。

つまり、事件性があるのではとの大まかな判断があって、それから徹底的な捜査が行われるのである。証拠の有無など、本格的に捜査してみなければそもそもわからないことがらである。

元捜査員の発言によると、証拠の有無まで調べて当局が最終的に「事件性なし」と判断したということになるが、これは理屈として無理がある。

故に、彼の「これこれの証拠はない」との発言箇所は、彼独自の意見、言い回しであって、深い意味はないと解釈されるべきだろう。

創業者一族の行方に話を戻すが、今回の一連の問題の原因は、父親の前社長ではなく、前副社長だった息子にあるとの見方が大勢を占める。

すなわち、父親は息子のとんでもない経営姿勢を知りながら長年放置し、結果、会社に回復不能のダメージを与えてしまった、と。

民間車検場の指定取り消しや、事業停止などの処分が下るのは確実なので、この会社はもうアウトだろう、と。

バカ息子のせいで田舎の同族会社の一つや二つがつぶれたところで、我々からみれはどうでもいい話だが、

これを政治の場面の場面の話に置き換えると、どうでもいい話で済まされる問題ではなくなる。

バカ息子に多額の血税を投入して権力を私物化するような総理大臣を国民が放置してよいはずがないではないか。

ところで、国民の幸福を何も考えず、自分と身内が生き残ることしか考えない無能総理の直近の重要な政治日程といえば、

8月18日に米国の首都ワシントン郊外のキャンプ・デービッド山荘で行われる日米韓首脳会談である。

この会談の背景について少し述べておきたい。

バイデンが同地に外国の首脳を招くのは、政権発足以来今回が初めてとなる。

この会談に向けて米国側はかなり気合が入っており、

岸田、尹錫悦大統領を招いての会談(と言うか、命令)は、米国にとって思惑通りの成果が得られるだろう。

7月14日、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長の来日に続いて、25日、マイケル・М・ギルデイ米海軍作戦部長が来日し、官邸で岸田と会談した。

日本では「部長」という肩書で報道されているが、これはチーフの誤訳で、正しくは「米海軍トップ」と表記されるべきである。

彼らの来日の目的は防衛計画の再確認である。バイデン政権の意向を受けて軍トップが相次いで来日し、岸田に直接対面で圧をかけにきたということである。

なお、ミリーは、日本訪問後、韓国も訪問予定であるとロイター通信が伝えていた。

米国は、日本と韓国に対し、多少敵対しながらも、過度に憎しみを持つことなく、連携して中ロ問題に対応していくことを求めている。

1952年1月,韓国の李承晩大統領は、敗戦国日本が主権を回復する前のどさくさに紛れて、国際法違反の国境線を設定した。(いわゆる李承晩ライン)

これにより、韓国は、広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張するとともに,そのライン内に竹島を取り込んだ。

この韓国の行動に主権を回復する前の日本は何も言うことができず、米国も抗議のポーズをとるだけで、事実上、韓国の国際法違反を追認した。

この李承晩ラインは、日韓が未来永劫対立するように米国が仕組んだ策略であるというのが外交専門家らの一致した見方である。

とはいえ、対中露の問題があるので、地政学上、過度の対立まで米国は望んでいない。

竹島問題がある限り、日韓が今後もズブズブになることはないが、現在の尹錫悦大統領は親日である。この適度な距離間の日韓関係は、米国にとっては非常に都合がよいといえる。

我が国の世襲首相はというと、国民の利益を度外視して、米国の要求する無理難題にただひれ伏すのみなので、今回の日米韓首脳会談ほど米国の思惑通りに事が運ぶことはないと思われる。

韓国はともかく、岸田の米国に対する隷従の代償は、今後日本国民への大増税、監視に跳ね返ってくることになる。

防衛費支出のためのサラリーマン増税など、政府の政策に反抗的な国民はマイナンバー情報で監視し、将来的には中国のように「格付け」リストが作られることになるだろう。

ところで、マイナンバーカードと保険証の紐づけは、本ブログの予測していた通り、次回衆院選が終わるまでは凍結される公算が高くなってきた。

河野太郎が、現行の保険証を来年秋に廃止する方法性に変わりはないことを強調しているが、河野発言は今後撤回に追い込まれることになるだろう。

その衆院解散の時期だが、今年9月はとてもできる状況ではない。私は、年内解散はない、と断言したい。

かといって、来年秋に向けた政権浮揚の具が今後あるかといえばそれも見当たらない。

唯一ありうるのが、本ブログがこれまで何度も書いてきたように、金正恩総書記とのトップ会談の実現である。

1人でもいいから拉致被害者を帰国させることに成功すれば、支持率のV字回復などちょろいとの算段が岸田にはあるものと思われる。

だが、彼が今後何をやろうがだまされてはならない。

権力に酔いしれ、身内に甘く、国民に厳しい人間に国のトップの資質など、そもそも全くない。

何度でも書く。このような権力者を放置しておけば、最後に不利益を蒙るのは、彼や彼の身内ではなく、我々大多数国民だけであることを常に肝に銘じておかなければならない。

冒頭のひろゆき氏ではないが、今後ビッグモーターがつぶれた場合、社員が路頭に迷うことはあっても、最高権力者(前社長)とその息子が打撃を受けることはないだろう。

岸田一派と国民の関係もビッグモーターと同じである。


岸田首相を罵倒するときは小沢一郎も気をつけるべきである 

2023年7月23日


ジャーナリストの山口敬之が、れいわ新選組共同代表の大石晃子議員を相手に起こした名誉棄損訴訟で、

7月18日、東京地裁は大石にツイートの一部削除と22万円の支払いを命じたが、

私が大石なら控訴するだろう。大石のツイートの核心は以下の通り。

「伊藤詩織さんに対して計画的な強姦を行った」「1億円超のスラップ訴訟を伊藤さんに仕掛けた、とことんまで人を暴力で屈服させようとする思い上がったクソ野郎」(ここまで)

地裁は、大石がつぶやいたのは概ね「事実」だが、「クソ野郎」が人格攻撃にあたると認定したようである。

だが、この地裁の判断は納得がいかない。

「クソ野郎」がダメなら「強姦野郎」とつぶやいたらどうなのか。

これだと「事実の摘示」になるので、少なくとも単なる「人格攻撃」にはあたらないと解釈するのだろうか。

1978年2月の国会で、自民党の浜田幸一が社会党の安宅常彦を「強姦野郎」と野次ったが、

この件は、安宅が事実を半分認めたような形で事態が沈静化し、結果、浜田は何の処分も受けなかった。

摘示された具体的事実を本人が認めるか、本人が認めなくても客観的にそれを証明されれば、名誉棄損に当たらないというのは、国会内の発言であろうが、ネット上であろうと同じでなくてはならない。

私が大石なら、山口の強姦の疑惑を認めた2022年高裁判決(同年7月最高裁は山口の上告を棄却)を控訴審に再度確認させたうえで、

判決理由に示された山口の鬼畜の所業は、山口が「クソ野郎」に値する人間である、と争うか、もしくは、

ツイート内容を全体的に考察すれば「クソ野郎」は「強姦野郎」と同義の具体的文脈で解釈されるべきであり、故に単なる人格攻撃とは一線を画す、と争う。

さらにいえば、山口は著名なジャーナリストであり、対抗言論の理論で争える立場にいるので、(対抗言論の理論とは、被害者は自らネット上で反論、対抗することで名誉を回復すべきであるという考え方)

原状回復の手段は一般人に比べて容易だといえ、大石のツイートはそもそも違法性が阻却される、と争うだろう。

だが、米国の陪審裁判ならともかく、日本の裁判官にはこれらの主張は通らないかもしれない。

結論は、大石は「クソ野郎」ではなく、「強姦野郎」とツイートすべきだった、ということである。

私は政治家や社会に影響を与えるようなインフルエンサー的立場にいる者に対する一般人による人格攻撃は、条件付きで許されると考えている。

条件とは、人格攻撃の前提となる基礎事実と理由を明確に摘示することである。

基礎事実の資料として元ネタの記事のリンクを貼りつけてツイートしている者が多いが、批判する場合はそれだけでは根拠薄弱の場合がある。

そのときは、自分の言葉で説明を追加しなければならないが、それをやると文が長くなり、ツイッターになじまない。

私がツイッターをやらない理由がここにある。思いついたまま、論理明快に短文で情報発信する能力が私にはない。だから長文でブログを書いている。

だが、能力に自信がある者でも、時事問題、特に国際情勢について思いつきでツイートする場合は、初期の情報は信用希薄なものが多いので、慎重になる必要がある。

日本のメディアが発信する国際情勢は、西側発信の一方的な情報を検証もせずに垂れ流しているものが多いので、初期情報と後に出てくるさまざまな媒体からの情報との間に乖離していることが多い。

今回の本題から少し話題がズレるが、この点についてもう少し言及しておきたい。

たとえば、6月6日に起こったウクライナ南部にあるロシア支配下のカホフカ・ダムの爆破事件。

この事件当初、地域の水不足とザポリージャ原子力発電所への影響などが懸念された。

ウクライナとロシア双方が非難合戦を始めたが、日本のメディアはみなロシア=悪の論調なので、ツイッターも報道の影響を受けてか、ロシアの仕業であることを前提に意見を発信している者が多かった。

私も当初はロシアを疑った。ロシアがやったとすればワグネルの可能性が高いだろうと。

ダムや原発への攻撃はジュネーブ条約違反であり、そもそも許されない。だから、ロシア正規軍があからさまな条約違反行動を起こすようなことはないだろうが、ワグネルは正規軍ではない。

ロシアの法律では民間の傭兵は認められておらず、プーチンは先日のワグネル反乱まで、そもそもワグネルの存在自体を否定してきたほどである。

そのワグネルが勝手にやったことにしてしまえば、プーチンはロシア政府に責任はないと言い逃れをすることができる、と。

当初私は直感的にそう考えた。ところが、後日さまざまな報道を接して、その直感は違うのではと思い始めた。

米シンクタンク・ジェームズタウン財団によると、ダム決壊でクリミア半島北部では今後何年も水不足にあえぐことになるという。

2014年のロシアによるクリミア併合で、ウクライナは北クリミア運河経由のクリミアへの給水を制限したが、

ロシアは昨年2月のウクライナ侵攻後、カホフカ・ダム周辺地域を支配下に置き、運河を経由してクリミア半島に淡水が豊富に供給されるようにしていた、という。

何を言いたいかと言うと、クリミアは周知のように、ロシア系住民が60パーセントを占めており、ウクライナのゼレンスキーはクリミア奪還を至上命題に据えている。

この文脈で考えれば、ロシアがクリミア住民を今後長年苦しめるような自作自演の破壊活動をあえて行うとは思えなくなったのである。

むしろ、ウクライナが反ロシア感情をクリミア住民に植えつける目的で事を起こした可能性のほうが高いのでは、との疑問が沸いてくる。

案の定、この疑問、というか疑念はその後にウクライナが起こす破壊活動によって確信に変わっていく。

7月17日、ウクライナがドローンを使ってウクライナ南部のクリミア半島とロシアを結ぶケルチ橋を爆破したことを認めた。この橋はロシアにとって重要な補給ルートである。

ウクライナ政府は、昨年10月のケルチ橋爆破にも関与していたことを暗に認めている。これも事件当初は、ロシアの関与が噂されていた。

20日、ウクライナ軍は、南東部の前線で米国供与のクラスター(集束)弾の使用を始めた。

クラスター弾は、民間人を無差別に殺傷する危険がある戦争兵器である。禁止条約に署名の有無以前の問題として、道義上推奨できない殺人兵器だといえる。

22日、ウクライナ軍はクリミアの弾薬庫と石油施設を攻撃したことをSNSに投稿した。

この活動の流れから推察するに、条約違反のダム破壊活動の犯人もロシアではなく、ウクライナの方が疑わしいと考えるべきである。

ところで、昨年末、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長は、米国のウクライナ戦線への関与縮小を示唆していた。

ミリー発言は、それまでイケイケだったゼレンスキーの気勢を削いだかに見えた。本ブログも昨年末、南東部の大規模な戦闘は今後減っていくだろう、と予測した。

ところが今年に入ると、米国は方針を転換したのか、関与の度合いをますます強めるようになってきている。

このような情勢の中、7月14日、ミリーが来日。官邸で岸田首相と懇談した。

7月4日、政府はウクライナを「特別なパートナーシップ」に格上げし、必要があればウクライナに武器輸出を積極的に行う旨すでに表明していた。

その10日後に米軍制服組トップの男が来日である。岸田に何を伝言したかは明白だろう。殺傷能力の高い武器の輸出奨励を促したことは言うまでもない。

9月末に退任するミリーの後任には、チャールズ・ブラウン空軍参謀総長が就く予定となっている。

戦場での経験が豊富で、映画「トップガン」に出てくる、文字通りトップの立場に位置するバリバリの軍人である。

この男の就任でウクライナ戦線が拡大することはあっても、縮小は考えにくい。

考えてみれば、バイデン大統領は軍産複合体の代理人であり、かつ、ウクライナ利
権にズブズブにはまっている人間である。

戦線への関与縮小など米国世論が強固に反対でもしなければ、そもそもありえないと当初から考えるべきであった。

松野官房長官は、米国によるウクライナへのクラスター供与を肯定的に評価したが、

日本がやるべきことはウクライナに武器を輸出したり、米国の戦争行為拡大路線に隷従することではない。

一応平和国家の日本がやるべきことは2つ。1つは、クリミアの問題は置くとして、ウクライナにミンスク合意を確実に履行するよう提案することだが、

ロシア=悪の図式を米国から指令されている建前上、それを岸田政権に要求するのは無理かもしれない。

では、2つ目として、休戦協定を提案するというのはどうか。

即ち、東南部の自治やクリミアの領土問題の核心的対立をやはり棚上げにして、休戦を維持するためだけの仕組みを作るよう提案することである。

これは机上の空論ではない。1953年の朝鮮戦争後に休戦協定を結んだ北朝鮮と韓国が好例ではないか。

北朝鮮は朝鮮半島全体を自国の領土であると未だに主張しており、紛争状態は棚上げにされたままになっているが、とりあえず停戦の約束は守られている。

私はこの休戦協定を結ぶ以外にとりあえず紛争を止める方法はないと考えている。

と、いろいろ提案しても、今の岸田政権には何を言っても聞く耳を持たないだろう。

消費者物価指数は22カ月上昇、実質賃金は14カ月減少、10月までに値上げを予定する食品が計3万9品目というこのご時世に、

政策提言組織「令和国民会議(令和臨調)」の会合で何を口開いたかと言えば、

「時代は大きく変化している。国会の運び方やありようも変わらなければならない」である。

「批判だけではなく、国民に分かりやすい形で選択肢を示していくことが大事」などと野党をけん制するような場違いの発言もしていたようである。

これに対して、小沢一郎が22日、ツイッターで、岸田に対して「完全な馬鹿」とつぶやいた。

小沢は「馬鹿」の理由を短文で示してはいるが、先の大石の例もあるので、訴えられたら賠償責任が発生する可能性もなくはない。

そうなれば、野党共闘に暗躍している場合ではなくなる。岸田政権には木原のように、名誉棄損で刑事告訴してくるようなクソ野郎もいるので、気をつけた方がよいだろう。



批判・攻撃の対象や争点が的外れでは問題は解決しない 

2023年7月17日


岸田政権の大メディア報道規制は、安倍、菅政権時代ほどではない、というのが関係者衆目の一致するところのようだが、締め付けが緩い理由ははっきりしている。

テレビ、新聞のどれを見ても読んでも、既得権益層への本気の追及がないので、政府が腑抜けメディアらを締め付ける必要がないのである。

政府への批判一つどれをとってみても、対象の矛先やポイントがずれているので、大メディア報道に怖さを感じないというのはよくわかる。

たとえば、マイナンバー制度である。メディアが今批判の中心に据えているのは、政府の情報管理能力に対する疑問と対応する河野デジタル担当大臣への批判である。

所轄担当大臣である河野には確かに責任はあるだろう。だが、河野の責任はそれ以上でもそれ以下でもない。責任の中心人物が彼であろうはずがない。

2021年、ワクチン担当大臣だった河野は、当時記者会見で「米国でワクチン接種で死亡した人は1人もいない」と述べ、ワクチンの安全性を強調したが、

もちろんウソである。米のCDC(疫病予防管理センター)が運用する有害事象報告システムによると、接種後死亡者が当時既に1万人を軽く越えていたことがすでに判明していたからである。

彼の発言を批判するのはたやすいが、彼は担当大臣という立場で政府の権益を守るためにデタラメを国民に説明する役割を負わされていただけにすぎない。

批判の矛先は、ワクチン利権を守るために、彼にウソを言わせていた黒幕にこそ向けられなければならない。(黒幕の話題は今回は割愛する)

マイナンバーも同じで、河野はたまたま担当大臣というだけで、一連の迷走した対応は、誰が担当になっても同じになっているはずである。

2020年9月、政府はデジタル庁設置を打ち出した。骨子には2023年3月までに、全国民にマイナンバーカードを取得させ、

そのカードに健康保険証、運転免許証、教育との紐づけ、さらに自治体や民間とのデータ連携を推進することなどが挙げられた。

つまり、あらゆる分野の個人情報をデジタル網に乗せてつなげて官邸がアクセスできるようにするために、デジタル庁が作られた、と。

河野を弁護するつもりはないが、これは別に河野が企画したわけではない。

今回問題になっている保険証との紐付けの問題点に、

健康保険証とマイナンバーが結びつくことによって、カルテやレセプトもオンライン上結合する危険性を挙げることができる。

要するに、これら個人情報が権力側に一元化されて勝手に利用される危険性が問題の核心なのである。

にもかかわらず、今問題として指摘されているのは、もっぱら情報管理の悪さばかときている。

政府内部で管理がよくても、彼らがそれを使って全国民を監視する危険性について全く指摘しようともしない。

いずれにしても、政府のマイナンバーカードのごり押しは決定事項であり、今更自主返納しても無駄である。

日本人は、すべてにおいて、何か決まった後に騒いだり、裁判を起こしたりする傾向があるが、それでは遅い。

マイナンバーはデジタル庁構想が具体化した2020年当時に騒いでいれば、頓挫していただろうが、もう無理である。

次の衆院選までは岸田政権も公然と無理なことは言ってこないだろうが、選挙が終われば牙をむいてくるはずである。彼らが過半数を握れば、だが。

批判の争点のズレの話をさらに進めると、

先に問題となった入管法改悪も、大メディアは、難民認定の審査回数の制限という各論ばかりを問題にし、入管行政の核心の問題点をスルーした。

結果、今では国民のほとんどが入管行政の問題に関心を示していない。

核心の問題とは、たとえば、主任審査官の胸先三寸で無限の長期収容が可能であること、収容に当局のみの判断で許否が決定され、事前事後の司法審査が皆無であること、仮放免の法的問題である。

これらの問題点は改悪法騒動以後も変わっていない、醜悪な入管実務は今日も明日も続いているというのが実態である。

批判の矛先の対象の問題で言えば、最近ネットでも話題になっているが、大川原化工機の違法捜査事件というのがある。

生物兵器に転用可能な精密機械を中国に不正輸出したとして、2020年、大川原化工機の大川原社長ら幹部3人が逮捕された。

ところが、これが当初から全く嫌疑のない逮捕だった。

現在行われている違法捜査を理由とする国家賠償請求訴訟で明らかになった事実は次の2点。

警察が証拠をでっちあげて逮捕したこと、経産省の職員が警視庁当局に「会社の輸出行為に問題はない」ことを何度も伝えていたこと、である。

起訴前勾留中に会社顧問の1人が胃がんで体調を崩したので、

彼だけ勾留は停止されたが、治療が間に合わず死亡したという。(ちなみに、社長ら2人の勾留は逮捕から11ヵ月後の公判前に取り消された)

当初の違法捜査から関わっていた担当の女性検事2人から会社側にはもちろん謝罪なし、そもそも違法捜査、違法起訴すら、彼女らは現在進行中の裁判でも認めていない。

だが、彼女らの立場に立ってみれば、非(違法性)を認めるわけにもいかない。認めた瞬間に、

5億6500間円の原告への国家賠償金が下り、(元を正せば国民の税金だが)、国による彼女らへの求償請求の可能性があるからである。

カネだけの問題ではない。検察内部の出世の影響も彼女らは考えているだろう。

保身のために絶対に責任を認めない態度は腹立たしいが、世論が彼女らを吊るし上げたところで、それはしょせんガス抜きでしかない。

我々国民の批判の矛先は組織のトップでなければならない。大川原社長らが現在起こしている裁判は、違法捜査を理由とする国家賠償請求なので、

国民やメディアの外野が裁判に圧力をかけるのは無理だが、袴田再審裁判では、それができる。ゆえに、こちらの裁判と併せて検察組織に社会が圧力をかけていくのは可能だろう。

が、結論からいえば、時すでに遅し、である。

7月10日、検察は袴田事件の再審裁判で、有罪立証を行う方針を裁判所に示した。

この方針は検事総長の方針に従ったものだが、組織の保身のために、高裁に完膚なきまでに否定されたねつぞう証拠をまた持ち出して

現場に向かって「戦ってこい」と命じるというのだから、狂気という他ない。

刑事訴訟法454条は、「検事総長は、判決が確定した後その事件の審判が法令に違反したことを発見したときは、最高裁判所に非常上告をすることができる」と規定している。

だが、これは原告弁護団だけの力で発動されるような代物ではない。世論で圧力を加えなければ、検事総長など動かすことはできない。

メディアは、このような法の条文を根拠に、時の検事総長の対応を適宜追及すべきであったが、それをすることなく今日に至ってしまった。

担当検事や静岡県警らの下っ端に批判の矛先が向けられるのは当然としても、メディアが巨悪をスルーしているのでは話の解決にならない。

巨悪の話が出てきたので、締めはやはり岸田になるのか。

本ブログを書いている17日現在、岸田はサウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタールに外遊中だが、

その1週間前には本丸の軍事同盟NATOの首脳会談に出席。その帰国後、今回はおよそ40の企業関係者らを引き連れての外遊となっている。

国内の豪雨被害などどこへやら、彼がどの方向を向いて政治を行っているかよくわかる外遊である。

このような岸田政権でも、直近の各メディア調査の内閣支持率はおよそ40パーセントもある。

先の国政補選の投票率は40パーセント台、野党は弱小。解散総選挙が年内であろうが来年であろうが、結局岸田政権は当分安泰だろう。

だが、それによって日本がさらなる沈没を招いていくとしても、我々が岸田を責める資格はない。

すべての批判の矛先は、彼らを選んだ我々国民自身に向けられることになる。

山下達郎、竹内まりや夫妻、木原官房副長官、山上徹也被告に共通している問題点 

2023年7月9日


(本ブログをアップした後、山下達郎氏が音楽プロデューサーの松尾潔氏の契約解除問題に言及していた記事をたまたま見つけたが、以下に私が憶測した内容とほぼ同主旨のことを山下氏が述べていたので、我ながら驚いている。

以下、山下氏に言及した箇所も含めて書き直しせずに再アップしたい)


ジャニーズの性加害問題をめぐり、音楽家の山下達郎夫妻の対応が話題になっている。

音楽プロデューサーの松尾潔氏が、山下夫妻が関わっているスマイルカンパニーという芸能プロダクション会社からマネジメント契約の解除催告を受けた。

マネジメント契約は業務委託契約に類似しており、労働法関連の雇用契約とは異なるので、

会社が松尾氏に「理由なく」一方的に契約を即時解除しても、違約金(賠償金)さえ支払えば、会社が法的に責められるべき筋合いはない。

契約書もそのように謳っているはずである。

ところが、今回のケースでは、会社社長が理由らしいことを松尾氏に述べており、その理由と決断に至った背景が道義上問題になっている。

松尾氏によると「会社と家族ぐるみの付き合いのあるジャニーズについて松尾が公然と意見を言うのはけしからん」

「ジャニーズとは義理人情の関係がある。だから、彼らとの円満な関係を壊すような有害分子には退場してもらう」とのことで今回の結論に至ったようである。

この会社の方針に音楽家の山下達郎、竹内まりや夫妻が同意したことを会社の弁護士から確認をとった、とも松尾氏は述べている。

取引先との関係を守るために、会社に不利益を及ぼす者を排除していくというのは世上よくある話だが、

このようなビジネスライクの所業に山下達郎夫妻のような著名人が関わっているとなれば、一つのニュースではある。

ネットなどでは、山下夫妻をバッシングする声が多いが、彼らの反論も考えておかなければならない。

「今回松尾氏の契約解除に同意したのはジャニーズ問題とは全く関係ない。別件の問題で解除同意を決断した。」
と彼らが言い訳したらどうだろうか。

先述の通り、「別件」なるものも、真の解除理由なるものも法的に説明する必要はないので、山下夫妻を一方的に非難するのは時期尚早だということになる。

単純に松尾氏と山下夫妻の仲が悪かっただけかもしれない。

要するに、この問題の評価は山下夫妻の口から直接出てくる言葉で判断すべきだろう。

あふれる音楽的才能で名誉と財産をすでに築き上げた山下夫妻が、今さら保身とカネだけのために邪道に加担したとは思えない、と信じたい。

だが、次に述べる木原誠二官房副長官の件は、傲慢不遜な人間の単なる保身のための行動と断言できる。

週刊文春の記事をめぐり、木原が発行元の文藝春秋社を刑事告訴すると気炎を吐いている。

同社によると、7月5日、木原の代理人弁護士が司法記者クラブに「御通知(至急)」と題したA4判で3枚にわたる文書を送付したという。

(司法記者クラブ、新聞社各位 テレビ局各位)にあてたその通知書によれば、

告訴対象となるのは、7月5日に配信された「週刊文春 電子版」記事及び、7月6日発売の「週刊文春」に8ページにわたって掲載される記事「 岸田最側近 木原副長官 俺がいないと妻がすぐ連行される 衝撃音声 」である。

同通知書は、〈週刊文春の記事は、事実無根のもの〉〈捏造されたであろう風説〉とし、〈マスコミ史上稀にみる深刻な人権侵害〉と批判し、即刻記事を削除するよう求めている、とのことである。

木原という人間の性格の腹黒さがこの対応によく表れている。

このような通知書をまず送る相手は文藝春秋社だけで本来よいはずである。

それなのにわざわざ「新聞社各位 テレビ局各位」と題した書面を記者クラブに送りつけているのだから、これでは「少しでも記事を基に報道しようものならおまえら皆まとめて刑事告訴してやる」と恫喝しているのと同じである。

権力のない一私人や末端の国会議員ならともかく、政権中枢にある官房副長官立場にいる者が、このような言論弾圧を行ってはならない。

彼にも口があるのなら、まずは対抗言論で堂々と反論を試みるべきである。

「史上稀にみる深刻な人権(表現の自由)侵害」を犯しているという自覚がこの男にはないということである。(法的な問題については後述する)

木原には統一教会との癒着問題もある。向こうが刑事告訴に出るのなら、文春は統一教会問題をあぶり出して徹底抗戦していくのも面白い。

選挙前にキャンペーンを張るのもいいだろう。

ただ、文春は6月の株主総会で社長が交代し、今後の方向性が変わっていく可能性がある。

私は文春の数年来の有料愛読者だが、世間のトレンドはそうでもないようで、ここにきて部数は減少していると聞く。

文春だけではなく、週刊誌全体が厳しい状況に置かれており、週刊朝日の廃刊に続き、週刊現代も休刊ないし廃刊もありうるとの噂が流れ始めている。

週刊現代は事件やスクープ記事をやめて、健康ものに完全シフト変更した時期があったが、部数はそれほど変わらなかったという。

最近またちょくちょく事件ものを扱ってはいるが、90~2000年代当時の切れ味はもうない。政権の抗議に恐れをなしているのだろう。

今回の木原のような権力側の恫喝が続くとなると、文春の編集方針もどうなるかわからない。

今後の編集方針は部数次第なので、文春が健康ものに完全シフト変更しないよう、我々国民が有料読者となって助けていかなければならない。

話を戻すが、安倍銃殺から1年経ち、山上徹也被告人の最近の動向がメディアで取り上げられることが多くなってきた。

7月8日の各メディア報道によると、山上は「安倍氏を標的に絞ったのは直前だった」と供述していることが捜査関係者への取材で明らかになった、という。

統一教会が埼玉県で7月に開催予定だった集会で、「教団トップの韓鶴子総裁を狙ったが、不参加と知りあきらめて、事件直前に襲撃の対象を安倍に絞り込んだ」と話しているという。

要するに、自分は政治犯ではない、と。政治犯となれば求刑が重くなる可能性が高いからである。

それにしても近年の殺人事件の被告人厳罰化傾向には目を見張るものがある。1人の殺人でも20年弱の求刑は珍しくなくなってきた。更生にはもう少し時間をかけた方がよいという判断なのか。

勾留期間がいたずらに長い傾向は以前から変わっておらず、死刑囚でもない被告人が無駄に幽閉される日数が年々長くなってきている。

鑑定留置は平均4ヶ月だの、公判前整理手続きは平均10ヶ月程度だから、山上の初回公判は来年末だろう、などとしたり顔で話す著名な識者が多いが、議論の前提が間違っている。

争点整理など個々のケースで違って当たり前なのに、平均期間の相場で考えること自体がおかしい。

これまでの報道から考えると、山上の鑑定留置や公判前整理手続きなど1~2ヶ月あれば十分である。

山上の勾留は1年前から続いているのに、何をダラダラやっているのだろうかと言うべきところだろう。平均がこうだからこうだろう、などと権力側のやることに平仄を合わせて思考停止している識者が多すぎる。

公判前整理手続きは、弁護方針によっては長引く可能性はあるが、嫌疑明白な山上のケースで争点整理のためになぜ10ヶ月間はかからない、と言わねばならない。

初回公判は来年でも仕方ないが、弁護士は年内にさっさと終わらせるように権力側に圧力をかけるべきである。

これまで本ブログで何度か書いてきたことだが、山上の弁護団にはどうも能力的な問題があるように思う。

直近の問題では7月8日朝日新聞デジタルの記事である。

弁護団は、大阪拘置所に勾留されている山上に週1回ほど接見しており、健康状態に問題はない、とメディアに述べている。ここまではよしとして、問題はこの後である。

拘置所内で彼は新聞や書籍を読んで過ごしているようで、書籍のジャンルは、近現代史に関するものが多く、

「国家」や「政府」に関連したものへの関心が強いという。
だが、これを言うのはまずいだろう。

彼はこれまで「統一教会に恨みがあるから、教団トップを襲撃しようと考えていた。予定変更で安倍を銃撃したのは、彼が教会と深い関係にあるからだ」と捜査当局に供述していたはずである。

つまり、本件は政治問題ではない、俺は政治犯ではない、と

ところが拘置所で読んでいるのは、有田芳生氏や鈴木エイト氏の本でも山ほど出ている統一教会関連の本でもなく、

国家や政治に関連したものだというだというのだから、これではあらぬ憶測、誤解を生みかねない。

小さいことだが、担当弁護士の発言として軽率であるとのそしりは免れないのではないか。「色々なジャンルの本を読んでいますよ」との軽いコメントで済ませるべきであった。

以上、今回は山下達郎、竹内まりや夫妻、木原官房副長官、山上徹也被告人について私見を述べたが、共通しているのは弁護士の不可解な対応である。

音楽プロデューサーの松尾潔の契約解除に山下夫妻が同意していると回答したスマイルカンパニーの弁護士の対応もマイナス点である。

松尾氏の「山下夫妻は解除に同意しているのか」との問いに対して、「回答を控えさせていただく」でもよかったのではなかったか。

弁護士がそのような質問に法的に答える義務はないからである。変に答えたことで、山下夫妻のあらぬマイナスイメージを世間に植えつけてしまったと言っても言い過ぎではない。

木原の弁護士の対応にも感心できない。

名誉毀損は、真実性や真実相当性の証明を論じる前に、そもそも文春が摘示した核心事実(木原の妻が殺人事件の重要参考人だったという事実)で、

木原らその妻の社会的評価が低下するかどうかを考える必要がある。

これが重要参考人から発展して容疑者になった、と書けば、たとえそれが事実であっても、名誉毀損の可能性はなくはない。

かつて月刊誌「噂の真相」が、森元首相の学生時代の逮捕歴(買春容疑)のスクープを掲載したが、事実であったにもかかわらず、原告の森側に名誉毀損で敗訴した。

噂の真相は、森逮捕の具体的証拠を提示していたにもかかわらず、である。裁判所が証拠として採用しなかったという結論ありきの暗黒裁判だった。

だが、重要参考人云々の記事程度では、事実がどうであれ、社会的評価の低下があったとまでは言えないだろう。

文春の記事は刑事罰に値するほどではない、と。まともな弁護士なら木原にそのようにアドバイスするはずである。

以上、周りのアドバイザーが誰であるかによって、当人の運命も変わってくることがわかる。だが、信頼できる相談役など世の中にそうそういるものではないことも事実である。

確実に言えるのは、耳の痛いことを言ってくれる友人なり側近が周りにいることが必要だということである。

バカ息子を補佐官にしたり、提灯ジャーリストばかりを集めて会食しているような既得権益層ではダメだということである。

広末不倫の過剰報道で安倍銃撃の黒幕の存在を確信した 

2023年7月2日



産経新聞サイトの7月1日付「安倍氏銃撃1年 「別に真犯人」論理飛躍、根強い陰謀論」なる記事を読んで思うところがあるので、私見を述べたい。

記事の冒頭を引用する。

>発生からまもなく1年となる安倍晋三元首相銃撃事件を巡り、インターネット上などでは今も「陰謀論」が飛び交う。殺人罪などで起訴された山上徹也被告(42)のほかに「真犯人がいる」というものだ。(引用ここまで)

山上が犯行現場にいて安倍を銃撃したのは明らかな事実である。彼が殺人罪の容疑者であることに異論を挟むものはいないだろう。

では、彼と意思を通じて殺人を共同して実行した者がいる可能性はどうか。

作家の副島隆彦氏は、孫崎享との共著 「世界が破壊される前に日本に何ができるか 」の中で、真の黒幕は米国CIAであり、そのCIAから

官邸の指令を受けた木原誠二官房副長官らが行動に移した、と。(副島氏は木原の他に2人名前を挙げているが、この2人は今はどうでもいいので保留にしておく)

その木原らの指令を受けた安倍のSPが、どさくさに紛れて消音銃か何かを安倍に押し当ててぶち込んだ、と。

昨年8月、本ブログでも黒幕の存在が官邸にいるのではと憶測したが、個人名までは確信が持てなかったので書かなかった。

一方、副島氏は昨年から堂々と何人かの名前を挙げており、それらの実名は私の憶測と一致していた。

最近の報道を見る限り、副島氏や私の憶測は、かなりの確率で信憑性が高いことがわかったので、本ブログでも名誉毀損を恐れることなく、副島氏の意見を敷衍して自説を述べたい。

副島氏の見立てで批判が大きいと思われるのは、仮に副島氏の憶測通りなら、ではおとりに使われた山上の立場はどうなるのだ、ということではないだろうか。

山上が第三者の指令を受けて殺人を犯したところで、刑務所に入るのは彼であり、人生のロスが大きすぎて得がないのではないか、と。

この点については、カネに困っている彼が億単位の報酬を条件に行動に及んだ可能性も否定できないとの反論が可能である。

1995年に、オウム真理教幹部の村井秀夫を公衆の面前で刺殺した徐裕行には、億単位の報酬が流れていたと当時週刊誌が報道していたが、おそらく事実だろう。

1人の殺しは、前科がなければ懲役10~15年が相場だが、懲役12年の判決を受けた徐は、2007年に出所してその後社会復帰を果たしている。

山上は5つの罪で起訴されることになるだろうが、マックスで15年の求刑がせいぜいだろう。

彼は、逮捕された当時「政治的動機はない」と語っていた。政治犯となれば量刑や刑務所での待遇が違ってくることを知っていたからだと思われる。

仮に政治犯だとされると、想定外の求刑を受ける可能性もあるが、

彼は統一教会に人生と財産を奪われ、関係者を殺したいと思うほど恨みを持っていると言われている。その彼が多額の報酬が得られることを条件に、

教会と最も関係が深い政治家の抹殺をリスクを負ってでも請け負ったと憶測することはそれほど不自然ではない(それでも40代前半の彼に15年の務所暮らしはリスクがあるとの反論も成り立ちうるが)

だが、15年ならまだマシかもしれない。ここにきて検察が例によってダラダラと公判期日を遅らせているのは気になる。

逮捕から1年経過しようとしている嫌疑明白な事件なのに、公判どころか、公判前整理手続すら行われていないのは令和の民主主義国家としては異常という他ない。

そもそも書類しか入っていない段ボール箱に金属探知機が誤作動するなどおよそ100パーセント考えられない。

私も何度か裁判所に書類を送ったことがあるのでよくわかっているつもりだが、運用上まずありえないことである。人をバカにするのもいい加減にしろ、と言いたくなる。

国がグルになって山上の無為な拘置所生活を何だかんだ意図的に長引かせているとしたら大問題である。弁護団は何をやっているのかと言われても仕方がないだろう。

このダラダラした調子だと年内公判はまずない。

オウム真理教の麻原被告人は、逮捕から第1審判決まで8年の勾留生活を強いられた。

麻原とは状況が異なるので一概には言えないが、国側が山上を刑期以上に閉じ込めておくことは法的に可能だということである。

麻原は11年間の裁判で死刑が確定したが、山上は有期刑になるはずなので、検察が最高裁に上告するなどして裁判が長引いた場合、未決勾留の刑の算入に消極的な裁判官が担当すると、

たとえば15年の刑期なのに、30年近く閉じ込められてしまう可能性もなくはない(未決勾留の刑の算入日数は裁判官のさじ加減で決められる。これもずいぶんいい加減な話だが)

ロシアの反体制派のアレクセイナワリヌイ氏が大した罪でもないのに、長期間の幽閉生活を強いられているが、日本でも同じことができるということである。

30年間だと山上は出所時には70歳を超えることになるが、それまで彼が健康体で、かつ、無事生きていられるのかどうか。30年後だとそもそも山上そのものが忘れられている可能性が高い。

それを国が狙っているとすれば、とんでもないことである。民主主義国家に生きる日本人の責務として、我々は山上裁判の行方を注視していかなければならない。

話を黒幕問題に戻すが、安倍と統一教会の関係はここ数年でかなり密になっていたようで、そのことを米国は気に入らなかったとされている。

岸田政権の中核にいる木原は、安倍と元々そりが合わなかったことはメディア内でも周知の事実とされている。

防衛費の予算編成など政策面での衝突は伝えられていたが、そうではなく、両者間には元々私怨があったように思われる。当事者しか知りえない激しい憎悪感情が両者にはあったのではないか。

政策面だけの対立なら、岸田政権発足以前から両者が犬猿の仲だったことを説明できないからである。

安倍は、相手が気に入らないとなれば、暴力団を送り込んで選挙妨害をしたり(下関市長選選挙妨害疑惑)、支援する候補者に10倍の違法選挙資金を供与して落としにかかる(広島の河井事件)ような極道気質の人間である。

木原と安倍の間も当人らしかわからない、やるかやられるかといった抜き差しならぬ緊張関係があったのではないだろうか。

米CIAがそのような両者の関係を利用して木原に指令を送った可能性はある。

米国の立場で言えば、とにかく言うことを聞いてくれる日本人なら誰が政治家でもかまわない。

安倍は忠実な米国の犬だったが、米国内の統一教会問題で利害の対立があった。木原も統一教会とのつながりはあるが、米国の権益を脅かしていたわけではない。

この官邸関与説は、次の2点の事実が間接証拠になりうる。

第1は、高市早苗の放送法発言をめぐる公文書問題である。立憲の小西洋之の追及は至極まっとうであり、高市の言い訳が不当であることはいまさら言うまでもないが、

そのこととは全く別の問題として、当時感覚的にひっかかったのは、やはり、件の公文書が小西に渡ったタイミングである。

総務省の職員から文書を手渡された、と元総務官僚の小西は述べていたが、およそ7年前の書面が何故追及当時(衆院選前ならいざ知らず)小西に渡されたのか、釈然としなかった。

小西としては手渡されたタイミングがどうであれ、あのような書面を受け取ったのだから、国会で当人を追及するのは政治家として当然の行動であったといえる。

その彼がくだらない別件で逆にネチネチ責められる筋合いはそもそもないのだが、それはともかく、

書面について言えば、それを木原ら官邸が流したものだと考えれば、タイミングの問題も納得できる。

つまり、安倍とグルになって木原を公然と非難していた高市を私憤でふるい落としにかかったと考えれば、合点がいくのである。

そうとでも考えなければ、後ろ盾の安倍亡き後、旬を過ぎた高市をなぜ今更火だるまにしなければならなかったのか、ということになる。

第2は、広末涼子の不倫過剰報道である、時を同じくして、木原の不倫問題が浮上していたにもかかわらず、すべての大メディア(テレビ)が木原について完全に沈黙した。

それどころか、何事もないかのように木原をテレビに出しては国の政策について勝手なことを言わせている。

木原の不倫疑惑は昨年週刊新潮がスクープし、今年に入ってからは文春が伝えているが、これらを後追いするテレビは皆無である。

政権中枢のど真ん中にいる木原の方は隠し子(この言葉は子供に差別的なので好ましくないが、事情説明の便宜上あえて使わせていただく)がおり、広末不倫よりもニュースソースとして価値があるにもかかわらずである。

広末報道と比較すれば一目瞭然、木原不倫の大メディア完黙は、忖度のレベルでは説明が付かない。

木原が大メディアに意図的に守られていることは疑いようがない。

大メディア報道の方向性を決めているのは米国である。今の木原がどの立ち位置にいるか、この度の不倫問題ではっきりとわかった。

ところで、怖い者知らずの文春は今年2月「安倍首相暗殺徹底検証 疑惑の銃弾」とのタイトルで、山上単独行動説に一石を投じた記事を連続で詳細に掲載した。

文春の記事には、冒頭の産経記事が指摘しているような「論理の飛躍」などない。

産経が言う「インターネット上などで今も「陰謀論」が飛び交っている」理由は、この産経記事が図らずも証明していることだが、疑惑の銃弾説に合理的な反論がなされていないからである。

疑惑の銃弾の根拠は、2点。1つは、要点を言うと、1発目が左上腕部に命中(したとされている)、その後間髪を入れずに2発目が逆側の右前頚部に命中というのは不自然だろうということ。

安倍が一発目の後に大きく振り返っていれば別だが、映像で見る限り、2発目の右前頚部に弾が命中するほど大きく振り返っているようには見えない。

仮にそう見えたとしても、そもそも司法解剖の結果は、奈良県警によると、「1発目の左上腕部が致命傷」のはずなので、それなら安倍が「大きく」振り返る前に倒れていなければおかしいことになる。

また、奈良県警は、この1発目が左右の鎖骨下にある動脈を損傷したことが致命傷になったと説明していたが、

この1発目では銃弾が体内で大きく変わらない限り、ありえない。というか、この1発目の銃弾は見つかっていないというのはどうしたことか。

そもそも1発目が当たっていないようにも見えるのは私だけだろうか。

事件当日に救命にあたった奈良県立医科大学付属病院の医師は、首から入った弾により心臓に大きく穴が開いた、と説明したが、この説明は県警の説明と大きく食い違う。

件の産経記事もそうだが、「陰謀論者」と揶揄する者たちは、これらの疑問に合理的に答えていない、答えられない。だから、共犯説がいまだに絶えないのである。

テレビで広末不倫が過剰報道される一方、木原のそれが全く報道されないことは合理的に説明できる。

こちらの問題が「陰謀論」ではないことだけは産経も認めなければならない。



マインドコントロールから覚醒しなければ日本に明るい未来が訪れることはないだろう 

2023年6月25日


岸田首相はやはり安倍晋三と同類のウソ八百野郎だった。

岸田は昨年5月31日、国会で「防衛費増額は決して対米公約ではない」と啖呵を切った。

ところが、今年6月20日、米バイデン大統領はカリフォルニアの支援者集会で「防衛費増は私が岸田首相を説得した」と発言、

岸田のウソはあっさりとばれた。

財源についても然り。最後の不足分は消費税増税で補えと米側から実はすでに指令を受けている。

2019年11月、米トランプ政権の意向を受けたIMF専務理事が来日し、麻生太郎財務相と会談。このとき専務理事は消費税15パーセントを要請したという。

その1年半後の2021年3月、バイデン政権は初の外国訪問先として日本を選択。ブリンケン国務長官とオースティン国防長官が来日した。

目的は日本に防衛費捻出のための増税方針を確約させることだった。

日本側は、茂木敏光外相と岸信夫防衛相が対応したが、このときのブリンケンの態度は高圧的で上から目線だったという。

「日本は国家の防衛を強固なものとし、日米同盟をさらに強化するために能力を向上させる」

という共同声明とは名ばかりの、米国の一方的な指令に従うだけの誓約書面に日本は無理やり署名させられた。

話はそれるが、日本に横柄な態度のブリンケンは、先日の中国訪問ではブーメランの洗礼を受けた。

6月18日に北京の空港に到着したブリンケンら米国要人を出迎えたのは、米大使と中国共産党の格下1人だけで、

レッドカーペットなし、群衆も歓迎の演奏もなしだった。

翌日行われた習近平国家主席との会談では、向かい合った長テーブルに並ぶ米中双方の閣僚の間に、習が議長役のように座り、完全に格下扱いされた。

米政府高官が国外でこれほどあからさまに見下されたのは、米国歴史上ないだろう。

肝心の会談も、米側が特に得られた果実はなかった。

NHKニュースウェブが、会談後のブリンケンの記者会見を字幕付きノーカットでアップしているが、米政府高官レベルが海外でこれほど空虚なスピーチをしたのを今まで観たことがない。

ブリンケンはスピーチの際に体を左右に振るような癖が元々あるが、このときは一段と増して落ち着きがなく、よく30分間持ちこたえたなと逆に感心してしまった。

ところで、日本の一部識者や国会議員が、ブリンケンの「台湾独立を支持しない」との言葉を、イコール「中国の台湾侵攻はない」と解釈してツィートしているが、

反対に「米国は中国の台湾侵攻を黙認する」とも解釈できるのではないか。この点については、後日改めて書きたいと思う。

話を戻すが、日本は、中国とは対照的な態度で米側の増税方針命令を土下座して受け入れた。

今回問題になっているマイナンバー制度も米国の意向を汲んだミッション達成の一手段と考えてよい。

総務省によると、マイナンバー制度は、「行政の効率化、国民の利便性の向上、公平・公正な社会の実現のための社会基盤である」ということのようだが、

行政の効率化、国民の利便性にかこつけた国民監視のためのツールであるというのが正しい認識である。

利便性のメリット以上に、銀行の預金通帳、信販会社のデータ紐付け、運転免許証、病院の通院履歴、小学校の成績表から大人になってからの給料明細に至るまで、

ありとあらゆる個人情報を一元化してして国に管理させるデメリットの方が問題が大きいと考えなければならない。

大メディアは、マイナンバーについて行政の管理の悪さばかりを問題視しているが、国による個人情報の一元管理の問題点の方を強調して報道すべきである。。

マイナンバー制度と国の増税方針の関係について、政治評論家の本澤二郎氏が日刊ゲンダイのインタビューに次のように答えている。

「(日本は)米国と一緒に戦争のできる体制の完成に向かっている。仕組みはほぼ整えた。」

「あとは、5年間で43兆円という途方もない防衛費の財源を工面するための国民の金融資産の掌握と徴税強化、そして人員を調達・統制するために国民のあらゆる情報を完全におさえる必要がある。」と。

増税目的達成のためにもマイナンバー制度は必要だということである。端的で分かりやすい指摘である。

無論、マイナンバーは金銭情報の監視だけのツールではない。

デジタル庁に吸い上げられた日本国民の個人情報は、内調と官邸に共有されることになるが、

この「日本国民」の中には、当然日本の閣僚、国会議員、官僚らも含まれているので、

言うまでもなく、彼らの個人情報も米国に吸い取られていくことになる。

その結果、どのようなことが起こるか。

彼らの電話の通話、メールの送受信記録はもちろん、彼らの親族、秘書の金銭問題、違法献金、脱税、性的問題、

風俗利用履歴、裏口入学、海外での買春事実などなど、すべてがデータベース化され、一元管理されたものが海に渡って伝わっていくことになるが、

そもそも官邸、官僚であろうが、上級国民であろうが、IT国家の中で特権で自分だけの情報の吸い上げを阻止することは不可能である。

だから、ここで問題なのは情報の吸い上げではなく、一元化、集約化の方である。(一元化しなければ、たとえば、吸い上げられた情報に漏洩があっても、問題は限定的にしか起こらない)

米国側がこの集約化された個人情報を使って、日本の政治家や官僚らを脅迫するというシステムがマイナンバー制度によって完成するとなれば、日本国身にとってこれほど恐ろしいことはない。

日本の政策は、米側が決め、脅された日本の政治家官僚は命令に従い、その彼らが日本国民を洗脳するために大メディアを操作し、

その大メディアから流される情報を疑うことなく国民が従う、と。こうしたスキームの確立にマイナンバー制度は欠かせないということである。

茂木幹事長は、24日のフジテレビのインタビューで、ひたすら中国と北朝鮮脅威論を唱えて、防衛費の国民負担の必要性を訴えていたが、よく考えてみてほしい。

尖閣問題や不動産の買いあさり(これは合法である)は別として、中国政府(共産党)や軍人が、日本国民に何か具体的に被害を与えているかといえば、特に何もない。

北朝鮮のミサイルが日本の領土を直撃することもありえない。(そもそも動機がない。)

対照的に、米国はあらゆる分野で日本政府、国民生活に直接介入し、打撃を与え続けている。

経済面で言えば、日本が米国の恩恵を受けていたのは、1980年代半ばごろまでで、それ以後日本にもたらしているのは害悪の方が大きい。

それに気付いた小沢一郎は、民主党政権時に対米従属路線からの転換を図ろうとしたが、米国の手先である内外の既得権益層につぶされて失脚し、今日に至っている。

そもそも日本を格差のない総中流社会から格差拡大社会へと変質させたのは、日本政府が米国の指令に従った結果に他ならない。

2009年まで続いた対日年次改革要望書の中身がその証左である。

日本人の米国に対する過度の依存・信頼は、米国カルチャー(スポーツ、映画、ドラマ、ファッションなど)の影響と

政府・大メディアによる根拠のない中国、北朝鮮脅威論の情報流布によるものだが、

これらに日本人がマインドコントロールされている間は、日本に明るい未来が訪れることはないだろう。

元外交官の孫崎享氏の受け売りになるが、4月に行われた欧州外交評議会で、

台湾問題で、米中のどちらを支持するか」との直球の問いに対する欧州の国々の回答は、米国支持が平均23パーセント、「中立」が平均62パーセントだった。

ちなみに欧州には、「中国は脅威だから軍事費を増やそう、増税して国民からカネを吸い上げよう」などいう酔狂な国は一つも存在しない。

あのNATO軍事同盟国でさえもである、欧州の国々のほとんどは、米国を信頼してはいるが、一抹の警戒感もあるというバランスの取れた判断をしていることが数字からうかがえる。

また、中東の権威あるテレビ局のアルジャジーラが「さようならアメリカ、こんにちは中国?」と題して、

「アラブ研究政策研究センター」がアラブ14カ国で実施した2022年の世論調査では、

回答者の78パーセントがこの地域における最大の脅威と不安定の原因は米国であると回答した」と報じているという。

これが世界の現実である。米国に隷属している国など世界には存在しない。

日本の大メディアは、米国に都合の悪いこれらの報道を極力抑えているが、

その大メディアの報道スタンスは、日本政府が指令して決めていることなので、究極的に問題なのは、大メディア、国民ではなく、やはり日本政府ということになる。

大メディアは広末涼子をさらし者にして喜んでいる場合ではない 

2023年6月18日


まず、6月13日に成立したLGBT法案について私見を述べる。

差別には「許されない差別」と「許される差別」がある。

許される差別などない、つまり、個人の事実上の差異を考えることなく、すべての事柄は全く均一に平等に扱わなければならない(絶対的(形式的)平等)と考えると、

ある特定の国民を特別扱いする制度や法律はすべて憲法でいう平等原則違反になってしまう。

たとえば、税の累進課税制度や住民非課税世帯への定額給付金も平等原則に反することになるし、LGBTの人たちを保護するための法律も差別であるとの考えにつながり、不合理である。

そこで、一般的には、「許される差別」があってもよい、と理解されている。

昭和39年の最高裁は「憲法14条1項の法の下の平等は(中略)国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく」

「事柄の性質に即応して、合理的と認められる差別的取扱いをすることも許される」旨述べている。これを相対的(実質的)平等という。

憲法14条は 「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定める。

一般的な理解として、条文前段列挙事由は,歴史的に許されない差別なので、絶対的平等が貫徹されなければならないが、

列挙事由以外の差別は相対的な平等、すなわち、
社会通念上、合理的、正当な差別も許されると解釈されている。

絶対的平等は,社会における一切の機会の平等を意味し、機会さえ与えられていれば不平等の問題は生じないので,自由主義の考えと両立する。

だから、自由と平等の衝突の問題は容易に解決されることになる。

これに対して、相対的平等は、国がどのような措置を行うかという政策的要素が考慮されることになるので、自由の理念とは矛盾することになる。

この自由と平等の両者を調整するのは簡単ではない。

LGBTが絡む問題について、司法は自由と平等の調整の問題、すなわち相対的平等の問題だと認識しているようである。だから、地裁によって判断がバラバラになっている。

たとえば、ここ数年の同性婚をめぐる地裁の判決を見ると、違憲、違憲状態(実質合憲)と判断が区々バラバラである。

LGBT法は、この状況に終止符を打つべく、性的指向やジェンダーアイデンティティを理由とする差別は、憲法14条前段の「性別」の差別の問題、

すなわち絶対的平等の問題だとして、裁判での解釈の統一性を図る目的で議員から法案提出されたものである。。

ところが、今回成立した法案は、日本維新などの提案を受けて修正された結果、相対的平等の解釈を盛り込んだ内容となっている。

しかしこれでは今後も裁判官の恣意的判断で差別の合憲、違憲が繰り返される可能性があり、わざわざ立法化した意味が乏しい。

そもそも裁判で使えない努力義務の法律をいくら作っても、保護を求める側にとってはあまり意味のある代物ではない。

とはいえ、法律の存在は、最高裁レベルの判断に多少影響を及ぼすことになる(はず)なので、法の有効性の判断はそれまで待ちたいと思う。法律がないよりも少しはマシだと今は考えるしかない。

次に、岸田首相が6月解散を見送ったことについてだが、

結論から言えば、前回本ブログが冒頭に述べたことに尽きる。見送りの可能性も十分あった、ということである。

御用の田崎史郎にテレビで言われるまでもなく、年内解散なら9,10月になると予想される。

それまで岸田政権の支持率が持ちこたえるかどうかは、大メディア(NHKを筆頭とするテレビ)の忖度報道と北朝鮮訪問の実現にかかっている。

後者については、前回さわり程度に書いたが、いずれにせよ秋までにトップ会談まで行くのは難しいのではないか。そこで、今回は前者について少々苦言を呈しておく。

NHKと官邸の癒着が日に日に醜悪を極めている。

13日夜、岸田は「こども未来戦略会議」を説明するために緊急記者会見を開き、テレビニュースを電波ジャックした。

中身がほとんどない与太話をなぜこのような形で公表しなければならなかったのだろうか。

会見の前日、日本の航空部隊は、ドイツでNATOと合同軍事訓練を行っており、これは23日まで続く予定である。

演習には、NATO加盟国を中心に25か国が参加し、1万人の兵士と約250機の軍用機が集結している。

航空部隊による合同演習としてはNATO史上最大規模である。

ところが、NHKは、この欧州の大規模軍事訓練に日本が参加しているという重大事実を「ほぼ」スルーしている。

12日のNHKニュースウェッブをチェックしていただきたいと思う。

ニュースタイトルは「NATO発足以来最大規模の空軍演習始まる ロシアを強くけん制か」となっていて、ここには日本のにの字も入っていない。

日ごろNHKしかニュースを見ない、ネット記事もNHKの見出しだけという方は、日本が参加している事実すら知らないのではないか。

ただ、全く事実を隠すわけにもいかないと思ったのか、「アジアから唯一、日本の航空自衛隊の幹部もオブザーバーとして参加する予定だとしています」と付言していたが、伝えたのはたったこれだけである。

ところが、NHKニュースウェッブは、このわずか数行の内容すらも打ち消したかったようで、

ドイツ軍の方針がどうだの、トルコの大佐がこう述べているだの、どうでもいいような話をてんこ盛りして情報をミキサーにかけ、日本参加の事実をうやむやにさせている。

その4日後の16日、自公政権は、防衛費増額に向けた防衛費財源確保法を成立させた。

あの維新でさえ反対に回った法案を、平和の党(のはず)の公明党が賛成したのには驚いたが、

これにより、たとえば、時代遅れのトマホーク中古品400発を米国から1発5億円で、しかも米国価格の3倍の言い値で購入するための財源を国民から税金でむしり取ることが容易にできるようになった。

今回の「こども未来戦略会議」の緊急記者会見は、日程上これらの報道の中間に仕組まれた。

子供をだしにすれば何をやっても許されると思っている政権の情報戦術にNHKが中心的役割を果たしたということである。

ただ、民間地上波も似たようなもので、芸能人の広末涼子が書いたとされる文書の解説に、NATO軍事訓練参加報道の100倍以上の時間を割いて伝えている。

広末スキャンダル、NATO軍事訓練参加の裏で、NATOの日本事務所開設の交渉が進んでいるにもかかわらず、である。

そのNATOはロシア、中国と対峙する正真正銘の軍事同盟である。その支店が日本にも置かれるということは、ロシアとの関係悪化が歴史上最悪になるのは火を見るよりも明らかである。

今年2月、中国外交トップの王毅がクレムリンを訪問し、プーチンとの会談後、記者会見でロシアの全面支援を世界に公言した。

これにより、世界は中国、ロシア陣営VS欧米西側諸国陣営の構図が鮮明となった。

ウクライナ戦線でロシアは武器の枯渇と低レベルの情報処理能力が災いし、侵攻当時誰しもが予測できないほどの劣勢に現在立たされているが、中国はその両面の支援をロシアに約束したのである。

劣勢の理由となっている武器の枯渇は分かりやすいが、後者の情報戦の完敗については少し説明が必要である。

ウクライナにはIT企業が5千社以上、年間収益は30億ドル以上、技術者は20万人以上いるとされているが、

このIT大国に、米国の巨大IT企業群のGAFAとイーロンマスク傘下の宇宙航空会社が無償でウクライナに技術と情報を提供し続けている。

これにより、ウクライナは、衛星画像によるロシア軍の位置情報の把握といった初歩的技術取得だけでなく、高度なハッキング能力も得たとされる。

今後中国が欧米のように、ロシアに武器供与と情報技術の提供を本格的に行うようになれば、ウクライナ戦線はさらに複雑化していくことが予想される。

ぜレンスキー大統領は、18歳から60歳までの男性の出国を禁じており、クリミア半島の奪還まで戦争をやめるつもりはなさそうである。

つまり、戦争は今後エスカレートすることはあっても、下火になることは考えられないということである。

だが、それもすべて米国次第だともいえる。バイデン政権はウクライナのクリミア奪還までは支援しないのではないだろうか。

そのように憶測する根拠については、過去にも2度ほど書いたが、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長が、行き過ぎたウクライナ支援に否定的な発言を記者会見で繰り返し述べていること、

国防総省よりの軍事シンクタンク「ランド研究所」も否定的な意見を政府に進言していること、

共和党が基本的にウクライナ支援継続に賛成の立場なので、来年11月の米大統領選に向けて民主党がライバルと歩調を合わせて、戦線拡大(米国民の多くが反対)を叫ぶ必要性が乏しいこと、などである。

そうなると、今後世界でウクライナを支援する中心的存在は、NATOと日本になる可能性がある。岸田政権はウクライナに殺傷能力が高い武器支援をほのめかしているが、それはやがて現実のものとなるはずである。

さらに、NATOの日本事務所開設は、NATOの要請による集団的自衛権行使ととの解釈につながってもおかしくない。。

そうなれば、日本の自衛隊が、クリミアに8割超住んでいるロシア系住民を殺すために出動を余儀なくされるということが岸田政権下では理論上ありうるということになる。

ただ、一方で、来年になればこの複雑な国際情勢がいい意味で一変する可能性も考えられなくはない。

来年1月には台湾総統選挙が行われるが、ここで反中国候補が勝てば、中国共産党もロシア支援にかまけていられなくなるはずである。

3月には、ロシアで大統領選が行われるが、ここで反プーチン候補が勝てば、ウクライナ情勢に大きな変化が訪れることになるだろう。

11月には米大統領選が行われるが、トランプが立候補して勝てば、ウクライナ支援が縮小される可能性は十分ある。

前回大統領選で、トランプはバイデン親子が関わっていたとされるウクライナ疑惑を追及していた。その男がウクライナの戦争利権に深入りするとは思えないのである。

翻って日本の立場である。ゼレンスキーに必勝しゃもじを渡して殺傷能力の高い武器供給に前のめりになっているような岸田政権に、国際情勢の急激な変化に柔軟に対応できる能力があるとは到底思えない。

気が付けば、日本だけがロシアとの関係を悪化させ、国際情勢の流れから取り残されていくのではとの懸念はぬぐえない。(ちなみにNATO陣営ではフランスがロシアの立場に配慮して日本事務所開設に反対している)

全くの憶測だが、岸田が次期解散総選挙を来年ではなく、年内を模索しているのは、以上のような世界のカレンダー事情が頭にあるのかもしれない。

それはともかく、メディアには、国内問題だけでなく、世界の社会情勢について忖度することなく正確に伝えていくことがこれまで以上に求められているといえる。

もっとも、1人の女性の恋文を公開してさらし者にして喜んでいるような国のメディアには無理だろうが。(国民も同罪というべきか)

秋の臨時国会で解散総選挙なら岸田政権浮揚の具はゼロとはいえない 

2023年6月11日



広島サミット→支持率上昇→6月解散→7月総選挙は規定路線かと思われていたが、ここにきて岸田長男醜聞の文春砲が炸裂し、支持率が低下、

加えて、候補者調整に端を発した自公の協力体制の問題噴出、さらに国会会期末の21日には天皇皇后両陛下が国内不在で、解散詔書への天皇の署名と押印を得ることが不可能になったこと、などなどから、

岸田首相が6月解散を見送る可能性も出てきた。

6月解散がないとなれば、考えられるのは秋の臨時国会で補正予算を成立させた後だろう。併せて内閣改造も考えられる。

自民党の最大の政策目標は改憲だが、その際キーになるのが維新である。

私が維新側の人間なら、秋の解散ではなく、ボロが出る前に、勢いのある今すぐに選挙をやってほしいと考えるだろう。

私が馬場代表の立場なら、選挙後の自民への改憲協力を条件に早期の解散総選挙をプッシュする。

維新と良好な関係にある国民民主の玉木代表は、天皇皇后両陛下が離日する前、たとえば15日の解散もありうるとの見立てを示しており、6月解散の可能性はまだ残されていると考えた方がいいだろう。

ところで、維新の馬場だが、6月7日の党会合で、

「立憲民主党をまず、たたき潰す」
「本当に国家国民のために、この方々は必要なのか」と述べた。

立憲民主の支持率が上がらないのは語気の弱さに原因があると本ブログでは4年前から指摘しているが、その悪癖は泉体制になっても全く変わっていない。

誰も彼もが暴言を吐くべきだと言っているのではない。

国会議員の誰しもが馬場のような物言いをする必要はないし、自民の二階敏博のように、「(彼がコロナで死んだとツィートした者を)叩き殺す」と過激な言葉を発する必要もない。

皆が皆、れいわ新撰組の山本代表のように国会内でダイブする必要はないし、
ハマコーのように野党議員に対して「強姦野郎」と口激する必要もない。

だが、国民の目をまず政治に向けさせるためには、時と場合によっては炎上商法が必要になることも自覚すべきである。

高学歴者が行儀よくきれいごとをいっているだけではダメで、山本代表のような破天荒なキャラも必要だということである。

このことを立憲議員はぜんぜんわかっていない。

皆が貴族のようにふるまい、国会議員という特権階級に胡坐をかき、年間報酬およそ3~5千万円超を享受することが最大目的になっているかのような集団にしか見えない。

野党第一党でありながら政権をとる気もない。

維新の馬場の発言について、立憲の泉健太代表が「大変驚き、あきれる。本当に品のない、下劣な発言だ」「自民党の御用野党、仲良し政党だ」などと述べていたが、

とりあえず何か反論したという感じで、本気で戦うのだという強い気持ちが言葉から伝わってこない。

これでは相手に言われっぱなしで、立憲は維新の勢いに押されているとの悪印象を国民に与えかねない。

相手が「叩き潰す」「国民にとって存在価値があるのか」とケンカを売ってきているのだから、せめて「ハンガーストだの、ストーカー、セクハラの肥だめの集合体に言われたくない。あなたがたこそ叩きつぶす」

ぐらいの調子で応戦してもバチはあたらないだろう。

格闘技で「あおりVTR」というのがある。試合前にお互いが相手をののしりあう映像を見せて、視聴者の試合への興味をひきつける手法だが、やらせ半分でも効果は絶大である。

政治もこれと同じで、良し悪しはともかく、政治に全く関心がない若者、無党派層に振り向いてもらうにはある程度の演出が必要になってくる。

4年前から書いてきたことだが、無党派層をひきつけなければ、野党の党勢拡大などありえないのである。

入管法改悪の議場内の抗議で山本以外で一番目立っていたのが野党議員ではなく、東京新聞の望月衣塑子記者だったというのも情けない。

青木理氏がラジオで彼女のいさましい行動を批判していたが、私は同意しない。

「ジャーナリストは中立であるべき。活動家とは違う」というのが彼の言い分の主旨だが、それは理想論であって現実的ではない。

たとえば、戦場を取材するジャーナリストは、どちらかの陣営に与して取材活動をすることになる。

イラク戦争の時、欧米のジャーナリストは米軍の庇護を受けてヘルメットをかぶって取材していたし、(ローリングストーン誌記者の従軍手記「ジェネレーションキル」は有名)

今起こっているウクライナ戦争を日本人ジャーナリストが最前線で取材するとなれば、ロシアではなくウクライナ軍と行動を共にすることになるだろう。

それで中立的かつ活動家とは別次元の取材ができるかといえば、できるわけがない。だが、それは仕方がないことである。

一方でどこかの中国人ジャーナリストがこの戦争を取材するとなれば、ロシア軍にくっついて活動するはずである。

それでよいだろう。各々が各々の立場で取材して作った偏向レポートを我々外野が見て読んで内容のすり合わせを行い、その中から真実を判断していけばよいだけのことである。

中立を気取っているニュース解説屋の池上彰ならともかく、青木のような硬派の(はずの)フリージャーナリストが官邸に同調するかのように、同業者を公然と批判する言葉を発する必要はない。官邸が喜ぶだけである。

同調といえば立憲も然り。この党の立ち位置で与党側の山本の懲罰動議提出に賛成する必要があったのか。

山本をなぜか敵視している立憲議員は多いので、懲罰便乗にもたいして驚きはないが、

それにしても何度でも繰り返したい。野党第一党でありながらこの党は本気で政権をとる気があるのかと。

安住国会対策委員長は6月7日、国会内で記者団に「衆院議員は任期4年の半分にも至っておらず、解散の大義は何かを注視しないといけない」

「何十億円も使って選挙を実施する理由がどこにあるのか」と衆院の早期解散論に疑問を示したが、野党第一党がこの態度では話にならない。

私には「議員特権をあと2年間享受できる利益を奪わないでほしい」と岸田にお願いしているようにしか聞こえない。

違うだろう。

「立憲としては、国民のためにも、かくかくしかじかの政策を今すぐ実行し、日本をもっとよくしていきたい。そのために我々は今すぐ政権をとらなければならない。

「だから、岸田首相にはぜひ早期の解散総選挙を決断してほしい」
となぜ言えないのか。言うべきだろう。

不信任案の提出を検討しているとも言うが、「不信任案提出と解散は関係ない。こじつけのように使うものではない」と弁明しているのもどうかしている。

不信任案提出は、そもそも解散を迫る目的以外の何物でもない。こじつけて解釈しているのはどっちか。政権をとるために解散を迫っているのではないとしたら何なのか。

何のための不信任案提出なのか。岸田政権を総辞職させたところで(そもそもありえない話なのだが、そこは置くとして)政権は自公に温存されたままで、自分たちが政権をとって国民のために政策を実現できるわけではないだろう。

野党第一党がこの体たらくなのだから、岸田は楽で楽で笑いが止まらないはずである。

「公明との調整がうまくいけば、秋にやっても勝てる」と考えていても的外れとは言い難い。

ただ、秋に選挙、となると、タイミングによっては今以上の大増税方針が国民に暴露されてからになるので、この点の不安は多少あるだろう。

そこで、政権浮揚策として考えられるのが、日朝首脳会談の実現である。

6月8日、岸田は、北朝鮮の金正恩総書記と早期の首脳会談をめざす意向を明らかにした。

岸田は「あらゆる機会を逃さず、金総書記との首脳会談を早期に実現すべく、私直轄のハイレベル協議をする努力を続けたい」と、まずは高官協議レベルの実施を目指すと公言した。

「前提条件なしで会談したい」とも言ったようだが、相手が頼んでもいないのに、お願いする立場の岸田が上から目線で前提条件がどうこう言うのもおかしな話ではある。

が、そこは置くとして、予想外だったのは、北朝鮮側が条件をつけながらも「両国が会えない理由はない」と回答してきたことである。

北朝鮮側の条件とは、一言で言えば、拉致問題の棚上げと経済制裁の見直しである。

経済制裁は、核実験問題が理由の一つとなっているが、これは交渉次第で何とかなるだろう。

何ともならないのは、経済制裁のもう一つの理由の拉致問題である。

この問題が解決しなければ、経済制裁を解除できないとの方針を変えなければ交渉の進展は望めない。

一つの案として、たとえば、拉致問題解決と経済制裁解除は同時履行でなく、後者をまず先履行にして一定期間様子を見るという案はどうだろうか。

たとえば、「向こう1年間は経済制裁を解除するので、その間これこれの約束した拉致被害者の調査、帰国を前向きに実行してほしい」と。

小泉政権時代の無償のコメ支援はその後の被害者の一部解放につながったし、何よりも北朝鮮はリーダーが祖父からその息子、さらに孫へと変わったので、交渉の余地はあると思う。

過激なトランプ前米大統領にも会談で好感を持たれた孫の金正恩は、父、祖父よりも温厚な性格として知られており、日本側が提案をトライしてみる価値はある。

この際、「北朝鮮が約束を守るわけがない」という憶測はなしにすべきである。期間限定でよいと割り切って。その間彼らを信じるしかない。

約束を破られたら元の木阿弥だが、そのときはそのときでまた改めて対応を考えればよい。

そもそも経済制裁一辺倒でうまくいかないのは、8年以上の安倍政権下で既に証明されていることなので、いずれにせよ発想の転換は必要である。

拉致被害者だった蓮池薫氏の兄の蓮池透氏も、経済制裁一辺倒では無為に時間が経過するだけで解決につながらないことを述べている。

著書「拉致被害者らを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」によると、

蓮池氏が政府関係者に経済制裁と拉致被害者救出の関係を聞いたところ、次のような答えが返ってきたという。

「経済制裁をすれば北朝鮮はもがき苦しむ。そして、どうしようもなくなって日本に助けを求めてくる。」

「ひれ伏して謝り、拉致被害者を差し出してくる。で、あるから、日本は広く窓を開けて待っているのだ」と。

これに対し、蓮池氏は、広く開けている窓にハエ一匹入ってこなかったのが現実ではないかと異議を唱えているが、その通りである。

安倍政権下の経済制裁圧力一辺倒政策は、日朝関係を悪化させただけで、何の成果ももたらさなかったことは岸田もわかりきっているはずである。

官房長官、自民の幹事長などを歴任した野中広務氏は在任中、9年間で8回も北朝鮮を訪問しているが、

その野中が回顧録で「日本の国民には分からないけれど、北朝鮮、韓国、中国、ロシアとは本当に仲良くしていかなければ、将来日本の国は危うい」と述べている。

来年1月に台湾総統選が行われるが、ここに中国が介入してくるのはほぼ間違いない。この選挙の行方は日中、日朝関係にも大きく影響してくることになるはずである。

そのあたりの理由は次回以降述べるとして、野中が言いたかったのは、日本とこれらの国は相互の利益依存関係にあるので、

どこかの国の野党のように、相手の揚げ足を取って好き嫌いでつきあいをしていている場合ではないということである。

今回はこの点が中心テーマのはずだったが、前置きのつもりで書いていた立憲の体たらくを勢いでダラダラ書きすぎて力尽きてしまった。次回以降はもう少しテーマに沿って書くように努力したい。

安倍超えの極悪非道岸田政権に憲法改悪不要の最終根拠を提言する 

2023年6月4日


でたらめな難民審査が天下に晒されてもなお入管法改悪に固執し、

7月11日のNATO会議出席に向けて、防衛財源財源法の成立を急がせて軍事同盟加入の筋道を立てることにやっきとなり、

「核なき世界を目指す」と公言しながら、核兵器禁止条約への署名・批准を拒否し、広島サミットでは逆に抑止力を肯定し、

全国民のプライバシー、私生活を丸裸にするマイナンバー制度を実質義務化し、

原発推進をあからさまに声高に叫び、どこそこと手を組めば選挙に有利だ、不利だ云々と、国民そっちのけで自分たちが生き残ることに日々策謀をめぐらし、

公邸でバカ息子を遊ばせておきながら、「公邸の私的スペースだ」などと意味不明の言い訳で言い逃れを図り、、、などなど、

岸田は安倍の第1の子分だったが、今や師匠を超えた極悪非道の本性を如何なくあらわにしている。

無能、鈍感、決断力の欠如、大ぼら吹き、と、まさに悪のフルスペック装備の行政の長、それが岸田文雄である。

今のところ、永田町で岸田政権に正面から対峙しているのがれいわ新選組だけというのは悲しすぎる。

オール与党の空気の中、れいわの櫛渕共同代表が、6月1日、国会で不穏当な行動をとったという理由で10日間の登院停止の懲罰処分を受けたが、

これがもし紙を掲げたのが彼女だけでなく、維新、国民民主らを除いた野党議員が全員やったらどうなっていただろうか。

近い将来解散総選挙もありうる中で。およそ110人の衆院議員全員が10日間の登院停止の処分を受けるなどまず考えられない。

野党不在の国会で、実質強行採決を連発する政権の支持率は落ちることはあっても上がることはないだろう。選挙間近のこの時期に与党がそのような戦略ミスをあえて犯すはずがない。

単独行動だったから櫛渕は見せしめの厳罰に処された。

だからこそ野党の一致団結の行動が必要になってくるのだが、バラバラの野党に足並みをそろえた行動は期待できそうにない。

ところで、櫛渕が登院停止処分を受けた前日、大阪地裁で開かれた刑事裁判で、被告人側弁護士が「法廷の秩序を乱した」という理由で手錠をかけられて処分されるという事件があった。

ICレコーダーを机上に置いた弁護士が裁判官の注意に従わなかったので、手錠をかけられ、強制的に退廷させられたという。

ICレコーダーがなぜダメなのか、法廷内の秩序を乱すことになるのかと弁護士が理由を聞いたようだが、裁判官は正面から答えなかったという。

法廷内の録音や撮影の是非については賛否あるが、私は一定の条件下で認めてもよいと考えている。

たとえば、憲法62条は議院の国政調査権を認めているが、各議院は公務員だけでなく、私人に対しても証人として出頭して証言することを求めることができるとされている。

この62条を受けて規定された議院証言法は、証人に対して広く刑罰の制裁を加えることを認めている。(虚偽の陳述については3月以上10年以下の懲役、出頭拒否については1年以下の禁錮又は10万円以下の罰金などなど)

これらの処罰は、議院ではなく司法裁判所が行うとされている。

また、同法5条の7は、証人尋問のテレビ中継が可能だと規定している。

以上の規定の存在を踏まえると、公開法廷であれば、刑事裁判で録音を認めてもおかしな話ではない。

性犯罪、ストーカーなどのセンシティブな事件には慎重な要の検討が必要だが、

映像はともかく、音声録音については、当事者(原告、被告)が同意し、録音も代理人弁護士に限定すれば、認めてもよいのではと考える。

その点はともかく、今回裁判官が弁護士の質問に正面から答えずに問答無用で手錠をかけて退廷させたのは、権力の横暴であり、やりすぎの感は否めない。

レコーダーを引っ込めるのに弁護士がどうしても従わないというなら、裁判長の訴訟指揮で審理を中断し、

たとえば、1時間休憩を入れて裁判官室で弁護士と話し合う、または、後の審理の予定が詰まっているのなら、今日は中止にして、

後日改めて話し合った上で公判を再開するなど、他に取りうる穏当な方法はあったはずである。

権力を持っている者がそれを振りかざして強制的に相手を従わせたり、排除するのは簡単である。だが、権力者がそれを安易にやってしまえば、もはや民主主義国家とはいえない。

権力の横暴を許さないためにも、我々は権力を握る者に縛りを掛ける有効な装置を持たなければならないが、それが憲法であることは言うまでもない。

ところで、憲法学者の小林節氏が最近また不可思議なことを言っているので、以下、これについて述べていく。

5月13日付の日刊ゲンダイのコラムで、小林氏は、自民党の9条改憲案には反対だが、維新の改憲案には賛成だといっている。

小林氏によれば、自民案は、「前条(現行9条)は……必要な自衛のための自衛隊を保持することを『妨げず』」とし、

現行9条による専守防衛の制約をはずした上で、自衛隊を明記して「自衛隊は必要なら何でもできる」と読める内容になっているが、

維新の案は「『前条(現行9条)の範囲内で』……自衛のための自衛隊を保持する」としているので、現在の専守防衛という方針は守ることを前提にしている、と。

自民は、率直に普通の軍事大国を目指しているが、維新は、9条の伝統を守りながらも、さらに防衛の質を高める必要にも言及している、と。

だから維新の9条改憲案はすばらしい、という。以上が小林氏の主張の骨子である。

自民案の評価についてはその通りだと思うが、維新案の小林氏の解釈には同意できない。

小林氏の説明は、自衛隊を「専守防衛に徹した第二警察だ」との氏自身の解釈、定義を前提にしたものである。

だが、安保法制がある今日、自衛隊は集団的自衛権の名の下に、海外で他国(主に米国)軍隊の武力行使と一体化して戦争行動をすることが可能となった実力組織に変質している。

つまり、今日の自衛隊の役割は小林氏の言う専守防衛とはかけ離れた役割を担わされているのである。解釈はともかく、それが現実である。

そして、維新は2014年以来、憲法解釈で集団的自衛権は可能であるとの立場に立っている。

つまり、維新の言う「前条(現行9条)の範囲内で」……自衛のための自衛隊を保持する」とは、

「専守防衛を超えて他国で戦争行為が可能な自衛隊の存在を容認する9条解釈の範囲内で、、、集団的自衛権も行使できる自衛隊を保持する」と捉える必要がある。

だが、このような自衛隊が憲法に規定された場合,9条2項との矛盾・衝突は避けられない。

というか、そもそも論として、小林氏は集団的自衛権も自衛隊明記も反対していたはずであり、この前提はどこに消えてしまったのだろうか。到底納得できる意見ではない。

以上が私の反対意見である。

と、ここまで書いておいて何だが、このような解釈ごっこははっきり言ってどうでもよい。これはサル未満の議論である。

ゴチャゴチャ書いてきたが、本ブログの立場は、要するに改憲反対である。

「時代の変化に合わせて古い憲法を変える必要がある」という者らがいる。

だが、「時代の変化に合わせて」国家のあり方、社会のルールを作り直したいのなら、

新たなルール、法律を作るか、または、既存のそれらを変えて対処すればいいだけのことであり、何も大元を変える必要はない。

法の制定や改正内容が現行憲法に抵触する、抵触する疑いがあるときに改憲を考えればよい。

緊急事態条項を置きたくて仕方がない権力側の改憲論議に我々国民は惑わされてはならない。

改憲を唱える彼らの真の狙いは、自分たちの権力拡大、温存のためであり、それ以上でもそれ以下でもない。

つまり、改憲は国民に不利益をもたらすことはあっても、利益をもたらすことは何一つない。これが今回の結論である。

というか、そもそも国会議員は、今改憲論議で遊んでいる場合ではないはずである。真っ先に彼らに言いたいのは

物価高を何とかしろ、賃金を上げろ、拡大する格差是正に真面目に取り組んで知恵を絞れ、である。

国民の生活を優先して考えられない国家議員らを我々はまとめて追放しなければならない。

そのための早期解散論議なら喜んで歓迎する。



自公イカサマ猿芝居なら野党にも立て直しの時間は与えられる 

2023年5月28日



5月25日の自民の茂木幹事長と公明の石井幹事長の会談は怒鳴り合いだった(自民党関係者の話)と一部メディアが伝えていたが、

これがやらせだった可能性がある。

茂木との会談後の記者会見で、石井は

「これまでの協議で東京における自公の信頼関係は地に堕ちたと言える」「東京の選挙区では自民党の候補者に推薦を出さない」「これは最終決定だ」

と強硬姿勢を示したが、公明は9日、維新と選挙協力の解消を決めたばかりである。

維新に続いて自民との関係解消(東京限定とはいえ)を、間をおかずに即断できるものだろうか、違和感を覚える。

しかも直近に解散総選挙が待ち受けている可能性が高いにもかかわらず、である。

28日の日刊ゲンダイは、自公決裂茶番説を伝えている。

その根拠を私なりに要約すると、

公明は支持母体の創価学会が高齢化しており、4月の統一地方選でフル稼働したばかりなので、6月解散には対応できない、と。

だから、6月解散を阻止すべく、公明の時間稼ぎの策謀に自民が乗った、と。

自民は自民で、都連会長の萩生田の思惑があり、解散引き伸ばしは悪い話ではない、と。

公明としては東京の小選挙区で2議席確保できれば文句はなく、議席が取れれば選挙区などどこでも構わない。

だから、選挙区云々でごねるふりをして、最終的には29区と12区を自民が公明に譲って落ち着くだろう、と。

問題はこの猿芝居を岸田が承知しているかである。萩生田1人の思惑に岸田が振り回されることなど考えられないが、萩生田のバックには森元首相がいる。

岸田が森に逆らうことはありえない。で、あれば、萩生田の意向を汲んだ森が岸田を説得すれば、早期解散を断念する可能性が極めて高くなるだろう。

ただ、茂木と石井は30日に再会談するとのことなので、茶番説を断言するにはまだ早い。

そこで、以下では、自公決裂ガチ説の立場から思う所を述べていく。

自公の関係がかつてないほど険悪になっていることは事実のようである。

NHKニュースサイトによると、原因の一つとして両党のパイプ役の不在を指摘しているが、その通りだろう。

かつての自民党なら、今報道されているレベルの問題で事態が表面化することはなかったと思われる。

交渉を担当している茂木幹事長は、元々公明党との関係は希薄なので、パイプ役にはなりえない。

たとえ茂木が適任だとしても、この男の目立った行動は、岸田のボスの一人である青木幹雄が許さない。このあたりの人間関係は岸田も頭が痛いと思われる。

公明党との関係に限って言えば、二階俊博がパイプ役として適任だと思うが、岸田としては非主流のこの男に全面的に頼るのは体裁が悪すぎる。

岸田の相談役の一人である麻生太郎も、茂木同様に公明との関係は遠く、パイプ役にはなりえない。

森も公明とのつきあいはそれほど深いわけではないのであてにできない。

森お気に入りの安倍5人衆はといえば、公明党との関係云々以前に、萩生田も含めてそもそも彼らは調整役の器ではなく、論外である。

選挙対策委員長の森山裕は人格的にはその器だと思うが、強力なパイプ役になるには肩書きが弱い。

かつては小沢一郎が強力なパイプ役として機能していた。(良し悪しはともかく)。

小渕政権時代に官房長官だった野中広務は、回顧録の中で小沢について次のように語っている。

当時、野中は小沢を「悪魔」と公言し、蛇蝎の如く嫌っていた。

ところが、参議院でねじれが生じ、小沢率いる自由党との協力関係を余儀なくされる事態が生じていた。

亀井静香の仲介により、高輪プリンスホテルで小沢と対面した野中は、小沢に対し、

「今まで非常に不都合なことがありましたけれど、こういう国家的危機ですから、一つご理解をいただいて、、、」と言いかけると、小沢が

「もういいじゃないか、個人的なことはいいじゃないか。それより政策だ」
と言って、すぐに周辺事態法のような話をし始めたという。小沢らしいエピソードである。

ともかく会談はうまくいったようで、後日小沢は国会の円滑な運営の協力を約束したという。

小沢は公明党を政権与党に格上げさせた負の功労者でもあるが、それを今責めたところでどうにもなるものではない。

この逸話を今更ここで紹介したのはそのことを言いたいからではない。自民と公明の関係について、公明が与党になる以前、両者は長らく敵対関係にあったと言われていたが、

野中によると、当時連携候補として浮上していたのは、小沢自由党ではなく、何と公明だったという。加藤紘一が公明とパイプを持っていて、実際に冬柴鉄三らと会談したという。

何のことはない。表向きは敵対していたようにみせかけて、実は当時から裏で色々つながっていたということである。

だから今回の騒動もやらせなのかガチなのか、まだわからないのである。はっきりしているのは、当時のような重厚な策士が今はいないということだけである。

本来ならリーダーの岸田が先頭に立ってパイプ役になるべきだと思うが、岸田は公明に正面から相手にされていない。

何せバカ息子を公邸で遊ばせているようなリーダーである。この男に水面下の交渉は人望的に無理であろう。

今回の一連の騒動が表面化した原因は、岸田のリーダーシップの欠如にあるといってよい。

この与党のゴタゴタを野党(ゆ党の維新と国民民主は除く)が活かさない手はないだろう。

東京限定とはいえ、自公が選挙協力解消となれば、野党にとっては願ってもない展開となる。

ところで、真の野党が今のところれいわ新選組しか存在しないのは残念である。

「政治はケンカだ 赤石市長の12年」(泉 房穂、 鮫島 浩著)の中で、

泉はれいわ新選組の勢力が伸び悩んでいる理由について、山本太郎の個人商店の印象が強いからだと述べているが、同意できない。

れいわが伸び悩んでいる理由は、大メディアが相手にしないからの1点に尽きる。

NHKらのテレビが連日れいわの議員を取り上げれば、岸田政権批判の受け皿として、比例で800万は超えると断言できる。

2020年の小池百合子の都知事選がテレビの力を証明している。中身ゼロ、政策ゼロ、疑惑紛々でも、連日のコロナ会見の露出が効いて、小池個人商店は366万票もとった。

宇都宮健児氏、れいわの山本他、強力な候補者がいる中での巨大な圧勝劇であった。

れいわは中身ゼロではない。大メディアは取り上げないが、彼らは彼らでできるだけの政策提案、情報発信を行っている。

だが、如何せん全国民に行き届かない。テレビの情報発信、露出がなければ存在感が希薄になっていくというのが現実である。

そもそも既得権益側のテレビは、それに対抗する彼らの存在を無視している。だから、彼らがテレビに取り上げられる方法があるとすれば、国会でのパフォーマンスしかなくなる。

牛歩戦術や「もっと本気で闘う野党の復活を」「与党も野党も茶番」などと紙を掲げて目立つしか方法がないのが現状だろう。

れいわは山本の個人商店ではない。櫛渕万里、大石晃子の共同代表らもできるだけのことをやってアピールしている。

今回の彼女らの国会内での行動を批判するのに頭は使わない。

だが、何もせずにきれいごとばかりを言って批判するのは、自公政権支持者と権力の走狗となっている大メディアだけで十分にしてほしい。

6割の無党派層は真正野党の彼らの言動にもう少し注目すべきである。

ところで、先の著書で、泉氏は野党第一党の党首について、

「ウソでもいいから政権をとって、私が総理大臣になったらこうしますと言わなあかんのよ。かつての社会党のように」

「万年野党でとりあえず今の立場に安住しているようでは国民の期待感は高まらない」

「それこそツイッターもある時代ですし、日々国民に対するメッセージを発信する、つまり国民の共感や期待感を書きたてる能力が求められている」

と言い、聞き手の鮫島氏も

「次の総選挙で政権交代は難しい、次の次を狙うなんて言っている野党第一党の党首では話にならない」と述べている。

その通りだろう。だが、そもそも泉健太に「次の次」はない。

というか、この政党に次の次のことを考えている余裕はない。

先のことを考えるよりも、今やるべきことを実行すべきだろう。

それは何かとたずねたら、党内で緊急動議を提案して代表選を行うか、分党を決断するか、である。

解散までにまだ時間はある(と思う)。自公がすったもんだしている間に、いい加減腹をくくる行動を示すべきである。


広島サミット後の政局の鍵を握るのはあの元首相と検察である 

2023年5月21日




5月18日、G7広島サミットに対抗する形で、中国版サミットが陝西省西安で行われ、19日に閉幕した。

世界の分極化がより一層深刻化している。

中国版の評価は後日に回すとして、G7の首脳宣言では、中国、ロシア、北朝鮮、イランらが名指しで非難されたのには驚いた。

米国に隷属、盲従し、日本が親日のイランを非難するのは愚かという他ない。

一方でウクライナへの支援の継続、強化が謳われたが、
日本が西側の思惑に乗ってウクライナに武器支援をすれば(今回は遠慮したが)、ロシアとの関係は決定的に破綻し、北方領土問題の解決は永久、完全に今後不可能となるだろう。

ウクライナに必勝しゃもじを渡して、戦争継続を訴えて殺傷能力のある武器供与をしようという総理大臣が、平和な世界だの法の支配だの核兵器のない世界だの口にする資格があるのか。

4月25日、岸田政権は、殺傷能力のある武器輸出の解禁を目指して「防衛装備移転三原則」協議を開始した。

岸田は、武器の輸出大国を目指すべく、今国会で防衛産業の「生産基盤強化法案」を成立させ、武器の製造・輸出ができる体制を築こうとしているのだから、行動が全く伴っていない。

核兵器のない世界を謳っておきながら、日本を含めてG7が核兵器禁止条約には署名しないというのだから、茶番もここまで来れば笑うしかない。

核兵器はダメだが、トマホークを他国から購入し、軍事費を今後5年間で1,6倍に増やすために低所得者の国民からも税金をむしりとるという自家撞着を岸田はどう説明するのか。

1988年、日本の個人所得は世界2位だったが、安倍政権末期の2018年には26位まで転落した。

およそ30年間、先進国で賃金が上がっていないのは日本だけである。

今の日本はごく一部の既得権益層と非既得権益層(日本の労働者の99,7パーセントは、中小企業の従業員と非正規雇用の労働者)に分断されている。

5月15日の経済財政諮問会議で、岸田首相は久々に「成長と分配」のフレーズを用いて賃金上昇に向けた意気込みを語ったが、期待できない。

何せ少子化対策の財源に社会保障への上乗せを検討しているような政権である。全庶民からカネをむしりとる一方で、

「賃金上昇」「分配」に具体策がなければ、格差拡大が今後さらに加速していくだろう。

何もしない岸田の頭の中は、今衆院解散の是非を考えることでいっぱいだと思われる。

麻生太郎と森喜朗元首相のゴーサインさえあれば、6月解散7月選挙の決断に躊躇なく踏み切るだろう。

岸田と麻生は微妙な関係だと言われ続けているが、麻生は18日に行った麻生派の政治資金パーティーで岸田の全面支持を明言しており、

河野太郎の動向は無視できないものの、現状、敵に回ることは考えにくい。

森との師弟関係については今さら言うまでもないだろう。

権力基盤の強化には安倍派からのゆるぎない全面支持を取り付けることが必要条件だが、そのためには森の存在が欠かせない。

3月25日、森はNHK、読売などの大メディアにわざわざ事前通知して、東京のホテル内で萩生田、世耕、松野、西村、高木の安倍派5人と会談を行った。

この席で、森は萩生田を安倍派の会長に「指名」したと思われる。

私は、3000人が集まる5月16日の安倍派の政治資金パーティ-で森が公表するではと憶測していたが、

森はそもそもスピーチすらせずに会場を後にしたようである。その消極的な行動の真意は不明だが、森の置かれている立場を考えれば当然だともいえなくもない、

今の森は、公でえらそうなことを口にできる立場にはいない。

森は東京五輪・パラ汚職(以下、五輪汚職)の最高責任者として、逮捕起訴されてもおかしくない状況に追い込まれているからである。

五輪汚職がらみの事件では、現在15人が起訴されているが、4月21日、東京地裁で初の判決が出た。

AOKIホールディングスの元会長の青木拡憲、元副会長の青木宝久、元専務執行役員の上田雄久の各々に贈賄罪の有罪判決が下された。

5月11日には、ADKホールディングス」の元役員久松茂治と同社の五輪本部長多田俊明に、こちらも贈賄罪の有罪判決が各々に下された。

青木拡憲の初公判で、検察はAOKIの元幹部の供述調書を読み上げた。青木と収賄側の高橋の交渉に同席したという元幹部は、会話のほとんどを録音していたという。

その席で、高橋が「何だかんだ決めているのは森さん」と発言したことが確認されている。検察が録音内容を書き取って調書にしているのだから、発言の存在は間違いないと思われる。

その翌月の東京・六本木のステーキ店の会食には、森本人も出席した。

その席で青木は森に「日本選手団の公式制服をお願いしたい」などとに打診し、青木は捜査段階で「好感触を得た」と供述していたとされる。

青木は高橋、森を接待漬けにしており、19年9月に青木は「五輪で実現したい8項目」(公式制服の製作も含む)をまとめた要望書を高橋に手渡したという。

その接待の場にも森は同席していたとされる。

結果、青木はまんまと受注に成功し、その後に森を接待してお礼を伝えていたとされる。

刑法197条を説明するのは割愛するが、森の受託収賄容疑は火を見るよりも明らかである。

ここまで事実をつかんでおきながら、検察が森を不問に付すというのは許されることではない。

森のカネの流れを把握する立場にいる人物として、小林温元参議院議員の存在を挙げることができる。

小林は公職選挙法違反で有罪判決を受けて参議院議員を失職した男だが、
一方で、森からの信頼が厚いことでもよく知られている人物である。

彼は政界のフィクサーこと大樹総研グループの矢島義也との接点がある。

2015年5月に帝国ホテルで催された矢島の結婚披露宴に小林は出席しているが、

名簿には、今回有罪判決を受けた前述の五輪本部長多田俊明も名前を連ねていたとされる。小林を介して森と多田の関係がつながることをここで説明することができる。

矢島と言われてもピンとこない方がいるかもしれないので。少し紹介しておきたい。

月刊誌噂の真相と写真誌「FOCUS」99年7月21日号によると、

矢島は東京のマンションの一室で週に1回ほど乱交パーティーを開催していた過去を持つ。

マンションでは、女子大生やOLらが有名俳優や人気アイドルの相手をしていたという。

その後数年の時を経て、矢島は菅義偉、二階俊博に接近し、政官界に人脈を広げていき、政界のフィクサーと言われるまでに成り上がっていった。

ところがその大樹総研に22年3月、インサイダー取引疑惑でガサが入り、現在も矢島は捜査対象になっている。

話が脱線してしまったが、要するに、森の人脈を考えれば、彼が全面シロでお咎めなしというのは筋が通らないということである。

無罪放免なら今回「法の支配」を謳った岸田も本意ではないと信じたい。

で、あれば、検察は森を「参考人」ではなく、「重要参考人」に格上げして厳しく追及しなければならない。

今後森が捜査線上に浮上してくるようなら、党内力学ががらりと変わる可能性がある。

岸田が安倍派の全面支持の取り付けにあたふたするようなら、麻生派、茂木派が態度を変えてもおかしくない。

森を失えば岸田の権力基盤の弱体化は避けられないだろう。

そうとなれば、今後の政局を揺るがすのは弱体野党ではなく、検察だということになる。

外国のマスメディアにまで介入して言論統制する愚かな岸田文雄 

2023年5月14日


日本維新の会の梅村みずほ議員が、5月12日の入管法の国会審議で、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリ氏死亡の件について、次のように発言した。

「ウィシュマさんの映像を総合的に見ていきますと、よかれと思った支援者の一言がウィシュマさんに『病気になれば仮釈放してもらえる』という淡い期待を抱かせ、

医師から詐病の可能性を指摘される状況へつながったおそれも否定できない」と。

耳を疑う発言とはこのことである。

これまでの調査で判明しているのは、ウィシュマ氏が、

飲食しては吐くの繰り返しで、栄養が取れない状態が続き、

その結果、2020年8月の収容時から2021年3月6日死亡時までに体重が20キロ減少し、

死亡およそ3週間前の2月16日の尿検査では、体が飢餓状態に陥っていることがわかり、

にもかかわらず、外部病院で点滴すら受けられず、施設に戻され、死の前日には、血圧や脈も取れないほどさらに衰弱し

救急車を呼ばれることもなく、3月6日ついに死亡したという事実である。

医師が詐病の可能性を指摘する経緯など微塵も介在する余地はない。

梅村は、録画映像を見て判断したと言うが、映像は状況の一端を説明した一資料に過ぎない。

収容時から死亡に至るまでの資料を文書か何かで学習していないのだろうか。

このような議員の所属する政党が、今後勢力を拡張しようというのだから恐ろしい。

ところで、作家の百田尚樹氏が、この政党の創業者である橋下徹氏のことを書いた著書をめぐって名誉棄損で訴えられるのではとおびえているようである。

著書は「橋下徹の研究」(2022年12月刊)で、これがなかなか面白い。

書かれている情報のほとんどは、これまで雑誌メディアやネットなど、どこかで読んだことがあるような話だが、この本の価値は百田の独特な橋下評価にある。

著者は橋下と面識があり、合計10時間ぐらいは対面で会話をしたことがあるという。

本人に会ったこともない外野が、憶測でああだこうだと評論している本ではない。直接会った者しか知りえない皮膚感覚が所々巧妙に表現されている。

結論は、「橋下という人間は、一言で言えば、テレビで観ているほど魅力ある人物ではない」と。はっきりそのように書いているわけではないが、言いたいのは、要するにそういうことである。

躍進を続けるチンピラ集団「ゆ党」の創業者を知りうる評論本として読む価値はある。

百田は歴史認識に大いに問題がある人物で、基本的に私とは真逆の考えの持ち主である。評論家としては好きなタイプではないが、筆力の高さに疑いを挟む余地はない。

直接当事者に会った者が書いた評論本としてお勧めできる本である。

ところで、日本の評論家、ジャーナリストで、あらゆる業界の人間に直接取材できるような人間といえば田原総一郎だろう。

だが、その田原の書いたものは百田の本よりも個人的にどうも相性が合わない。彼の著書はかなり読んでいるが、ストンと落ちるものがいつもない。

「年寄りに発破をかけさせ続ける物足りない政治家たち」と題した週刊朝日5月19日号の記事(インタビュー形式)でも、彼は

「日本の問題は政権交代を担うべき政党、つまり強い野党がいないことだ。野党が弱すぎるのである。」

「ずばり言えば、立憲を始め、いずれの野党にも政権奪取の意欲がはなはだ薄いことが原因だ。」

と言っている。ここまでは良しとしても、彼の問題はこの後である。

「かつて、ある野党の代表に、「自民党の批判をしているだけでなく、この国を良くするためにどうすべきか、いろいろな方策を考えるべきだ」と提案して、議員たちの勉強会を始めたのだが、

あまりにも集まりが悪いので3回でやめてしまったことがある。」
と。

田原は政財界の要人に顔が利く稀有な物書きなので、一般人が知りえない未公表のきわどい情報もかなり得ているはずである。

にもかかわらず、それが書物や発言に反映されたためしがない。

「ある野党の代表」とは誰のことなのか、勉強会をドタキャンした議員は誰なのか、なぜこの程度のことまで忖度して名指しで書けないのか。書いても名誉毀損や侮辱になるレベルの話でもないのに。

山本太郎のことを言っているかと言えば全く違うだろう。

これでは読んでいる国民が野党を判断したくてもできない。結果、全野党をくさして、彼のおそらく真意とは裏腹に自民を利するだけの記事になってしまっている。

勉強会に不熱心だったというレベルの話なら、むしろ名前など具体的に書いた方がやる気のない野党議員の奮起を促す意味で建設的ではないだろうか。

彼は「原子力戦争」「電通」という、物書きの誰もが敬遠したくなるようなテーマの本を70年、80年代にすでに書いている。

テレビディレクター時代は青少年らの夜の生態に迫るというきわどい題材を取り上げるなど、
目の付け所の良さ、時代を先取りしたセンスだけは昔から抜群だった。が、そのレベルで止まるのが彼の特徴でもある。

どれもこれも隔靴掻痒というか、掘り下げが足りず、結局食い散らかしで終わる。この致命的欠点が当時から今日に至るまで何も変わっていない。

テレビ番組の対論の突っ込みで当時の橋本龍太郎首相を辞任させたことを方々でよく自慢しているが、

あれは橋本が真っ向からウソをつけない性格の人間で、彼の返しが悪いから、結果的に進退にまで事が及んでしまったというだけの話にすぎない。田原の追及そのものが鋭かったとは思わない。

実際、あの程度の突っ込みなら、安倍晋三や高市早苗など、安倍一派の連中にかかったら軽いノリでウソをつかれて一発でかわされているはずである。

何の証拠や情報も事前に用意せずに、無鉄砲に相手に質問して回答をせまるような突っ込みは、そもそも追及の名に値しない。

相手が一言否定すれば、そこで一瞬で話が終わってしまうからである。この点の自覚が彼にはない。

情報を取るために目の前にいる女性と性交を強要されて衆人環視の中で事に及んだ経験もあるとされる田原だが、過去の武勇伝など今更どうでもよいし、知ったことではない。

繰り返しになるが、今の彼の中途半端な立ち位置では自民党政権を利するだけで、野党に利益が還元されることはないだろう。

それをあえて狙っているというのなら、何も言うことはないが、彼の本意はそうではないはずである。

大メディアに期待できない今の日本で、フリーの立場のジャーナリストが言いたいことを言わないで、誰が真実の情報を発信できるというのか。

先日は米国雑誌「TIME」の表紙「日本を軍事大国に変えようとしている」との見出しに岸田政権がクレームを入れて

「岸田氏は日本に、より積極的な国際舞台での役割を与えようとしている」との表現に変更させたという事件があった。

この件について、フリージャーナリストの青木理氏がラジオ番組で「事実ではなく評価(意見)を変えさせるために、政府が(外国のメディアに)介入したのはみっともない」と厳しく批判していたが、同感である。

日本の大メディアといえば、入管法改悪の報道一つとっても岸田政権に忖度しまくりなので、事の重要性が国民に伝わっていないように感じる。

コロナを理由に長らく続いていた官房長官会見の人数制限が、現行の23人から43人に緩和されたが、それでもコロナ前の114人には程遠い制限が続いている。

加えて、記者クラブ加盟の1社2人までとの制限は相変わらず続いているときている。

報道の自由度世界ランキング第71位のこの国で、青木、田原、百田らのようなフリーの言論人が果たす役割は大きい。彼らには忖度なしで積極的に情報発信してほしいと願う。


岸田政権のこれ以上の存命は日本国民にとって地獄でしかない 

2023年5月7日



4月9日に日銀総裁に就任した植田和男氏は、マイナス金利、異次元緩和の継続を明言した。

「上々の船出だ」と評した著名な経済評論家がいるが、違和感を覚える。

この識者はこれまで黒田前総裁の路線を批判し、アベノミクス見直しを唱えていたた。

それなのに、黒田路線踏襲を明言した植田を持ち上げるというのだから筋が通っていない。

私に言わせれば、植田も黒田と同じである。

植田の人選については、同志社大教授の浜矩子氏が「月刊マスコミ市民」4月号で、

植田が黒田路線を踏襲することを確認した上で岸田政権が選んだのだろうとの憶測を述べているが、同感である。

そうだとすれば、一番問題なのは植田ではなく、結論としてやはり内閣トップの岸田だということになる。

そもそも岸田が安倍路線を踏襲しているのは、権力基盤の強化のために100人の安倍派の支持をとりつけたいからに他ならない。

今の岸田は権力に取り憑かれている。一国の総理として日本が抱えている課題に本気で取りこもうなどとは微塵も頭にないものと思われる。

国立社会保障・人口問題研究所が4月26日にが発表した予想によると、2070年の日本の総人口は、現在の1億2600万人から、3割減の8700万人まで減少するとのことである。

内閣府は昨年の「日本経済2021-2022 成長と分配の好循環実現に向けて」と題したリポート(いわゆるミニ白書)の中で、

25~34歳の単身世帯の労働所得が著しく減少し、このことが「結婚して子どもを持つという選択が難しくなっている」との見解を示していた。

つまり、賃金の減少が少子化の最大の原因の一つだということを政府はとうの昔にわかっているのである。

にもかかわらず、岸田は具体的に動こうとしない。

年間労働収入が韓国に抜かれた時点で危機感があってもいいはずだが、世襲岸田には将来への危機感の意識というものが行動から全く見えてこない。

だから必要もない憲法論議に国民そっちのけで前のめりになっていく。

ゴールデンウィークには、長男を同行して、渡航費用推定5億円をかけて、アフリカ4カ国に1700億円のバラマキを行った。

NHKや日本テレビなどの大メディアは、アフリカ諸国との連携強化のためなどと渡航の意義を強調していたが、

費用対効果でいえば今回の歴訪はプラスになったとは思えない。

歴訪したアフリカ4カ国は、エジプト、ガーナ、ケニア、モザンビークだが、いずれもすでに親日国家である。

現時点で改めて関係強化のために訪れる必要があるようなメンツではない。

「中国・ロシアのアフリカ接近にくさびを打つ」ことが歴訪の狙いの一つであると政府関係者は言っていたようだが、そうであれば、これらの国々ではなく、

日本と関係が薄いとされる親中親露の国の訪問を考えるべきではなかったのか。

たとえば、中国はアフリカで「健康シルクロード」構想をぶち上げている、

構想の中核となるエチオピアの首都に日本円で100億円超を投入し、「アフリカ疫病対策センター」を建設している。

アフリカ諸国に漢方医らの医師を派遣して、中小規模の診療所を多数開設するなど抜け目のない活動を展開中である。

中国は、アンゴラ、ナイジェリア、スーダンなどアフリカ35カ国でインフラ・プロジェクトに関与しているが、

中国のアフリカ接近にくさびを打ちたいのなら、これらの国々への歴訪を真っ先に考えるべきではなかったのか。

ロシアのプーチン大統領は、昨年マリ政府に30万トンの肥料の無償支援を約束、履行している。

プーチンは「必要としている国はたくさんある」とし、ロシア国内の港に滞留している肥料をアフリカ諸国に無償提供を行う姿勢を示している。

3月2日のロシアのウクライナ侵攻への国連非難決議では、54のアフリカの国連加盟国のうち、ほぼ半数が非難決議に賛成していない。

ロシアを国連人権理事会から追放する4月7日の決議では、10カ国が賛成したが、

9カ国(アルジェリア、ブルンジ、中央アフリカ、コンゴ、エリトリア、エチオピア、ガボン、マリ、ジンバブエ)が反対している。

「ロシアのアフリカ接近にくさびを打つ」のが歴訪の狙いの一つならば、これらの国々の訪問を真っ先に考えるべきだったはずである。

岸田は共同記者会見で、「経済支援はサハラ砂漠南部のサヘル地域の平和に貢献するものだ」と言っていたが、

ウクライナまで出張って、停戦を呼びかけることなく、逆に「必勝しゃもじ」を渡して「ロシアに勝て」と激励してきた男が何を言っているのか。

平和の言葉を口にする資格など今の岸田にはない。

歴訪前の4月25日、岸田政権は、殺傷能力のある武器輸出の解禁を目指して「防衛装備移転三原則」協議を開始した。

岸田は、武器の輸出大国を目指すべく、今国会で防衛産業の「生産基盤強化法案」を成立させ、血税を使って武器の製造・輸出ができる体制を築こうとしている。

ところで、2016年に上梓された東京新聞記者の望月衣塑子著「武器輸出と日本企業 (角川新書)」は、今日の政府の方向性を暗示している名著である。

タイトルは硬いが、文章がうまく、臨場感あふれるダイナミックな内容なので、非常に読みやすい。政府や企業の積年の動向を知る上で必読の書と言えるだろう。

話を戻すが、殺傷能力の高い武器製造はこれまでの政府解釈に反し、簡単に見過ごごしてよい問題ではない。

政府はこれまで自衛のための必要最小限度の実力は戦力には当たらないとしてきた。

この見解によると、戦力にあたる実力部隊と自衛力に留まる実力部隊との区別基準が問題となるが、

この点につき、政府は他国に侵略的な脅威を与える攻撃的武器は製造、保持できないという立場を採ってきたはずである。

ところが、岸田政権は、従来の「必要最小限度の戦力保持」から最小限度の文言を削除し、

新たな法律を作って武器輸出を可能にし、憲法改悪のダメ押しで既成事実化を試みようとしている。

広島サミットで、岸田が日本のウクライナへの武器支援を少しでもほのめかそうものなら、我々有権者が衆院選でとるべき行動は唯一つ、

I am not Kishida.でなければならない。

5月から値上げする飲食料品が824品目(帝国データバンク調査)、実質賃金は11か月連続のマイナス(4月7日厚労省発表)というご時世に、

呑気に息子同伴のGW海外旅行に5億円もの税金を使い、

向こう5年間で43兆円(実質60兆円)もの税金を軍事費に投入しようとしている地獄の岸田政権にはこれ以上つきあってはいられない。



今年7月衆院選なら岸田政権勝利は確実な情勢 

2023年4月30日


入管法改悪案が4月28日、衆議院法務委員会で自民・公明両党と日本維新の会、国民民主党の賛成多数で可決された。

いくつかの修正案は盛り込まれたが、そもそもの話、日本の入管法は、国際人権規約や難民条約の国際基準に抵触している。

で、あれば、まずこの国際基準をクリアするよう改めることが改正の第一歩でなければならなかったはずである。

ところが今回可決された改正案は、前回2021年5月に廃案となった政府案と主要な点は変わり映えしないものだった。

にもかかわらず、立憲、共産らは、何としても廃案に追い込むのだと気迫に欠けていた。

廃案に追い込むだけでなく、適正な改革案の提供にも努めるべきであった。

第三者機関の設置がどうだらと譲歩案を示して、安易な妥協を模索すべきではなかった。

大メディアも、難民申請の回数制限と適切な医療を受けられずに死亡したスリランカ人のウィシュマ氏の事例を強調して改悪法案を論じているが、

これらは問題の各論にすぎない。

総論、大前提から考えていかないと、そこから派生する各論の問題が改善されるはずもない。

たとえば、仮放免者の人権保障と入管の強大な権力の抑制は改善すべき喫緊の課題である。

仮放免者には身分証明の手段がない。就労もできないし、社会保険にも入れないが、これが人間に対する適正な扱いと言えるのか。

彼らにどうやって日本で生きていけというのか。こうした喫緊の切実な問題が放置されたままであってはならない。

1965年に発行された法務省入国参事官の池上努の著書「法的地位200の質問」の中に

「(外国人は)煮て食おうが焼いて食おうが我々の自由だ」との記述があるが、この言葉は国側の本音を端的に表している。

入管には強大な権限が付与されている。入国警備官が令状を取って強制捜査や逮捕、押収をする検眼まで持っていることはあまり知られていない。

しかも彼らには、こと外国人相手に限って言えば、警察や検察よりも強大な権限が付与されている。

たとえば、警察、検察が、捜索や現行犯以外の逮捕権を行使するときは、裁判所の許可を得て令状を取る必要があるが

入管には法によって何と自ら令状を発行できる権限が付与されている。この令状(収容令書)の発行権限は、主任審査官(地方入管局長及び同次長)にある。

施設への収容から収容期限まで、この主任審査官が恣意的に判断できることになっている。

あいまいな理由で収容された者が、死ぬまで無期限で収容できるという独裁ルールが確立されているのである。

自分らで令状を出して捜査も自分らで行い、収容まで決め、収容期限も自分たちの胸先三寸で決めることができ、その間、第三者(裁判所など)のチェックが入ることもない。

日本人の容疑者が逮捕勾留されるまでに、2度の令状チェックが入るのと比較すれば、その不当性がよくわかるというものである。

というか、そもそも入管施設は、強制送還するまでの一時的な仮宿泊所であり、拘置所や警察の代用監獄とは役割が異なるので、2重,3重の意味でおかしな運用がなされているといえる。

野党がこの点の改正改革の模索に尻込みして問題を矮小化し、効果希薄な譲歩案を提示して幕引きを図ろうとすることは断じて許されることではない。

とはいえ、これがたとえ選挙前のさえないパフォーマンスだと有権者に見抜かれたとしでも、選挙情勢に影響が及ぶことはないかもしれない。

ここまで書いてきてどうかとも思うのだが、国民の大半は入管法改悪に関心がないからである。

4月23日に行われた衆参5補選の結果を見ればわかるというものである。

政策を訴えない候補者の方が得票数を稼いで当選しているではないか。

山口2区の世襲の岸信千代(自民)は、政策らしい政策をまるで訴えなかったが、政策を訴えた平岡秀夫候補に勝利した。

本ブログは3月上旬の時点で、立憲が強力な候補者を立てれば岸に勝てる、と予測していた。それだけに結果は残念だった。

平岡は、岡田克也幹事長の反対で立憲の公認を得られずに無所属で出馬しており、そもそも与党に勝てる候補ではなかったといえる。

千葉5区でも、立憲は自民に競り負けたが、無論、候補者の政策の訴求能力が低かったからではない。

あれだけ野党が乱立すれば、誰が出ていても勝てないというだけのことである。初歩的な戦略の失敗である。

山口4区の有田芳生(立憲)は、安倍王国の中でよく戦ったと思う。彼は統一教会問題追及の第一人者だが、選挙戦ではむしろアベノミクスの是非に焦点を当て、まっとうな政策を有権者に訴えていた。

対抗馬の吉田真次(自民)は政策なしも同然だったが、それでも有田にダブルスコアの大差をつけて勝った。

吉田は市議時代に、外国人(アジア系)蔑視の許しがたいツィートをしていたことで知られているが、大多数有権者は気にも留めなかったということになる。

有権者の関心は、吉田が安倍王国バックの候補者であるという、その1点にあった。繰り返すが、政策は関係ない(そもそも主張していないのだが)

政策を全くと言っていいほど主張しないで圧勝といえば、2020年の東京都知事選の小池百合子を思い出す。

当時小池は、コロナ拡大への対応不備で非難の矢面に立たされていた。

学歴詐称疑惑も浮上していた中で、ヘタに公に出て政策などを訴えようものなら、返す刀で叩かれることは目に見えていた。

だから彼女は選挙期間中だんまりを決め込んだ。
だが、その戦略が功を奏し、366万票を獲得して当選を果たした。

政策や方針をこまごまと訴えていた2位の宇都宮健児氏、3位につけた山本太郎ら候補者21人の合計得票を上回る派手な圧勝劇だった。

無党派層が多い東京でさえこの結果なのだから、地方は推して知るべしということになるだろう。

地方と言えば、今回の統一選挙で個人的に注目したのは、原発立地地域の選挙結果だった。原発推進候補者がどれだけ票を取れるか、大いに関心があった。

たとえば、青森県には主に4つの原発関連施設が立地しているが、

かつてはともかく、今では原発の是非は選挙の主要な争点ではなくなっている

町村レベルでは、全く争点になっておらず、むしろ原発の推進を前提とした候補者が乱立している地域もある。

そのような状況の中で、今回私が注目していたのは六ヶ所村議会議員選だった。

2011年の東日本大震災前から原発、核燃料サイクルの廃絶を地元で訴え続けている菊川けいこ氏という、地元では有名な方がいる。

メディアは彼女を黙殺しているが、「レイバーネット」サイトが今回の選挙を取り上げているので、興味のある方はそちらの情報もチェックしていただきたいと思う。

今回の候補者18人の中で、反原発を全面に訴えていたのは、私の知る限り菊川氏だけで、結果は以下の通りであった。

1位 某氏 533票
2位 同上 524票
3位~17位同上 500票~225票
18位(最下位)菊川けいこ 30票

菊川氏は、ダントツのブービーで落選した。

前述の通り、菊川氏は昨日今日出てきた方ではない。地元では数年前から名前が通っており、人格者との評判もある唯一の女性候補者だった。

政策(反原発)を訴えなければ、彼女は当選しただろうと言う口の悪い地元有権者もいたが、実際その通りだったかもしれない。

だが、政策を訴えたから落選して、何も言わなければ当選していただろうというのでは、

前回ブログで紹介した岸田首相襲撃犯の木村容疑者の控訴状ではないが「日本はもはや民主主義国家ではない」。

4月30日に各メディアが公表した世論調査によると、岸田内閣の支持率が軒並みアップしている。(日経は何と52パーセントの支持率)

個々の政策には反対でも、自公与党には投票するということなのか。

5月の広島サミットの余勢を駆って、6月解散7月総選挙なら岸田政権勝利確実の現実味が帯びてきたといえるだろう。

木村容疑者の動機解明に血眼になるのもいいが、日本を支配する黒幕も追及すべし 

2023年4月23日


今日投開票が行われる衆院補選と地方統一選挙分析については次回ブログの宿題にするとして、今回は2つの事件について意見を述べたい。

4月15日、木村隆二という24歳の男が、和歌山市内の漁場を訪れていた岸田首相に向けて筒状の爆発物を投げつけて現行犯逮捕された。

逮捕後、木村は元日弁連会長で都知事選にも出馬した宇都宮健児弁護士に弁護を依頼したが、宇都宮氏は刑事弁護であること、多忙であることを理由に断った。

刑事弁護は民事よりも初動対応に時間をとられることがあるので、別件で多忙であれば受任を躊躇するのはやむを得ない。

宇都宮氏は本来の弁護活動とは別に、地方統一選挙候補者の応援演説でも日々忙しく動いていた。

4月3日には府中市議選候補の西のなお美氏(無所属)の応援演説に駆けつけ、駅前で街頭演説を行った。

私もおよそ25分間の演説を現場で拝聴した。入管法改悪の動向、ロシアのウクライナ侵攻、憲法改悪、岸田政権の軍拡拡大と増税路線への懸念など、

市議選レベルではほとんど関係ないような話題を散りばめていたが、最後は地元の市民目線で話をきっちりまとめて話を締めくくるあたりは、さすがの話術であった。

彼ほどの超エリートが既得権益層に対峙して庶民目線で活動を続けているというは、今の日本では奇跡に近い。

それだけに、通行人のほとんどが彼の話を聞かず、素通りしていたのは残念だった。

岸田政権を批判する木村容疑者が宇都宮氏を当初弁護人に依頼したのは、ある意味筋が通っていたといえるが、

で、あれば、氏が過去に担当した選挙供託金違憲訴訟の訴訟資料を参考にして訴訟を起こすなど、状況打開のためにもう少し賢いやり方を選択すべきではなかったかと思われる。

2022年に神戸地裁に彼が起こした国家賠償請求事件の訴状をネットで読んだが、個々の主張は見事だと思う。

ただ、準備書面も読みたいのだが、こちらはアップされていない。

訴状だけ読んでも主張を正当に評価することは難しい。

たとえば、公職選挙法が定める被選挙権の年齢制限規定と供託金制度の合理性の是非について、

訴状には「本件立法不作為は、国家賠償法1条1項の適用上違法である」と書いているが、唐突な感は否めない。

この点の具体的な主張は準備書面でなされているのだろうか。読んでいないので何とも言えない。

通説が主張する「立法義務の存在と相当期間の不作為」の要件事実を論証するだけで、文字サイズ12ポイント、A4紙2枚は必要になるだろう。そのあたりは準備書面で書かれているのか。

6月に地裁に提訴して同年11月に請求棄却判決が出たということは、口頭弁論は多くて2回ほど、つまり、証拠調べもなく、ほぼ門前払い扱いである。

このスピード判決から察するに、断言はできないが、準備書面で十分な論証を怠っていた可能性の方が高い。

彼は判決を不服として、大阪高裁に控訴状を提出しており、今年5月に判決が出る予定だが、

ネットで控訴状を読む限り、一審提出起訴状とはうって変わり、散漫な内容になっている。以下、一部紹介すると、

「立候補を抑制することは、投票も抑制され国民に損害を与えている。」

「被選挙権を制限することで立候補が制限され、政治家は国民の信任ではなく、統一教会の組織票で当選、利益利得を不当に独占することができ、国民に損害を与え続けている。」

「統一教会などの組織票を持つ、癒着する政党が有利になる。」

「安倍元首相の国葬を国民の反対する中、閣議決定だけで行っている。」
「民主主義の選挙ではない。」(紹介ここまで)

個々の主張には賛同できるが、安倍国葬の不当性や統一教会の問題と要件事実との関連性が不明瞭である。

これでは来月の判決日を待つまでもなく、一審同様、残念な結果が見えていると言わざるを得ない。

ただ、繰り返すが、準備書面まで精査しないと木村の訴えの正当性を正しく評価することはできないし、すべきではない。

4月23日現在、彼は捜査当局の取り調べに対し、黙秘を続けている。訴訟もそうだが、今回の事件の犯行動機も現状わからないところが多い。

わからないのに、ああだこうだと憶測するのは今はやめるべきである。

それなのに、日本のテレビメディアは、上に弱く下に強いので、弱い立場でしかない木村の過去の行状を根掘り葉掘り調べては晒し者に仕立てている。

文春も今回はやりすぎである。親族や大して仲もよくなかった同級生らにあることないこと言わせて記事にしているが、現時点の報道としては人道上限度を超えている。

テレビも雑誌も24歳の人間の尊厳を顧みない悪意に満ちた報道を今は慎むべきである。

木村なら何も言っても書いても名誉棄損で訴えられないだろう、怖い目に会うこともないだろうと安心して叩いているということなのだろうが、

少しでもメディア人としてのプライドを持っているのなら、弱い者いじめばかりではなく、少しばかり巨大な相手に挑んで真実を暴く気概を見せてほしい。

81年の「大阪空港公害訴訟」の最高裁判決を巡り、法務省の意向を受けた元最高裁長官が判決前に介入していた疑惑が浮上している。

つまり、官邸が裁判所に「国側勝訴の判決にしろ」と命令した、との疑惑である。

これは過去の出来事ではない。今、まさに岸田政権下で起こっている理不尽がこの判例に凝縮されていると言っても過言ではない。

法務大臣→最高裁判所長官→担当裁判長の下達があった、と当時判事を務めた団藤重光氏が生前に残したとされるノートに記されていたとのことである。近畿大学の研究チームが4月18日に公表した。

当時の法務大臣は奥野誠亮で、首相は鈴木善幸だが、彼らは今更どうでもよい。

結論から言えば、米国の指令を受けた鈴木が法務大臣に命令して、裁判に介入して判決を変えさせたということである。

事案の概要は次の通り。大阪(伊丹)国際空港の騒音公害が深刻化したため、周辺住民300人が原告となって国を相手取り、

午後9時から午前7時の飛行差し止めを求めて出訴した、と。
一、二審は住民が勝訴したが、最高裁は国側の逆転勝訴判決を下した。

当時この判決は多くの法学者に酷評されたが、当然である。

一、二審は住民が勝訴、最高裁で敗訴、という結論はあってもいいだろう。だが、結論を変えた根拠がはじめから国側勝訴の結論ありきで塗り固められたとあっては見過ごすことはできない。

判決は、この問題を国家賠償法1条の問題ではなく2条1項の営造物の問題と捉えている。

つまり、空港は国営の営造物であり、その管理作用は私的施設の所有権に基づく管理機能と異ならない非権力的作用であるとしている。

そうだとしたら、住民らの民事訴訟による空港の使用差止請求が却下される筋合いはないはずである。

ところが最高裁は民事ではダメだと言う。何でも空港使用は、運輸大臣に付与された航空行政権限として、公権力の行使と不即不離に行使されるものなので、民事ではダメだと。

航空行政権なる意味不明の造語を創作・駆使して、何が何でも住民の訴えを認めたくないという最高裁の策謀がここに透けて見えてくる。

最高裁は、行政訴訟で争うのはよい、とも言っている。行政訴訟で争うとなれば抗告訴訟(取消訴訟)になるだろう。

だが、これも如何なものか。取消訴訟は、処分の違法性を争う主張だが、住民が求めているのは、「夜間に飛行機を飛ばすのはうるさいからやめてくれ」ということである。

取り消したところで、飛行機が止まるわけではない。要するに、行政訴訟では住民の本来の目的を達成できないのは言うまでもないだろう。

それをわかってて、最高裁はこのような悪意に満ちた判決を下したのである。許せないではないか。

この判例の判断の枠組みは、その後の騒音訴訟(名古屋新幹線訴訟、福岡空港騒音訴訟)や基地訴訟(横田基地騒音訴訟など)に負の遺産として踏襲されている。

つまり、この判決の不当性は現在進行形で生きているということである。

ところで、最高裁によると、運輸大臣(国)には航空行政権がある、とのことだが、事実ではない。

日米地位協定と国連軍地位協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律第3項(1952年7月15日施行)によると、

米軍は,もともと高度も安全も何も守らずに日本全国の空を飛んでもよい事が法的に決まっている。

この密約とつじつまを合わせるために、米国は裁判に介入してきたのだろう。

日本の上空は米国のものであり、日本国はそもそも管理していない、できないのだ、と。

だから、中国の気球を発見しても、河野太郎ではないが、「気球に聞いてくれ」ととぼけるだけになるのである。

日本のメディアに少しでも根性があるのなら、米国による日本支配構造の真実を追及してみたらどうか。

経済格差問題も含めて、今の日本が抱えているほぼすべての問題はここに帰着するはずである。




サル未満の憲法審など止めて国民の前で公開討論したらどうだ 

2023年4月16日


4月10日公表のMHK世論調査によると、岸田内閣の支持率は42パーセントで、先月よりも1ポイント上昇した。(48パーセントという他の報道機関調査もある)

その翌日、岸田内閣は、国産の長距離ミサイルを開発、量産する計画を発表した。

ミサイルの射程を最長1000キロに伸ばす「12式地対艦誘導弾」や潜水艦に搭載するミサイルの開発に着手するという。

人口減に歯止めがかからず、国力衰退必至の状況で世界第3位の軍事大国になるのは時間の問題だろう。

一方で、保険料の値上げなど新たな増税、国民負担が公表された。

このような政府を多数国民が支持しているというのはどうしたものか。

だから、地方統一選の前半戦も推して知るべしの結果となっている。

投票率低迷(48パーセント弱)は事前に予測されていたとはいえ、国民の半数以上が選挙権行使を放棄してしまえば、自民党政権は永遠に安泰である。

各選挙区でミクロの波乱はあっても、自民支配の大勢に影響が出ることはない。

投票率低迷は、自民支配を大半の国民が望んでいるということを意味しているわけではないと信じたいのだが現状は厳しい。

もとより、60パーセントはいるとされる無党派層には共産党に投票する者が多く存在する。

無党派層は政治問題に造詣が深い有権者とそうでない有権者が混在しているが、私の知る限り、後者の方が多数を占める。

その後者の票が今回、共産ではなく維新に流れた。理由については、ここではあえて触れないが、多くのメディア、識者が語っている通りであろう。

衆院補選、それと地方統一選の後半戦が残っているが、前半戦の投票結果を受けて、次回衆院選の結果次第では、岸田政権による憲法改悪発議がさらに加速するだろう。

憲法改悪については後述するとして、来る4月23日の山口2区の衆院補選について、多くの識者やメディアは、岸家の信千世候補の確実な当選を予測していた。

これに対して、本ブログは3月に「岸の当選は磐石とは言えない。対抗馬のメンツ如何によっては番狂わせも起こりうる」と書いた。

その通り、4月12日に日刊ゲンダイは、対抗馬となる無所属の平岡秀夫が猛追中だとの見立てを示している。

それほど強力な対抗馬とは思えないこの元民主党議員に苦戦しているほどだから、私の当初の見立て通り、信千世など実はたいしたことはない。

公開中の映画「妖怪の孫」が効いているだけではない。

彼はテレビ局の女性職員を片っ端からナンパしているだけの男で、国を背負って生きるに値しない人間であることを一部有権者が見抜いている。

だから、たとえば、過去に政治的発言をしていた小泉今日子氏クラスの、聡明で知名度ある人材が野党統一候補で出てこようものなら、奴は負けるだろうと予測したのである。

半世紀以上に及ぶ岸、安倍家の日本暗黒支配からの決別は不可能ではない。が、平岡はそこまで力がある候補者ではない。平岡レベルでは勝てないだろう。

小泉今日子氏レベルとは言わないまでも、野党は、「これは」とねらいをつけた候補者にクリロナ顔負けの巨額の資金を提供し、

当選後の幹部ポストを約束するなどして、岸安倍支配を打破する戦略を構築してもよかった。

だが、野党はそのチャンスをみすみす逃した。今回の補選で信千世を当選させてしまったら、野党に次はないだろう。

よほどのスキャンダルでも起こさない限り、彼は足腰が立たなくなるまで当選し続けるはずである。それが保守王国と言われる山口の風土だからである。

とは言うものの、今の閉塞した政治、社会状況は、戦略なき野党のせいばかりでもない。

大メディアが岸田応援団となって野党のやることなすことにイチャモンをつける反射が岸田政権支持率上昇につながっており、それが野党低迷の遠因になっている。

たとえば、放送法の解釈変更をめぐる行政文書のねつ造騒ぎをみればわかりやすい。

追及した立憲の小西が過去のオフレコ発言を粗探しされて、逆にメディアに火だるまにされている。

この状況は異常という他ない。

高市早苗は行政文書はねつ造だと主張し、捏造でなければ辞職すると約束したはずである。

だが、その後行政文書がねつ造ではないことがわかり、「ねつ造発言を撤回しないなら辞めたらどうか」と言われると「絶対撤回しない」と言う。「それなら辞めるべきでは?」と言われると、辞めるつもりは全くないと言い張る。

これでは人間のクズではないか。これを擁護しているメディア(産経など)も同類だと言わねばならないだろう。

高市をかばい続ける岸田政権や一部メディアを支持したい同類の国民は支持すればいい。

だが、その先に待ち受けているのは、維新らも加勢して進められる岸田政権下での憲法改悪であることを肝に銘じておかなければならない。

憲法改悪論議は幼稚でバカバカしいので、本ブログとしてはスルーしたいというのが本音だが。

緊急事態条項創設に過半数以上の国民が賛成しているという驚くべき世論調査が出ているとあっては、全く無視するわけにはいかない。

そもそも衆参憲法審など、サル未満の集まりである(サル同然と言ってはれいわ新選組の山本太郎が言う通り、サルに失礼である)

憲法の大前提の理解すらない者どもが毎週集まって生産的な議論などできるわけがない。

憲法は国家権力を制限する制限規範である。それはすなわち、国家権力に縛りをかけようという思想ないし実践を意味する。

これは英仏米の市民革命を通じて確立されてきたものだが、それを「権力に授権する授権規範としての憲法との考えもある」などと公言しているバカが集まって何を話し合えるというのか。

彼らの前提理解を推し進めていけば、憲法などなくても。権力側が好き勝手に何でもやれることになる。

これは民主主義国家の否定であり、到底受け入れられる話ではない。

違憲の疑いのある自衛隊を9条に明記して疑義を解消するとも言っているが、2020年2月12日の国会で当時首相の安倍晋三は、

「必要な自衛のための措置を取り得ることは、国家固有の機能として当然のことで、たとえ自民党改憲案が否決されても自衛隊が合憲であることに変わりはない」

と言っていたではないか。すなわち、自衛隊違憲論は決着済みなのである。

そもそも自衛隊を9条の2やら9条3項の創設で明記すれば、今度は2項の解釈に疑義が生じることになる。

では2項を削除するか、と言われれば、100人中100人の改悪論者も否定するだろう。ここで、改悪論者の論理はまた破綻を来たすことになる。

緊急事態条項創設案にも笑うしかない。

コロナ感染拡大阻止や自然災害への対応にかこつけて、自民党が創設の必要性を強調し、大多数国民をだましているが、

そもそも国による私権の制約は、憲法13条で既に認めている。このことは、立憲前代表の枝野も、コロナ感染拡大当時繰り返し指摘しており、憲法論上異論を挟む余地はない。

コロナや自然災害への迅速な危険への対応というが、すでに災害対策基本法、感染症予防・医療法等の緊急事態法制が整備されており、緊急対応に支障が出ることはない。

それなのに、ここに新たに、首相に国家の全権を集中させて、一時的にせよ憲法の機能を容認する制度を創設する必要がどこにあるのか。

要するに、憲法の主要な争点は既に答えが出ており、改悪のための議論のネタは尽きているのである。

そこで提案したい。

そもそも最終的な憲法制定権力(改正改悪権力)は、国会議員ではなく国民にある。

そうであれば、一番よいのは、改悪論者と改悪反対論者の国会議員、識者、学者を集めて、

たとえば、1ヶ月に1回90分間、ライブの公開討論を毎月1年間ぐらい行ったらどうか。

討論は、NHKとネット(たとえば、ユーチューブなど無料のコンテンツ)で視聴できるようにするのが望ましい。

その上で1年後、衆参可決(発議)後に国民投票にかけて、国民の審判を仰ぐ、と。

だが、以上の提案に改悪論者の大半は反対するのではないか。

だから彼らはサル未満なのである。


坂本龍一氏に冷淡な大メディアと小池百合子の言葉を忘れてはならない 

2023年4月9日


2021年に名古屋の入管施設で死亡したスリランカ人ウィシュマ・サンダマリ氏の遺族の弁護団が、3月8日に報道機関に映像の一部を公開した。

これについて、齋藤法務大臣が記者会見で、

「これから裁判所で取り調べることになっている、(国側が提出した)およそ5時間分のビデオ映像の一部を、原告側が勝手に編集してマスコミに提供して公開した」と憤慨していたが、

その怒りをそっくりそのまま国側にお返ししたい。

国側と裁判所はグルになって、ウィシュマ事件を葬り去ろうとしている。

これまで幾多の本人訴訟に関わってきた私に言わせれば、この裁判の展開には大いなる不満がある。

昨年、弁護団は国側に、ウィシュマ氏が亡くなるまでの約2週間分の映像全295時間全ての映像の提出を求めていた。

これに対し、国側は「必要なマスキング措置を講じた上で、証拠として提出する」とした上申書を地裁に提出した。

これを裁判所が認めて、提出されたのが国が編集した5時間分の映像である。

だが、その映像を直接証拠として使うのなら、編集されたものではダメで、間接証拠(状況証拠のようなもの)としてしか使えないはずである。

かつて私は裁判で、相手とやりとりしたメールを直接証拠として提出したことがある。

メールの記載には改変を加えずに、訴訟物とは関係のない雑多なやりとりと思われる個所を削除して提出したのだが、裁判所から「編集されたものでは直接証拠としては使えない」と言われた。

裁判所曰く、「相手とのやり取りを記したメール全文を提出しなさい」と。問答無用の全面開示を要求された。

だが、やり取りの中には第三者に知られたくないプライバシーを含んだ内容や、ケンカ腰のどうでもいいようなやりとりが混在するなど、開示したくない内容が含んでいることもあるだろう。

たとえばの話だが、私がメールである質問をして、相手からその回答を得た場合、その質問と回答の間に、次のような主旨のやりとりがあったとする。

私(送信)「まだ質問Aの回答をまだもらってない。早く回答しろ」

相手(返信)「日中は○○のお相手をずっとしているから、考える時間はないね」」

私(送信)「お前が付き合っているヤクザの不倫相手など知るか。回答期限は今日のはずだ。早く返事をよこせ」

このあと、相手から回答の返信をもらったとする。

「Aという内容の質問をしたら、相手はBと答えた」という回答の内容をこちらは立証したいだけなのに、関係ないヤクザの女性の名前まで登場させたら無用なトラブルが起こるのは目に見えている。

この箇所を削除しても問題ないし、むしろ残した方が有害である。裁判所が不都合だと思ったら、問題があれば、審理の中で適宜指摘して補充要求してくればよいだけのことではないか。

それなのに、裁判所は、当初から全面開示でなければ直接証拠として採用しないと私に警告してきた。

話を戻すが、そうであれば、ウィシュマ氏の件で、映像の一部のみの提出でよいと裁判所が国側に認めたのは、どういうことなのか。私と国で対応が違うのは差別だろう。

弁護団が要求していた全295時間の映像ではなく、被告側に編集させた、しかもたった5時間分でもかまわないということで、無条件に直接証拠としての採用を認めるということなのか。

そもそも国は、後ろめたくないのなら、全面開示に応じてもよいはずである。

それを拒否し、自分たちで圧縮編集したものを提出しておきながら、弁護団がそれをさらに圧縮したものを公表したことを非難するのでは筋が通らない。(そもそも現時点で公表することに違法性はない)

全295時間のうちの290時間分には、要件事実とは関係ない箇所もあるだろう。だが、その一方、国にとって不都合な事実も埋もれている可能性は否定できないはずである。

裁判所はそのことを承知の上で(暗黙の了解を与えた上で)、結局、証拠の信用力なしとして国側を勝たせたいのだろうか、それとも

自分たちで証拠の一部提出を認めておきながら、いざ審理の段階で、「これでは証拠として不十分だ」として国側を勝たせたいとの策謀を弄しているのか。

とはいえ、公開された5分間のバージョンでも。公務員の故意または過失の認定にそれなりの役割を果たすことが確認できたのは収穫である。

これで原告側が敗訴するようなら、やはり裁判は茶番だということになるが、どうなるのか、裁判の行方に注目したいと思う。

次に、3月28日に死去した音楽家の坂本龍一氏について。

彼は反戦、反核、反原発を公然と掲げ、環境問題にも積極的に取り組むなど、音楽家の中でも稀有な著名人だった。カネ持ちでありながら、反既得権益層のスタンスを貫いた。

だからだろうか、死亡後の大手メディアの報道はあまりにも醜かった。

彼は死亡の直前に共同通信社の書面インタビューを受けていた。その記事は偶然にも死亡の翌日(3月29日)に掲載された。(ちなみに死亡の公表は4月2日だった)

直近のメディア対応は、おそらくこの書面インタビュー記事のはずである。私は29日当日にチェックしていたので不都合はなかったが、

この記事を死亡の翌日に再読しようとして、「坂本龍一」でヤフーとグーグルで検索したところ、パソコンで6ページめくっても出てこなかった。

記事は明治神宮の再開発に絡んだもので、既得権益層と政府の立場で言えば、国民にはあまり読んでほしくない内容である。

大手ポータルサイトが検索の上位からあえてはずした可能性が高い。

事実、大メディアのNHKと読売も、4月9日現在、彼の最後のインタビュー記事を伝えていない。

翌日の政府(松野官房長官)のコメントも、「心から哀悼の意を示したい」との型通りのお悔やみを述べただけで、言葉にも心がこもっていないように感じた。

死亡を伝えるテレビ各局のニュース番組が流したBGMが坂本の曲ではなく盟友の高橋幸宏氏が作曲したライディーンだというのもお粗末だった。

それを聞いていたモーニングショーのコメンテーターが涙ぐんでいたとなればジョークでしかない。

坂本という人間は複雑で、長年の追っかけファンでもなければ、外野の立場から彼のことを語ることはできない。

少し脱線するが、彼の人物像を把握する上で参考になるのが、2015年のYMO再結成時に行われたTBSのインタビューである。ユーチューブでアップされているので興味のある方は詳細をご覧いただきたいが、

このとき坂本は、MCの膳場貴子アナに次のようなことを言っていた。

「(80年代にYMOを解散(散開)した理由について)ロックバンドによくありがちな理由で解散した」
「あのころの自分に今出会ったら殴るだろう」
「(細野との関係について)大尊敬している」

自伝本「音楽は自由にする」では、80年代に解散した理由について「方向性の違い」云々とぼかしていたが、それは建前で、おそらく細野との人格上の確執(音楽性ではなく)が原因ではなかったかと世間では言われていた。

80年代に彼が5年間DJを担当したNHKFMの音楽番組「サウンドストリート」を私は子供の頃毎週欠かさず聞いていたが、そのことを示唆するような本音を漏らしたことがあった。

だが、「殴りあったことはない」とも言っていたし、立花ハジメ氏と細野を番組に呼んで、細野の新作ソロアルバム「フィルハーモニー」を紹介していたこともあったぐらいなので、

世間でうわさされていたほど、対立はそう深刻ではなかったのではないか。

解散の真の理由は、単純に「わがままに1人で縛りなく色々やりたくなった」ということではなかったのか。だからその後わだかまりなく再結成もできたと。一ファンとしては今はそのように解釈したいと思う。

そもそも「音楽の方向性の違い」との言い分が説得力に欠けるのである。坂本と細野のソロアルバムを聞けばわかることだが、

2人ともインストが7、ボーカルが3ぐらいの構成で、かつ、インストの方はともに難解で、説明をしてくれと言いたくなるような曲が多い(坂本のB-2UNITの「Not the 6 O'clock News」 は私には雑音にしか聞こえない)

異論はあるだろうが、その後の2人の音楽活動にも類似性があり(2人とも映画音楽、アイドル歌手などへの楽曲提供など)、方向性で決裂してしまうほど当時ズレがあったとは思えない。

両雄並び立たずでいったん別れたのだろう、という解釈がおそらく正しいのではないだろうか。

ところで、「若いころの自分に今出会ったら殴るだろう」との言葉は、彼の人物像をよく表している。

坂本の公での発言内容が明らかに変わったのは、米ニューヨーク在住時に体験した2001年の同時多発テロから帰国して以後である。

前出の「サウンドストリート」では、私が記憶している限り、環境問題と原発を語ったことなど一度もなかった。そもそも政治問題を語ること自体少なかった。

坂本が複雑な人間で、にわかファンが彼の全体像を語る資格はないと言ったのはそういうことである。

70~90年代までと2000年以降では、別人とまでは言わないが、発言や行動内容に明白な変化がある。(いい意味でだが)

明治神宮の再開発に物申して、東京都知事に手紙を出して再考を促すなど、30代の頃の彼ではありえなかった。

ここ20年間は、音楽家であると同時に社会問題の活動家として行動し続けた。
小池都知事に再開発を見直すよう手紙も送った。

これに対して、小池は
「事業者の明治神宮にも手紙を送られたほうがいいんじゃないでしょうか」
と回答した。

だが、そもそも都の認可がなければ事業者が勝手に工事を進めることはできないはずである。ゴーサインを出しているのは小池なのに、何を寝ぼけたことを言っているのか。

彼女のこの冷淡な性格は救いようがない。だから、有能な人材が離れていく。

先月末に東京都庁の政策企画局の職員20人が退職した。知事部局の筆頭ともいうべきエリート局で30~40代の中核が一斉離脱したのは、小池への嫌悪である。

2021年には、福祉保険局の職員が小池に反旗を翻して180人が退職した。

首都機能を破壊し続ける小池には国政復帰もささやかれているが、とんでもないことだ。この人間を政界から「排除」することが有権者の使命であると強く言っておきたい。

法形式上の認可権限は都知事にあるが、明治神宮の件で言えば、森元首相が実質的な決定権者である。小池に何を言っても実は何も始まらない。

森については、すでにネットメディアで色々言われていることなので、ここでは裏事情の紹介を割愛するが、森の一声があれば工事が止まることは間違いない。

だが、4000億円のカネが動いている現状、それはありえないだろう。

森でダメなら、岸田に再考を促すという手もある。

3月31日、東京地裁は、市民グループが申し立てた事業認可の執行停止申し立てを却下した。

グループは即時抗告を申し立てたが、その後の展開は100パーセント期待できない。

そこで岸田の出番である。行政事件訴訟法30条は、執行停止の申し立てなどがあった場合に、裁判所の裁定に対して内閣総理大臣が異議申し立てができることを認めている。

却下判決に異議を申し立てるのは本条の想定ケースではないが、制度上は問題ない。司法がどう判断しようと、岸田には工事をとめる最終権限があるということである。

だが、森の子飼いの岸田が森の意に逆らうことなどありえない。

工事を止める方法はまだある。次回の都知事選で工事中止を公約するであろう野党候補者を当選させるという方法である。

坂本の遺言、即ち、多くの都民の願いを現実のものとするには、それ以外に手段はない。


政治的陰謀までぶちあげて高市を擁護する残念な法律家のたわごとなど無視すべし 

2023年4月2日



高市早苗の行政文書ねつ造発言問題をめぐり、弁護士の北村晴男が3月7日の夕刊フジのインタビューでおかしなことをいっているので、

以下、発言の要点を逐一拾い上げながら反論する。

「(件の行政文書は)作成者が未記載なうえ、当事者による『回覧』と『確認』も経ていない。」

「民間でも、当事者間の紛争を想定して議事録をつくる。その正確性を担保するには、当事者全員が閲覧し、正確性を確認したうえで保存するのが大原則だ。」

「行政文書でありながら正確性を担保していないのは驚きだ」

「極めて「いい加減な文書」が行政文書と位置づけられていることは問題」(発言ここまで)

だが、行政文書もさまざまで、諸々の事情から作成者の記載がないものがあるし、回覧・確認した者に署名ないし記名押印を要求しないものもある。

北村に言わせれば、それらは全部いい加減な行政文書だということになるが、そのようなおかしな認識を持つのは彼だけだろう。

公的文書の類で言えば、裁判の書類でさえ記名押印もないものが証拠として採用されることがある。

たとえば、結審した他事件の公判調書を審理中の裁判に利用する場合などである。

この書面は伝聞書面で証拠排除法則の重大な例外にあたるので、
記名押印がなくてもよいというのは解釈としてありえないと思うのだが、

実際には、なくても有効な文書として利用されている。
公判調書だから100パーセント正確性が担保されているとは言い切れないにもかかわらず、である。

さらに北村は「民間でも、当事者間の紛争を想定して議事録をつくる。その正確性を担保するには、当事者全員が閲覧し、正確性を確認したうえで保存するのが大原則だ。」

とも言っている。「大原則」はそうあるべきだと私も思うが、現実はそうなってはいない。

たとえば、民間書類で言えば、株主総会議事録である。これは会社法上、取締役が作ることになっているが、彼らの記名押印がないものが世の中に数多く存在している。

にもかかわらず、そのような文書でも法的に有効とされているではないか。

だが、これらの文書をすべて「正確性の担保されていない極めていい加減な文書」などと言う者はいない。

北村は「(件の)この文書は、総務省内で放送法の解釈を議論した内容とされるが、松本剛明総務相は『放送行政を変えたと認識していない』と語っており、現実として解釈は何も変わっていない。」とも言っている。

だが、今回の問題の争点は、恫喝までしてこれまでの法解釈を変えようとした大臣の姿勢の有無であって、

結果的に放送法の解釈変更が現になされたかどうかを議論しているわけではない。

北村は「問題の本質が、国会で議論されず、報道もされない現実に改めて驚いた。」とも言っているが、

問題の本質を語るならば、放送法の解釈変更によるマスメディアへの圧力の有無と言うことになるだろう。

ジャーナリストの青木理氏や憲法学者の小林節氏らは、その点こそ高市問題の本質だと指摘しているが、

これに関しては、前々回本ブログで書いたように、私には多少異論がある。だが、今は本質論や私の意見はとりあえず脇に置くとする。

繰り返すが、国会で問題にしているのは、時の担当大臣が恫喝までして放送法の解釈変更を試みていたという事実の有無であり、

その事実が行政文書に残っている、と。その文書がねつ造でないなら大臣も国会議員も辞めることに本人が承諾したという事実も争点である。

この問題は、とりあえずそれ以上でもそれ以下でもない。

北村は「不正確な行政文書と印象操作によって、高市氏を政治的に潰そうとする意図まで感じる。この現実は非常に恐ろしい。」というが、

恐ろしいのは陰謀論までぶちあげる北村の頭の方である。

ところで、高市が当時の言動に自信と信念があるのなら、そもそも悪びれる必要はないはずである。

高市には、以下のような言い訳も考えられた。

「行政文書は真正なものだと思う。確かに当時私は文書記載にあるような発言をした。」

「私の放送法の解釈、認識は文書記載の通りである。だが、それの何が悪いのか。とはいえ、一部恫喝的な物言いについては陳謝したい。」

「問題の本質は私の発言によって放送行政が具体的にゆがめられたかどうかだ。その点が国会の議論で明らかにされた場合は議員も大臣も辞めることをお約束する」
と。

これだと、その後の国会審議がグダグダになるのは目に見えているので、高市が逃げ切れる可能性もあったかもしれない。

だが、彼女は行政文書をねつ造呼ばわりして、当時の発言を完膚なきまでにうやむやにしようとした(している)。

加えて、約束したはずの辞職の件も反故にしようとしている。だから事態が紛糾している。

それなのに北村は「印象操作によって、高市氏を政治的に潰そうとする意図まで感じる」と陰謀論までぶちあげて高市を擁護するのだから開いた口がふさがらない。

松本剛明総務相は3月7日の記者会見で、「全て総務省の行政文書だ」と述べ、総務省はHPで、「政治的公平に関する文書の公開について」と題して

「総務省では、公開された文書について、総務省に文書として保存されているものと同一かといった点についてこれまで慎重に精査を行った結果、

小西議員が公開した文書については、すべて総務省の「行政文書」であることが確認できましたのでお知らせします。」

と行政文書であることを公式に認めた。

総務省HPは「その記載内容の正確性が確認できないもの、作成の経緯が判明しないものがある」と注釈付きではあるが、

真贋論議はこれで十分ではないか。これ以上何を疑えというのだろうのか。

弁護士資格を持つ者が陰謀論まで述べて「極めて不正確、いい加減な行政文書」と決めつける感性は尋常ではない。

彼は「マスコミは本来、この重大な事実を報じ、国民も知るべきだ」とメディアと我々国民にご親切に忠告しているが、

「国民が知るべき」なのは、ズブズブの自民党支持のタレント弁護士が奇妙な高市擁護論をぶちあげているという事実の方である。

北村は「今回の騒動は、むしろ、ざっくばらんな議論の途中に出てきた話の『極めて不正確』な言葉尻をとらえ、政治問題化しようとするもので、危険極まりない」とも言っている。

色々な見方があってもいいと思うのだが、少なくとも彼は法律家のはずである。

高市問題とは直接かかわりがないのだから、支持政党云々に関係なく、是々非々で公正公平な視点を持った弁護士として発言してもよかったのではないか。

彼は「自分は公正公平の立場から発言をしている」と反論するかもしれない。

だが、仮にそのような言い訳をするのなら、立憲の小西も高市擁護と同じ理屈で擁護すべきである。

小西は、「(週1回開催の衆院憲法審を)毎週開催はサルのやること」「蛮族の行為、野蛮だ」と記者団の取材中に語ったというが、

これも「ざっくばらんな(オフレコの)話の途中に出てきた」雑感を述べただだけと解釈することもできる。彼の発言がきっかけで、週1回の衆院憲法審の見直しがなされたの話も聞かない、

「印象操作によって、小西氏を政治的に潰そうとする意図まで感じる。この現実は非常に恐ろしい。」と小西を擁護すべきではないのか。

これこそ公正公平なものの見方というものである。



世襲岸田が幼稚で低レベルなことをやればやるほど支持率が上昇していくとは 

2023年3月26日

ツイッターに投稿した記事をめぐる名誉棄損裁判で、3月24日、三浦瑠璃が敗訴した。

結末は以前本ブログで予測した通りだが、負けが確実なこの件でまさか最高裁まで争うとは思わなかった。精神的なタフさだけは賞賛に値する。

海外の新聞記事の翻訳やどこかの調査記事を切り貼りしたような三浦の本を読めばわかるように、彼女が5流以下の学者であることに疑いの余地はない。

テレビでのトーク能力が卓越しているのは認めるが、三浦のような人間はそもそも表舞台に出てくるべきではなかった。

「三浦は今後5年は地上波に出られない可能性」と題した低レベルの記事を載せている週刊誌があるが、問題点を理解していない。

三浦にはコロナ給付金不正受給疑惑がある。スクープした雑誌フライデーの記事が事実なら、

三浦は補助金適正化法29条と刑法の詐欺の幇助罪で、今後捜査対象となるはずである。(判例によると、前者の罪と併せて詐欺罪でも処罰できるとされている)

地上波テレビ出演がどうこうというレベルを超えた疑惑が発覚していることを見逃してはならない。

夫の横領疑惑に関わった間接事実がこれでもかと発売中の文春に書かれているが、こちらの記事も事実なら道義的な罪は重いだろう。

詭弁のネタが尽きた高市早苗と共に、潔く真実を白状して表舞台から退場すべきである。

ところで、白状といえば検察である。いわゆる「袴田事件」で、検察は特別抗告を断念した。

断念は、すなわち、当時の当局が証拠を偽造して、無実の人間から57年間自由を奪い、あげく死刑台に送ろうとしていたことを検察が認めるに等しい。

そのような見立てから、検察が徹底抗戦の姿勢を崩すことはないだろうと前回本ブログでは予測したのだが、いい意味ではずれた。

今後静岡地裁で下されるであろう無罪判決後、検察及び当時の捜査当局には世論の厳しい視線が向けられることになるはずである。

刑事補償については、彼らが自腹で払うわけではないので痛くもかゆくもないだろうが、

問題は、当局が犯した刑法104条の証拠隠滅等の罪を世論がどう評価するかである。

刑訴法250条2項6号により、時効は3年なので、当時の捜査関係者が罪に問われることはすでになくなったが、

静岡県警と静岡地検の道義上の罪が永遠に消えることはないだろう。

取調べは警察官10人体制で1日平均12時間、最長17時間行われただけでなく、
独房の隣の部屋に泥酔者を収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせるなどして夜は一切の安眠も許さないという人権侵害が連日行われたという。

県警の違法な取り調べを長期間知りながら黙認した検察は、こともあろうに彼ら自らも証拠ねつ造という違法行為に手を染めて死刑にこだわり、

当時の裁判官も、捜査手法に疑いを抱きながらも、1人を除き捜査当局の求刑に従った。

国家権力がグルになって無実の人間の命を奪おうとした罪は大きいと言わざるを得ない。

民事上の責任もある。不法行為(証拠隠滅)の消滅時効の起算点を、証拠隠滅が指摘された今年3月の東京高裁判決時と解釈すれば、

損害賠償請求権は時効消滅していないことになる。民事ははともかくとしても、無罪判決後の世論の動向に注目したいと思う。

ところで、巨匠クリントイーストウッド監督の映画「リチャードジュエル」に、「人は(器以上に)権力を持つようになるとモンスターになっていく」という主旨のセリフがあるが、

今日モンスター化している最悪の権力は政界であり、捜査当局ではない。だが、政治の場合は、腐敗と堕落を追認している国民の方に大きな責任がある。

真正な行政文書を元に、国会内で大臣を追及した野党第一党の議員を逆に非難するような非常識はあってはならないことだし、

英国のジョンソン元首相が過去の数回のうそ答弁で失職する可能性がささやかれているのに、

国会で100回以上もウソをつくような首相に失職を求めるのではなく、選挙で常に圧勝させてしまうようなことはあってはならないことだし(その首相は死んでいるので心配はなくなったが)、

戦車改良やミサイル購入には惜しみなく国民の税金を使う一方で、格差是正や物価高対策に本腰を入れない政権の支持率を上昇させるような国であってはならない。

そして今回の「必勝しゃもじ事件」は、首相の資質を問う意味でも不問に付してはならない大きな問題である。。

岸田首相は、3月21日、ウクライナを訪問した際に、ゼレンスキー大統領に岸田の地元・広島の「必勝しゃもじ」と、折り鶴をモチーフとしたランプを贈呈した。

ウクライナまで直接出張って、戦争継続を訴えて「必勝しゃもじ」とは一体何をやっているのか。

中国の習近平主席らの立ち振る舞いとはあまりに対照的で呆れる。

中国は、3月10日、サウジアラビアとイランの外交関係正常化の仲介役を見事に果たした。

サウジとイランは、言われているほど近年は険悪な関係ではなかった。

確かに、2016年のイラン国内のサウジ外交施設襲撃事件、19年の石油施設のドローン攻撃もあった。イエメンでは両国の代理戦争が今も継続している。

だが、今のイランはイスラエルと米国以外の外敵と敵対している余裕はない。

イランの問題は経済だけだと私は以前から考えているが、その唯一の問題が今危機的状況に陥っている。

イランの貧困層は1979年こそ20パーセント以下だったが、2021年には50パーセント超がライン以下に陥り、今年に入ってからも漸進的に悪化が続いている。

このようなイランがいくらスンニー派の盟主と外交正常化を模索しても、仲介役がいなければ前に進むことはできない。そこで、中国の出番である。

中国はサウジとイランの仲介に自信を持っていたと思われる。

サウジは現在、米国とかつてないほど険悪な関係になっている。正確に言えば、国と国と言うより、ムハンマド皇太子とバイデン大統領の関係悪化である。

トランプ前大統領とサウジとの関係は良好だった。

中でも、トランプの娘婿のジャレッド・クシュナー元大統領上級顧問が運営する投資会社とサウジは、今もなおズブズブの関係にある。

クシュナーについては、だいぶ前に本ブログで何度か書いたが、とにかく得体の知れないうさんくさい男である。

ハーバード大学に裏口同然で入ったのは公知の事実だし、あのビルダーバーグ会議に招待されたこともあるという正体不明の人間である。

訴追危機にさらされているトランプだが、彼がまた大統領に返り咲くようなことがあれば、クシュナーが以前にも増して重要な役割を担うことになるはずである。

話をサウジに戻すが、バイデン政権とムハンマド皇太子の関係悪化の間隙を縫った中国の外交はお見事と言うほかない。

サウジは現在核開発にのめりこんでいるが、良し悪しはともかく、技術提供を中国がほぼ担っている。

このような関係もあるので、中国がサウジにイランとの国交正常化を提案すれば、サウジは無下に断わらないだろうとの読みが中国にあったものと推察される。

サウジとイランの関係修復により、イエメンに平和が戻ればこれほど素晴らしいことはない。日本は素直に中国の行動を高く評価すべきであろう。

したたかな習近平は、サウジ、イランに引き続き、10日後にはロシアのプーチンと会談した。

4時間半にも及ぶ会談の中で、プーチンが「私たちの相互協力は、世界の公正な秩序と多極化を生み出す」と言えば、

習もプーチンに対し、「世界の平和と安定の大黒柱となるべきだ」として、ウクライナ侵略を巡り、直接対話の再開を促す「12項目の提案」について協議したという。

中国の言うことやることなどすべてがきれい事の建前だろうが、、

建前でも戦争終結に向けた意見を言えるというのは悪いことではないだろう。日本が習のやることにいちいちケチをつける資格はない。

岸田はと言えば、一国の首相として建前でも世界に向けて習のようなことが言えない、できない。

ウクライナまで出張ってやってきたことといえば「必勝しゃもじ」を大統領に手交して、戦争継続を支援してきたことだけである。

低レベル、幼稚にも程がある。

このような一国のトップの支持率が上昇する国の一員であることに私は恥ずかしさを覚える。

3月25日の各メディア報道によると、中国の駐日大使からの離任あいさつの申請を岸田が2月末に断っていたという。

各メディアは「歴代大使の大半は離任時に首相面会を受けており、岸田政権の対応は異例。慎重な対中姿勢が浮き彫りになった。」と伝えているが、

大使の離任時のあいさつなど、建前、社交儀礼だということ位わからんのか。

このレベルで中国と無駄なけんかをしてどういうつもりだろうか。

いかにも何不自由ないお坊ちゃんの世襲議員がやりそうなことである。

この政権が続くことは日本全体にとってもはや害悪しかない。
我々はとりあえず直近の地方統一選と衆院補選で岸田政権に然るべき審判を下さなければならない。

政治的介入があろうがなかろうが日本のTVは権力に迎合して真実を報道しない 

2023年3月19日




総務省が作成したとされる行政文書を高市早苗が「捏造だ」と述べたことに対し、立憲の小西が「内容が事実なら閣僚や国会議員を辞めるか」と問うたが、

この小西の追及を憲法学者の小林節氏が「間違っている」と日刊ゲンダイのコラムで書いているので異論を述べたい。以下、小林氏の意見を紹介する。

「国会は法廷ではないのだから、文書の内容の真贋について証明する手続きも判断を下す第三者もいない。」

「だから、そんな争いになったら、モリ・カケ・桜の場合のように、不毛な水掛け論でウヤムヤに終わることは目に見えている。」

「つまり、行政過程で作成された文書の言葉尻の真贋論争は本来の争点ではない。」
「だから、行政文書を政治家につきつけて、「本物であったら辞職するか?」などという話に持っていった野党の攻め方が間違っている。」

「問題の本質は、自由で民主的な社会を、異論も許さない専制社会のように変えつつある、安倍・菅政権以来の政治の是非である。」(抜粋終了)

最後の箇所の「本質」論は、サンデー毎日で連載中の青木理氏なども指摘していたが、高市問題で言えば、私は第一の本質ではないと考える。

「安倍・菅政権以来の政治の是非」との問題意識を否定するつもりは毛頭ない。

だが、そのような抽象論議を国会で野党が本筋でやりだしたら、それこそ不毛な水掛け論で終わってしまうだろう。

高市問題の本質は、法的にも真正推定が及ぶ行政文書について、

何の根拠も示さず「ねつ造だ」「不正確だ」と強情を張って自己保身を図るあつかましい権力者を排除することの是非であると考える。

高市は当時も今も現職の国会議員であり、大臣である。高市のような人間を権力の座から追い出すことの是非こそ問題の核心ではないだろうか。

今回の小西の追及は見事だったと思う。「ねつ造だ」との高市の言い分に対して、小西がたとえば、

「本物だったら、放送法の解釈をゆがめようとした発言があったことを認めるか」「本物だったら、当時の大臣の発言としていかがなものか」

などと、これまでのような意図不明の追及をしていたら、それこそ不毛な議論になって結局は逃げられてこの問題は終わっていただろう。

「クビをかけて本物だと言えるのか」という責め方は詭弁で逃げることを許さない有効な追及だったと評価してもよいのではないか。

それなのにこれを「間違っている」という小林氏の批判は受け入れがたい。

さらに小林氏は、国会は法廷ではなく、文書の内容の真贋について証明する手続きも判断を下す第三者もいないのだから、真贋論争に意味はない旨述べているが、

それを言ってしまったら、歴史上ありとあらゆる公文書の真贋(真正)を民主政の過程で証明する方法がないということにならないだろうか。

小林氏のように言い切ってしまうと、権力者たちは、自分たちに都合の悪い公文書が出てくる度に偽物だと言い出し、その言い分を認めてしまうことにつながる可能性がある。

歴史公文書の内容のすべてを裁判所で証明できなければ真正を担保できないとまで言い切るのは極論である。

行政文書に限って言えば、作成権限ある公務員が作成すれば、すべて内容も正しいと推定されることが法でも明文化されている。

確かに国会は法廷ではない。が、高市がその推定を覆したいのであれば、彼女の側で真実を証明しなければならないとすることが常識にかなった考え方である。

ところが、3月19日現在、彼女はそれをできていない。で、あれば、件の行政文書は正しい内容で作成されたまっとうな文書であるとの合理的推認が働くと解釈すべきである。

国会で追及しても、文書の真贋の判断を下す決定権者はいないと言うが、

最終的な審判を下すのは我々主権者であり、それは選挙権によって行使されると建前でも言っておかねばならない、言っておきたいところである。

国会での真贋論争が不毛な議論だと言い切ってはならない。

ところで、今回の高市のように、自己保身のために執拗に正式な公文書をねつ造呼ばわりするケースは前代未聞である。

それでも高市に悪びれた様子がないのは、どこか感覚がおかしくなっているということなのだろう。

安倍政権以来、国では事実を捻じ曲げてデータを改ざんしたり、不正を隠すのが当たり前のように行われ、それは現在でも続いているので、何を今さら、という気持ちが彼女のどこかにあるのだと思われる。

GDPをかさ上げするために、コロナワクチン接種後死者数を隠蔽するために、かいざんされた元データにさらに改ざんが加えられたねつ造文書が当たり前のように作られてきた(ている)のだから無理もない。

司法でもねつ造、偽造が大流行している。

静岡県で一家4人が殺害された事件(被告人の名前を取って、袴田事件とネーミングされ、今日に至る)で、

3月13日、東京高裁は有罪の根拠とされた証拠について「捜査機関が隠した可能性が極めて高い」とねつ造”の疑いに言及した。

本ブログがこれまで再三に渡り、死刑反対を唱えている理由がここにある。権力側というのは、大なり小なりこのようなこと(捏造)を普通にやっているということである。

だが、検察は高裁の決定を不服として、20日の期限ギリギリで特別抗告してくるだろう。

検察は「新たに発見された証拠はない」として判例違反を提示するものと思われる。

有罪の決め手となる証拠を自分たちでねつ造しておきながら、である。

高市問題に話を戻したい。メディアへの政治的圧力が近年叫ばれているが、

高市の言っていたこと、やろうとしていた政治的介入なるものも、件の行政文書を読む限り、本音を言えば、テレビ側の言論の自由が危険にさらされたとまでは思えなかった。

そもそもの話、大臣が政治的圧力を加えたり、放送免許の取り消しをちらつかせて恫喝などしなくても、日本のテレビメディアは、元から基本的に権力寄りの報道スタンスをとっているからである。

確かに、政治的圧力がなければ、権力批判の報道は増えるだろうし、古賀茂明氏らが排除されるようなことも起こらなくなるだろう。

だが、忖度なのかどうかはともかく、従来から今日に至るまでテレビメディアは、権力側にとって、本当に都合の悪いことは伝えないし、言うこともない。

直近の報道で確認すると、たとえば、沖縄県の石垣島では初となる陸上自衛隊の駐屯地が開設されたという3月16日の報道はというと、

各テレビメディアの論調はすべて以下のようなものだった。

「軍事力を強化する中国が海洋進出を強め、近年では日本周辺でロシアとの軍事的な連携を強めるなど、日本を取りまく安全保障環境は厳しさを増している」と。

「浜田靖一防衛大臣は「抑止力・対処力を高めることで我が国への攻撃の可能性を低下させるものであり、我が国・国民の安全に繋がるものである」旨述べている」と。

国の主張が正当であることを前提に、ご丁寧にも配備の理由を補強して国を擁護する報道が各社横並びで行われているのが現状である。

だが、色を付けずに客観報道するのなら次のようになるべきではないのか。
「石垣島に駐屯地が開設される」「ミサイルが配備される」「その意図について防衛大臣はこう述べている」と。

報道機関がごちゃごちゃと尾ひれをつけて、国のやろうとしていることにお墨付きを与える注釈を加える必要はどこにもない。

どうしても色を付けて報道したいのなら、むしろ次の真実を付言すべきである。

そもそも南西諸島への軍備配置は、日本の防衛のためでなく、米国の対中戦略(台湾有事)に基づいて進められていることである。

その根拠は、米海軍協会が発行している機関紙の2012年4月号に掲載された論文にある。

同年8月、日本の海上自衛隊幹部学校「海幹校戦略研究」増刊の翻訳論集に翻訳版が掲載されたが、その内容は衝撃的である。

ジャーナリストの布施祐仁氏が著書「日米同盟最後のリスク」でわかりやすく解説しており、以下の説明は同書によるところが大きいことをあらかじめ断っておきたい。

論文は、中国の軍艦や航空機を東シナ海に封じ込め、中国軍が太平洋側から台湾を攻撃することを防ぐために、

米国の命令で日本の南西諸島にミサイル基地や戦力が置かれることを強調している。

ちなみに、この論文では、米国による尖閣諸島防衛は一言も触れられていない。

南西諸島は日本が戦力を配置すれば、中国は当然そこを狙ってくるが、それが米国の真の意図なのだという。

つまり、米国の計画は、日本が中国のミサイル攻撃を受けることを前提に、その間米国は一部の部隊を残して、空軍や海軍の主力部隊をいったんグアムやハワイなどに引き上げさせ、

米国本土やアラスカの主力部隊が到着するまでの時間稼ぎに日本を捨て石にする、というものである。

2019年10月3日「琉球新報」が、米国の中距離ミサイルの日本への配備計画をスクープした。

これは日本にとって極めて危険な戦略である。

ロシアによるウクライナ侵攻の理由の一つに、NATOの東方拡大があった。米国が拡大地域に中距離ミサイルを置く可能性があり、そのことへの懸念がロシアにあったことが侵攻の理由でもあった。

つまり、日本が南西諸島に戦力を拡大配備すれば、中国の懸念は必至となり、対立は避けられなくなるだろう。(驚いたことに、同紙によると、米政府はウクライナ侵攻前にそのことをロシアには伝えていたという)

中国とロシアが核弾頭を搭載した短・中距離ミサイルを日本に向けてくることに躊躇しなくなるのは言うまでもない。

このような懸念こそテレビメディアは注釈付きで一言加えるべきだが、忖度しているのか、脅しが怖いのか何も言わない。

テレビが権力側にとって都合のよいプロパガンダ装置であるのは、高市や磯崎らの恫喝があってもなくても実はたいして変わらない。

直近の内閣支持率の謎の上昇がその証左である。(3月13日NHK世論調査が先月より5パーセントアップの41パーセント、18,19日毎日新聞調査が先月より7パーセントアップの33パーセント)



米有力銀行破たんは序曲。無能・無策の岸田政権安泰で日本の本当の地獄はこれからである 

2023年3月12日



国際政治学者の三浦瑠麗の夫が、4億2000万円を横領したとして、業務上横領容疑で3月7日東京地検に逮捕された。

業務上横領罪は、10年以下の懲役に処せられる重罪である。被害額が4億2000万円と大きいので、有罪なら執行猶予は付かない可能性が高い。

私の知る限り、三浦夫は民事で債務不履行による損害賠償請求事件の被告として複数訴えられており、訴額の合計は計10億円弱に及んでいる。

このことは、今回の逮捕容疑が事件の氷山の一角であることを意味する。

他方、3月10日のフライデーのデジタル版は、夫の経営する投資会社「トライベイキャピタル」のコロナ給付金530万円と東京都の『家賃等支援給付金』約30万円の不正受給を報じている。

コロナ給付金の申請の際に、妻の瑠麗が「売り上げなんて数ヵ月ずらして操作すればいい。バカ正直に計上しなくたっていい」と言っていたという。

事実なら、彼女は、夫をそそのかして犯罪実行の決意を起こさせたことになり、詐欺の共犯(教唆犯)として捜査の対象となる。夫がすでに犯罪を決意していたのならほう助罪になる。

記事によると、瑠麗はトライベイキャピタルの株の半数を所有しており、瑠璃の山猫総合研究所と同じフロアにあり、

トライペイキャピタルに電話をかけると、転送されて、山猫総合研究所が対応することがあるという。

これでは、瑠璃が「夫のやっていることを知らないし関係ない」とは言えない。

瑠璃は税金を詐取したことを国民にわびた後、夫と仲良く塀の中に落ちるべきである。

高市早苗国務相(経済安全保障担当)も然り。

彼女は放送法をめぐる行政文書について、自身の発言箇所がねつ造であると反論した。

だが、たとえば、民事訴訟法228条は次のように定めている。「文書は、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めるべきときは、真正に成立した公文書と推定する。」と。

つまり、ねつ造だと主張するのなら、高市がそのことを証明する必要があるということである。
それができないのなら、彼女は約束通り大臣も国会議員も辞職しなければならない。

百歩譲ってねつ造文書だとしても、該文書が作成権限ある者によって作られたというなら、作成者には虚偽公文書作成罪が、

担当以外の者(作成権限ない者)が作ったというなら、その者には公文書偽造罪が成立することになり、民事では済まなくなる。

だが、総務官僚(職員)がリスクを犯して自分の判断だけでねつ造文書を作るわけがない。ねつ造を指示した上の者がいるはずである。

それが誰であるにせよ、所轄大臣だった高市は責任を免れることはできない。

要するに、どのように解釈しても彼女は辞職に値するということである。

高市は、安倍晋三一派の残党だが、
統一教会擁護発言、アベノミクス礼賛の三浦も安倍一味の残りかすである。

日本を正常な形に戻すには、これら安倍の残党どもを表舞台から即刻全員退場させなければならない。

それが今の我々国民に課せられた使命である。

このことを踏まえると、我々が国政から追放しなければならないトップバッターとして指名すべきは、高市というよりも安倍の第1子分の岸田文雄でなければならない。

3月8日、米国のシリコンバレー銀行が経営破たんしたことが表面化した。

今年に入ってから、イエレン米財務長官は、公の場でことさらに米連邦債務上限の問題に言及し、

米経済全体の行方についてネガティブな発言を連発していたが、それが有数銀行の破綻を示唆していたとは思わなかった。

シリコンバレー銀行の破綻の影響は間違いなく日本経済を直撃する。が、無能無策、危機管理意識ゼロの岸田では、岸田が安倍の子分である云々は別にしても、うまく状況を打開できるとは思えない。

それにしても今の日本の状況は悪化の一途を辿っている。

消費者物価指数の上昇率は、前年同月比で4パーセントを超えているが、値上げはまだまだ続く。

電気、ガス代の値上げはもちろんとして、帝国データバンクによると、1~4月に7500品目弱の値上げが予定されている。

それでいて実質賃金の減少は過去最悪を更新している。

厚生労働省が発表した毎月勤労統計調査(速報値)によると、1月の実質賃金は前年同月比で4,1パーセント減少した。

国民1人当たりのGDPは、22年に台湾に抜かれ、23年に韓国に抜かれ、
さらに今年中には、人口が日本の7割程度のドイツにも抜かれるはずである。

消費税のインボイス制度によって、これまで免税事業者だった零細企業や個人事業主が、実質的に課税事業者となるので、廃業続出は必至となる。

3月8日に財務省が発表した今年1月の国際収支統計(速報)によると、海外との取引状況を表す経常収支は、1985年以降で過去最大のおよそ2兆円弱の赤字額である。

外貨準備は市場への投入が続いており、減少の一方である。

国民負担率は、およそ5割、つまり、所得の半分が税金で持っていかれるというのだから、低所得者層の生活は破綻寸前である。

医療、介護の保険料も値上げばかりが計画されている。

この状況で、岸田は国有財産まで売却して防衛費を捻出し、1発5億円のトマホークを500発一括購入することを決定している。

少子化にも歯止めが利かず、日本はあらゆる意味において間違いなく破滅の道を歩んでいるといえる。

ウェブサイト「現代ビジネス」上で、ジャーナリストの河合雅司氏と対談した経済アナリストの森永卓郎氏が、

「私はいまの資本主義が維持できるのはあと2年程度だと思っています。それに伴って、東京という大都市が続けてきた繫栄もあと2年ほどで終わりを告げるでしょう」

「だから「みんなで東京を捨てて逃げたほうがいい」と言っているのです。」

「究極的なことを言えば、首都直下型地震が発生するリスクが大きいと思っているんです」
と述べている。

だが、東京を捨てて地方に逃げて生活できるのは、埼玉の自給自足の農場と都心のオフィスを往復して生活できる森永のようなカネのある人間だけであり、

というか、東京以外の地方在住者は、「資本主義」からどこに逃げればいいと言うのだろうか。

そもそも活断層が張り巡らされている日本列島で、大地震のリスクから逃れる安全な場所などあるはずもない。

要するに、森永の言っていることは、「経済格差拡大→資本主義崩壊」の日本で

「大地震発生→原発破損→放射能拡散→日本国破滅」「よって日本の未来はないよ」と警告しているにすぎず、言い換えれば、暗黒の未来を予言しているにすぎない。

今後も安倍・菅・岸田内閣と無能の政権が続いていけば、森永の言うような悪夢のシナリオは現実のものとなる


岸、安倍一族・菅・二階の時代がまもなく終わろうとしている 

2023年3月5日



立憲の小西洋之が3月3日の国会で、総務省から入手したという内部文書の中身をめぐり、高市早苗経済安保担当大臣を攻撃した。

文書は、安倍政権時代に、総務大臣だった高市が総務省に対して圧力をかけたという内容で、A4用紙78ページにも及ぶ大書とされる。

3月5日現在、当該文書が本物であることを前提にして伝えているのは日刊ゲンダイだけで、他メディアは今のところ慎重な報道姿勢を保っている。

仮に、この78ページの文書が嘘八百のまやかしであると後日証明されれば、支持率ボロボロの立憲にとどめを刺す自民党の策謀にはまったということになるだろう。

本物なら高市は約束通りアウトで、岸田政権にも大きな打撃となる。偽物だとすれば、逆に立憲のダメージは相当大きいものになるだろう。

本物の場合は、文書を流出させた犯人は誰かということになる。

考えられるのは、岸田政権を揺さぶりをかけたい党内の勢力、率直に言えば、反主流の菅義偉らである。

復権を目指している菅が黒幕でも驚きはないが、菅が今後権勢をふるうような事態はまず起こり得ない。

ここ2,3ヶ月間、菅はメディアを通じて岸田を揺さぶるような発言を繰り返していたが、本人の期待に反し盛り上がらなかった。

政界の権力抗争で菅の基盤は揺らいでいるということである。それだけなく、社会的な威光も失墜しているというのが実情である。

国際政治学者と称する三浦瑠麗の夫が経営する会社に東京地検の捜索が入った件は象徴的である。

瑠麗の後ろ盾の菅(と二階)にかつての権勢があれば、そのようなことは起こりえなかった。

これまで瑠麗は夫の再生可能エネルギー事業を公然とアピールしていただけでなく、テレビなどで統一教会の霊感商法を容認する発言を行ってきた。

その背景には、夫の会社の顧問弁護士に統一教会の顧問弁護士の福本修也がついていたという事情があった。

田原総一郎は、瑠麗へのバッシングを世間のねたみだと言っているようだが、このボケ男はジャーナリストを称していながら、事の重大な背景を何も理解していない。

瑠麗の夫の会社とコンサル会社「大樹総研」がズブズブの関係であることはよく知られている。

代表の矢島義也は菅と二階の後ろ盾でのし上がってきた男だが、この男の会社にも金融商取引違反容疑(インサイダー取引)で昨年東京地検のガサ入れが入った。

事情が複雑なので事件の説明は割愛するが、要するに、後ろ盾の菅の威光が健在ならばありえない捜索だった。

矢島本人にはまだ司直の手は及んでいないが、大樹総研と関係があった「JCサービス」(厚労省出身の医師が設立した医療機関)や

「テラ」(バイオベンチャー会社)の関係者は次々と逮捕されており、複数の者が裁判ですでに有罪判決を受けている。

菅と二階の後ろ盾で生き残ってきた矢島も時間の問題だろう。

瑠麗の旦那もこうした輩の一味だということである。瑠麗がただの学者や妻なら擁護する余地はあるが、

彼女の立ち位置(自民党、中でも菅や二階との関係)やこれまでの活動を考えれば、世間から激しいバッシングを受けても当然というべきである。

田原が言うような(カネ持ちや有名人への)嫉妬心などという低次元のレベルで世間が非難しているわけではない。

話を菅に戻す。

このところ菅の体調不良がささやかれている。講演や記者会見で言葉が詰まり、沈黙することが多くなってきているという。

だが、これは米国のバイデン大統領と同じ症状なので、体調不良というよりも頭の問題で、要するに認知症の疑いが出てきたということではないのか。

日刊ゲンダイによると、あの細田博之衆院議長にも認知症の疑いがあるという。

二階俊博にボケが来ているというのは記者の間では定説だし、麻生太郎は元からボケているような人間である。

悲しいことに、これらのボケ老人どもが国の主要な方向性を決めているのが今の日本である。

反主流の菅と結託している二階だが、菅との関係は良好とは言えない。反岸田という点で共闘しているだけの関係とみなしたほうがいいだろう。

だが、菅以上に、二階が幹事長時代の権勢を取り戻すことはありえない。

権勢はおろか、疑惑のデパートの二階が今なお和歌山のドンとして政界に居座っていること自体許されるべきではない。

たとえば、河井夫妻公職選挙法違反事件の責任問題はまだ残ったままである。

安倍回顧録によると、河井陣営に1億5千万円の選挙資金を供与したのは、決済をした幹事長と経理局長の独断だという。

経理局長に権限はないので論外だが、安倍が言いたかった要点は「自分は一切関与していない。すべては幹事長である二階の裁量で行われたものである」ということだろう。

だが、このような言い分を信じる者は、安倍信者を除けば誰もいない。

当時、広島県連は溝手候補の1本化で調整を進めていて、安倍が押し付けた河井案里の公認には反対だった。

選挙区の当選は2人までである。野党が支援する森本候補の優勢が伝えられていた中、県連が支援する溝手候補以外に、

案里まで公認にすれば、どちらかが落選するのは安倍でなくてもわかりきっていたことだった。

安倍はそりの合わない溝手を落としかった。そこで、強引に案里をプッシュし、まんまと作戦を成功させた。党からの支援金は溝手が1500万円、案里が1億5千万円だった。

案里への巨額の投与が買収資金の使途となったのは明らかであるのは言うまでもない。

広島参議院選挙区の案里と特別親密ではない二階が、全くの独断で溝手候補の10倍の資金を河井陣営に供与する決断を下すはずがない。

二階は当時、決済したことを認めた上で「その後のカネの行方は知らない」と無責任な弁解をしていたが、

安倍は回顧録の中で、幹事長の裁量と職責の重要性を強調しており、二階の言い分は安倍のそれとは相容れないものである。

つまり、どちらかがウソをついているか、どちらもウソをついているかのどちらかになるが、おそらく後者が正しい推論である。

二階は頭が完全にボケる前に真実を吐露すべきである。「安倍首相からの打診があった」と。その上で政界から身を引くべきである。息子に禅譲などとんでもない。

菅、二階と共に、安倍とその一族も権勢を振るう時代が終焉を迎えつつある。

山口の衆院小選挙区が4から3に減ることで、これまで地元で権勢を振るってきた安倍、岸一族のいずれかが次の選挙で消える可能性があった。

先に消えそうなのはどうやら安倍一族の方になりそうである。

岸信夫防衛相の息子である岸信千世が、4月に行われる区割り前の山口2区衆院補選に立候補を表明した。

一方、4区補選には安倍後援会(元というべきか)が支援する元下関市議の吉田真次が立候補を表明しているが、こちらの候補は安倍一族とは関係がない。

次回衆院選は4区が消えるが、新3区で吉田が仮に無所属で出馬する林芳正外相という強力な候補に勝てるはずがない。

仮に安倍昭恵夫人が出馬しても、合区後の林(無所属出馬と仮定した場合)には勝てないだろう。昭恵は4月の補選を含めて政界進出に関心がないようだが、彼女にしては賢明な判断である。

だが、これにより、安倍の名前を冠した候補者は政界から消えることになりそうである。

死んだ安倍の唯一の功績として称えたいと思う。

一方、4月の2区補選で岸信千世が当選すれば、当然次回衆院選にも順当に彼が出てくることになる。

だが、岸信千世の評判はイマイチなので、知名度の高い野党候補者を刺客として投入すればジャイキリは十分ありうると予測したい。

私は山口の地盤事情にそれほど詳しい方ではないのでこれ以上の憶測は止めるが、確実に言えるのは、安倍という名の政治家がこの世から消えるということである。

さらに、世襲の弱小候補者を倒して、無能の岸家を政界から追放するチャンスもあるということまでも言える。

岸田の息子も合コン好きの遊び人として文春などで報道されたばかりだが、信千世も負けず劣らずで、

テレビ局に出入りする女性職員を次々と口説いている姿が複数の記者に目撃されている。

さらに、自身のホームページに世襲アピールの家系図を掲載してひんしゅくを買うなど、世間ずれした感覚は救いようがない。

このようなヤワなただの世襲に有権者は国政を任せてはならない。

この男を落選させれば、繰り返すが、およそ半世紀にも渡り政界を支配してきた安倍・岸の国賊を政界から追放することができる。

新しい日本の幕開けはそこからスタートすることになる。山口の有権者には賢明な判断を期待したい。

野党が国会で極悪犯罪人安倍の自白本を宣伝してどうする 

2023年2月26日


2月24日、総務省発表によると、今年1月の全国消費者物価指数(生鮮食品を除くコアCPI)は、前年同月比4.2%上昇した。これは41年4カ月ぶりの高水準である。

岸田政権は、防衛費の不足分(1兆円)を税金で賄うべく、国民に負担の理解を求める一方で、

フィリピンに6000億円の支援を実施すると2月9日に表明したのに続き、20日にはウクライナに対し、およそ7370億円の財政支援を実施すると表明した。

これらのカネだけで軽く1兆円超である。

これを理不尽と言わずして何と言おうか。

21日には、財務省が22年度の国民負担率(所得の中からどれだけ国に税金等の公金を払っているかを示す割合)が47,5パーセントと発表した。

江戸時代なら4割負担で一揆が起こったと言われているが、従順な令和の日本人は、私を含めたごく一部の国民を除いて、権力と戦わないので暴動が起こることなどまず考えられない。

国民が抵抗しなければ、自公政権は安心して今後もムチャクチャをやり続けることになるだろう。

そしてそのような政権でも倒れることはない。

そもそも倒す者がいない。

国民は政治に無関心、野党は自公以上にまとまりなし。自公政権の代わりを務める者は誰もいないということである。

ところで、共産党が党員のジャーナリストを除名処分にして、「異論を排除する怖い政党」などと世間から総スカンを食らっているが、これは的確な批判ではない。

自民党と米国支配層は、1960年に米国主導で民社党が結成されて以来、今日に至るまで野党の分断工作に力を入れている。

そのかいもあって、国民民主、維新、立憲の一部は、今や自民の走狗となった。

国民民主党は党会合で、2023年度予算案に反対する方針を決めたが、この手の
個別のパフォーマンスに我々はだまされてはいけない。

反対を表明したのは、自民の軍門に下っていることを悟られないためのアリバイ作りである。

政党交付金の問題など、諸般の事情から彼らは猿芝居を続けなければならない事情があるということである。

ちなみに、党勢拡大に躍起となっている維新も似たような境遇に置かれていると考えてよいだろう。

ただ、いくら彼らが政権への合流を望んでも、公明党が頑強に拒めば、国民民主は野党のまま近い将来消滅してご臨終するしかない。

共産党についていえば、この党ほど歴史的に自民や米国から攻撃を受けてきた(きている)組織はない。

これまで数々の分断工作を跳ね除け、内外の攻撃にも未だ屈することなく党が存続しているのは、民主集中制という分派を生まない強固な組織体制を堅持しているからである。

民主集中制と言っても、党大会で代議員が党幹部らを決めているのだから、言われているほど非民主的ではない。

3人に1人が世襲一族で、少数の長老がディープステート化して党の方向性を決めている非民主的な自民党(とその支持者)に、共産党のシステムを批判する資格はない。

共産党の民主集中制(党首公選制の否定)は、彼らの歴史を考えれば無理からぬものがあるということを理解する必要がある。

システムの維持・構築に目的があるわけではなく、単に組織が一枚岩となるための手段、方法論を彼らはとっているにすぎないとの寛容な評価を与えてやってもいいではないか。

鬼の首を取ったように、共産党のシステムばかりを教条主義的に非難すべきではないと思う。

松竹氏なる党員が党のシステムに不満なら、党の規約に従ってまず党内で議論の場を確保すべきだった、

その場で埒が明かなければ外で行動を起こす、その手順は面倒ではなかったはずだが、彼はそれを怠った。

少数派の意見だろうが、結社の自由云々を度外視しても私は今回の共産党の除名処分決定を支持したい。

次に、最大野党の立憲民主だが、同盟系の連合の分断工作にはまっており、いつ解党してもおかしくない状況が続いている。

それでも自公政権に本気で立ち向かう姿を国民に見せているのなら支援に値する。ところが、相変わらず政権を獲る気概を示すことなく、パフォーマンスに終始している。

敵基地攻撃能力の保有を閣議決定、ムダな防衛費増税、原発再稼働の推進と老朽原発の運転期間延長、LGBT差別発言、統一教会汚染議員の残存、公明党の政教一致問題、物価高への対応など

政権を徹底的に追い詰めていく材料は山ほどあるのだから、国会で与えられた貴重な時間を1秒も無駄にしてはならないはずである。

「安倍晋三回顧録」について、パネルを使って質問することに何の意味があるのか。目的がわからない。

野党議員のすべての活動は、政権奪取に向けられたものでなければおかしい。私が野党議員なら、常にその意識で日々行動するだろう。

安倍の財務省批判発言を取りあげて、彼の生前の真意を問いただせば現政権を追い詰めることにつながるのか。そうはならないだろう。

「安倍回顧録」は2月8日の発売から20日までに20万部発行のベストセラーになっているが、

立憲の追及は書籍の売り上げに多大な貢献を果たしただけで、何の成果もなかったことは明らかである。

仮に、本の内容を取り上げて追及するのなら、安倍が犯した極悪犯罪事件のでたらめな言い分の数々の方でなければならなかった。

もりかけさくら、河井事件の核心は何も解決しておらず、それらを俎上に載せることが現政権への揺さぶりにつながることは疑いようもない。

例えば、森友事件である。土地の鑑定価格およそ10億円弱が1億3千万円程度に値引きされた根拠について、安倍は本の中で以下のように言っている。(番号は筆者が付している)

1「この(筆者注:籠池氏との)土地交渉は、財務省近畿財務局と国土交通省大阪交通局のミスです」

2「15年に汚染土やコンクリートが見つかり、撤去したのに16年に新たなごみがわかった」

3「ところが、近畿財務局と大阪航空局が打ち合わせをして、学園側には黙っていた。」

4「これを知った籠池理事長が怒り、損害賠償を求める構えを見せたので、財務局があわてて一気に値下げしたわけです」

5「大阪航空局もいろいろと問題があった土地があった土地だから、早く売ってしまえと財務局を負かした」(引用ここまで)

まず、番号1は、後述するように「近畿財務局と大阪航空局(以下、国と記す)のミス」ではなく、黒幕「X」から支持を受けた故意の「作為」である。

2,3は巨大な創作、虚偽である。

「(15年に業者がゴミを)撤去したのに16年に新たなごみがわかった」というが、わかったのは国ではなく、籠池氏側がみつけて国に電話したのである。

また、地下のごみ処理に関わった田中造園という土木業者の社長が、2017年2月24日、毎日新聞の取材に対して、

「2015年、建設用地には生活ごみなどが混じった土が山積みになっていた」「敷地内に穴を掘り、その土を埋めた」と述べ、

さらに、3月6日の取材には「国にそのままでいいと言われた」と証言している。

この証言からわかることは、国の指示で15年からゴミは放置されていたということであり、

「16年に新たに発見された」事実はない、ということである。(15年のゴミ処理の現場に籠池氏側の立会いがなかったというのがポイントである)

番号4。ここは私の憶測である。以上の経緯を踏まえると「籠池氏が激怒した」のは事実ではなく、土地の値引きの大義名分を創作すべく、籠池氏と国が世間をだますために仕組んだ芝居ではないかと憶測できる。

だが、国が独断で、籠池氏の便宜を図る行動に出るはずもない。理由があるとすれば、国に圧力をかけた「X」の存在があったと考えるのが筋である。

「方法は問わないから、13年から続いている口うるさい籠池の件をいい加減静めろ」という主旨の指示が国側になされていたのだろう。つまり、番号5も虚偽である。

ゴミ処理に関わった田中造園の社長は、2度目の3月6日の毎日新聞の取材翌日に首吊り自殺している。

本ブログがこれまで安倍晋三を繰り返し「極悪人」呼ばわりしている理由の一つがこの件である。

安倍には、地獄からルフィ広域詐欺強盗団を非難する資格もない。奴こそルフィも顔負けの極悪人、国賊と罵倒しても言い過ぎとは思わない。

その安倍に追従してきた安倍派一味、岸田も同罪と言わねばならない。

「安倍回顧録」は、稀代の犯罪政治屋の言い訳本として読めばそれなりに面白いので、今後も折に触れて取り上げていきたい。

謎の気球型飛行物体の問題は憶測不可能なほど奥が深い 

2023年2月19日



まず、2月12日付本ブログ「ルフィ極悪犯罪事件の顛末は暗黒日本の象徴そのものである 」の主張を若干補足したい。

一連の犯罪の中でも特に問題となるのが、東京狛江の強殺の法的評価である。

フィリピンにいた渡辺ら4人の幹部のうち、この強殺を実行犯に指図したのは誰だったのか。

起訴状に「被告人4人のうちのいずれかがが指示した」(これを択一的認定という)との記載を裁判所は認めない。

だが、幸いなことに判例は、ゆるい要件で共謀共同教唆を認めている。

だから、たとえ4人の共謀事実が曖昧でも「一連の事件の全体的な考察」なる構成で4人を強殺の罪に問うことに、実務上全く支障はないといえる。

すなわち、彼らが揃って供述を黙秘しようとも、スマホの情報が削除されていようとも(具体的な証拠が希薄でも)罪を問うのにあまり問題はない。

一連の裁判は、色々と注目すべき点が多い。たとえば、日本からフィリピンに現金を運んでいたとされる女の罪である。

検察は幇助罪ではなく、強盗の共同正犯として、忠実な運び屋とされる元キャバ嬢にお灸を据えるのか、

暴力団がらみの裁判となれば、裁判員裁判にならないのではないか(被告人側にはそもそも選択権がない)、そうなると裁判は意外に長期化するのではないか、などなど、色々と興味深い論点がある。

安倍銃撃の山上裁判の行方と併せて、今後も注視していきたいと思う。

ここから今回のテーマに入る。

日本の領空内を飛んでいた「気球型の飛行物体」について、防衛省は「中国が飛行させた無人偵察用気球だと強く推定される」と発表した。

これについて、元自衛隊員の佐藤正久自民党議員が「これまでなぜ対応しなかったのか」とツイートし、

小野寺元防衛相は「今まで、中国のものということを把握できていなかったのか。」と述べ、

当時防衛相だった河野太郎は「気球に聞いてくれ」と発見時にコメントしていたが、

彼らは別にとぼけているわけではなく、政権政党に所属する国会議員や担当閣僚でさえ、情けないことに自国の領空内でおこった異変を説明できない(できなかった)というにすぎない。

これまで日本領空内で確認されている気球飛行物体は

防衛省によると、2019年11月に鹿児島県薩摩川内市、2020年6月に仙台市、2021年9月に青森県八戸市などである。

私は東京在住だが、故郷が青森県八戸市なので、当時の気球問題は、ニュースで知ってしばらく気にはなっていた。

気球の正体について、当時私は地元の知人に対し、「おそらく米軍が飛ばしているのだろう」「ロシアの可能性もゼロではないが、可能性は低い」という意見のメールを送っていた。

私は理由なく憶測で意見を述べるようなことはしない。

米軍のものであるという根拠は日米地位協定と国連軍地位協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律第3項(1952年7月15日施行)である。

これによると、米軍は,日本全国の上空どこでも飛んでよいことになっている。だから、たとえ日本の領空内の出来事でも、日本政府が全事情を把握する術が法的にないのである。

河野太郎も当時気球が米軍のものだという認識だったのだろう。「気球に聞いてくれ」というのは、ふざけた言い方ではあるが、

「米軍のものなら俺が知るか」との主旨で述べたと解釈すれば、言っていることはその通りである。

河野だけでなく、政府も物体の正体を確認することなく、現在に至るまで放置していた、というのが真相だろう。

偵察気球がロシア製である可能性もあると私が示唆した根拠は以下の通りである。

八戸市に隣接している三沢市には、在日米軍の主要基地がある。

米国の公文書によると、沖縄の嘉手納基地の隣に位置する弾薬庫には1300発の核兵器があり,

そこから飛行機で積み上げて,三沢などの米軍基地に運んで,冷戦中はソ連や中国を核攻撃できるようにしていたとのことである。

なお、三沢基地は,冷戦中ほとんどその訓練しかやっていなかったらしい。

また、三沢基地には、米国の軍事目的の通信傍受システム「エシュロン」が配置されていたことでも知られている。

世界中の電話、データ通信が傍受可能な三沢基地のシステムは、元NSA職員のスノーデンの暴露やEUの指摘で現在廃止されたといわれているが、真相は不明である。

それゆえに、ロシアが、地理的に離れていないポジションにそのようなスパイ施設が今もなお現存しているだろうと警戒するのは不自然ではないだろう。

偵察気球の一つでも飛ばして、上から様子を見てやるか、と考えていてもおかしくない。

だからといって、三沢市上空の真上に留めておくのでは警戒されてしまう、だから、お隣の八戸市上空から余所見程度に観察してやろう、というノリで飛ばした、と。これが当時私の推測の一つだった。

だが、気球の犯人は米国でもロシアでもなく、実は中国だったというのはまったく予測の範囲外だった。日本政府も同様の認識だろうと思われる。

ただ、この件で中国を一方的に非難するのは現時点では止めるべきである。

日本の大メディアは、例によって米国ら西側のメディアの情報を元に、米国は正義イコール中国は悪との構図で中国を一方的に批判しているが、

事態を冷静に観察すると、そうとも言い切れない。

米国は、領空侵犯(国際法違反)を理由に、これまで何機かの偵察気球を撃墜しているが、本当に領空侵犯はあったのか。

国際法上、領空の上限は定められていない。

一般的に領空の上限と考えられているのは、4万5000フィート(約13,7キロ)である。この数字は、民間機や軍用機が飛行できる高度の上限とされている。

ところが、米国で撃墜された気球は高度6万フィート(約18キロ)以上で飛んでいるので、一般的な解釈で言えば、国際法違反とも言い切れないのである。

日本で発見された気球についても、綿密な調査結果を踏まえた上で、さまざまな意見を述べるべきではないのか。

他方で、仮に中国が「気球は人工衛星の一種だ」などと弁解していたら、どうなっていたか。

人工衛星なら宇宙法の適用になるので、上空の上限はないことになる。そうなれば、中国の言い分が法的に通る可能性もなくはない。

今のところ、中国はそのような詭弁を弄していないので、この点を考える必要はないが、

いずれにせよ、法的な解釈に触れることなく、何の考察も試みずに感情論だけで中国を批判すべき段階ではないといえる。

それはともかくとしても、この問題は出発点からして謎に包まれている。

日本上空の問題で言えば、日本の領空を支配している在日米軍が謎の気球に気付かなかったというのはおかしいではないか。

高度な情報処理技術の設備を備えているはずの三沢基地が、一般人でも地上から肉眼で見える巨大な謎の飛行物体を過失で見逃すなどありえない。

故意に見逃したとなれば、なぜなのか、そして見逃した気球はどこへ消えたのか、そもそも後を追わなかったか、現時点でこれらの謎に回答するのは憶測ですら難しい。

今後もさまざまな角度からこの謎を追って検証していきたいと思う。

ルフィ極悪犯罪事件の顛末は暗黒日本の象徴そのものである 

2023年2月12日


先週の本ブログを2箇所訂正したい。

1箇所目。一連のルフィ凶悪事件について、2月5日付本ブログでは「強盗事件20件超関与、被害総額およそ35億円」と書いたが、

10日の各メディアの報道によると、正しくは「特殊詐欺約2300件、被害総額60億円超、強盗50件超に関与」している疑いがあるとのことである。

2箇所目。発売中の文春2月16日号によると、ルフィを名乗っていたのは、渡辺ではなく今村で、渡辺はKIMを名乗っていたとのことである。

ところで、フィリピンから強制送還された渡辺ら幹部4人の容疑は、現時点では詐欺のみだが、

おそらく3月上旬あたりに、警視庁は強盗事件でも4人全員を逮捕することになるものと思われる。

この強盗事件の捜査については、「捜査関係者」と称する幾多の識者の意見に異論があるので、その点をまず述べたい。

警察庁の露木長官は9日の記者会見で、「(強制送還された)4人を逮捕してスマートフォンなどの証拠品を押収したのは捜査上大きな前進だ。」と述べた。

この長官発言を受けての見立てなのか、以下のような見解を示す専門家らがいる。

「4人の幹部は、本名ではなく通称名で指示を出す一方、匿名性の高い通信アプリ「テレグラム」を使っていたので、

狛江の強殺事件を4人のうちの誰が指示していたのかを特定できない、と。

だから、スマホの解析がうまくいかない場合、彼らが供述しない限り、強殺での立件は難しいのではないか」と。

もっともらしい意見だが、文春によると、狛江の強殺を主導したテレグラムのアカウントは、渡辺の通称「KIM」であることが判明している。

仮に、この点が不正確だったとしても、4人の幹部のいずれかのスマホから発信されたものであることは各メディアも確たる事実として伝えている。

そうであれば、スマホの解析から得られる情報がたとえ不十分だとしても、(言い換えると、狛江の強殺事件を4人のうちの誰が指示していたのかまで特定できなくとも)

4人をまとめて強殺で立件するのは可能であると思われる。

「4人のうちの誰が指示していたのかまで特定できない」場合に立件に支障が出るのは、指示した者を教唆犯罪で問う場合である。

ところが、本件は共謀共同「正犯」で立件できる事案である。幹部4人は、実行犯らに本人確認書類を写メで送信させ、彼らの素性を押さえた上で指示を出していた。

実行犯らは、「もし裏切れば、自分らと自分らの家族に危害が加えられるだろう」との恐怖心から犯罪行為に突き進んでいたのである。すなわち、幹部4人と実行犯らは支配従属の関係にあった。

以上のような両者の関係を前提にすると、判例は、共謀の射程が及ぶ範囲(実行行為が共謀に基づいて行われた範囲)を拡張解釈する傾向があるので、

本件で4人を強殺の共謀「共同正犯」の罪に問うことには何の問題もないことになる。

彼らのいずれかの指示によって強殺の結果が生じたことが明らかになってさえすれば、

具体的に誰の指示によって結果が発生したのかがはっきりしていなくても、全員が強殺の結果について「正犯」としての責任が問われることになるだろう。

日刊ゲンダイのインタビューに応じたITジャーナリストの三上洋氏は、テレグラムは、電話番号と紐づいているので、どのSIMカードを使用したか特定できる、

すなわち、かかってきた電話番号は確認できるが、それが4人のうちの誰なのかまでは特定できないので、最後は4人の(取調べでの)供述によるしかないのでは、

との見解を示しているが、4人を強殺に処するには、「指示の特定」の証明は不可欠ではないということである。

ただ、特定ができない場合(情報がすでに消去されている場合)は、暴力団の関与を裏付ける事実が闇に葬られる可能性が高いというだけである。

だが、渡辺ら幹部が事実をありのままに供述すれば話は急展開するだろう。

本ブログがこの事件に注目している理由はここにある。

幹部4人のうちの1人は、六代目山口組の三次団体である福島連合のメンバーとの情報もある。

福島連合は、歌手のASKAに覚せい剤を売っていたことでその名が知られるようになった団体だが、

最近では、コロナ対策の持続化給付金詐欺事件でもちょくちょく耳にする犯罪集団である。

仮に、幹部4人のうちの1人が、一連の広域凶悪事件に暴力団関与の事実を供述するようなことがあれば、暴力団全体が壊滅の危機に晒されることになる。

2021年8月24日、特定危険指定暴力団「工藤会」トップの野村に死刑、ナンバー2の田上に無期懲役の判決が下された。

1998年に起きた元漁業組合長の射殺や歯科医師刺傷など、4つの凶悪事件に野村らが関与しているとして、延々7年間裁判が行われたが、

その間検察は、彼らが犯罪の関与を疑わせる証拠を何も提示しなかった。

理論上、教唆、共謀共同正犯はもちろん、暴対法31条の2の使用者責任の成立さえ疑わしい事件だったが、それでも、地裁はトップの野村に極刑判決を言い渡した。

今年9月に控訴審が開かれるが、一審判決が維持される可能性が極めて高いと予測する。暴力団関係者には重い罪を科す、これが今の日本の刑事実務の現状だからである。

余談だが、死刑判決を言い渡した裁判長に対し、野村が椅子から立ち上がって「アンタ、生涯このことを後悔するぞ!」と威嚇していたが、

米国なら、たとえ控訴審で無罪判決を勝ち取っても、この威嚇行為だけで短くても10年の懲役が科されることになるだろう。

話を戻す。今回の渡辺らが起こした2300件の詐欺、50件以上の強盗事件の背後に暴力団が関わっていたことが立証されるとどうなるか、暴力団の終焉は火を見るよりも明らかである。

だが、死刑、無期求刑の可能性もある渡辺らが暴力団の関与を供述する可能性は低い。

結局、指示役の渡辺ら4人とその末端の実行犯らが罪を負い、真の黒幕は温存されたままで、一連の広域凶悪事件が幕を閉じる可能性の方が高いと考えざるを得ない。

だが、この結末も今の日本社会の縮図であると言われればばそれまでである。

たとえば、五輪談合事件で逮捕されているのは実行部隊の下っ端ばかり。検察が本丸の黒幕を捕まえることはないし、

文科省元事務次官の前川喜平氏が、森友問題で文書改ざんを指示した黒幕は菅義偉であるとの認識を示しても、その菅に司直の手が及ぶことはない。

それどころか、最近は反主流派の親分格として健在ぶりをアピールしている。

河井夫妻事件の黒幕は安倍晋三だが、1億5千万円の投下にゴーサインを出した当時幹事長の二階俊博の罪も重い。

安倍は死んだが、だからといって彼の罪が法的に消えたわけではない。だが、今では誰も彼の責任を問う者はいない。二階の責任も然り。

今の二階は、息子のためにいかに世耕弘成を叩き落すかということしか頭にないだろうが、

禅譲を考える暇があったら、これまでの悪業を反省してフェードアウドしていくことを先に考えるべきだろう。次期衆院選出馬などとんでもない話である。

物価高で庶民の苦しみも何のその、金融市場を混乱に陥れた黒幕の黒田日銀総裁は、退職金7600万円を手にしてさっさとトンズラしてしまった。

黒田は総裁就任前にフィリピンに在住経験があり、彼の妻は現地でも有名で、オークションで絵画を何枚も買っていたという。

良くも悪くも「黒幕」のやること、考えることは同じだということである。


ルフィ連続凶悪犯罪事件の被害者と遺族は国を相手に訴訟を起こすべきである 

2023年2月5日



昨年10月以降、全国各地で頻発している20件以上の連続強盗事件の首謀者として、ルフィと名乗る渡辺という男が浮上している。

フィリピンの入管施設に収容されているはずの男がスマホで日本の実行犯らに事を指示していたという。ネットではこの首謀者と一連の実行犯らを死刑にしろとの声が日増しに高まっている。

だが、後述するように、渡辺ら並びに実行犯らが死刑になる可能性はかなり低い。

日本の捜査当局はフィリピンに対し、渡辺ら幹部4人の身柄を日本に引き渡すように要求しているので、近い将来彼ら全員が日本の司法で裁かれることになる。

渡辺らは日本に帰りたくないだろう。フィリピンには死刑制度はあっても、国連の勧告を受けて現在は死刑の執行が廃止されており、

しかも、ゆるいムショ生活で、状況によっては刑務官に賄賂を供与して脱走し、自由の身になることも十分可能だからである。

ところが、日本は違う。法務大臣が朝起きて「ただはんこを押すだけ」の確立した死刑制度の下、2000年以降、98人に刑が執行されている。

岸田政権では2人の執行が確認されている。

脱走についても、賄賂の逃亡は前例がないので、強行突破の方法しかないだろう。カルロスゴーンのような成功例もあるが、一般論としてフィリピンよりは難しいと思われる。

検察が渡辺を死刑に求刑することはないと思われるが、以下、少し死刑制度について私の態度を改めて述べておきたい。

2月3日、国連の人権理事会は日本に対し、死刑制度の廃止や政府から独立した国際基準の人権救済機関の設置などを勧告した。

死刑制度の是非については、本ブログでこれまで何度も触れてきたように、私は反対の立場をとっている。

首をロープでくくられて数分間苦しめた挙句、脱糞し、目玉が飛び出し、血しぶきを上げながら首から胴体が落ちていくことを容認する制度を「残虐ではない」と感じる70パーセント超の国民の感性に私はついていけない。

死刑賛成者から「反対では被害者の遺族が報われない、被害者の遺族の感情は考えないのか」と反論されることがあるが、

その意見には2点反論できる。1つは、そもそも被害者に遺族がいなかった場合は、どう考えたらいいのかということ。

遺族がいる場合といない場合とで場当たり的に対応を変えていくというのは、法的に構築されたはずの制度を運営していく上で、あってはならないことである。

もう1つは、たとえ被害者に遺族がいたとしても、その遺族が死刑を望まなかったらどうするのか、という問題がある。

ジャーナリストの大谷昭宏は,長い取材経験でもそのような遺族に会ったことはないと喝破していたことがあったが、それは彼の取材範囲が甘いだけで現実にはいる。

宗教上もしくは思想信条から反対している遺族がいるのを私は個人的に知っている。ただ、日本特有の同調圧力で本音を口外しないだけである。

私のような第三者ではなく、当事者が国の確固たる制度に公然と反旗を翻すというのは、死刑を求めるよりも勇気が要ることである。

国の制度に公然と反対する者は国家反逆罪とみなされ、逆に死刑になる国も外国には存在する。

死刑にするかしないかを被害者遺族が感情的に決めていくという国の制度の在り方に違和感を覚えないと言うのならそれ以上何も言うことはない。

ところで、私はただ反対しているだけではない。犯罪者が罪を償う対案として、たとえばだが、

尖閣や馬毛島あたりに収容所を作って、文字通り彼らを島流しにしてそこで強制労働をさせるというのはどうかとも考えている。

その方が死刑台に送るよりも国や国民の利益になるはずである。

彼らの作業で上がった利益のほとんどを少子化対策や年金の財源にあてるのもいいだろう

南條範夫の「戦国残酷物語」によると、江戸時代には、重労働で建物を建築させた直後に、その建物をすぐに壊すように命じ、

また同じ建物を建てさせるという非生産的な苦役を課していた藩もあったようだが、現在は憲法18条に正面から反するので認められない。

病弱の者、仮病を使って働かない者らは、島の病院に入ってもらうことになる。

病弱の者は仕方がないが、仮病の者が病院に閉じ込められて、毎日何もしないでいるというのは、ある意味苦痛だろう。働いている方がマシだと考える者の方が割合的に多くなるのではないだろうか。

ルフィの指示の下で行われたとされる一連の特殊詐欺、強盗事件の実行犯は10~30代がほとんどでなので、体力はあり余っているはずである。

彼らを酷使して我々の税金負担を軽くしてもらう方が死刑台に送るよりも、生産的ではないだろうか。

ただ、ここまで書いておいてどうかとも思うが、渡辺ら全員は、島流しにされて強制労働させられることもなければ、死刑になる可能性も低いと言わざるを得ない。

渡辺ら4人の幹部らには詐欺、強殺の共謀共同正犯、もしくは教唆犯が成立し、無期懲役が求刑されるものと思われる。

狛江の強殺事件の評価次第では,検察が渡辺にだけ死刑を求刑する可能性もなくはないが、本ブログはそれもない、と断言しておく。

だが、そうなると20件以上の強盗事件の被害者と、2300人、総額35億円の特殊詐欺事件の被害者が救われない。

そこで以下、ここでは特殊詐欺事件は置くとして、強盗及び強殺事件の国家賠償請求訴訟での救済を考えたい。

被告は警察庁長官と捜査本部のトップである。私は国家賠償請求の要件は十分満たしていると考えている。

2017年からフィリピンに滞在している渡辺は、日本国内にいるタナカなる女に、特殊詐欺グループが稼いだ現金を運ばせていたという。

捜査本部は特殊詐欺グループの実行犯を次々と摘発していったが、組織の全容解明までには当時至らなかった。

ところが、2019年11月、運び屋のタナカが窃盗容疑で逮捕されたことで、事態が急変する。彼女が口を割ったことで、組織の全容解明につながっていったとされる。

本件の一連のポイントはここである。捜査当局は、フィリピンにいる渡辺らが首謀者であることをこの時点で突き止めたということである。

捜査本部の連絡を受けたフィリピン当局は、2019年11月、フィリピンに潜伏中の特殊詐欺の実行犯ら36人を身柄拘束し、その後幹部らも順次拘束して収容施設に送った。

この時点で日本の捜査本部も具体的に次の手を打つべきだった。にもかかわらず、彼らはノホホンとして行動を起こさなかった。

フィリピンの収容所の実態について、週刊文春2月9日号は、「施設で一定期間を過ごした日本人男性」の話として次のように紹介している。

「(施設の)職員はボーイみたいなもの。カネを渡すと買出しに行ってくれるし、金額によってはエアコン完備の個室にも入れる」

「収容されている女とセックスもできる。プリペイド式のスマホも所持できる。カネ次第で”自由な外出”以外は何でもできた」
と。

このような施設から渡辺らが日本の実行犯に指示を出し、次なる行動を起こすことは分かりきっていたことではなかったのか。

事実、昨年末から特殊詐欺から強盗の指示にスイッチした渡辺は、スマホ一つで日本の実行犯に強盗を次々と指示。だが、それでも捜査本部の動きは鈍かった。

本気で動いたのは、今年1月に起こった東京狛江の強盗殺人事件だった。これでは、人が死ぬまで本気の捜査はする気がなかったといわれても仕方がないだろう。

それまでに、およそ20件以上の強盗事件に渡辺が関与している事実が疑われていたにもかかわらず、である。

捜査本部の対応が怠慢だったことに疑いの余地はない。必要があれば直ちに捜査官をフィリピンに送ることもできたはずである。

捜査の段取りが適正であったなら、狛江の90歳の強盗殺人は防ぐことができた。

被害女性の遺族及び強盗の被害にあった方々は、堂々と捜査本部とその上の警察庁の監督責任を国賠請求の形で追及すべきである。

訴えの内容は、概ね以下のような流れになるだろう。捜査当局をまとめてとりあえず「国」としておく。

「国は2019年11月の時点で、フィリピンを拠点とした犯罪グループによる特殊詐欺事件の被害者が相当数に上がっていたことを認識しており、」

「その後も被害者が出ることについて、高度の蓋然性を以って認識しうる状況にあった。」

「そうであれば、その後の被害防止に必要な措置を直ちに執るべき状況にあったものといわなければならない」

「その時点で必要な措置が執られていれば、特殊詐欺の被害のみならず、強盗の被害拡大を防ぐことができた。にもかかわらず、そのような措置を執ることを怠った。故に被害が拡大する結果となったことは明らかである」

「一連の状況を総合すると、2019年11月以降、犯罪拡大発生に必要な措置を十分に執らなかったことは著しく合理性を欠くものとして、国賠法1条1項所定の適用上違法というべきである」と。

折しも、2月3日、岸田首相はフィリピンに年間2000億円を超える支援を表明する方向で調整に入った。

裁判が面倒であれば、岸田にその2000億円の一部を回せと要求するのもよいかもしれない。

デビィ夫人とやらに国際情勢の何がわかるというのか 

2023年1月30日

ロシアによる本格的なウクライナ侵攻から約1年が経とうとしているが、この戦争の化けの皮はすでに剥がれている。

2014年以降、米国の傀儡国家となったウクライナは、ミンスク合意を反故にして東部住民の弾圧を繰り返していただけでなく、NATOの東方拡大を画策するなど、反ロシアの態度を露わにしていた。

ロシアの軍事侵攻4か月前の2021年10月には、東部地域に国際法違反のドローン攻撃まで行っていた。

それでも昨年2月の侵攻当時、本ブログは、たとえウクライナに非の原因があったとしても、挑発に乗って大掛かりな軍事侵攻を仕掛けたプーチンの非の方が大きいとの見解を示した。

だが、この見立ては、前提事実を見誤ったものだったと今は認めざるを得ない。

ゼレンスキーのドローン攻撃予告に、当時欧米諸国は懸念を表明していた。プーチンも「紛争がエスカレートしていくだけだ」と警告を発していた。にもかかわらず攻撃は行われた。

ただ、侵攻前のウクライナの攻撃がこのドローン攻撃だけなら、私は今も考えを変えていないかもしれない。何があっても大規模侵攻はやはり避けるべきではなかったか、と。

だが、ドローンの件とは別に、侵攻前から東部では2014年以来最大規模の大戦争がすでに始まっていたとなれば話は別である。

ロシアが軍事侵攻したのは2022年2月24日とされているが、実はその8日前の16日から、東部のドンパスでは大規模戦争が始まっていたようである。

根拠は、OSCE(欧州安保理機構)監視団(侵攻後2か月後に活動終了)の日報である。

国連平和維持活動の政策責任者を務めていたジャック・ボー氏がフランス情報研究センターの『文献速報』第27号に寄稿した論文で、その内容を明らかにしている。

OSCEは、日本の外務省も2014年以後、公式に財政的・人的貢献をしていた安保理の組織であり、素性の知れないいかがわしい団体ではない。

日報によると、東部ドネツク・ルガンスク地域における1日平均の停戦違反行為・砲撃数は、2021年はそれぞれ257回、約70発足らずだった。

記録にはないが、2014年~2020年の年平均もおそらくこの程度だったのではと各々の年の報道などから推察することができる。

ところが、記録によると、2022年に入るや、2月14日までの45日間だけでおよそ200回、約60発と増えていった。

2月15日になると、1日だけで153回・76発で、問題の16日には、591回、316発である。

その後さらに戦闘は激化していったようで、21日は1927回で1481発、22日は1710回で1420発である。

令和の日本で1日に1400発の砲弾が飛び交う光景を想像できるだろうか。これを戦争状態と言わないというのなら、それも一つの解釈なので何も言うことはない。

その間、ウクライナ兵が東部の民間人をレイプ、虐殺する蛮行を働いていた事実も確認されている。

問題はこの激しい状況を、ウクライナ、ロシアのどちらが先に作ったかだが、日報にはこの点の記載がない。調べがつかなかったのだろう。

当時、東部地域で戦闘中のウクライナ軍の人数は推定12万人、東部の新ロシア武装勢力は4万~4・5万人と圧倒的に少ないとされるが、これも事実だろう

日本のメディアは、当時、国境付近にロシア軍が15万人程度配備されていることを西側メディアの情報を引用する形で盛んに伝えていたが、

当時のこの報道が事実だとすれば、正規のロシア軍を東部に全面投入して援護する余裕はなかったと考えられるからである。

敵の兵数の半分にも満たないのに、相手に生きるか死ぬかのけんかを売るだろうか。追い込まれたのならともかく、戦争当初からそこまで無謀な戦術をとる必要性は乏しい。

そうであれば、ドローン攻撃がそうだったように、先にウクライナが総攻撃を仕掛けてきたと考えるのが筋である。

ウクライナの圧倒的な兵数から見ても、一気に東部問題に片をつけに入ったとみなすこともできよう。

ロシアにとって、東部を完全に支配されることは、死活問題であり、あってはならないことである。プーチンのあせりは相当なものだったに違いない。

国境付近に待機していたロシア軍は、状況を打開すべく、宣戦布告を行った上で、2月24日、首都キーウを目指して侵攻を開始した。

西側は、ロシアの軍事行動を国際法違反にするために、2月16日にウクライナが始めた事実を意図的に隠した。

その間の西側の対応だが、その後の戦況が示すように、クレムリンの動きは西側、特に英米に筒抜けになっていたようで、彼らが得た情報は瞬時にウクライナに伝わっていった。

ロシアの侵攻の情報を事前にキャッチしていたゼレンスキーは、いち早く安全な場所に身を移し、以後テレビカメラの前でロシアへの非難を繰り返すようになる。

ゼレンスキーはプーチンと違って演説が巧みなので、事情を知らない者たちが皆彼にだまされてしまうのは仕方がない。

森元首相と鈴木宗男議員の「ロシア寄り」ともとれる発言が批判されているが、彼らは別に「ロシアが善でウクライナが悪」だとまで言い切っているわけではない。

森の「報道がウクライナ寄りなのは不公平である」との意見には同意できる。宗男が言う「今大事なのは、どっちが悪い云々ではなく、一刻も早い停戦である。」との意見にも反対する理由はない。

デヴィ夫人なるタレントがツイッターで森と宗男を酷評しているが、賛同に値しない。

ツィートの内容は次の通り。「森元首相と鈴木宗男は老害以外の何者でもない。プーチンと写真を撮ったから”トモダチの国”を非難するな、自分が日露の外交を拓いたから、と馬鹿を言う。」

「ロシアの公船が津軽海峡付近の太平洋に出没している非常時に、世界情勢を知らない者達が巣食うから日本は遅れを取るのだ。」と。

これはちょっとひどすぎないだろうか。

まず、「老害以外の何者でもない。」はただの悪態、誹謗中傷である。書き出しから言葉の選択がすでに最悪である。

その上で「プーチンと写真を撮ったから”トモダチの国”を非難するな、自分が日露の外交を拓いたから、と馬鹿を言う。」と言っているが、森も宗男もそのような「馬鹿」は一言も言っていない。

続いて「「ロシアの公船が津軽海峡付近の太平洋に出没している非常時に」と言うが、

海峡の中央部分は公海とされており、国際法上は外国艦艇でも自由に通過できるので問題はないはずである。

「世界情勢を知らない者達」とも非難しているが、ウクライナの首都キーウに1週間程度いただけで、世界情勢の何がわかるというのだろうか。不合理極まりない見識という他ない。

そもそもこのご夫人がこれまで世界情勢なるものについての御大層な知見を開陳したことがあっただろうか。私は寡聞にして知らない。

ブログも拝読したが、セレブな生活を見せつけるかのような華美な写真をこれでもかと載せているだけである。世界情勢について言及した記述など全くみつけることができないのは言うまでもない。

繰り返し「そもそも論」になるが、人の意見や行動を批判したいのなら、具体的な事実を指摘した上でなければ、ただの悪態、罵詈雑言にすぎなくなることを知るべきである。

森、宗男の発言のどこが間違っているのか。どこが無知なのか。

事実無根の架空発言をでっちあげて批判するのではなく、発言内容をもう少し掘り下げて具体的に悪態をついてほしい。

批判は常に建設的なものでなければならない。

そうでなければ、筑紫哲也が言っていたように、それはただの「便所の落書き」でしかなくなってしまうのである。

コロナ関連薬害訴訟で我々が国に勝つ可能性を考える 

2023年1月22日




新型コロナ感染症法上の位置付けについて、政府は、現在の「2類感染症」から「5類感染症」に移行する方向で調整している。

5類になると、行動制限などの厳しい措置が緩和されて自由な経済活動が認められるようになる。が、その一方で、

入院や検査、外来診療にかかる費用や治療薬代などがこれまでの公費負担から保険適用以外の費用が自己負担になる。

だが、岸田政権の今の低支持率を考えれば、地方統一選やいくつかの衆院補選を控えていることもあり、

当面は公費負担の方針が維持される可能性が高いと思われる。

ところで、昨年の秋あたりから、コロナの弱毒化が進んでいると言われている。

にもかかわらず、政府が2類感染症の指定にこれまでこだわってきた理由について、ある識者は次の2点を述べている。

第1に、厚労省の支配権の下、保健所、急性期病院、検査会社、宿泊療養施設などの多くの関係者への補助金などへの利益供与確保に加えて、

2類相当指定の下での国立病院機構、公立病院、地域医療推進機構が持つ巨大利権を温存するために、指定区分変更が見送られてきた、と。

この解釈については異論はない。
もう1点の理由についても概ね同意できる。

政府とワクチンメーカーは8,8億回分のワクチン購入契約を結んでいるが、4,7兆円の予算のうちのワクチン予算が2・4兆円で、そのうちの2・3兆円がワクチン接種利権である。

2類から5類への区分変更は、この接種利権の消滅を意味する、と。


ただ、一方で、この識者は、最近のコロナ死の激増について、厚労省がコロナ死者数を過大に見せかけているからだと言っている。

コロナ陽性者が死亡した場合には、死因を問わず「コロナ死」としてカウントして発表し、コロナ死の数を水増ししている、と。

これまでに使用したワクチンは3.7億回分で、まだ5億回分も余っている。

だが、コロナ死者が増加しているとの認識が国民に広まれば、ワクチンを接種しようという者がまだまだ出てくるはずだ、と。

要するに、大量に余っているワクチンを消化させるために、死者数を過大にみせかけてコロナはまだまだ危ないとの認識を国民に持たせ、

それを利用して、政府は2類から5類への指定区分の変更を拒絶してきた、と。

だが、岸田は1月20日の会見で、「昨年から(区分変更について)ずっと議論を行い、できるだけ早いタイミングで判断すべきだといった議論が行われてきた」と述べている。

この発言が事実なら、区分変更の議論と同じタイミングで、コロナ死者数のカウント手法の変更も議論していたのではないだろうか。

死者数が多ければ、そのタイミングでの区分変更公表は説得力を持たなくなるからである。

区分変更を言い出したいのなら、それを公表する前に、死者数をより少なく見せるための工夫(インチキ)というか、仕込みを謀るのではないだろうか。

だが、今年に入ってもカウント手法は変更されておらず、そのせいかどうかわからないが、統計上1日の死者数はここにきて増加している。

私は、ワクチン利権とは別の次元の観点から、現在のカウント手法の意図について憶測している。

まず、厚労省がコロナ陽性者が死亡した場合には、死因を問わず「コロナ死」としてカウントしている、

接種後死亡者数が過大計上されている可能性が高いということが事実であることが前提となるが、これらはおそらく間違いない。

だが、これは意図的に国がコロナ死を水増ししているというわけではなく、結果的に過大にカウントされているというだけで、

真の意図は巨大薬害訴訟のリスク回避にあると推察できる。

コロナ陽性者が死亡した場合、現行のカウント手法ではコロナが原因で死亡したのか、実はコロナとは全く関係なく、それ以外の原因で死亡したのかが不明となる。

だが、それを狙っているということである。わからなくするためにあえてそのような統計手法をとっているのである。

そのため、結果的に過大な死者数がカウントされてしまっているが、これはやむをえないとの判断があるのではないだろうか。

接種後死亡者数も然り。発売中の文春1月26日号が指摘しているが、接種後死亡者数の中には、

接種後の自殺者や「患者の友人からの情報提供」といったわけのわからない者らもカウントされている。

このようなカウント手法をあえてとると、死亡原因が本当にワクチン接種によるものなのか、全く別の理由によるものなのかがわからない。

すなわち、現行の統計手法では、被害者が「コロナが原因で死亡した」「ワクチン接種が原因で死亡した」ことを裁判で立証するのは至難の業なのである。それを国側はあえて狙っていると。

ところで、国に過失があった、義務違反があったことを証明するのは被害者側である。だが、まずそもそも具体的にどのような事実があったかを知っているのは医者であり、データを保有しているのは国である。

重要な証拠は敵がすべて握っているのである。だから、こちらがほしい真実のデータが出てくることはまずない。

私はこれまで何度か役所を相手に裁判を起こした経験があるが、このような国賠請求の場合は、被害者側がすべての要件事実を証明しなければならない。

中でも、因果関係の立証は専門的で複雑ゆえに時間がかかる。だから、被害者側が団結して大規模訴訟の形態でも採らない限り、小人数で争っても費用対効果がよくない。

債務不履行で争うこともできるが、義務違反の事実を証明するのはやはり難しい。

ただ、医療過誤や薬害訴訟では、被害者側が過失・因果関係を推認する間接事実だけを証明すれば立証活動は成功とされている。

ワクチン接種後死亡の場合なら、たとえば、「つい最近、学校や企業で健康診断を受けたが、全く異常がないと診断された」「今まで大きな病気をしたことはなく、基礎疾患もない」

「それなのに、ワクチン接種後6時間以内に死亡した」
などの事実さえ遺族が証明できれば足りるだろう(これを表見証明という)。難しい医学専門用語をそれほど使う必要もない。

これに対して国側は、間接事実そのものを否定してくることも考えられるが、そうではなく、

あらゆるデータを提出した上で、多くの医療従事者を証言台に立たせ、医学用語を駆使させてワクチンの有効性をこれでもかと強調していくことが反証活動の中心になるであろうと思われる。

原告の被害者側を疲弊させるために、たとえば、必要もない医療の専門家を海外から証人として呼ぶなどして裁判の引き伸ばしをしてくることも十分考えられる。

第1審でどちらが勝っても最高裁まで戦うことになるのは間違いないので、そうなると、原告被害者側は最低でも10年間は戦うことを覚悟する必要があるだろう。

しかも、繰り返すが、現状の統計手法ではコロナやワクチンと死亡との因果関係を立証するのは不可能に近い。

そうなれば、被害者原告側は長い戦いの末、結局、国の反証活動で真偽不明に追い込まれることになるのは想像に難くない。

刑事裁判であれば、国側にそもそも被害の予見可能性すらなかったと判断される可能性もある。

1月18日、東京高裁は、2011年の東京電力福島第一原発事故で、業務上過失致死傷の罪で起訴された東電の旧経営陣3人について、無罪判決を言い渡した。

裁判所は「当時、10メートルを超える津波が原発を襲うと予見できた可能性は旧経営陣にはなかった」と判断したが、

過去の津波自身の例を調べると、江戸時代以降だけで

1703年12月31日の元禄関東地震 。M8,2程度。津波の高さ8メートル以上。最大波高20メートル。

1771年4月24日 八重山地震(明和の大津波) 津波の最大波高推定30~40メートル。

1923年9月1日 大正関東地震(関東大震災) - 津波の最大波高12メートル。

1993年7月12日 北海道南西沖地震 津波の最大波高30メートル。
との観測記録が残っている。

それなのに、裁判所は東電側の予見可能性を否定した。

しかも判決で 2008年には東電も独自に「最大15・7メートル」の津波予測を得ていたと認定したにもかかわらず、である。

大組織を相手にした場合、裁判所は庶民に不利な判定を下す。このことは私も複数の裁判でいやというほど身をもって経験した。

話をコロナに戻すが、国側のリスクマネジメントはある意味お見事と感心するしかない。

無為無策で国民の生活をボロボロにしてでも、保身術だけは長けているのが明治時代以降の日本の政官の特徴である。

敵にすると正直厄介な相手だが、相手がだれであろうと、筋を曲げられたら臆せずに立ち向かっていかなければならない。

今後コロナ死や接種後死亡者数がさらに増加するようなら、我々は巨大訴訟の準備を真剣に考える必要がある。

安倍銃撃山上の弁護団は本気で権力と戦う気がないのなら直ちに辞任すべきである 

2023年1月15日


本題に入る前に、山上弁護団共々、辞任(辞職)に値するこの男の糾弾から始めたい。

立憲民主党の泉健太代表が正月に乃木神社を参拝したというが、いったい何をやっているのか。

前川喜平元文科省事務次官が「明治天皇に殉死した長州閥の軍人を神と崇める行為」とツィートしていたが、的確な批判である。

対する泉は「何だか息苦しいですね...。今年は幾つかの寺社を詣でましたが、近所の神社で国家繁栄、家内安全を祈ることが『軍人を神と崇める行為』とされるとは...」と反論しているが、

彼は前川氏が批判した意味をまるでわかっていないようである。

乃木神社は軍国主義を礼賛する政治的道具として作られた神社であり、憲法学者の小林節氏の言葉を借りれば、昔から地域社会の中に存続してきた「鎮守の神様」とは一線を画した神社の一つである。

とはいえ、その地を訪れて手を合わせた者すべてを軍国主義者だと言うつもりはない。実際彼はそのような思想の持ち主ではないだろう。

だが、乃木神社の以上のような特質を踏まえると、国会議員としての訪問は政教分離原則違反の問題が生じることを認識する必要があった。

行動にはタイミングというものがある。彼には彼なりの考えがあるのだろうが。正月早々、野党第1党の党首がこのような論争を巻き起こすような行動を取るべきではなかった。

昨年以来、自民党と統一教会、公明党と創価学会との政教一致問題が問題視されているが

これらの問題がまだ終息していない現況で、泉の軽率な政教一致行動は、政権政党への憲法違反問題の追及を党として困難にしてしまった。

安倍死亡以後、教会と自民との関係、その問題から派生した公明と学会との癒着問題はまだ決着していない。

特に後者の問題。テレビ、大新聞は公明と学会の政教一致問題を取り上げないので、これらの問題は世間で広がりを見せていない。

野党第1党もこの問題を取り上げて公明党を追及しようとしない。

こうした全体の動きの中、週刊文春を中心に、複数の雑誌が焚き付けた公明と学会の憲法違反問題は、泉の愚行によって完全に終わりを告げたと言ってもよい。

安倍銃撃後の政局で、立憲には公明党をつぶすチャンスはいくらでもあったはずである。

立憲が政権を本気で取る気概があったのなら、自民と教会の問題はもとより、公明党の憲法違反問題も取り上げて徹底的に追い込む行動に出たはずである。

だが、野党であることに満足している泉立憲にそのような気概はなかった。
そして、今回の浅はかな行動のせいで、立憲は公明党の追及どころではなくなってしまった。

2021年の衆院選に立憲公認で出馬して落選した今井瑠々の自民への鞍替えについて、泉は記者会見で

「政治の世界で活動する者として大きな裏切り、背信行為だ」「政治家として不適格だ」と批判したが、

昨年の参院選で党代表として惨敗したにもかかわらず、けじめをつけることなく今もなお代表の座に居座り続けている彼こそ支持者への「大きな裏切り」「背信行為」を犯し続けている張本人である。

このような鈍感力だけは人一倍の「政治家として不適格」な男にかつての仲間を糾弾する資格などない。

泉こそ「政治家失格」である。次の衆院選で立憲が議席増を目指すのなら、党の政策云々の前に、一刻も早く泉を解任して党の顔を代えるべきである。

顔を代えるという意味では、安倍銃撃の被告人山上徹也の弁護団も然り。

山上弁護団については、すでに12月の本ブログで苦言を呈したが、
1月10日に鑑定留置が終わり、その3日後に山上が被告人になった今でも、本ブログの山上弁護団への不信は変わっていない。

その理由を一言で言えば、彼らのやっていることは、昭和の旧態依然とした日本の悪い刑事弁護のスタイルをそのままを貫いているからである。

時代は変わったことに気付かなければならない。彼らの態度は令和の裁判員制度にそぐわない。

勾留の取消請求を出すだけなら、やる気がないサラリーマン的弁護士や無能弁護士でもやれることである。

そもそも陪審制を採用している米国では、公判前の弁護活動が物を言う。(刑事)裁判のすべてがそうだというわけではないが、

米国では、世間の耳目を集めるようなスキャンダラスな事件は、被告人を除いた訴訟関係者の公判前のパフォーマンス(情報発信)が訴訟の行方に大きな影響を及ぼすことが少なくない。

日本でもそうなりつつある。統一教会問題に詳しい紀藤正樹弁護士の積極的な情報発信活動が新たな世論形成に十分な役割を果たしている。

裁判ではないが、被害者救済法成立は、彼の尽力によるところが大きい。

紀藤氏の活動は今後多発するであろう教会がらみの裁判でも、裁判官への微妙な心理的な揺さぶりになっていくはずである。

裁判員裁判ならなおさら有利に事が運んでいいくことは言うまでもないだろう。

山上の件では、検察が虚偽の情報を報道機関に提供して世論を誘導することで裁判員裁判を有利にしようと謀っている。

以前本ブログでも書いたことだが、発売中の文春(1月19日号)がこの件をうまくまとめているので、以下、引用させていただく。

「昨年12月8日、毎日新聞は鑑定留置中の山上が「母親が統一教会の用事に行って授業参観に来なかった」などと担当医に少年期の不満をもらしていると報じた。」

「ところが5日後の12月13日。山上の弁護団は奈良県警や奈良地検が捜査情報を各報道機関に提供しているとして抗議文を送付した。」

「「裁判前にさまざまな情報が流れるのは予断排除の原則から問題だ」とした上で
「本人に確認をしたが、担当にそのようなことは言っていないとのことなので、事実と異なる」とも明言した。(引用ここまで)

だが、抗議文を送り付けるだけなら私でもできることである。そもそも抗議文を送ったこと自体、世間ではほとんど知られていないと思われるので、抗議の方法としては不十分である。

検察がそういう手を使うのなら、目には目を、ではないが、負けじと弁護団も同じ手を使って、裁判を有利に進めるために、報道機関を利用すればよいと思うのだが、そのような考えは山上弁護団には微塵もなさそうである。

私自身何度も経験しているが、裁判は言葉と情報の戦争である。検察や相手弁護士は、法に触れないことなら道義、倫理など関係なく何でもありで仕掛けてくる。

「裁判前にさまざまな情報が流れるのは予断排除の原則から問題だ」などという神学論争のような抗議は、昭和ならそれでもよかっただろう。

だが、当時と違い、今はメディアが発達している。
令和の裁判員裁判時代に古臭い法の原理を振りかざしても巨大権力には通用しない。

さらに、この弁護団が情けないのは、文春の対面取材に次のように応答していることである。

「報道は危ういなと思いますね。やっぱり彼の思いについて一部だけを切り取っても彼の真意が伝わらない。それが広まるのは怖いなあと思います」と。

だったら、発言を切り取られないように、弁護団がテレビやユーチューブのカメラの前に立って、山上の真意が伝わるように情報発信すればいいのではないだろうか。

山上本人がそれを望んでいない可能性もあるが、弁護団曰く、彼は大学に行って勉強したいなどとも言っているような男である。

そのような男であれば(有罪判決後は)1日でも早く刑期を終えたいと考えているのではないか。そのためにこちらからの情報発信は有利になるのだと説得すれば、彼も承知するはずである。

これまで本ブログで何度も書いてきたように、山上はバカではない。彼が聞く耳を持っている男なら、有能な弁護団であれば彼を説得できるだろう。

弁護団は取材に対して「ちなみに文春さんの記事だって合っていたり間違っていたり、色々ですよ」とも言っているが、

だったら、今回の取材申し込み以前に、なぜ「間違っている」箇所を文春に抗議しなかったのだろうか。

これについて文春が、たとえば具体的にどこがどう違うのか、と弁護団に問うたところ、

「それを言い出すと逐一報道内容の正否を答えることになってしまうので」と回答を拒否しているのだから話にならない。

これは山上の人生がかかっている事柄である。面倒でも逐一間違った報道箇所を洗い出して抗議すべきではないのか。

この弁護団はダメであると言いたい。もしそうでない、やる気がある、本気で権力と戦う気概があると言うのなら、それを証明するためにもまずは検察を訴えてほしい。

山上の身柄拘束を徒に長期化させ、憲法の保障する裁判を受ける権利を奪い、精神的苦痛を与えたとして奈良県警と検察に国家賠償請求するのである。

証人は、まず鑑定にあたった担当医である。山上の頭は当初からまともで、そもそも鑑定の必要がなかったと証言してくれるはずである。、

仮に鑑定の必要があったとしても、早期解放に値した、と。それなのに4ヶ月間、しかもそれでは足りない、というので検察は延長請求まで行い、意味のないさらなる身柄拘束を試みた、と。

その間に奈良県警と検察は、山上に不利となる虚偽の情報を報道機関に提供して彼の人格を貶め、精神的苦痛を与えた。証人は情報提供された報道機関である。

奈良県警と奈良地検への国家賠償請求の要件は十分満たしているので、弁護団が本気でやる気がある、と言い訳したいのなら、山上のためにもぜひ訴えを起こす必要がある。

それをやらないというのなら、やはり彼らはそもそも権力と戦う気がない、やる気がないということになる。




敵基地攻撃能力保有に賛成する国民は保険料や税金を今の倍以上喜んで支払え 

2023年1月8日


昨年12月27日、岸田首相は報道番組で

「国民に(防衛費増税のための税)負担をお願いするスタートの時期はこれから決定するわけだが、それまでには(衆院)選挙はあると思う」と述べた。

だが、1月8日のNHK番組では、解散総選挙について「適切な時期に」と表現を変えた。

彼の言う「適切な時期」とはいつか。

結論から言えば、最も早ければ、今年6月解散、7月総選挙と予測する。以下、理由を述べる。

岸田首相の自民党総裁任期は2024年9月までである。

それまでに政権浮揚の材料が一つでもあれば、総裁選後の岸田体制で選挙を勝負するという選択肢もありうるが、現状1ミリも明るい材料がみつからない。

そうなると、岸田が勝負に出るタイミングとして最も遅い時期として考えられるのは、総裁選前の来年6、7月である。

総裁選に出れば自分が負ける可能性があるからである。

一方、多数自民議員としては、支持率低空飛行の状況で増税の具体的時期まで決めた後に解散総選挙突入というのは勘弁願いたいというのが本音だろう。

そうとなれば、来年の年頭早々に解散総選挙、というのも考えにくい。増税の具体的開始時期決定は今年末ごろになると予想されるからである。

当落線上の多数自民議員は、今年末以降、今以上に政権がボロボロになる前に総選挙を済ませておきたいと考えていてもおかしくない。

4月には統一地方選と2,3の衆院補選が控えているが、ここで自公政権にとって想定以上に芳しくない結果になれば、その後の政局の動きは加速化していくことになる。

中央政界の野党は相変わらずふにゃふにゃのまま、となれば、

最も早くて5月のG7広島サミット後に、周囲にけしかけられるように岸田が解散を表明する可能性を否定できない。

この早い時期の選挙なら、目を引くような新しい野党が出てくる可能性も低いし、既存の野党も今のようなまとまりがないままであることもほぼ間違いない。

そうとなれば、今年の上半期に岸田が勝負に出ることも可能性として十分ありうる、と、以上が理由である。

ところで、この早いタイミングで総選挙を行って、既存の野党で議席を伸ばしそうなのは良し悪しは別として、勢いがある参政党、さらにこのところ低迷している共産党になるのではと予測する。

本ブログ的には共産党に注目したい。この党のスタンスを貫けば、今の岸田を攻撃する材料はいくらでもあるはずである。

そこで、まずは、こどもをダシにして、あらゆる領域での増税を企む卑劣な岸田という男を徹底的に攻撃してほしい。

その上で政策批判である。中でもやはり防衛費増大とその増税がターゲットになる。

世論調査で、国民の過半数以上が敵基地攻撃能力の保有を是認しているからといって怯んではならない。以下に述べるように、これを否定するのが人として正しい道である。

今年元旦、ウクライナは、東部のドネツク州のロシア軍の拠点を攻撃し、ロシア側に89人の死者が出たとロシア国防省が発表した。

この件について、、同州の新ロシア派の元幹部は、「大勢の兵士がルールを破ってウクライナ軍の射程圏内で個人の携帯電話を使用し、その電波が探知されたことが(攻撃を受けた)主な原因だ」と言っていたが、

このような単純な理由がすべてではないだろう。今回のウクライナ戦争では、はっきりしたわかったのは、ロシアの軍事力の脆弱性である。

もちろんロシアにも最新の兵器は山ほどある。だが、あまりにも危険すぎる兵器を多数保有していても、実際の戦場ではおいそれとは使えない。

相手を焼け野原にして絶滅させるのが侵攻の目的ではないからである。

だから、戦争開始の当初は、兵站と戦車が中心という第二次世界大戦さながらの戦いになった。それでもプーチンは、1週間もあれば片が付くと考えていたようだが、うまくいかなかった。

米国のマクサーテクノロジーズ社が提供する「ワールドビュー」という衛星写真画像は、ロシア軍の一挙手一投足の動きを秒単位で捉えることができる。

もちろんこの会社だけではなく、多くの民間衛星オペレーターがウクライナに対して、細かな軍事情報を提供している。

今のロシアにこのような技術があるかといったらノーである。ロシアに軍事力を提供するイランは、近年宇宙軍事開発で後れを取っているので、ロシアに有益な情報を提供する能力は今のところ保有していない。

今回ロシアがウクライナに予想以上に苦戦している最大の原因は、情報戦で西側に後塵を拝しているからに他ならない。

米国防省によると、米の宇宙軍事予算は、日本円で7兆円弱である。そして、日本政府が想定している最大の「仮想敵国」中国は、1兆5千億円程度となっている。(日本は5500億円弱)

だが、昨年6月に発表された同省の年次報告では、「2032年までには、宇宙軍事分野で中国が米国を追い抜くだろう」との観測が示されている。

台湾有事で想定される第1弾の攻撃は、中国が日米の衛星を地上からのレーザー攻撃で破壊してしまうことである。

その混乱に乗じて、米軍が沖縄本土から来る前に、電撃的に一気に台湾海峡を封鎖してしまう、と。台湾周辺の軍事力は中国が日本を圧倒的に上回っているので、日本は太刀打ちできない。

石垣島、宮古島、与那国島には戦車や弾薬庫はあっても、中国を想定した「巨大な」軍事力があるわけでもないし、それを置く具体的な計画もない。

日本が本気で敵基地攻撃能力を保有しようというのなら、これら島々に莫大な軍事予算を投下しなければならないだろう(たとえば、中国本土に届く対艦ミサイルを開発してそれを置くとか)

2022年10月、中国は「夢天」が打ち上げられ、これにより独自の宇宙ステーション「天宮」が完成した。(正式名称は中国宇宙ステーション)

中国は軍事目的を否定しているが、もちろん信じられない。むしろ、主たる目的は軍事であると考えるべきだろう。

国際宇宙ステーション(ISS)は、2030年までに運用が中止される予定もあるので、そうなると、それ以降当面の間、中国が宇宙空間を支配することになる。

宇宙を支配する者がこれからの戦争を制する。日本が米中並みに本気で敵基地攻撃能力を保有するというなら、

5年で43兆円増、GDP2パーセントではとても足りない。その倍以上、100兆円の予算が必要だろう。

敵基地攻撃能力保有に賛成だが、防衛費は払いたくないという理屈は通らなくなる。

中国に攻撃される前に、日本は敵基地攻撃能力保有の第1歩として、重要な衛星の周りに、その衛星を守るための「ボディガード衛星」を配備しなければならない。

敵基地攻撃能力保有に賛成の国民は、衛星を攻撃から守るために、今の保険料支払いが毎月倍になっても文句を言う資格はないだろう。

こちらが軍備を増強すれば、相手は負けじとこちら以上にさらに軍備を増強する。つまり、国民の防衛費増税負担に終着点はない。

敵基地攻撃能力保有に賛成に賛成する国民は、まず、国の決算剰余金の存在や財政投融資特別会計の資金など、国の基本的な財政構造を勉強する必要がある。

その上で「国防のためなら喜んで税金を払う」というのなら、勝手に払うがよい。私は1円も払いたくない。



自分が少数派であることを自覚して多数派国民の考えに異議を唱え続けていく 

2023年1月1日


マクロ経済学では、主に実質GDP増加率で国の経済成長を測るのが基本であり、過去最高を更新中の企業の内部留保や上場企業の株価上昇は目安ではない。

日本ではアベノミクスが始まった2年後の2018年終わりごろから経済は不安定になり、経済成長率は1パーセント未満となった。

その翌年はついにマイナス成長を記録した。

2020年はさらに4パーセントのマイナスで、IMF(国際通貨基金)によると、日本の経済成長率は世界157位だった(21年はプラス1,6パーセント)。

今の日本はアジアの中でもカンボジア、ラオス以下の経済成長率である。このような我が国の状況を20世紀後半の時代に誰が予想しただろうか。

労働者の実質賃金も上がっていない。移民政策でも採らない限り、労働力人口の将来的な増加も考えられず、今や日本は貧民国のカテゴリーに突入しつつある。

国民の大多数が経済的に余裕のない生活を送っているのに、それを諭すべき立場にいるはずの野党第1党は消費税増税を容認し、

その野党をなめきっている岸田政権は、国会の議論をすっ飛ばして国民に増税と負担額をあちこちに課そうとしている。

しかも増税の目的の一つが防衛費への充当だというのだから正気の沙汰ではない。

12月31日付の週刊FLASHサイトが「防衛費43兆円の次は「外国に軍事費を支援します」林外相が予算20億円を明言」との驚愕のタイトルで記事をアップしている。

令和5年度の外務省の予算案には、外国に軍事費20億円を資金提供する方針が記述されているという。

この点を問われた林外相は、27日の記者会見で否定しなかった、と。何と言うことだろうか。

日本は今とんでもない状況になっている(と思っている私は少数派か)。原発の新増設、再稼働も国民的議論のないまま、政管の密室でなし崩しで決められた。

だが、原発に関して言えば、日本国民の本音は「推進容認」に向かっている。

昨年2022年5月の新潟県知事選では、原発推進の急先鋒である花角英世(自民支持)が70万3600票超を獲得。反原発の野党候補の20万2800票を圧倒した。

新潟だけではない。私の出身地の青森県には、六ヶ所村の原子燃料サイクル施設やMOX工場、東通村原発、大間町原発、むつ市の使用済燃料中間貯蔵施設等、原子力関連施設が多いことからもわかる通り

議会は推進派が数で圧倒している。だが、反対派が幅を利かせていた時代もあった。東日本大震災当時である。

だが、今は完全に力を失った。県民が当時の事故を時の経過で忘れているのである。

全国的に見ても、国民の本音は原発推進ないし容認の方向に向かっているものと思われる。

岸田政権は、血税約2兆5000億円を電力会社に投入している。原発稼動に向けて準備をもっと急げということか。

地元の柏崎市は原発再稼動にやる気満々である。

12月30日付新潟日報デジタル版によると、市議や村議らで作った「30キロ圏まで拡大を目指す議員の会」が柏崎刈羽原発の再稼働を「了解」したという。

受け入れる自治体がこの調子なので、遅くとも今年の7,8月ごろには稼動するのではないか。原発の是非がもはや国民的議論でなくなったというのは残念なことである。

この空気では、不可能と思われていた新増設も自公政権にとって夢ではなくなってきた。

新増設には、初期費用だけで最低1兆円かかると言われているが、これは税金ではなく電気料金の上乗せという形で、国民が負担することになると思われる。

話を防衛費増に戻すが、
各メディアの世論調査で、いわゆる「敵基地攻撃」保有に賛成が過半数を超えているのを知るや絶望的になった。

孫崎享氏が防衛大学校の教授生活7年間の総決算として執筆した「日米同盟の正体」(2009年刊)に、このような記述がある。

「資源国として生きるロシアは、国際社会の報復を無視できる。」

「ロシアはサダムフセインが国際社会の報復に対してさしたる考慮をせずにクウェートを攻めたのと同じ思考をとりうる。」と。

昨年まさにそのとおりのことが起こった。10年以上前の孫崎氏の予言は当たり、ロシアはウクライナに軍事侵攻した。孫崎氏の慧眼には恐れ入る。

この優れた書物の中で孫崎氏は、敵基地攻撃論の是非について、次のように述べている。

「敵基地攻撃は基本的に先制攻撃である。先制攻撃された国は、残りの総力をあげて反撃する。」

「したがって、攻撃する国は先制攻撃によって相手国の9割程度の攻撃能力を破壊することが必要となる。しかし、それは実現不可能である(中略)」

「先制攻撃をした後の展開について、まったく能力を持たない国が先制攻撃能力だけを持とうとするのは極めて危険である。」と。

この最後の一節は重要である。孫崎氏は「21世紀の戦争と平和」(2016年刊)で、この箇所を次のように「補足」説明している。

「今日の日本国内での戦略思考の最大の弱点は、「私はこうしたい」「私はこうする」で終わっていることです。」

「自国が何か行動をとれば、相手国は必ずそれに反応します。必要なのは、相手国の行動論理を読み、自国と相手国の数手先を予測することですが、そのような議論がないのです。」と。

その通りだが、「数手先」を予測しなくても、敵基地攻撃がナンセンスな考えであることは現状を考えればわかることではある。

この点について、孫崎氏は日刊ゲンダイで連載中の論文(12月23日付)でも、次のように述べている。

「「敵基地攻撃」や「反撃」が仮に成功しても、それが終わりではない。そこから新たな戦いが起こるのだ。」

「中国は今や2000発以上のミサイルで日本を攻撃できる。北朝鮮も300発以上のミサイルで日本を攻撃できる。さらに両国ともに核兵器を保有している。」

「日本が中国や北朝鮮に「敵基地攻撃」や「反撃」すれば、中国や北朝鮮の軍備を一掃できるとでも思っているのであろうか。彼らが怯えて「ごめんなさい」とでも言うと思っているのか。」

「「殴り返したい」。そんな単純極まりない感情論で日本の国は守れない。」と。(引用ここまで)

敵基地攻撃能力保有に賛成しながら、防衛費増(増税)に反対するとはどういうことなのか。思考が分裂している。

原発容認も然り。東日本大震災級の揺れに耐震性がない原発の再稼働を容認しようというのか。

敵のミサイルが2000発どころか、一発でも原発に着弾して破損するようなことがあれば、日本列島の最低3分の1は消失する(東日本大震災がそれを証明した)。

それを承知で原発を容認し、敵基地攻撃に賛成するとでもいうのか。

今年は本ブログが少数派であることをより自覚しながら、岸田政権にだけでなく、多数派国民にも異論を多く申し上げていきたい。


心霊現象や都市伝説よりも今後日本で起ころうとしている事実を知るほうが恐ろしい 

2022年12月25日



今年7月8日、山上徹也は安倍晋三を銃撃して殺害した。

現行犯逮捕された山上は2日後に送検され、その約2週間後の7月25日に鑑定留置の名の下に、裁判にもかけられずに、最短来年1月10日まで幽閉されることが決まっている

銃撃事件は政界と統一教会の癒着問題というパンドラの箱を開けた。だが、8月に本ブログは、「この問題は11月ごろになればいったん落ち着くだろう」との予測を記述した。

読みが外れた原因は後述するとして、検察、官邸もおそらく同じ見立てをしていたと思われる。検察が鑑定留置の期限を当初11月29日までと設定したのがその理由である。

テレビで元検事やら鑑定人らが、鑑定留置の期間は一般に4ヶ月間なので11月末ごろまでの期限設定は当たり前であるかのような発言をしていたが違うだろう。

山上は取調べで黙秘権を行使せず、犯行を認めて動機まで語っていた。

このような被疑者が、起訴前に鑑定留置で4ヶ月間も勾留されるなど私は聞いたことがない。(結局来年1月10日まで延長が決まっている。この間実に半年間弱にも及ぶ)。

そもそも4ヶ月どころか、山上には当初から鑑定など必要ない(なかった)はずである。

自分で銃を製作し、演説予定まで調べた上で計画的に行動に及んだ男に精神鑑定など不要なことは明らかではないか(ある意味おかしい奴だと言えなくもないが)

山上よりも、むしろ国会で100回以上もウソをついて平然としていた生前の被害者の方がよっぽど狂っている。

安倍の頭など今更どうでもよいとしても、検察は山上がまともな頭の持ち主であることは当初からわかっていたはずである。

だがら、逆に山上を恐れた(ている)と言えるのかしれない。山上が法廷で自民党に不都合な爆弾発言をするのではないか、と。(取調べで既にしている可能性もある)

鑑定医は、山上正常だとの診断をだいぶ前に終えていたようである。ところが、検察は長期の鑑定留置を正当化するために、ウソの情報をメディアに提供して山上の人格を貶める行動をとった。

何でも山上が、少年時代のある出来事から母親への不満を鑑定医に吐露し、そのことを確認するために鑑定医が鑑定留置の延長を望んでいる、とのデタラメ情報をメディアに提供していたという。

ところが、弁護団が山上と担当鑑定医に事情を確認したところ、両者ともストーリーそのものを否定したとのことである。検察の稚拙な情報操作は見事に失敗した。

この件で弁護団は奈良県警と奈良地検に対し、報道機関への捜査情報についての抗議文を送ったというが、率直に言えば、この3人の弁護団の活動は、全体として不十分である。

やる気があるのか、とまでは言いたくないが、本気で捜査当局や官邸と戦う気があるのなら、今後は教会問題の紀藤弁護士のように、良くも悪くも大メディアのテレビの露出を考えるべきである。

ところが、今までの活動を見る限り、世間へのアピールが足りない。

たとえば、12月に入っても教会問題が収まらなかったのは、2世信者と呼ばれる方がテレビなど大メディアを利用して世間に訴えていたからである。

本ブログがいい意味で収束期限の読みを誤ったのは、2世信者たちによる予想外の活発なアピール活動である。彼らがテレビの露出にしり込みしなかったのは正解だった(である)と思う。

24日から山上を題材にした映画の完全版が公開されている。鑑定留置は来年1月10日に終わる。

4月の地方統一選が終わるまで検察は政治的に勾留をずるずる引き延ばすだろうが、延長にも限界はあるので、夏あたりには否応なしに公判が開始されるはずである。

つまり山上問題はまだ始まったばかりというか、これからなのである。

事情によっては、自民党の更なる暗部が露呈されることになるだろう。すべては山上の言動次第なので、彼と彼の弁護団の気概に期待したい。

裁判がらみで、今後岸田政権の低支持率にさらに影響が及びそうなのは、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリ氏が名古屋の入管施設で不当な扱いを受けて死亡したとして遺族が争っている国賠請求訴訟だろう。

この事件は、東京新聞が積極的に情報発信しているが、中でも注目は来年2月15日までには明らかにされるであろう5時間にも及ぶ監視カメラ映像の内容である。

国会では公開済みなので、議員らが上映中寝てなければノーカットですでに観ているはずである。だが、彼らが大メディアの前でその内容を詳細に語っている姿を未だ見たことがない。

私は入管の実態ややり口を知り尽くしているので観なくても内容の予測は付くのだが、できればみなさまのNHKに、5時間超の映像を3等分にして日中に放送していただきたいと願う。

国側がこれまでかたくなに提出を拒んでいた映像に何が映っているのか、日本国民は日本人の本性を映像で知ることになるはずである。

遺族側の弁護団の一人である指宿昭一弁護士は、労働事件分野の第一人者として有名だが、この件でも気合の入った活動を行っている。今後も我々の期待を裏切ることはないだろう。

映像の公開が政権の支持率に影響を及ぼすことは間違いないが、それも大メディアの今後の伝え方次第である。

ところで、心霊現象や都市伝説の類が好きな国民は多いと思う。だからテレビもこの手のジャンルを多く扱うし、視聴率も稼いでいる。

だが、山上やウィシュマ氏の件にしろ、日本で現在進行形で起こっている現実のインパクトと比べればたいした話ではない。そう言わざるをえないほど今の日本の現実は恐怖が支配している(しようとしている)。

たとえば、今回の防衛費増額の問題もそうである。NHKは18日、「来年度から5年間の防衛費をめぐり、防衛省は48兆円の要求を、財務省は30兆円台半ばに抑えたいとしていた」と伝える一方で、

「わずか10日間のうちに3度の(閣僚への)総理指示で、GDPの2パーセント、43兆円との道筋がつけられた」と言っている。

だが、財務省に開成出身の知人や親族関係が多いこともあり、岸田が生前の安倍以上に財務省寄りであることは周知の事実である。

それなのに、1人では何も決められないこの男がこのレベルの内容の指示を、しかもたった10日間でごり押しで決めて、かつ、財務省の抵抗もいまいちだったのは不思議ではないか。

ある意味都市伝説レベルの怪談だが、その類の話と違うのはこちらの方はリアルタイムで起こっていることなので説明がつくということである。

そもそも岸田が防衛費増に前のめりなのは、自民党の政治資金団体「国民政治協会」がNEC、日立製作所、三菱重工らの軍需産業から2億円超の政治献金を受けとるためという理由だけではない。

防衛省は、米国防省にあるような国防の研究機関の設立を計画している。2015年から大学や民間企業から研究テーマを募集し、

すでに水中内光線、宇宙からのレーザー光線などの試験研究を行っている。

ところで、国が民間企業や大学らに軍事研究を行わせるには、彼らに合法的に多額の資金提供を行う必要がある。

そのために、今年5月、甘利明が旗振り役となって、経済安全保障法が成立し、軍事研究資金の提供を容易にした。

菅義偉政権時代には、軍事研究に否定的な研究者6人を学術者会議から排除したが、このことも今回の文脈の流れで理解するとわかりやすい。

ただ、研究に否定的になるのも無理はない。防衛省が要求して内閣府がまとめたという支援対象技術は、自律型無人潜水機や生物兵器の開発などが研究テーマとなっている。

だが、日本は生物兵器禁止条約に批准しているはずである。それなのに、いくら予算目当てとはいえ、大学や民間企業がそもそもホイホイ受け入れるはずがない。

(正確には、内閣府、文科省、経産省が中心となって設立した研究開発ファンドが資金提供の役割を担うのだが、細かい事情説明はここでは割愛する)

いずれにせよ、財務省が防衛省の動きを警戒しているのは間違いないとしても、今回の防衛費増額のゴタゴタが示したように、財務省の力にも当然限界はある。

限界とは親分米国の存在である。

要するに、財務省は岸田ではなく、日米合同委員会で米国の指令があったから今回防衛増額に従ったということである。

18日のNHK報道を改めてウェブサイトで確認すると、このことがよくわかる。以下、「証拠」記事をピックアップすると、

「政府はアメリカの戦略文書との整合性を踏まえ、安全保障関連の3つの文書の体系や名称を見直しました」

「武力行使が起きた際に同盟国アメリカなどの支援を受けつつ、日本が責任を持って対処することなど、日本が目指すべき3つの「防衛目標」を設定し(以下略)」

「これ(本ブログ注:3文書中の中国の軍事力への懸念との記述部分)はアメリカの「国家安全保障戦略」の中で、中国の動きをアメリカ軍の抑止力の維持・強化にとって「対応を絶えず迫ってくる挑戦」と表現していることと足並みをそろえた形です。」

「北朝鮮の動向については、(中略)アメリカ本土を射程に含むICBM=大陸間弾道ミサイル級や変則軌道で飛行するミサイルなど新たな態様での発射を繰り返している(中略)」

「そして北朝鮮への対応などを念頭に安全保障面を含めて、日韓、日米韓3か国の戦略的な連携を強化するとしています。」

「アメリカの巡航ミサイル「トマホーク」をはじめとする外国製のミサイルの着実な導入も進めます。」

「与党協議では、日本が直接攻撃されていない、同盟国アメリカなどへの武力攻撃にも、集団的自衛権の行使として反撃能力を発動することも排除しないことを確認しました。」
(以上抜粋箇所)

これは一体どこの主権国家の話なのか。ニュース記事は3文書などの中身をただ要約して伝えているだけなのに、

アメリカ、アメリカとアメリカフレーズを連呼している。公式文書の中でこれだけ特定の他国の利益を忖度する国など世界的に見ても日本ぐらいだろう。

それともNHKが意図的に、皮肉を込めてこのような記事にまとめたのか。だとすれば、少し感心してしまうが、そうではないと思われる。

9日付の共同通信によると、防衛省は現在、ネット空間の世論操作活動を行う計画を企てているという。

インフルエンサーらのSNSなどを通じて

「防衛政策への支持を広げたり、有事で特定国への敵対心を醸成、国民の反戦・厭戦の機運を払拭したりするネット空間でのトレンドづくりを目標としている」とのことである。

一言で言えば、国による国民マインドコントロール計画である。

記事を書いた共同通信の記者は、入札に応じた三菱総研と落札したEYストラテジー社の両社に直接取材をして情報の裏を取っており、

さらに定例会見の質問で浜田防衛相をしどろもどろにさせていることからも、記事の信憑性は高いと断定できる。

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